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旧える天まるのブログ
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マチズモ・ノックノック

2021-07-07 00:36:55 | ノックノック(雑記の宿)

 

 本日買いたてホヤホヤの本で『マチズモを削り取れ』。

 『マチズモ』って何?と、最初に僕も思いまして、『男性優位主義』のことだと聞きました。

 目次を見るといくつか、僕にも思い当たる点がございました。

 『マチズモ』という言い方は、あの当時はなかったのですが、あの当時から見ればその『マチズモ』感は強まった時代の日本になったと思いました。

『あの当時』はいつかと申しますと、1980年の早稲田実業の荒木大輔投手の登場から蔦監督(池田高)KKコンビ(PL学園)といった80年代の甲子園フィーバーの時は『マチズモ』感は薄れていた時代でした。大ちゃんフィーバーで甲子園がキャーキャーしてた時代で、蔦監督(池田高)のやまびこ打線からKKコンビの頃までは『男性優位主義』的なことはあまり肌で感じてませんでした。中高生だったので、それがあたりまえだと思っていました。

 早稲田実業が3年連続甲子園に出場してた時は、中京高の野中。横浜商の三浦投手らが常にベスト4入りをしてて、報徳学園の金村投手もキャーキャー言われてました。そこに『男性優位主義』が幅を利かせていたかどうかは、その当事者でしかわからない時代背景で、PL学園のKKコンビの活躍・優勝(1985年)で、一定の甲子園フィーバーは終えました。その時代をともにした、大魔神こと佐々木投手もキャーキャー言われてました。

 女子野球というのも、1980年代ぐらいまでの間にありました。

昭和50年代の女子野球ブームに迫る

https://girls-bb.com/index.php?%E6%98%AD%E5%92%8C50%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0

 といった時代もあったほどで、若者文化の中にはあの当時『マチズモ』感はあまり感じませんでした。

 じゃ、いつ頃から『男性優位主義』が発芽するようになったかは、1985年以降からがより強くなってゆきました。中学生は全生徒丸ボーズ強制時代が起きたと思います。社会問題にもなったと思います。先輩方のツッパリブームがそうさせてしまったのですが、僕の中学時代でさえ、男子生徒は丸刈りではありませんでした。

 部活動の丸刈りは中学からで、丸刈りする部としない部がありましたから。丸刈りにしたくない生徒は丸刈りをしない部に入りました。だけど、KKコンビが卒業した頃には、うちの中学校も全生徒丸刈りと聞いて驚きました。県大会を優勝した経験のある部が丸坊主強制が多かった。丸坊主=強さ=勝つ=『マチズモ』なのではないかと思ったことです。(補足)

 丸刈りは僕から見れば『マチズモ』の象徴そのものでした。PL学園が優勝した時にはうちの高校の野球部も不祥事があって、甲子園で活躍した佐々木のいた東北高校も不祥事で監督が辞任しまして、夏の甲子園が終わり、東北高校の野球部の監督がうちのクラスに入ってきたときには仰天しました。

 ダメな兆候はあったんです。全体的に。まず、応援団が手が付けられなくなって廃部になりました。

 僕の居た部活動は、1年生にすべて押し付け、練習着まで洗わせ畳ませてました。1年生だけで掃除。僕は「こりゃだめだな」と思いました。男子校だったのですが、より上級生がより『男性優位主義』になってました。わかりやすくいうと家の親父、部活の監督、会社の社長のような『優位主義』でした。

 その後は改善してるといいのですが。

 母校のことを考えると、恥ずかしくていえないことばかりでした。僕は周りには話せなかった。部活の話しが出来てた人たちは『マチズモ』に染まって慣れていたのかもしれません。

 『ダメおやじ』という漫画が流行ったこともありましたが、

 

『ダメおやじ』が『マチズモ』を後押ししたんじゃないかと今になって思います。とらえ方によっては「これで何が悪いの」と、いうふうにもなりますが。

 

