ななさんに勧めて頂きました、亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~
涙のあとにを読んでいました。
そうなんです。
「故人と私しか知らないこと」
「故人と私だけが知っていること」
これを言い当てることが出来る方こそ、本物の霊能者だと
思います。
あれこれ抽象的なことは、もう十分聞いた。
そうじゃなくて、二人しか知らない会話や出来事を言ってくれる、
それが見えない世界を信じることができる大前提だと思います。
見えない世界は、本当に在るのか分からないけどあって欲しいと
願っている。
しかし、それは願いであって、実際にはどうなのか確信が持てずに
いるので不安でたまらない。
死んで「無」になるのであれば、確かに死後、がっかりすることも
ない。
でも、そういうことのために「無」なのか「有」なのか、知りたい
わけではないんですよね。。。私は。
無になるなら、無茶苦茶して生きようなんてことは思いません。
死後にあの世があるのが確かなら、見せ掛けの「良い子」
でこの世を終えてやろうなんてことでもないんです。
ただ、
「今、最愛の人を亡くして、生きていく気力も無い自分自身に、
希望を持たせるために、また一つの生き抜く糧として、『あの世の
存在を知っておきたい』ただそれだけ」なんですよね。
私は、
「亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~ 涙のあとに」を読んで
あぁ、宜保愛子さんは、本当に見えていたんだなぁ、と思い、
また、このブログを書かれている方は、宜保愛子さんに霊視
してもらえたおかげで、娘さんの存在を確認出来てよかった
なぁと感じました。
悲しい話ではありますが、この方の人徳でしょうね、宜保愛子さんに
霊視してもらえる機会があったというのは。
当人同士(親子)でしか知りえない会話を、宜保愛子さんが語る
ということで、故人は今も生きていると感じ得られますよね。
「死後も、故人は生きているんだ」と感じられたなら、どれだけ
勇気づけられることでしょう。
そして、飯田史彦先生は、いつか必ず逢えると言ってくれてます
から、あとは、その言葉を信じて、私たちは、今の世をとにかく
生き抜く、自殺はしない、自殺はまた再会するにあたって遠回り
の道だと思い、寿命まで生きていくべきだと、改めてそう思いました。
「先立った最愛の人に、自分の死後『必ず』逢うために」
今の自分は、この世を生き抜くことこそが一番の近道なんでしょうね。
涙のあとにを読んでいました。
そうなんです。
「故人と私しか知らないこと」
「故人と私だけが知っていること」
これを言い当てることが出来る方こそ、本物の霊能者だと
思います。
あれこれ抽象的なことは、もう十分聞いた。
そうじゃなくて、二人しか知らない会話や出来事を言ってくれる、
それが見えない世界を信じることができる大前提だと思います。
見えない世界は、本当に在るのか分からないけどあって欲しいと
願っている。
しかし、それは願いであって、実際にはどうなのか確信が持てずに
いるので不安でたまらない。
死んで「無」になるのであれば、確かに死後、がっかりすることも
ない。
でも、そういうことのために「無」なのか「有」なのか、知りたい
わけではないんですよね。。。私は。
無になるなら、無茶苦茶して生きようなんてことは思いません。
死後にあの世があるのが確かなら、見せ掛けの「良い子」
でこの世を終えてやろうなんてことでもないんです。
ただ、
「今、最愛の人を亡くして、生きていく気力も無い自分自身に、
希望を持たせるために、また一つの生き抜く糧として、『あの世の
存在を知っておきたい』ただそれだけ」なんですよね。
私は、
「亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~ 涙のあとに」を読んで
あぁ、宜保愛子さんは、本当に見えていたんだなぁ、と思い、
また、このブログを書かれている方は、宜保愛子さんに霊視
してもらえたおかげで、娘さんの存在を確認出来てよかった
なぁと感じました。
悲しい話ではありますが、この方の人徳でしょうね、宜保愛子さんに
霊視してもらえる機会があったというのは。
当人同士(親子)でしか知りえない会話を、宜保愛子さんが語る
ということで、故人は今も生きていると感じ得られますよね。
「死後も、故人は生きているんだ」と感じられたなら、どれだけ
勇気づけられることでしょう。
そして、飯田史彦先生は、いつか必ず逢えると言ってくれてます
から、あとは、その言葉を信じて、私たちは、今の世をとにかく
生き抜く、自殺はしない、自殺はまた再会するにあたって遠回り
の道だと思い、寿命まで生きていくべきだと、改めてそう思いました。
「先立った最愛の人に、自分の死後『必ず』逢うために」
今の自分は、この世を生き抜くことこそが一番の近道なんでしょうね。
読ませて頂きました。
人は亡くなった後も生き続け、愛する人を守る事が可能
なのですね・・・そうありたいと思います(自身の死後)。
寒い日が続いています。お体を大切になさって下さい♪
先日はありがとうございました。
今日の記事、とってもとっても共感できます。
彼にも「私がいいたいのはまさにこれだよ~」
って読んで聞かせました☆
周りの人たちにも
「いつまでも泣いてたらさとるさんが悲しむから。」って言われるし
もし逆の立場だったら心配で心配で
届かない声で一生懸命語りかけると思うんです。
いまはまだ前を向いては歩けないけど
足元を見ながらでも一歩一歩歩んでいくことが
最愛の人に会える最短距離なんですよね!
