KAWAGANI DQX 紙芝居magNET【TOP】

旧える天まるのブログ
株式会社スクウェア・エニックスを代表とする共同著作者が権利を所有する画像を利用しております。

青春時代・ノミネート

2020-09-08 06:32:50 | ノミネート(雑記の宿)

9月13日の文化放送・ミスDJリクエストパレードでは『いつもあの歌があった・青春の歌』ということで、僕の青春時代を年代別、学年別等でふり返ってみます。

幼稚園時代の青春は、やはり、テレビチャラクターのおもちゃ遊びだったと思います。

仮面ライダー。仮面ライダーのヘルメット。ライダーベルトを買ってもらって遊んだことがあります。ガッチャマンとかも流行ってましたし、歌は、子門真人さんの歌を常に聴いてました。

 

 小学生になって、この頃の青春は学校行事ですね。僕の通ってた小学校は行事が多かったです。春は大運動会リレーはAチーム。夏はBチームのリレー大会。秋の小運動会Cチームのリレーとその他リレーと、男女4人混合リレーで速さ順でABCチームに判別して、クラス対抗のメイン競技として毎年行われていました。夏休み明けに水泳大会。春のクラス対抗球技大会。男子は野球、女子はソフトボール。冬は男子はサッカー、女子はポートボール。といった感じで、リーグ戦方式で球技大会がありました。球技大会に関しては生徒会が決めるということで、一日使って大会を行うというよりも、担任の裁量で体育の時間とかをつかって球技大会をしてました。そのほかに5年生以上全員参加の地区の陸上競技大会があって、県大会、全国大会といった事にもつながってました。

 秋になると、学芸会が恒例行事でした。時代がちょっと過ぎてから学史発表会といった形式になって、縮小傾向になったのですが、僕が在学中はかなりの大イベントで、屋台も開かれて街中の人たちが見物にきてたような思い出があります。1学年から、合唱または合奏。踊り。劇といったどれかかに選べ、最終的にはジャンケンで希望の舞台に参加するといったシステムでした。舞台設定から衣装から稽古を学校総出で授業時間を短縮して準備しました。この期間、わくわくしてました。6年間もの間に、希望通りにいかないこともあったけど、様々なことを体験できました。とくに「5年生はこれ」といった恒例の出し物がありまして、

 

 

それが『白虎隊』の演舞でした。大人たちも観にくるもんで、これをやるとウケまして、拍手の湧き方も全然違く、男子生徒の演舞ですが、これをやりたくて小学生になったようなものでした。切腹シーンがクライマックスで、道具はおもちゃ屋さんで、おもちゃの日本刀を買って用意するんですが、中には家から本物の日本刀を持ってきた生徒もいたりと、大騒ぎになったこともございます。その騒ぎがあったこともあり、その翌年から指定の木刀にかわったことになったのかな。学芸会は小学生にとっては青春の1ページでした。

 中学校は、部活動といったことも青春のひとつかとは思いますが、ギターを買い始めるのがこの頃で、バンドを始めたりするのもこの頃でした。僕はベースギターを買ってもらえるような話しがあったんですが、「ベースギターがほしい」と言って、親はいまいちピンとこなかったみたいで、最終的に楽器屋に行ったときには「ギターのほうがいいんじゃないか」ということで、モーリスのギターを買ってもらって「ベース持ってなかった?」って言われて、その時持ってないことで、バンドを組むことには挫折しました。

 文化祭の唯一の見せどころなんですが、そこで音楽で青春を飾ることはできませんでした。フォークソングの時代でもあったので、松山千春さん、中島みゆきさんらがブレイクしいて、それと、かぐや姫が弾けるか?どうかの時代でした。

あとは合唱コンクール。決まって『翼をください』は歌ってました。

 

 高校時代は、自分の青春はさておいて、他のやつらの青春群像を見てました。

 ホール&オーツが来日すると話題にもなって、ホール&オーツのコピーバンドをやると張りきってたのをそばで見てました。僕が買ってもらえなかったベースギターを買ってもらって、やたら、ホール&オーツのコピーを地下系の高校生らのライブで披露すると言って、よく練習してました。

