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旧える天まるのブログ
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『エンドレス・ラブ』二年⑫

2020-05-19 15:39:03 | DQXエンドレス・ラブ

『DQXエンドレス・ラブ』①

前回

『エンドレス・ラブ』置時計⑪

<二年⑫>

「ジェイド!」

「ジェイド!」

デヴィッドは二年間、療養所にいました。

「限界だ!もう!ここにいたら頭がおかしくなる!はやくここから出して」

「デヴィッド、いいか、先生が言うには…」

「先生じゃなくて僕の話しを聞いてくれよ!」

「デヴィッド、落ち着くんだ」

「デヴィッド、おねがい分かって…」

「わかってないのはどっちだ!」

「なんで僕の話しを信じてくれないんだ!ふたりとも医者と弁護士ばかり信じて!たった1度でいいから僕を信じてよ!自分の息子を」

「ここにいたら、いまに僕は殺される」

「なに見てんだ!レナード」

「あっち行ってろ!」

「ほら、見てよ!こいつをつれて帰りたい!こんな風にしてもいいのか?」

「僕もいずれこうなっちまうんだ!」

「頼む、おねがいだからだしてくれ!もうこれ以上1日だって耐えられない!ここでの2年間がどんなものかぜんぜんわかってないんだ!」

「お願いだからだしてよ…」

「あんなに苦しんで!あなた、なんとか助けてあげて」

「ううううーうううううう…」

デヴィッドは泣きながら、両親に療養所から出してほしいと頼みました。

りりりりーン…

「もしもし、あら、マーガレット!今、帰ってきたところよ。デヴィッドは元気よ、もう大丈夫…」

「・・・・・」

「いえ、違うわ。なんとか家に連れ戻すことができたの。アーサーが病院に話しをつけてくれたのよ」

「え?あーそれもまったく心配いらないのよ。でも保護観察中だから旅行とか車の運転とか、まだできないんだけどねー…シカゴから出らないにしても、執行猶予がついてほんとによかったわ」

「あー気にするな、もう大丈夫だ」

「週末はゆっくりしよう。それで、月曜日から新しい生活だ。1週間もすれば新しい友人もできるし、自然に忘れられるさ」

「何を?」

「昔のことさ」

「無理にとは言わない。お前の大切な思い出だからな…」

「1度だけあった…」

「ふたりで砂浜を歩いてて、手を振ってくれた」

「あの光景は一生忘れられんよ」

「だが終わったんだ。一家はニューヨークか?どこかへ引っ越したよ。分かるな…」

「すべては過去だ」

 

「思い出は誰にも奪えん…だが二度と戻らないんだ…」

「今も彼女を愛してる」

「デヴィッド?もう彼女の心はお前から離れているんだ」

「今さら幻を愛し続けてなんになる?」

「幻じゃない」

「彼女から1度だって電話も手紙もなかっただろう」

「病院が僕の手紙を止めなかったら、返事だってくれてたはずだ。僕が嫌いになったと誤解してるかも…」

「いいか、もう彼女を解放してやれ」

「イヤだ、できない」

「初恋は忘れられないと言うが、それはちがう。私がいい例だ」

「私と母さんは、今別居中だ。もう6週間になる…」

「お前が心配すると思って、今まで黙ってたんだ。今はバーバラという女性と住んでる。彼女を愛してる。実をいうと、お前たちを見てたら、思い出したんだ。人を愛する幸せを…二度目の恋など信じていなかったが、違ってた」

「お前にもそういう日がくる…」

デヴィッドが家に戻ったことを知ったヒューは、キースをつれて療養所に行きました。

「なぜ、あいつを出した!どいつもこいつも、あいつの本性を知らなさすぎるんだ!なぜ知らせてくれなかったんだ?退院させる前に俺に相談すべきだろう」

「誰が決めた?先生か?」

「彼はここでじゅうぶん罰をうけている。彼は社会復帰できるレベルまで…」

「社会復帰だと?あいつは放火して、俺の家族を殺そうとした!」

「どうか落ち着いてください。つまり彼を終身刑にすれば満足ですか?」

「話にならん、帰るぞキース。もし!あいつが家族に近づいたりしたら、殺してやる!」

次回

『エンドレス・ラブ』接触⑬

 


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ブログ名を変更しました

2020-05-19 06:34:07 | 日記

 ブログ名を『KAWAGANI』と変更いたしました。

 私なりの理由で『える天まる』でブログを立ち上げたのですが、様々な名称と重なっている(かぶっている)漢字にしますと被るになるんでしょうか。

 まず、キャラクターアイコンなので、右目に眼帯(マスク)にしたのは、まぶたの変形や歯の治療、そのほかにも治療が必要とする外傷があり、それを覆い隠して歩いてることもあり。その象徴に右目を隠したアイコンを作成しました。

