「次のシーンは二頭の牛と農家‥‥‥」
≪二頭の牛と農家・ボナール≫
「晩年のボナールはパリをはじめ、都会生活のわずらしさをきらい、カンヌ近くのル・カンネに住み。地味な生活と地中海の明るさを好んだ。この作品など、その地方の農民の生活を描いたもの。散歩などの途次、ふと見かけたらしい風物を記憶して、アトリエで描いている。他人の幸福を乱すまいとする心ずかいがうかがえないだろうか。それに鬼滅の牛と農家。いや、鬼滅の農家」
「鬼滅の農家?」
「襲いかかる牛たちとの格闘で‥‥‥」
「もういいです」
「おもしろそうじゃない」
「いや、次はおいらが撮るよ」
「その顔でですか?」
「バーカ」
「浴槽にかがむ裸婦?」
「うん。ちょっとバランスがくずれれば倒れるような裸体姿勢であり、あやうくバランスをとっている。その一瞬をとらえる。そのあたりはドガの影響もあるかもしれない」
「ドガ?」
≪たらい・ドガ 1886年≫
「ドガのたらい。ドガの場合は普通の意味で、その一瞬を意識的にとらえてるが、ボナールの場合、この危険な平衛感覚はもっと直感的で楽しげ」
「いい?」
「あ、うん……」
「ボナールの妻、マルトはとにかくお風呂が好きで、一日に何度もお風呂に入るので有名なのさ」
「ふーん」
「そのマルトを描いた絵画がボナールの代表作と言っても過言ではない。それは僕ときみとで描きたいんだ」
「そこに、かがんでくれないか」
「一見意識的には見えないが、識閾(しきいき)下の意識が自発的に動いてるように」
「点描主義に似た筆やアラベスク模様については、別に述べるとして」
「ドガは線によるデシナトゥールであり」
「ボナールは色彩の論理を再発見した画家である」
≪浴槽にかがむ裸婦・ボナール≫
「ドガの色彩にはいろいろの意味でかたさがあるのにくらべ」
「ボナールの色彩ははるかに柔軟なのさ」
≪浴後・ボナール≫
「おつかれさま」
「ふう‥‥‥」
「‥‥‥」
「あと、ないでしょ?」
「う、うん……」
「ボナールは柔軟なのよねーー」
「はー、はるかに柔軟さ」
『リモート・ボナール』完