馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

宇佐山城に登ってきました

2024-05-26 23:57:05 | 城攻め

2024年5月26日、宇佐山城に登ってきました。

宇佐山城はこんなお城です。

第28回 宇佐山城 - 近江の城めぐり|出張!お城EXPO in 滋賀・びわ湖

信長包囲網に絡め取られた織田信長さんは、摂津の野田・福島方面で本願寺勢と三好勢、雑賀・根来勢と激闘中。

近江西側を守っていたのが、この宇佐山城で琵琶湖西側に位置していました。

西側となると、比叡山、浅井・朝倉と当たることになります。

当時城を守っていたのが、信長の弟、織田信治さんと歴戦の猛将森可成(蘭丸の父)。

信長の主力が摂津方面にいることを知った反信長軍団は急遽、邪魔な( ゚Д゚)宇佐山城に襲い掛かります。

守る織田勢は1,000人くらい、浅井・朝倉勢は比叡山延暦寺の僧兵も加わって、何と30,000!!

激闘の末、織田信治、森可成は戦死、しかし宇佐山城は落城しません。森可成の家老が必死に守るのです。

宇佐山城ピンチを知った信長は急いで近江へ転身、宇佐山攻略を諦めた浅井・朝倉勢は山科辺りまで出陣していましたが、比叡山まで後退したそうです。

信長は比叡山に中立になるよう使者を出しますが、比叡山は拒否。

これが後の比叡山焼き打ちに繋がる、と言われております。

機会があれば登りたかった城址なんです。

 

話が長くなりました、早速登城しましょう。

9時20分に大津京駅に到着です。

ここから歩きます、天気は快晴、水分補給を忘れずに参りましょう。ほとんど登山ですから。

早くも遺跡が登場。これは大津京の跡ですよ。

柿本人麻呂の歌碑もあります。

住宅街の一角なんですよ。

ここから後ろを見ると……

山頂に見える、あれが宇佐山城かもしれません。

周辺の地図もありますよ。

歩いて25分くらいで目印が現れました。

まずは目印となる宇佐八幡宮に向かいます。ちょっと上り坂。

こちらは下の宇佐八幡宮。上に登れない方のための遥拝所なんですって。

更に登ります。

この左側を行くのですよ。

ここまで駅から35分掛かりました。

おや、何でしょう?

御足形ですって。

前九年の役の後、大津京近くに住んでいた源頼義が八幡宮を勧請した折に鳩が現れて、場所を示したそうです。

その鳩が留まったところ、ですかね。

源頼義は八幡太郎義家の親父殿でしたっけ。

さあまだ序盤です、先に行きます。

こんな道をてくてく。

また何か出てきました。金殿井とあります。見ていきましょう。

金殿井、大津京にいた天智天皇が井戸の水を飲んで、病気を治したそうです。

奥には井戸があるのですが、水は飲めそうもないのです。先に行きましょう。

あ、石段です。上に社が見えますね!

宇佐八幡宮に到着です。

中では神事を執り行っているようですので、お邪魔しません。

提灯にも鳩。

ぐつぐつ煮ております、これも神事関連かしら。

先に進むと、

手書きの案内板です。ここからが本番です。

近くの小学校の生徒が作ってくれたようですよ。

歴史がたくさんいいね、滋賀。

こんな道を登るのですよ。急な傾斜面にはロープが張ってあり、捕まっても大丈夫でした。

それにしても暑いし、キツいのです。

ここが一番の難所かも。

道が分かりにくいのです、狭くて、まさがここが、と思ってしまいました(´・ω・`)

ピンクのテープが貼ってくれてあったおかげで、ようやく気づきました。

がんばれとか、山頂にいるのは誰、とか励ましてくれております。

ちょっと疲れてきてイラッとしてきました(笑)

駅から1時間、鳥居から30分で本丸石垣が見えてきました。

もうちょっとですかね、頑張りましょう。

三の丸跡に到着です!

右側に行くと宇佐山テラスがあるようですよ。

木が邪魔ですが、琵琶湖が見えています。

人が集まってきているので、ここは早々に退散。

石垣、もっと見に行きたいです。

接近したい!!

石垣です。これは良いですね。

うーん、後ろの建物が気になります、気になりますでしょ?

ちゃーんと登れるんですよ。

放送局のアンテナが立っていました。ここが本丸なのです。

金網に御城印の案内があるのが良心的かな(笑)

縄張図ですが……何もここに放送局設備を作らなくても( ;∀;)

設備近影でもお楽しみ下さい(´・ω・`)

裏の急斜面を見に行ったら、こんなものがありました。

物資搬入用のモノレールですね、これがないと保守もできませんよね。

それでは下山しましょう、ただいま10時50分過ぎ。

ここ登って石垣に触れたかったのですが、斜面が急過ぎてやめました。

残念です。

下りは順調、20分くらいで宇佐八幡宮の参道に出てきました。

ここをまっすぐ進むと、登りに見た金殿井と御足形を見ることができます。

宇佐八幡宮鳥居を潜って、遥拝所の手前を左折します。

よいこの森保育園に出てきました。

御城印は近江八幡宮にあるとのことですので寄り道をします。

こちらが御城印。かるたの聖地近江神宮でいただきました。

せっかくですので、近江神宮にもお参りして行きましょう、それは次のエントリーで。

でわ。


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2 コメント

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現代天守 (栗八)
2024-05-27 09:52:19
いつの世もお殿様のすることですかね?

浅井…複雑な立場、心境、思惑、企て、、全くわかりませんが、この辺が、大きな引き金なんだとはわかります。
お市、茶々、信長、秀吉、、う~ん……

城攻めにはキツイ季節になってきましたですね!
返信する
小和田先生とか千田先生 (馬鹿琴)
2024-05-27 22:46:49
小田和先生とか千田先生に訴えたら、アンテナの除去は無理でしょうが、それらしい施設とか表示してくれませんかね(笑)
勿体ないことだと思うのですよ。

暑くなってきました、山城は厳しくなってきました。
でも来週も密かにどこかへ行くつもりなんですので、注意します。
返信する

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