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旧える天まるのブログ
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輝け!80年代不滅のアイドル

2020-12-15 08:41:27 | ミスDJ神セブン

 12月20日は文化放送・ミスDJリクエストパレード『輝け!80代アイドル 不滅の恋愛ソング・神セブン』ということで、僕はすでに投票をすましましたので、年代別に『復活不滅のアイドル』をご紹介します。

1980年・松山千春

 

 

僕にとってアイドルでした。松山千春さんの顔写真がプリントされた筆入れをみつけて買ったときはものすごくテンションがあがりました。松山千春筆入れとか「まさか!」と思いでしょうが文具屋さんには置いてあったのです。ナイロン素材でチャックで開け閉めできて、松山千春さんの顔写真が描かれていて、不合法の商品だと思うのですが昔から悪い人でした。

1981年・堀江 淳

 

アイドルでしたね。「あいつなんか、あいつなんか、あいつなんか、飲みほしてやるわー」おしゃれな曲でかっこよかったです。

1982年・嶋 大輔

 

不滅のアイドルでした。

1983年・森尾由美

 

ミスマガジングランプリの森尾由美さん。この方を一押ししていたファンがいまして。「森尾由美は絶対いい」と、歌手デビューする前から一押しされてました。レコードも前売り予約で買って、彼を囲んでデビュー曲のお披露目会。

「お・ね・が・い」という曲だったかな。おねがいされて曲を聴くことになりました。

「ごめん」と言われたような気がします。レコードからの演奏曲が終わって、反省会を開いたのは後にも先にもこのときがはじめてでした。「かわいく歌えばいいってもんじゃない!」「小学生が歌ってるみたいだ!」「プロヂューサーなに考えてるんだ!森尾由美が台無しじゃないか!」

「みんな、ほんとにごめん」と、いったような会でした。それからは森尾由美を応援する彼を応援するようになりました。

1984年・安田成美

 

 

多くの人がナウシカに恋をしたんじゃないでしょうか。

1985年・a-ha(アーハ)『テイク・オン・ミー』

a-ha - Take On Me (Official 4K Music Video)

北欧の不滅のアイドルでした。

1986年・とんねるず

 

アイドルを束ねたお笑い界のアイドルだったとんねるず。とんねるずからいろんなアイドルが飛び出していきました。

1987年・この年のデビューアイドルは『後ろ髪ひかれたい隊』『小川範子』『工藤静香』『後藤久美子』『酒井法子』『森高千里』『ゆうゆ』と、なんとも甲乙つけがたいです。

ひいき目で言えば

 

後藤久美子さん。昨年は女優さんとして復活いたしました。

1988年・西田ひかる

 

忘れちゃいけないのがこの方かもしれません。

1989年・wink

 

ここでは何度もご紹介してますが、レコード大賞にまで輝いたwink。80年代ラストを代表するアイドルと言えば、winkのふたり組ではないでしょうか。

 

 


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『まちの腰かけ』③野球場

2020-12-12 11:23:18 | まちの腰かけ

 『まちの腰かけ』とある野球場にあるベンチです。僕は世代的にいえば昭和後期世代。昭和64年を3で割ると初期(昭和元年~20年、中期(~40年)後期(~昭和64年)その時代は野球が少年スポーツでもありました。地域によっては例えば静岡は少年サッカーが盛んだったり、北海道はちびっこ相撲がイメージするのですが。僕の地域では少年らの誰しもが野球に参加してました。

 このまちでは小学生による野球大会が毎年行われました。その地域の地区の小学生がチームを組み、地区対抗による野球大会が夏休みの期間中にトーナメント方式で開かれてました。少しわかりやすく言えば、僕の知る”宮藤官九郎”さんは新町地区に住んでおり、そこの小学生たちで野球チームとして大会に参加するような形式でした。

 地区によっては9人しか小学生がいない地区もあれば、数十人と多数の小学生がいる地区もあり、参加者は小学生であれば誰もが参加できるオープンな少年野球大会でした。

 僕は小学1年生から参加していて、最初はただついていっただけで、補欠扱いでここのベンチで野球を見ている少年でした。代打で1打席立たせてもらい空振り三振で終わるといったことからが始まりでした。小学生なので5回までとコールドゲームは3回で終了といったルールで、小1の頃から1回戦で3回コールド負けが毎年続いた野球チームでした。

 なかなか勝てない野球チームのテンションはというと、グランドがAグランドでできるか?Bグランドなのか?でした。ちなみに最初の画像はBグランドのベンチです。

 Aグランドには観客席があり、チーム用のボックス席もあるグランドで、この場所で試合が出来ることが唯一の期待でした。組み合わせが発表されるとまず気になったのがAかBで球場が決まるグランドで「Bグランドか‥‥‥」。