 映画にもなったほどですから。『ダメおやじ』というのはこういうのだ。といった種はまかれてました。

 妻にたいしては僕も『マチズモ』にまつわる苦い話しはあります。妻に言われて「あーー」と思い出すこともあります。

 本はまだ読んでませんが、目次を見る限り「対話」したいな。と思うこともいくつかあります。

 『レディーファースト』についてちょっとお聞きしたいこともありますから。そのことが書いてるかどうか、は、僕の目で確かめたいのでゆっくりと読ませていただきます。

 いつもお世話になってます。みうらじゅんさんが7月7日に新刊『メランコリック・サマー』(文春文庫)発売されたみたいですので、こちらも是非ご覧ください。

 

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  文化放送のポッドキャストがリニューアルしたようなので、ご紹介いたします。ここで本日の著書のことをここで知りました。ノックノック

 

 


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ジューンブライド・ノックノック

2021-06-30 10:39:30 | ノックノック(雑記の宿)

 6月が最終日ですが、6月と言えばジューンブライト。高度成長期からバブル期を経験した世代から見れば、ジューンブライドはプレミアムな結婚行事で、6月に結婚式を挙げるのがひとつのステータスでした。

 バブル世代はとくに6月に結婚することを目指していて、『6月』という1ヵ月内で結婚を挙げるという駆け込み婚もあったような、駆け込んでまでしたいという願望がありました。

 結婚式場は6月はいつも予約満杯で、6月に式場で挙げるのもなかなか難しい時代を過ごしました。最近はそのようなこともささやかれなくもなりましたが、ひところはジューンブライドというのは若者にとっては男女とも結婚を意識した月でした。

 

 

『ウエディングベル・シュガー』『ジュガー・マルーン5』

 シュガーといえば日本では80年代に流行った女性バンドが有名ですが、なんというか結婚を皮肉ったソングでヒットしました。

 そういった意味でも6月というのは、空間の中にあって見えている現実と透明な世界を感じる月でもありました。ただやがてくる予感というのは犇々と感じてました。

「黄ばんだウエディングドレス」宮藤官九郎のオールナイトニッポンゴールド

 結婚式の思い出で言いますと、僕の場合はウエディングドレスだけは頑張っていいものをレンタルしました。日付も6月30日でも旧暦だとまだ5月21日(まだ間に合う)だからということで、旧暦的に行ったのですが実際は旧暦でもジューンブライドには間に合いませんでした。けど、シルクであの当時のウエディングデザイナーが作ったのが似合ってたので高かったでしたがドレスだけは奮発しました。ちなみにウエディングドレスデザイナーはコシノジュンコのではありませんから。どなたのかは忘れましたがあの当時はデザイナーズブランドだと担当の方に言われました。懐かしい上半期・ノックノック

<ジューンブライド>


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パークゴルフ・老いるショック・日曜地獄・ノックノック

2021-06-20 21:59:23 | ノックノック(雑記の宿)

パークゴルフ日曜地獄・老いるショック

 去年からパークゴルフを始めて初夏を迎えました。去年から覚えたことは日焼けによる皮膚の痛みを軽減するために紫外線の強い今の時期は日焼け対策として長袖シャツを着て行うようにしました。

 水分補給は必要です。去年は18ホール基本歩きましたが、今年は18×2・32ホール歩くこともあります。暑くなるにつれ、「もう18ホール」と思いつつ行ってても熱中症が心配なので、残り9ホールでやめたりもしました。暑くなってると、身体がそれに耐えてる気分になって下手に頑張ろうとしてしまうことにも意識がゆきます。年齢を考えたら「やめておこう」という考えになって帰宅します。

 去年と違うのは、『カリカリ梅』を持参してプレイするようになりました。水分だけじゃなく塩分補給も考えての行動です。ここ数年、塩分補給は言われてることですが、以前は水分補給だけで夏場のディズニーランドへ行ってかなり疲労して歩いた覚えがありまして、あの時は何か塩分があるものを持参して歩けばよかったと今になって思うことです。

 それからだいぶ年齢も重ねて、いろいろあって身体は不自由な状態です。パークゴルフに杖を持ちながら歩いてまわったこともありますが、今は杖なしでパークゴルフはやってますが、さすがに今日のハイキングコースは歩くのが大変でした。

 去年はこのコースでホールインワンをしたこともあるのですが、今年は少し歩いただけで疲れました。ここ数年、ストレス性の体調不良がありまして、1年経ってもあまり元気ではありません。

