馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

おまけ:桔梗塚に寄ってきました

2023-02-26 01:17:26 | 戦国時代

大桑城に到着する寸前、国道418号にいきなりこんな案内表示が出ているのを発見しました。

 

桔梗塚、明智光秀の墓!!!えーーー、本当に???

 

滋賀県の西教寺さんには行ってきたことがあります。

 

 

--天台真盛宗総本山--  西教寺

滋賀県大津市の《天台真盛宗総本山 西教寺》は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師...

宗教法人 西教寺

 

 

まさか岐阜県山県市にあるとは……気になりますので、大桑城に登る前に急遽探検することにしました。

国道418号を北に折れて国道256号に向かいます。

あっ、また表示があります。

見えてきましたよ、またワクワクしてきました。

気になります、さっさと向かいましょう。

少し登る様です。

荒深小五郎と名乗りこの地に住んだ、と幟に書いています。

ん?明智光秀が荒深小五郎?

明智+小五郎、明智小五郎……ま、まさかですよね(笑)嫌だなあ、私考えすぎですよね?(笑)

惟任将軍日向守光秀のお墓だそうです。拝ませていただきます。

桔梗塚の説明板がありました。諸説あります。

上に進むと白山神社があるそうです。

結構な登山です。大桑城用に体力を残さないといけないのに。

到着です、白山神社。お参りしましょう。

お社の後ろにご神木がありました。

この道を下ります。

光秀の産湯だそうです。信じるかどうかはあなた次第ってことで。

こんな自販機がありました!

後で検索すると自治体も告知していました。

知らぬは己ばかりなり、です。

明智光秀の墓(桔梗塚)|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」

明智光秀の墓(桔梗塚)|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」

ぎふの旅ガイド

 

繰り返しますが、信じるか信じないかは、あなた次第(笑)

でわ、大桑城を目指します。

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大桑城に登ってきました

2023-02-25 22:17:41 | 城攻め

2023年2月25日大桑城に登ってきました。

土岐氏のお城が岐阜西部にあると聞きましたので、登城を決意したのです。

大桑城はこちらを参照のこと。

大桑城跡 | はじめての山県市めぐり

大桑城跡 | はじめての山県市めぐり

はじめての山県市めぐり

 

東海環状自動車道の関広見ICで降りて、約30分くらいで大桑に入りました。

国道418号で衝撃的な史跡を見つけたので、途中思わぬ寄り道をした後、再び向かいます。

県道200号を渡り走っていると、はじかみ林道入口を見つけました。そこから山道を爆走して数分、駐車場に到着しました。

トイレもあります、安心ですね。

この階段を登らなくてはいけません。

その前に案内板を読みましょう、標高407メートルだそうです。

美濃守護土岐氏最後のお城ですね。

規模は大きそう。

では登りましょう。11時38分です。

階段を登るとすぐに開けました。なるほど、パラグライダー離陸場だそうですよ。

はじかみ林道は約750メートルだそうです。

マムシ注意って洒落になりまへんがな(笑)

道三を模したイラスト付きです。

親切なロープ付き、本当に助かります。

帯曲輪ですって。でも息が苦しい、ふぅふぅ。

あと440メートル。

猿馬場?本当に馬がここまで登れたのですかね?

でも絵的には山頂までもうちょっとです。

険しいです、足場も良くないですね。

時々迷いそうになりました。

また開けた場所に出ましたよ。岐阜城のある金華山が見えています。

石垣です。わずかながら残っています。

しかし足場がとにかく悪いです。落ちたら逝ってしまいそう。

あと160メートル!

まだまだ上は厳しいのです。

ちょっとした広場。いわゆる台所ですね。

さあ台所を通過して上へ。あと100メートルですよ。

巨岩ですね。その脇を通ります。

伝天守台です、やった~\(^_^)/

うん?何か見えますよ。天守閣です!!

ちょっち小さい(笑)私の身長よりは大きいけど。

眺めもヨシ!!

