中野笑理子のブログ

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陽だまり

2017年11月25日 | 日記
冷たい風が吹く中でもお日さまが顔を出したら、ハァ極楽極楽。
今日は母をショートステイに見送った後、お寺へ義弟の納骨へ行って来ました。
お寺は老若男女で大変混雑しており、受付まで小一時間ほど待ちました。
本堂へ通され更に待ち、ようやく名前を呼ばれて読経していただきました。
読経の後、納骨堂にお骨を納めて終了です。

明るい陽の光が溢れていて、大勢の人で賑わっているのに、この季節のお寺はどこかもの悲しい雰囲気がありました。
明るい境内にいると、この大勢の人達の中に、ひょっとしたらこの世の者でない人もいたりするのではないか、などとフト思ったのでありました。
決して不穏な感じではないのですが、あの世とこの世の境目がゆらゆらと陽炎のように漂っているような、不思議な晴れた空の下の境内でありました。
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世界一のツリーって

2017年11月24日 | 日記
神戸のメリケンパークに世界一のクリスマスツリーを、ということで樹齢150年のアスナロの樹が掘り起こされて富山から神戸まで船で運ばれて来た、というニュースを前に見たのですが。
その時にちょっとした疑問というか、違和感を感じたのです。
すると数日前から疑問の声が新聞の投稿欄などに掲載され始めまして、ああやっぱり、と思いました。

メリケンパークに植樹してこれからはずっと神戸で生きてゆくのかと思いきや、このツリーはクリスマスの間だけで、クリスマスイベントの後については今のところ未定となっているというのです。
そこへ神戸の通販会社がこの樹を加工したバングルの発売を発表しまして、あっという間にこのアスナロの樹をめぐって騒然となってきました。

「めざせ! 世界一のクリスマスツリープロジェクト」と銘打たれたこの企画は、プラントハンターなる方がプロデュースしており、その方のプロジェクトにかける想いというのを読んでみますと「茶室に一輪の花を届けることも、巨大な木を運ぶことも、本質的には変わらない」とあり、そこにも疑問を感じざるをえないのです。

どちらも人間の勝手な都合でその生命を翻弄されているという点では同じだと思いますが、一輪の花と樹齢150年の樹はやはり違うと思うのです。
花はたとえ手折られてもまた季節がめぐれば咲くことができるけれど、樹齢150年の樹はもし伐採してしまえば同じようになるまで当たり前ですが150年かかるのです。

きっとこのプロジェクト、検討段階で反対派の人もいたと思いますが、大きな声で反対出来なくてあれよあれよという間に進んでいったのではないかと思うのです。
今の世情なのでしょうか、震災の時の絆とか1億総活躍とか寄り添うとか、聞こえの良い言葉やイメージだけが先行して実践が伴わないどころか、実際は以前よりひどいことになってしまうような、そんな悲惨な結末にだけはなって欲しくないな、と思わずにはいられないのでありました。
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手荒な自己治療

2017年11月23日 | 日記
数ヶ月前から、左の頬骨の下辺りに小さな黒い点がふたつ。
とうとう来たか、シミ!
と思っていました。しかしシミって確か、盛り上ってはいないはず。
1ミリにも満たない、痛みも痒みもない、よくよく見なければわからない点ですが、指で触れると少し盛り上がっています。

年齢的に、お肌の曲がり角を何度も曲がって、一周回って元の位置も何周目?
トシだよ、トシ。
と楽観しつつも諦めておりましたが、念のためとググってみますと何だか物騒なおとろしいことが書かれておりビビってしまい、もし万が一、大きくなってきたり、痛み出したりしたら皮膚科へ行かなくちゃいけないかなと思っていましたが、変化もないけど無くなりもしない。

思い悩むこと数ヶ月、お風呂上がりにフト思い立って、毛抜きでデキモノの両端をギュッと押して、そのまま挟んで引き抜いてみると、ちょっと痛かったけれど呆気なく取れました。
続けてもうひとつの方も同じようにやってみると、芯のような根っ子のようなものと一緒に取れました。

思うにこれはニキビだったのではないか。
いやニキビだったら大きくなったり、化膿したりするのでは?
ある日突然に現れ、ずっと成長も衰退もせず人(私)に心配をかけて、君らは一体どういうつもりだったのだ?