 パソコンのスキャンをしましたら、2020年1月9日に感染した記録がありました。

 ちなみに2020年・1月9日のこちらの記事は

『毛皮を着たヴィーナス』置手紙

2020-01-09 01:28:42 | DQX毛皮を着たヴィーナス
 
 その日はこれを記事にしてました。その時、何かがあったことは確かです。
 
 体調不良もありますが、身体はほっとけないので、こまめに動かすようにはしています。
 
 
 今日はラジオを聴きながらパークゴルフのハイキングコースでちょっと疲れました。ノックノック
 
 
 
 
 

 


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ギャルゲー・ノックノック

2021-06-06 01:36:48 | ノックノック(雑記の宿)

 家にあるゲームソフトを見て「恋愛シュミレーション」にはまったことがあるなーと思いまして、いくつかご紹介いたします。この分野は『ギャルゲー』と言ってたんですね。『ギャル』といった言い方はしなかったでしたが、ゲーム内キャラクターにのめり込んだこともありました。

 

センチメンタルグラフティ(Sentimental Graffiti) OP

 『ときめきメモリアル』はその以前から知れ渡ってまして、そちらは置いといて、当時、新作で出ていた『センチメンタルグラフティ』から始めました。

 

センチメンタルグラフティ - ゲームカタログ@Wiki ~名作からクソゲーまで~【6/5更新】

センチメンタルグラフティ 【せんちめんたるぐらふてぃ】 ジャンル 恋愛シミュレーション 対応機種 セガサターンWindows 95/98プレ...

センチメンタルグラフティ - ゲームカタログ@Wiki ~名作からクソゲーまで~

 

 僕は面白いと思ってやってましたが、サブカル・オタクの世界では酷評でした。『ギャルゲーバブルの崩壊』とまで書かれてました。『センチメンタルグラフィティ』は1998年発売でしたので、その数年前から『ギャルゲーバブル』が起きていたようです。宅八郎さんがフィーチャーされてた頃は無関心で、森高千里さんと千堂あきほさんの区別もつかなかった時でしたから、1998年発となると、この分野では後進組です。

 次世代ゲーム機を買った当初は『プロサッカーチームをつくろう』というゲームがしたくなり『セガサターン』を買ったのが始まりでした。

ウイニングポストEX(セガサターン・1995年)OP&ED

『RANPO』や『ウイニングポスト』信長の野望シリーズの『毛利元就』をやっていて、ひとつ終わるのに結構時間がかかってましたから、1998年の『ギャルゲー』まではなかなか到着しませんでした。

 

【SS】毛利元就 誓いの三矢 : だんぼーるはうすinブログ

毛利元就 誓いの三矢(KOEI)ジャンル:シミュレーション発売日:1997年10月2日価格:7,800円今日現在の駿河屋の価格:360円休日...

だんぼーるはうすinブログ

 

[SS] 毛利元就 誓いの三矢 - All Events

ウイニングポスト3 プログラム’98(セガサターン・1998年)OP&ED

 1998年に『センチメンタルグラフティ』をしてから、『ギャルゲー』にはまるようになりました。

 はまったのは『同級生』でした。

セガサターン 同級生if CM

 セガサターン版からでしたから『同級生if』にはまりました。アニメキャラにときめいたのは『リボンの騎士』以来のことかもしれません。98年以前のゲームでしたから、あとになってから名作だと知りました。

 あの当時、原画本も買いましたから。

 ひととおりエンディングまでやりましたけど、最初にエンディングまで行ったのはこの方でした。『同級生』となってますが、内容は同級生というほどでもありませんでした。僕はアニオタというほどでもなかったのですが、このときはアニオタでした。

 結婚して子供が出来た頃で、母親が子供を寝かしつけてる間、僕はこのゲームに夢中でいました。子供はアンパンマンに夢中で母親は『おかあさんといっしょ』の体操のお兄さんや仮面ライダーのイケメン主役に夢中になったママパパ世代でもあります。

 あの頃は『同級生2』までやってました。

セガサターン 同級生2 オープニング

セガサターン ときめきメモリアル ドラマシリーズVol.1 虹色の青春 オープニング

『ときめきメモリアル』もやってみました。

m[emu] …君を伝えて… 神谷高美ED(グッド)

セガサターン スーチーパイアドベンチャー どきどきナイトメア オープニング

セガサターン 卒業S グラデュエーション オープニング

 その後もいろいろやってみまして、次第に二次元脳からも離れていきましたが、けれども絵画やアニメ映像やイラストを見るとときめきます。

 男性だけの世界だと思ってましたが、女性にも同じような感覚があるようで、男女のバランスは保たれているようにも思えます。


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メガホン・ノックノック

2021-06-03 10:27:29 | ノックノック(雑記の宿)

 「マニア」という言い方をされるようになったのはいつ頃からだと思いますか?