分かっているけど それでもやっぱり・・・
ですね。。。
ではまた☆
ではまた。。。お仕事お忙しいようですが、お体大切になさって下さい。ぼちぼちいきましょう。
「亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~ 涙のあとに」を読みましたら、やっぱり死後の世界ってあるんだなぁって実感させられますね。
不思議ですもんね。
今、この世で生きている身体だって。
確かに人間の身体だって、複雑な機能がいっぱい詰まっていますが、ですが、「『心』といいますか、『魂』といいますか、この感情や思考といったものがどこから来ているのか」までは、分かりませんものね。
機械的な機能のほかに、計ることの出来ない「何か」があるように思います。
お互い健康には気をつけて歩んで生きましょう。
コメントありがとうございました。
さとるさんは、絶対に傍にいますよ!それは、間違いないと男性側から考えて、そこは言い切れます。
勿論、女性も情深いものはあります。しかし、男って・・・恋愛でもそうですが、振られると長い間引きずるものでして・・・別れたあとも、どちらかというと女性の方がシャキッとするのが早いように思います。
特に最愛の人を置いて、この世を先に去ったのが男性の場合、それはそれはこの世に残した最愛の人のことを心配で心配でたまらないことと思います。
だから、「絶対に」傍にいると言い切れます。
失礼な言い方ですが、定年後の男性がスーパーで奥さんの後をついて回るのと似た感じです(^_^)
どんなに気丈だった男性でも、大切な人と離れるとなると弱いものです。
ですから、いつも傍にいると思って、声をかけてあげたり、あとは(誰も居ないところで?)書籍等で読んだ、あの世の仕組みを何パターンか読んであげて、こちらから道筋を教えてあげましょう。
きっと、想いと話の内容が、さとるさんに届いているはずですので。
コメントありがとうございました。
なるほど。
YouTubeで宜保さん等、色々なスピリチュアルな番組を見るという方法がありましたね。
日曜に休日出勤をした際には、出勤している社員と、邦楽のPVをよく見ていたりするのですが、立花隆氏の臨死体験もあったのですか!削除されてるんですね・・・それは残念。。。
YouTube見てみますね。
そうそう、「ぼちぼち」ですよ、ぼちぼち。
生き抜くことに意義がありますもんね。
コメントありがとうございました。
興味深く読ませていただいています。
私も管理人さんほどではありませんが、今まで不幸な人生ばかり歩んでいました。
小さいころから精神的な病で人との交流が出来難く、今まで友達も恋人もいず、一人で過ごして来ました。
将来に希望もなく夢もなく、自殺することばかりを考えて来ました。
でも、私が自殺することで、私を生んでくれた両親が一生不幸な余生を送るんだと思うと、なかなか踏ん切りが着かなく、
死のうか死ぬまいかの板ばさみの中で、10年近く過ごして来ました。
でも、管理人さんのブログを読んでいて、いろいろ考えさせられました。
死んだ後にそんな素晴らしい世界が待っていて、て、そこに幸せがあるのなら、今生は不幸な人生だったとしても、与えられた命を不幸なりに、思考サクゴしながらでも生きて見ようと思えました。
これが私に与えられた試練なんだと考えるようになったんです。
今は海外に住んでいて、管理人さんが推薦してくれている本がなかなか手に入らないので、今度日本に帰った時にでも買って読んでみようと思います。
ありがとうございました。
長々とすみません。
ダーダさん、とても苦労されて来たのですね。。。
私の亡き彼女も出会って少し経ったときに、手首にリストカットをした傷がいっぱいあるのを見て、どれだけ苦しい気持ちで生きてきたのかと思いました。
その思いは、本人しか分からないことだとも。