正体は不明ですが、ニキビということにしておきたい私でありました。
そうか、私まだ青春真っ只中だったのね。
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週刊誌

2017年11月22日 | 日記
母が好んで読む週刊文春を、今日も買って帰りました。
芸能人のゴシップや今話題の角界の暴行事件には特に興味はありませんが、連載している小説やエッセイが楽しみでいつも帰りの電車の中で読んでいます。

真っ先に読むのは伊集院静さんの人生相談「悩むが花」。
そして小説は黒川博行さんの「泥濘」、エッセイは林真理子さんの「夜ふけのなわとび」、平松洋子さんの「この味」など。
車中の限られた時間の中では、いつもだいたいこの順番で読んでおりましたが、万城目学さんの新連載が始まりそのエッセイ「人生論ノート」がまた面白くて、どれから読もうか迷ってしまい、それもまた楽しいのです。

合間にマンガ東海林さだおさんの「タンマ君」や益田ミリさんの「沢村さん家のこんな毎日」、桜玉吉さんの「日々我人間」なども挟みつつ、心の中でウヒャヒャヒャヒャとほくそ笑みながら読む週刊文春。
乗り換え駅に着いても、つい乗り過ごしそうになるほどです。

実家に着いて取り出してしまうと母が手から離しませんので、実家に到着するまでが勝負なのです。
電車を降りてバスを待つ間も、乗車してからも文春を読みふけります。
バスが停留所に到着したらタイムオーバー、続きは翌日以降になってしまいます。

私は決して文藝春秋社の回し者ではありませんが、週刊文春は中学生の頃から読んでいました。
高校生の時には、連載されていた故米長邦夫さんの「泥沼流人生相談」に悩みを投稿しまして、掲載されたことがあります。
まだ素直な良い子の十代であった私は、そのご回答に従って進路を決め、その通りにして良かったなと今、思っております。
思えば長い付き合いの週刊文春でありました。
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短気は損気

2017年11月21日 | 日記
ことあるごとに、自分に言い聞かせている言葉であります。
思わずカッとなって言ったこと、やらかしたこと、後から振り返って良かったと思ったことがありません。
反省の日々であります。

ではありますが、やっぱりカチンときたり、イラッとしたり、ムカッ腹のたつこともありまして。
だって、人間だもの。
誰にだって虫の居所の悪い時もあり、ついうっかり虎の尾っぽを踏んでしまったり、逆鱗に触れてしまうこともある。
大抵は短気は損気、ガマンガマンと、やり過ごしておりますが、どう考えてもそれは八つ当たりでしょう、何でよ!
と、思う時もある。

人にもよりますが、中には俺の失敗は部下の失敗、部下の手柄は俺の手柄、なんて人もいる訳で。
マ、そういう人は誰彼なしに常に嫌われておりますが、どうにも納得のいかない理不尽なことも多々あります。

仕事をする上で、自分は悪くなくても頭を下げなければいけない時、殆どはお仕事お仕事、お給料はガマン料、と思ってやり過ごしておりますが。
嫌な思いも勉強だと、嫌な人も修行させて頂いているのだと、常に思えれば良いのですが。
わかっちゃいるけど……、の時もある。

そんな時、大先輩の言葉が心に沁みました。
専業主婦から離婚を経て、子供をふたり抱えてバリキャリに昇り詰められた70代の大先輩。
70過ぎてもまだまだ学ぶことは多い。
40代50代なんて先は長い。
今の嫌な時間は一生で言うとちっぽけな点くらい、なんですと。

ちっぽけな点にいつまでも心を揺さぶられるなんてバカみたい、サァ気持ち切り替えて行こう!
と思いました。
経験を積んだ人の言葉って、有難いわ。
まだまだ先を目指して行くわよ~!
と、復活出来たのでありました。
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