 それがどうも、伊達政宗・宮城県の象徴的な武将と重なってる一面があり、それがいけなかったのか? 心理的に傷つくことがありました。

『える天まる』と、したことも、前回はご説明いたしましたが、その以前からある、宮城県のゆるキャラの『むすび丸』とも被っているようで、『むすび丸』を見るたびに居た堪れなくなりました。

よって、こちらのほうでブログ名を変更することにいたしました。


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どこかでみたことがあるような・ノックノック

2020-05-17 19:59:16 | ノックノック(雑記の宿)

カラスの巣

もしや、と、思ってましたが、カラスが巣をつくってました。

どこかでみたことがある素描・デッサン・ドローイング

 

 


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日記『人集う不自由』

2020-05-15 00:07:29 | 日記

昨日は、旦那さんを介護施設にあずけながら、ひとりで自宅でくらしている。老夫婦のおばさんの家に電話をしました。

日中は、用事で外出して、そこから見た景色に河川敷の芝刈りをしている作業員の姿が見えました。

前回の投稿で、いつも見ている河川敷公園は雑草にヒメジョオンが咲いていた光景でした。

外出中に芝刈り機を動かしてる作業を見て、「自治体は給付金の案内は遅いのに、こういった仕事は早いんだな」と、思いました。作業そのものに計画過程があり、おもんばかる面もわかるんですが、コロナ渦の財政不安の中で、やはり「自治体は給付金の案内は遅いのに、こういった仕事は早いんだ」と、感じました。

そんな中で、介護施設に旦那さんをあずけてから、コロナ感染防止のため、面談が許されなくなった中で、おばさんは自粛と独り暮らしを強いられていました。僕は1か月ほど前におばさんをおもんばかって電話をかけました。そのときは「とても不自由だ」とおっしゃっていて、介護職員も訪問できない中で、僕が電話を入れて話しを伺っただけでも、喜んでもらいました。

それから、一ヵ月ほどご無沙汰しましたので、今日は妻もいて、女性同士でもおしゃべりできるようにと、妻がいた機会に電話を入れました。

僕が電話をかけ妻に電話を渡し、おばさんに挨拶をしたときの返事で、旦那さんであるおじさんが、今月初旬に亡くなったと報告がありました。

おばさんは、感染を気遣い、多くに知らせることはせず、密葬で葬儀をすましたそうです。

息子さん、娘さんがいるにしても、すぐには来れず、80歳はとうに過ぎた老体で、ひとりで身近な人たちと、火葬ならび葬儀をあげたそうで、大変だったようです。

おじさんは、僕も幼い頃から知っていて、社会に大きく貢献した方でした。

数年前には、総理大臣から勲章をもらうほど、社会に貢献した方でした。

おばさんいわく、おじさんの死が辛いこともありますが、こんな偉大な旦那さんが、これほどお粗末な葬儀をしなければならない状況に陥ったことには、悲しくてならないとおっしゃってました。

給付金の発表がなされた頃は生きていたのに、給付金さえ貰えずに死んでしまったことが残念だと言っていました。

世帯主はおじさんだったので、給付金の申請は複雑になり更に遅れそうです。

僕は一ヵ月前に電話をしましたが、そのもっと前から面会ができないでいただけに、おばさん夫婦が気の毒でならなかったです。

昨日は、その後、会ってほしいと言われ、香典をもっておばさんの家に訪れ、お線香をあげてきました。

仏壇の部屋には、首相名義の賞状と勲章が飾ってありました。

無常の風が吹くなかで、いつもの河川敷に立ちました。

人集う

河川野草に

芝刈り機

大雨降れば

水に消えゆく

 

 

 


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ハルジオン・ヒメジョオン

2020-05-13 10:45:44 | 雑記の宿

<ハルジオン・ヒメジョオン>

ハルジオン(ハルジョオン)

乃木坂46 『ハルジオンが咲く頃』Short Ver.

ヒメジョオン(姫女苑)花言葉は『素朴で清楚』

 

去年もありましたが、今年の2月29日に撮影したモグラの跡がついた河川敷で

5月12日現在、ヒメジョオンが咲いていました。

画像は再びハルジオン。

ハルジオンは調べによると、『貧乏草』と呼ばれ、折ったり摘んだりすると貧乏になってしまう。と、ありました。

 昨日のことですが、べつに折ったり摘んだりしたわけではないですが、撮ったりはしましたけど、自宅に戻ると妻が「洗濯機が動かなくなった」と言われ、洗濯機が故障してました。

よりによってという時期ですが、いろいろと電話をかけたり、調べたりし、見積もりをして、妻にも相談。

 今年で結婚25周年になりますが、その過程の中で購入した洗濯機で、品番を調べたら、2003年7月発売とありました。おおむね17年は使っていたことになります。が、展示品をそのまま購入した記憶があるので、差し引いて15年ぐらい使っていた洗濯機です。2003年ですから、サッカー日韓ワールドカップ大会があったのが2002年ですので、それからドイツ大会、南アフリカ大会、ブラジル大会、ロシア大会と、ともに過ごしました。

そして昨日、引退宣言をし

 

『新しい日常』を迎えます。

 


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