ときには、今の生き方に納得(不満?)があったのか、意味無く、死にたいとか言って泣いたりするときもありました。
私が先に死んだら、電車に飛び込んですぐに死ぬとも言っていました。
私は、心配で心配で先には死ねないと思ったことも度々あります。
私がごみ捨てに行くときにも、誰かに襲われたらいけないから携帯を持っていくようにといったりしていた彼女でしたが、彼女のほうが私よりもずっと若いのに先に逝ってしまいました。
今6年の月日が経って、
あの世へ行く順番は「これでよかったのかも知れない」と思うときがあります。
それは、「自殺をしたらあの世で逢えないから」「逢うのが、遅くなって遠回りだから」と思うからです。
何も、あの世で逢いたい人が居る居ないは別としまして、このブログで紹介しているような「見えない世界」「精神世界」が死後にあったなら、それこそまさに「そこが生きる場所」「本来居た場所」なわけですから、そこへ戻るためにも、遠回りになる自殺はいけないと思います。
私も、結構「あの世という世界が存在あったなら」と思うと、楽しみが一つ増えたみたいに、どこかワクワクしてくる気持ちが出てきます。
そして、どうせいつかは「必ず死ぬ(寿命)」わけですから、何も自ら死を選ばずとも、いつかは死ぬその日まで、とにかく、「ぼちぼち」と生き抜いていこう、ただそれだけでもいいんじゃないと思えて、そして今を生きています。
確かに、周りを見ると「幸せそうな」カップルや裕福な方もいらっしゃります。
確かに、うらやましいという気持ちや劣等感のような気持ちになるときもあります。
でも、いつかは「みんな死んでいく」わけですから、それなら今生きているこのときを、とにかく生きるで十分じゃないかなぁと思うんです。
ダーダさん、私はあの世へ逝った際には、大きなミッフィーのぬいぐるみを抱えていますので、あの世が有ったときには、「やっぱりあったね!」と語り合いましょうよ☆
私の目印は、ずっと前から大きなミッフィーのぬいぐるみを想念で創り上げて抱えて持っている姿にしようと決めています。
合言葉は「ぼちぼち」にしますね☆
ご両親が居て、そして自分が生まれて、しかも生まれる前の魂(意識体・霊)のときに、自分が決めてきた試練付きのようですから、とにかく生き抜いていきましょうよ。
私は父親の顔を見たことはないです。。。
親は離婚していますから。でも、まぁいつかは縁があれば出会うこともあるだろう、ですね。
でも、生きている自分をこの世から消し去るのは、自分でやってはいけないと思っています。
死後にあの世があって、死んでも意識が生きていたなら、後悔してもどうにもならなくなりますからね。
お互い、とにかく生き抜いていきましょう♪
あと、私も凡人ですので偏った考え方や変な考え方をブログに書くこともあるかと思いますが、どれも私ですので、よろしくお願いしますm(_ _)m
コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください。
それはそれで、なかなか体験出来ない素晴らしい経験ですよ!
私は、毎日地元で同じ風景を見て、同じ道を通って会社に行き、そして夜に実家に帰って来て・・・変化なしです。。。
海外生活は、経験した方しか分からない苦労も多くあるかと思います。
それも、頑張って生き抜いている一つの証だと思いますよ。
少しずつ、ゆったりと歩んでいきましょうね。
そこで管理人さんと同じように、私も死別とは何を意味するのか知りたくなり、砂に水が吸収するように死後のことや霊界関連を多読しています。それが今の私の救いの場所かもしれません。死別、特に愛し合ったパートナーとの死別の感情ははどう表現したら良いのか見当がつきません。これは同じ経験をした方でないと理解不可能ですよね。時々おじゃましてもよろしいでしょうか?2006年8月23日の「再会」のブログに投稿したいのですが投稿可能なのでしょうか?