最近何人かの方から「いただきます論争」なるものを聞いた。
『TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半~、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。』
Mainichi INTERACTIVE毎日新聞 2006年1月21日 東京朝刊 記事に対する声
賛成派(いただきますと言わせないで派)は、
・お金を払ってるんだから、感謝を言うのは間違いだ
・学校に宗教を持ち込むべきでない
との理由だからそうだ。
「いただきます」という言葉に、たくさんの気持ちが込められている。
料理をつくってくれた人、食べ物をつくってくれた人、それらに関わった人への感謝。
生きている食べ物をいただくことへの感謝。
それを育む自然への感謝。
私たちの食べ物・自然の捉え方や感謝の「こころ」が凝縮されている。
「いただきます」という言葉がなくなった時、私たちの「こころ」がなくなるだろう。
ちゃんと「こころ」を持った人間でいたい。
今津町椋川で頂いた大根を炊いてもらいました。
小さな小さな種から、太陽の光、雨、土からたくさんの栄養を得て、大きな大きな大根になりました。
私の口の中で、炊いた大根のあまさが広がるまでに、どれだけの人の手が加えられたのでしょうか。
「いただきます」