馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

大洲城に登ってきました

2023-10-22 02:14:28 | 城攻め

2023年10月21日大洲城に登ってきました。100名城82番目、宇和島と同じく2011年8月以来です。

地味に行きにくいお城です。

宇和島駅から特急しかないと思っていたら、バスがありました。11時4分宇和島駅前のバス、約1時間1,000円で旅ができます。

JR伊予大洲駅にジャンプしました。観光案内所でレンタサイクルをお借りしましたよ、電動アシスト付きです。

肱川橋に行くと、見えました、大洲城!!

もうちょっと進んでパシャリ。いやはや美しい。

お城に接近して市民会館辺りで撮影。

このまま登城しても良いのですが、空腹に負けてしまいました。

観光案内所のお姉さんに教えていただいた大洲まちの駅あさもやに行き、分油屋で昼食をいただきます。

分油屋さんはこちら。

分油屋|大洲市のご当地グルメとんくりまぶしが食べれるお店

とんくりまぶし1,400円にしました。

とんは豚くん、くりは栗、後はお出汁を掛けていただくものです、最高でしたよ。

 

ではお城攻略に戻ります。

緩い坂道を登ります。

石垣をお掃除・点検してくれています、感謝ですね。

天守が見えてきました。

登りきると天守の全貌が見えるのです。

調子に乗ってもう一枚。

こちらも良い石垣。

天守、高欄櫓、台所櫓の3つの建物が並んでいます。

この辺り、

暗り門跡とかいうおどろおどろしい名前がついています。

やってきました、天守。

こじんまり。

加藤貞泰さんは加藤光泰さんの息子で初代大洲藩主。

加藤光泰さんは、元々美濃斉藤家の家臣でしたが、秀吉の部下となり小谷城攻め、三木城攻め、山崎の戦い、賤ケ岳の戦いに参加しています。朝鮮の役で陣没してしまいました。

貞泰さんはその息子で、関ケ原で石田方につきますが家康にも内応するという離れ業(?)を演じ、何とか生き残った凄い人なのです。

ではいよいよお城の中へ。

貰いました、御城印。

お城カードも手に入れました、ミッションコンプリート。

再現されたお城の内部はこんな感じですよ。残念ながら狭間は空いておりません。

面白い記事です。

大洲城は高知城や松山城より大きいんですって。

いろは丸航海日記。

坂本龍馬が武器を運んで運搬中、紀州藩の船とぶつかって沈んだ船です。

いろは丸の所有者は大洲藩だったんですね、こちらも面白いです。

高欄櫓に入ることができました。そこから天守をパシャリ。

良い仕事されてますね。

再現天守でも階段は高いのです。

最上階に着きました。

鯱です、守り神。

天守から高欄櫓を見てみました。

お城から線路が見えますよ。

当時の絵図面です。

松本零士さんが描いた大洲城。鉄郎とメーテルが見学に来ています。

外に出て天守を撮影。うん?踏切の音が聞こえます。

間に合いました、肱川の上を渡る予讃線です。

さらば大洲城よ。

少し冒険をして、肱川沿いを探索すると芋綿櫓を発見しました。

天守がかすかに見えます。

もう少しベストな場所はないものでしょうか。

ありました。川の防波堤の上ですが、これ以上は進入禁止でした。

帰りに肱川を渡ったところの土手の上で一枚。犬山城チックでした。

伊予大洲駅に到着、自転車を返して松山行きの特急に乗ります。

駅の階段にも大洲城。

可愛くゆるキャラにラッピングされた列車です。外人の方々は激写していました。

予讃線、いつか行ってみたい伊予長浜経由松山までの海沿いの旅路。

下灘駅の眺めや夕日は見事なんですってね(ため息)

松山まで運んでくれた特急宇和海20号。松山駅まで帰って参りました。

着きました~

松山駅です。松山城と湯築城、下灘駅に行くために「 I shall return!」

お土産を買った後、松山EXP号或いは京阪神ドリーム松山号がお出迎え。

出発したのですが……あっ!!