 僕の住んでた地区の野球チームは毎年初戦はBグランドからで、観客席もないサブグランドのベンチに座り5回までもたない試合を5年生まで続きました。少年たちによるオープン参加ということもあって、組み合わせが決まって試合時間までの間は方々に散らばり、駄菓子屋に夢中になってる間に試合のことも忘れて9人集まらずに試合放棄で負けたこともありました。そんなざっくばらんな野球大会でも、学年が上がるにつれ「せめて5回(イニング)まではやりたい」と、そう思いながら大会に参加してました。

 6年生最後の夏の少年野球大会。念願のAグランドでの試合。結果は一回戦で1点差で負けましたが6年かかって5回までのゲームがやれて。思い出に刻むことができました。

 平成になり国体会場にもなったこの土地で、予算がない中で体育館を建てなければならないと、当時、青年だった僕とが議員さんに呼び出され「場所はここしかないのだが‥‥‥」と言われました。そのとき若者向けに作ったばかりのテニスコートがあったのですが、悩みに悩み。大方の要望は聞いてもらい。テニスは体育館内で行われるてもいいようにと事が進み。野球場は削らずに低予算ながら完成しました。高卒者しか町に残っていない時代の中での会合でした。僕の顔をみると「仕事で忙しい」と断られ、「みんな忙しいだろ!なぜ集まれないんだ!」と議員さんに言われたその言葉は今でも耳に残ってます。大卒の若者が戻って来たころには僕は用なしで、国体が開かれたときは蚊帳の外でした。その後は議員さんも落選したりと。それからずいぶんと時がたちました。学校が火事になったときは消防ポンプを持って一緒に火消しを行ったりもしました。Bグランドの腰かけ(ベンチ)を眺めていると「いつもBグランドだったな‥‥‥」と、その側に見える体育館と並んで若き日のことが思い出されます。腰かけにはいろんなドラマや思い出があるものです。

 

 


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抜け微人・町野 望 KAWAGANIノベライゼーション

2020-12-09 14:00:50 | 雑記の宿

抜け微人・町野 望 KAWAGANIノベライゼーション

マイブックス 『抜け微人』 KAWAGANIノベライゼーション・町野 望

 『抜け微人』製本版が出来上がりました。9章二段組170ページ。読んでいて耳が痛い目が痛いと思う方もいるかもしれません。前編の章はわりと独自の描き方ができたかなとも思います。「普通ならここで踏み込んで‥‥‥」といったこともなく。一言でいえば『得(徳)がない』。いい思いなど全なくその時代を過ごした描き方をしました。お値段は1600円。原価割れ回収不能価格ですが、「読んでいただきたい」その一心で作りました。

One for two ニートクリスマス

『One for two ニートクリスマス』の再編集が終えて再出品いたしました。こちらもお値段は1600円。在庫はあるのですが、まずは単品で出品いたしました。

何人かの人には読んでいただきたいと、贈り物の一冊としてこれまで作ってきました。


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安全地帯 CM 詰め合わせ

2020-12-07 21:31:17 | ミスDJ神セブン

安全地帯 CM 詰め合わせ

 12月13日は『安全地帯神セブン』特集ということで、『安全地帯CM詰め合わせ』からご紹介いたしました。ひとつめのタイヤのCM。あの頃は冬タイヤはスパイクタイヤが主流で、僕が運転し始めた頃(1986.1987)はまだスパイクタイヤ規制が本格的ではなく、冬タイヤはスパイクタイヤを購入してました。ただ、スパイクタイヤによる粉塵問題は盛んに報道されていて、1988年ぐらいからスタッドレスタイヤの移行はスムーズに行われてました。

 もともとスパイクタイヤは高収入家庭世帯が履いていたタイヤで、それ以下はスノータイヤ(スパイクのないタイヤ)安価なタイヤにチェーンをつけて冬場は走行してました。うちの家庭もスパイクタイヤは履けない家庭でした。

 1986年に冬タイヤを購入した時は、憧れのスパイクタイヤもありましたが、買ったのは二本。残りの二本は当時売り出し中だったスタッドレスタイヤを購入し、予算をタイヤ二本分から抑えて、当時知人から3万で買った車に履いたことが冬タイヤの始まりでした。あの当時、まだ、スタッドレスタイヤに信頼性がなかったので、タイヤ屋さんでも安価な設定でした。今のように「説明は控える」ってこともなくて「スノータイヤ(スパイクの無いタイヤ)よりゴムを柔らかくして滑りを抑えるようにした」と、説明していただきまして、それでもまだ信用はできなくてスパイクタイヤを始めに二本買ったわけです。今なら「説明を控える」と責任転嫁され、ごり押しで高い冬タイヤを買わされ、財布の中身だけが冷えてゆく時代が多数派なんでしょう。今年はコロナ渦で冬タイヤも交換出来ずにいる世帯も多くいるのではないでしょうか。

