

写真の中の伊達男。
その写真のとなりの写真の中の男は青年後期にしてすでに老人の貌をもつ。
このふたりが生活を共にするほどのシンパシーがあったとは、
信じがたい。
革新派であろうと正統派であろうと、
画家といわれれば、
なるほど画家らしい秩序があるように思える肖像写真が並ぶ中で、
その人だけは、らしくない。
船乗りから後、株式仲買人の職を経て画家になった経歴も、
タヒチで10代前半の少女たちを愛人にしたというエピソードも、
楽園に象徴される無いものを求めつづけるところも、
らしくない肖像写真にますます治まりきらないエピキュリアンのイメージが強まる。
惹かれる。