松山城ですよ!!もう帰らなきゃいけないのに、テンションが上がります。

また参ります、でわ。

コメント (4)
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宇和島城に登ってきました

2023-10-22 00:30:25 | 城攻め

2023年10月21日宇和島城に登ってきました。100名城の83番目、現存12天守です。

前回は2011年の8月ですから12年ぶり!

南国スタイル&リゾートチックな宇和島駅です。

ここから歩くと20分弱ですが、ホテルが宿泊者に自転車を貸して下さるというので、遠慮なくお借りしました。

ありがとうございます、宇和島ターミナルホテルさん。

7分位で入口の観光物産協会さんへ到着です。

ふむふむ、なるほど。

移築された桑折氏武家長屋門を潜って中に入ります。

城内マップです。

早速見える石垣にワクワク。

いやあ、やっぱり良いですねえ、攻城したくなります。

2つのルートに分かれます。急な階段ルートと緩やかな坂道ルート。どっちにしましょうか?

急な階段ルートにしました、こんな感じですよ。

思ったよりキツくありません。それよりか石垣がステキです。

井戸丸跡ですよ。

井戸の縁に文字が刻んでいるそうですが、とても読めません。

更に登ると石垣が見えてきました、最高です。

ご立派です、足が逆に軽くなってきました(笑)

見事な勾配。

分岐から10分も立っていません。

石垣に沿って歩きます。

足元に門の跡と見られる窪みがありますね。

おや、振り返れば天守がこちらを見ていますよ。

綺麗です。宇和島城の天守は美人なんですよね。

二の丸広場に到着。

御算用矢倉跡だそうです。

天守と楔形門が見えました。

宇和島城の石碑でしょうか、ここ以外では見当たりませんでした。

いやあ、天守ですよ。綺麗だし可愛らしくもあります。

言わずとしれた本丸跡(そりゃそうです)

晴れてきていよいよ天守が美しく見えます。

土曜日の午前中は、人出が少なくて良いですね。

反対側から見てみました。

せっかくですので裏にも回ってみましょうか。

あんまり見たことない表情です。

天守と宇和島伊達家誕生の説明が書いてありました。

伊達政宗の側室が産んだ長男が秀宗(秀吉の一字拝領)でしたが、正室の愛姫(めごひめ)が産んだ忠宗(徳川二代目将軍秀忠の一字拝領)が仙台伊達家後継者となってしまいました。

忠宗は徳川家で育ったため将軍家の覚えも良く、一方秀宗は伏見城で育ち秀頼の小姓にもなり、豊臣姓まで貰ったためでしょうか。

大坂冬の陣では政宗、秀宗の父子コンビは一緒に戦い、結果として秀宗は宇和島10万石の初代藩主となった訳です。

政宗が親心を見せたんでしょうかねえ。

もちろん伊達本家は忠宗が継いでいます。

本丸広場からは海も見えるんですよ、もっと天気が良いといいのに。

では天守内に入りましょう。

御城印と、

お城カードを無事GETできました。ミッションクリアです。

天守内です。急な階段ですよねえ。

墨絵の宇和島城も良いです。

あ、桃があります。

またありました。

更にもう一個。

都合4か所で見つけました。犬山城、大阪城に続いてですね。

闘牛場が見えました。

最上階に屏風複製が置いてありました。かつての宇和島城です。

他の人がいなくなった瞬間にパシャリ。

かつての、元禄のころの宇和島城です。五角形なんですね。

左から豊臣秀吉、伊達秀宗、伊達政宗の甲冑です。

天守の外に出ました、晴れてきましたね。

帰りは緩やかな坂道ルートを下ります。城山郷土館ですが、寄りませんでした。

長門丸門跡を下っていきます。

見事な石垣ですが右奥が崩れていますね。

下るすがらも石垣です。

長門丸外側の石垣も美しいのですよ。ここを回ると、

最後の下り道でした。

桑折氏武家長屋門を見下ろしました。

宇和島城探索は終了です。

自転車を返却して、次の目的地に向かいます。11時4分のバスに乗るため、急ぎますよ~

コメント (2)
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