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政財界マスコミ界の諸氏よ 憲法25条を思い出して

2008年12月18日 13時15分01秒 | 思想信条
憲法25条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及  び増進に努めなければならない
日本国憲法25条にはこのように書いてある。
「世に倦む日々」さんが、
「憲法25条のエキスパート出よ - 健康で文化的な生活の守護者 」のなかで次のように書いておられる。


このような条文が日本の憲法にあることを知り、現下の派遣切りと、切られた若者がそのままホームレスになって真冬の街を放浪している姿を見た外国人は、
一体どのような感想を抱くことだろう。この憲法は悪い冗談じゃないかと思うのではないか。
テレビで毎日報道されている状況は、憲法25条で掲げられた人間の権利とあまりにかけ離れた世界であり、日本がこうした規定を憲法に持った国だとは到底思えず、このような先進的な条文を掲げながら、残飯を拾いあさって路上で生きている若者の現実を平気で見過ごしている日本人を理解しがたい存在だと思うことだろう。
しかも、その国はGDP世界第2位の経済大国で、外貨準備高も世界第2位の金持ち国だ。(以下 略)

大分県の杵築市は即座に、キャノンから仕事も住居も取り上げられ、年の瀬の寒空に追い出された、元派遣職員の当座の苦難を救うべく、臨時の仕事と住まいを用意したと報道されるが、
国はそのような緊急性のある事は何ひつしようとはしていない。
「世に倦む日々」さんが書いておられたけれど、
台風や地震で家をなくした人のためには、総理や大臣が即座に出かけて行って、
「安心してください」と政府が守るという態度をはっきりと表明すると言うのに、
この経済危機で、困窮している人たちには何一つ手を差し伸べようとしないのは、余りに薄情であるというだけでなく、憲法25条からしても、
政府は怠慢を責められなければならない。
助けようにも財政的に、どうにもならないのなら仕方がないとも言えるかもしれないけれど、
今の日本政府は、
10月にはグルジアに復興援助と称して 200億円を拠出した。
11月には国際通貨基金に 10兆円を拠出した。
5月にはアフリカ開発会議でアフリカ向けODAを倍増して 1800億円を出すと約束もしている。
という様に、外国には大盤振る舞いして喜んでいるのである。

こんなに外国人の為にさえ出すお金が有るというのに、
国民の最低限の生活さえ守ってくれようとしないというのはどういうことなのだろうか?
麻生総理は秋に国民に2兆円ものお金を配ると言い出していたが、
そのお金が国民の手に渡るとしても、来年の5月頃になるのではないかという話になっているらしい。

未曾有の経済危機に対する対策にしては何と間延びした対策だろう。
泥縄ではないけれど、溺れかけた人を見て浮き袋を買いに走っているようなものではなかろうか。
浮き袋を持ってきた時には、その人はもうとっくに溺死している事だろう。

麻生総理は予定を変更しその資金を使って、
野宿せざるを得なくなった人に、申し出に応じて宿舎と食べるものを用意するくらいの措置をとっても良いのではないだろうか?

今回の金融危機は、天災地変に順ずる位のものであるという立場で、
最低限の生活が脅かされそうになっている者を、
緊急に救済する方策を考え、即刻実行に移してほしいものである。

昨日のニュースにも、家賃の督促状が来たので、払わなかったら住む所がなくなってしまうと、切羽詰った「覇権切りで失業した若者」が、未遂ながらコンビニを襲い指名手配されて、翌日自首して来たと言う報道があった。
その青年はここ数日水しか口にしておらず、お金は9円しか持っていなかったそうである。
行き場所がないまま、自殺を図る若者も多数有るというのに、
こんな非常時に政治家は如何して、政局ばかりにかまけていられるのだろう?

それにこんな時こそ、政治家としての、真価を表す事のできる絶好の機会だと、
張り切ろうと考える智慧のある者さえ、全然出てこないと言うのは、どういうことなのだろう?
日本の政治家は国民の痛みに、其処まで鈍感な者しか居なくなってしまったということなのだろうか?
朝から夕方まで曇り時々晴れ

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