Daryl Hall & John Oates - Say it Isn't So (Official Video)

Say It Isn't Soをやたら練習してました。僕も一緒になって口ずさんでました。

あとはディスコに行って来たとか言い出して、そこで流行った曲も練習してました。

Gibson Brothers / My Heart's Beating Wild (1983)

恋のチックタックがディスコで流行ってるからと、レコードをダビングしてくれと言われて、恋のチックタックダンスを練習してました…。なんか、楽しそうにしてて「ちょっと連れてってよ」って言ったけど「友達に聞いてみる」…の、それっきりでした。

 社会人になってからは、ファミコンを給料日に買い、ファミコンばっかりしてました。ゲーセンで青春を過ごしたといった年代層もいるんでしょうけど、ワープロゲームからファミコンの時代に代わってからは、音楽はドラクエのクラシック音楽はすぐに買って、カセットにダビングしてカーステレオで運転しながら聴くのがオツでした。

ゲーム音楽の代表曲だと、ストリートファイターの『恋しさとせつなさと心強さと』でしょうか。

 

あとは、ドラマを観るのが青春のひとつでもありました。

僕は佐野元春さんの『約束の橋』をドラマで流れたときは嬉しかったな。その分、ドラマの内容が覚えてないんです。歌ばっかり聴いてました。その以前に、社会人になってから、ドラマに影響されたのは、『男女7人夏物語』からかな。その後の生活様式がガラっと変わりました。

 

(プライム曲ではありません)

あとは、フジテレビ系のドラマ。ほかにも夢中になったドラマはございますが。

 季節的に早いと思うのですが、スキーに時間を費やしてました。初心者で誰かと滑りに行ったときには全然滑れなくて、ひとりでスキー場に行って練習して、また誰かと行ったら、まだ上手な人がいっぱいいて、誰かとスキーに行くためにひとりでスキー場で練習してました。ひとりでリフトに乗るほど惨めなこともないくらいに、級の資格を取ろうかと思うほど、ひとりで往復してました。上手くなった頃にはスノボーが流行り出してて、そのうちスキーのほうが居場所がなくなって、結局ひとりで青春しているうちに終了してしまいました。スキー場に行く度に『wink』の曲が流れてたな。

 

 

 大学生は遊ぶのが上手で、ボーリングも最初はスコアの付け方まで教えてたりしてたんだけど、次の年からはやたら上手くなってて、スキーも泊りがけでいろんなホテル付のいいところに行ってたようで、こっちは日帰りコースの鳴子温泉鬼首スキー場とか行ってたら、相手にもなんにも。そんなこんなで、大学生とはだいぶ距離を置かれました。ひとり青春ばっかだったな。

 アウトドアブームとも重なって、秋は芋煮会とかバーベキューとかがシーズンでしたけど、こっちが誘う間もないくらいに「忙しい」の一言で、お誘いもなくスルーされぱなっしでした。そのうちJリーグができて、天皇杯のチケットを買ってそれを持って見せて、ようやく名古屋グランパス対横浜フリューゲルスの試合を観にいったことがあったぐらいで。サッカー絡みだとわりとつき合ってもらえました。

 結婚してからは、Jリーグによく通ってました。

 

 

カントリーロードとか

電光石火 / THE BLUE HEARTS (cover by Liho) 【ベガルタ仙台・チャント・歌ってみた】

この辺あたりよく聴いてました。

結婚してからのほうが、家族と一緒に青春してますって感じです。

 

♪おさかな天国〈振り付き〉

お買い物が青春と言えば『おさかな天国』とかよく聴いてました。いかがでしたか。

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ミスDJ『神セブン』 | トップ | 『リモート・ボナール』プロ... »
最新の画像もっと見る

ノミネート(雑記の宿)」カテゴリの最新記事