 僕が自称マニアと言うようになったのは『メガホン』を集めるようになってからです。そのメガホンマニアの一部をいくつかご紹介いたします。

 メガホンを集めるようになったのは西武球場でプロ野球を観るようになってからです。当時、西武ライオンズのメガホンを買いました。

 記念癖というのは昔からありまして、卒業証書入れのケースの中にその時あった石ころを入れて見たりして、ふるとあの頃の音がなるようにしてみたりしてました。

 このメガホンは1991年・10月3日・西武対日ハム・13-1・西武がリーグ優勝したときのメガホンです。

1991西武ライオンズ優勝胴上げ 西武ライオンズ鹿取義隆VS日本ハムファイターズ 西武球場 中島輝士 大内実

 清原選手が西武にいたときのバットです。あの頃はまだ背番号3でした。

 大洋ホエールズが横浜ベイスターズになってまもなくの時のメガホンです。

 1994年・8月13日。この時は旧友に結婚報告(婚約)をしようと出かけた日でした。結婚した年ではなく結婚する前年です。91年から94年の間のことですが、あの頃は1年1年が濃縮してたようにも思います。1か月、半年間で目まぐるしく人生や世の中が変わりました。年を重ねると、気づけばスカスカな日々を過ごしてるようにも思いました。1年があっという間に経ち、2021年もすでに6月が過ぎました。

 横浜対中日・2-12・横浜のボロ負けの日でした。

 パウエル(中日)選手が5打数5安打という日でした。

 この時はジュリアナ東京もお盛んな時で、その時に耳に残ってるのは『TRF/BOY MEETS GIRL』は覚えてますね。あと『モダンチョキチョキズ』はその年の夏にちょっと興味がありました。

 その時『北斗星』に乗って帰りました。

 シャワーセットが記念に今でもありました。

 Jリーグが発足しまして、グッツはちょこちょこ時代の流行りで買っていました。Jリーグのチケットを手に入れるのも難しい時代でもありました。旧国立競技場が凄くプレミアムな時代でした。そこでJリーグを観るといったら田舎者には夢の舞台でもありました。

 地元には下部組織からですがサッカーチームが出来ました。

 1995年・10月19日・ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)対大塚製薬(大塚ヴォルティス現ヴォルティス徳島)旧宮城県陸上競技場 1-2 大塚勝利。

 1995年はTBSアナウンサーの堀井美香さんがTBSに入社した年のようで、僕はその時代、Jリーグにもなってないサッカーチームの試合を見てました。あの当時、旧宮城県陸上競技場が一番立派な競技場でしたので、立派な競技場の試合だということで記念に観に行きました。

 ヴォルティスはその当時格上でした。だけに、観る価値があると思って観にいきました。行くとスポンサー関係者ばかりで、僕なんて虫ケラ以下の扱いでした。自民党系で借金ばかり重ねたチームで態度もデカくて、行くと肩身が狭かった。長きにわたり自民党系中心の日本社会でしたから(現在でも)、言っても悪くないでしょ。あの当時はそれでも年間通して観てました。

 Jリーグチームの試合を観るはあまりできなくて、天皇杯サッカーで観ることがやっとでした。

 1995・12月10日・天皇杯二回戦。名古屋グランパス対横浜フリューゲルス。4-1 グランパス勝利。この試合ではスコイコビッチがフリーキックを決めてましたし、フリューゲルスの得点は当時の前園選手のゴールでした。

1995 Nagoya Grampus 天皇杯(初優勝)

 2021年。あれから、自分は今なおどこにもいません。ここに書いてるだけの人間になり果ててます。ノックノック。

 


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