こないだは、明星食品が秋田に工場を持ち、チャルメラを作っていたはなしを書いたが、今回は「コカ・コーラ」のはなし。
チャルメラとはちがい、有名中も有名なはなしかも。
戦後アメリカの進駐軍が持ち込んだコーラ。
最初は毒劇物扱いまでされていた黒い液体はまたたく間に国民的飲料に格上げされ、誰もが知るように。
そんな1972年、岩手のみちのくコカ・コーラボトリングが河辺町和田に秋田工場を設立。
そっから秋田産コカ・コーラが根付くようになった。
長い歴史の中で様々な商品を製造し、一部は他県のボトラーにまで送り出す優良な工場だったとか。
もうほとんど見なくなったコカ・コーラ、ファンタやハイシーの瓶を作っていたとか。
(いまでも大曲のマンサイ堂にあるかな)
また、自分は経験ないが、小学校の社会科見学や遠足の定番地だったこともあった。
コカ・コーラのネオンも有名で、国道や新幹線からも見えていて秋田に来た、帰ってきたを象徴づけていた。
そんな転機は2015年。
コカ・コーラのボトラー縮小のあおりもあり、みちのくコカ・コーラボトリングも岩手の会社に機能を一本化へ。
そのため秋田工場も閉鎖となった。
話題も報道も小さく、優良工場にしてはさみしい終わり方ように感じた。
昔の上司から言われた話がある。
「なんで河辺にコカ・コーラがあるか。それは水がいいからなんだ。だから近くにさっぽろ屋もあるんだ」
そんな水のいい町にできた工場。
いまはコカ・コーラもさっぽろ屋もない。