「マニア」という言い方をされるようになったのはいつ頃からだと思いますか?
僕が自称マニアと言うようになったのは『メガホン』を集めるようになってからです。そのメガホンマニアの一部をいくつかご紹介いたします。
メガホンを集めるようになったのは西武球場でプロ野球を観るようになってからです。当時、西武ライオンズのメガホンを買いました。
記念癖というのは昔からありまして、卒業証書入れのケースの中にその時あった石ころを入れて見たりして、ふるとあの頃の音がなるようにしてみたりしてました。
このメガホンは1991年・10月3日・西武対日ハム・13-1・西武がリーグ優勝したときのメガホンです。
1991西武ライオンズ優勝胴上げ 西武ライオンズ鹿取義隆VS日本ハムファイターズ 西武球場 中島輝士 大内実
清原選手が西武にいたときのバットです。あの頃はまだ背番号3でした。
大洋ホエールズが横浜ベイスターズになってまもなくの時のメガホンです。
1994年・8月13日。この時は旧友に結婚報告(婚約)をしようと出かけた日でした。結婚した年ではなく結婚する前年です。91年から94年の間のことですが、あの頃は1年1年が濃縮してたようにも思います。1か月、半年間で目まぐるしく人生や世の中が変わりました。年を重ねると、気づけばスカスカな日々を過ごしてるようにも思いました。1年があっという間に経ち、2021年もすでに6月が過ぎました。
横浜対中日・2-12・横浜のボロ負けの日でした。
パウエル(中日)選手が5打数5安打という日でした。
この時はジュリアナ東京もお盛んな時で、その時に耳に残ってるのは『TRF/BOY MEETS GIRL』は覚えてますね。あと『モダンチョキチョキズ』はその年の夏にちょっと興味がありました。
その時『北斗星』に乗って帰りました。
シャワーセットが記念に今でもありました。
Jリーグが発足しまして、グッツはちょこちょこ時代の流行りで買っていました。Jリーグのチケットを手に入れるのも難しい時代でもありました。旧国立競技場が凄くプレミアムな時代でした。そこでJリーグを観るといったら田舎者には夢の舞台でもありました。
地元には下部組織からですがサッカーチームが出来ました。
1995年・10月19日・ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)対大塚製薬(大塚ヴォルティス現ヴォルティス徳島)旧宮城県陸上競技場 1-2 大塚勝利。
1995年はTBSアナウンサーの堀井美香さんがTBSに入社した年のようで、僕はその時代、Jリーグにもなってないサッカーチームの試合を見てました。あの当時、旧宮城県陸上競技場が一番立派な競技場でしたので、立派な競技場の試合だということで記念に観に行きました。
ヴォルティスはその当時格上でした。だけに、観る価値があると思って観にいきました。行くとスポンサー関係者ばかりで、僕なんて虫ケラ以下の扱いでした。自民党系で借金ばかり重ねたチームで態度もデカくて、行くと肩身が狭かった。長きにわたり自民党系中心の日本社会でしたから(現在でも)、言っても悪くないでしょ。あの当時はそれでも年間通して観てました。
Jリーグチームの試合を観るはあまりできなくて、天皇杯サッカーで観ることがやっとでした。
1995・12月10日・天皇杯二回戦。名古屋グランパス対横浜フリューゲルス。4-1 グランパス勝利。この試合ではスコイコビッチがフリーキックを決めてましたし、フリューゲルスの得点は当時の前園選手のゴールでした。
1995 Nagoya Grampus 天皇杯(初優勝)
2021年。あれから、自分は今なおどこにもいません。ここに書いてるだけの人間になり果ててます。ノックノック。