 『安全地帯』を一言で言えば、オシャレ(ハイカラ)な音楽性とイメージで男女ともに購買意欲を高めたバンドだったように思います。まず、男性化粧品を世にひろめたバンドのひとつではないでしょうか。ボーカルの玉置さん。話題はいつもお顔のお化粧でした。一般ウケするようなお顔のお化粧で「男でも化粧してもいいんだ」と、そう思わされもしました。マンダムで有名な『ギャッツビーメンズフェイスパック』は、僕が若い頃はよく買いました。男性がお顔のお手入れすることが一般的になったのは『安全地帯』が出てきてからのことだと思います。

 あとはファッション。70年代はジーンズに裾を拡げたラッパズボンが主流でした。フォークグループからアイドル歌手までみんなラッパズボンと。中にはロンドンブーツを履いてましたでしょうか。中学に入学したのが1980年で、そのときの生徒手帳の校則が『ラッパズボン禁止』と書いてありました。1年生の1学期ぐらいにお兄さんがいた生徒だったと思うのですが、不良のマネ事でラッパズボンの制服を着て教室に来たことを思い出されます。その後、すぐにツッパリブームがあり、ラッパズボンは一気に吹き飛んで、長ランに太ももから太いズボンが若者(学生たち)には人気になりました。ラッパズボンは1980年を境に時代遅れのファッションになりました。

 それから不良(ヤンキー)を除いて、外着、普段着はトレーナーにストレートなズボンが一般的でした。僕が高校に入った頃は短ランが流行ってて、それにボンタン。足首を細くしたスタイルがお坊ちゃまクラスではよく着ていました。

 その時代に合わせて『安全地帯』が登場し、これまでは長方形なファッションから逆三角形。肩幅は広く足ものが細いファッションがトレンドになりました。ファッションによる購買意欲は景気の底上げにもなっていました。 

 僕は当時から二宮尊徳ではなかった。教科書を読まずに見たあの時代の景色です。早く言えば、バブル世代を象徴したアルマーニとでも言って言ってたのかな。ジャッケットスーツに足首の細いパンツ。それが『安全地帯』特徴であり、バブルファッションの発信的な存在だったと、今振り返れば思います。

 『安全地帯』をちょっと乱して出てきたのが『一世風靡セピア』なようにも思います。整った衣装とは対照的にルーズなスタイルの発祥が宮藤官九郎で、もともとバンカラな高校に在籍していたので。バンカラスタイルも『安全地帯』が出た時代は一目置かれてました。なんでもボロボロにして歩くといったことが注目され、トレーナーを裏返しに着るのが若い男性の間で流行しました。靴下も半分履いたぐらいにしてるほうが不真面目な感じで逆に自由っぽかったり。気が付けばルーズソックスが女子高生の必須アイテムになったりと、ルーズの発祥は宮藤官九郎と言っても過言ではありません。『ふざけたことが好き』。それを僕たちがマネして流行ったんです。今でもあの方はルーズな服装をよくしてますけど、あの方は気が付かないでいるだけです。『ルーズソックスの先駆者』だと。

 不真面目=自由ではないと思いますが、『説明を控える』ことを自由にやって、自由をもて遊んでいることにもうんざりです。

 『ラジオを聴いてれば感染はしない。ミスDJを聴いてれば感染しない濃厚接触』『VIVA濃厚接触』

 僕を感染者扱いしておいて、下北沢で集団散歩ですか、どの口が言ってたんでしょうね。こっちはPCR検査すらまともに受けれてないのに‥‥‥。最近、テレビドラマとかも観ていて、観てる分には楽しいのだけれど、『あの方々は特別にPCR検査を受けてるんだろうな‥‥‥』と、『特別に扱われているんだろうなーー』と、ふと思うこともあります。


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『まちの腰かけ』②ドラクエの井戸

2020-12-05 10:43:49 | まちの腰かけ

 ドラクエをやってると時々見かける井戸があることはおわかりでしょうか。その井戸の中に入ると人が住んでいたり、様々なクエストが発生したりもします。そんな井戸のような腰かけがあります。

 見た目はドラクエのダンジョンにある井戸のようですが、『まちの腰かけ』です。中を覗くと『下に降りてゆく』ということはないのですが、中に入ることは可能です。実際、井戸に腰かけたり、入ったりしたらエラいことになるかもしれませんが‥‥‥。

 この腰かけは外向きに座ったり、内側に座って何人かでミーティングエリアとしても活用できそうな多目的な腰かけです。ドラクエの世界だと、井戸の中に入るとカバン屋が住んでいたりして、カバンを作ってもらったりするクエストがあったりもします。そして様々な人がいたりもします。『たり』何回言うた…

 そこで閃いたのですが、ここに入ってカバン屋でもやったらどうなのかと‥‥‥。

 ちょっとした青空市場は出来そうです。僕なら本でも置いて一日中客がくるのを待ってようかな。ドラクエのようなことが出来そうな『まちの腰かけ』です。

 


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