真ん中が岐阜城金華山です、お城っぽいのがかすかに見えます。

週一くらいで逢ってます、伊吹山。

とにかくカワイイミニ天守。

ミニ天守の背後がまだ少し登れそうです、行ってみましょう。

407.5メートルの金鶏山大桑城制覇。約45分掛かりました。

名残り惜しいですが(笑)お別れ。

 

しかし参りました。

まずここで妙齢のお爺様から

「お独りかい?お昼ご飯は?」

と誘われたのです。

イエ、下で食べますとお断りしてしまいました、すいません、ごめんなさい。

続いて馬場くらいまで降りた時、下から登ってきた、またこれも妙齢のおじ様から、

「こんにちわ、あのどこそこ(岐阜県外)のナンバーの車の方?」

と話し掛けられました。

隠す必要もないので、私ですと答えましたら、

「良かった、私ここのガイドなんだけど、県外の方が見えたようだから、これは案内しなくては、と慌てて登ったんだよ」

とのお返事でした。(ノ∀`)アチャー

大桑城の概要から切通し、ロープを張った話、頻発する転落事故からヘリコプターでの運搬についてまで、延々とご説明いただきました。

駐車場に着くと、

土岐氏の謎

大桑城麓の南泉寺住職快川紹喜が甲斐恵林寺に行った話

信長の武田征伐後に焼き討ちにあった話(心頭滅却すれば火もまた涼し)

本能寺の変に朝廷が絡んだ説とその根拠

思わぬ寄り道には寄ったかどうかなど、お話がまだまだ続きます。

何だかお腹が空いてきましたが腰も折れずにいましたら、せっかくだから南泉寺に行こう、後について来い、

とおっしゃるのです。

哀れ、私はおじ様の後ろに従い、南泉寺さんへお持ち帰りされてしまったのでありました。

南泉寺さんはこちら。

南泉寺 - 山県市ホームページ

滅却心頭じゃぁ~~~

快川紹喜和尚がこの辺りの出身(諸説あります)であるとか、土岐氏歴代のお墓があるとか、南泉寺の瓦に菊のご紋、葵紋、桔梗紋が使われていること、いろいろ勉強になりました。

お腹が空いたのでさすがにこの辺で撤退させていただきました、ガイドさん、ありがとうございました。

ちなみにここまで無料です。

まだお話をしたそうでしたが、すみません、さすがに空腹に耐えられません。

さあ、待望のお昼ですよ!!

行きたかったのがここ、岐阜タンメンさんです。

岐阜名物「岐阜タンメン」

早速注文したのが2辛岐阜タンメン、820円です。

適度に辛くていい感じでした、ご馳走様でした🍜

そうそう大桑城の御城印をGETしました。

こちらの御城印、何故かインディアンの村に置いてありました。200円なり。

詳細はこちらをどうぞ。

レザークラフト&シルバークラフトの制作・販売|TWO-SPIRITS インディアンビレッジ

レザークラフト&シルバークラフトの制作・販売|TWO-SPIRITS インディアンビレッジ

 

 

可愛いコーギーちゃんやウサギさん、鴨君たちが私を迎えてくれましたよ。

でわ、また。

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おまけ:夜ノ清州城に寄ってきました

2023-02-24 03:52:44 | 城攻め

伊賀と名張の帰り道、名古屋城と同じく清州城もライトアップしているのではないか、

と不意に思い立って寄ってみました。

ビンゴです。

月と木星が横に見えています。

川向うから見ると、川面の反射が未知との遭遇のUFOみたいになっています。

綺麗すぎますね。

赤橋を入れるとこうなります。

無いと、

大河ドラマ「どうする家康」の清州城はビックリしましたね。

中国映画のHEROで始皇帝が住んでいるようなお城でした。と言ってこの清州城も違う訳ですが。

 

でわ、また。

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伊賀と名張を探検してきました

2023-02-23 23:09:37 | 城攻め

2023年2月23日伊賀と名張を探検してきました。

先日甲賀を探検したので、今度は伊賀とその奥地にある名張を見てきたくなったのです。

伊賀や名張と言っても、いろいろ見て回るのは大変ですから下調べをしました。

伊賀には伊賀上野城があり、伊賀忍者博物館なんかもあって有名ですね。

今回私が見て歩きたいのは天正伊賀の乱の跡地なんです。

Wikiによれば、天正伊賀の乱はおおまかに言うとこんな流れになっています。

織田信長の次男信雄……出た、三介殿です(笑)が、1576年天正4年に北畠具教らを滅ぼして伊勢の国を掌握した後、

ヒマなので(笑)親父殿の信長ですら手を出していなかった伊賀の国を攻略することを決意します。

伊賀の国侍である下山平兵衛(甲斐守)がガイドをしますと申告があったようですね。

で信雄は、部下に北畠具教が隠居するために建てていた丸山城を前線基地として整備するように命じます。これを知った伊賀忍者達が、さすが忍者ですね、攻撃して、織田勢は慌てて退却してしまいました。

1579年天正7年、怒った織田信雄は頭にきて8,000人の戦力で伊賀に攻め込みますが、無残なほどの敗退。重臣も討取られて散々な体で逃げ出します。失敗を知った信長は激怒、信雄を𠮟責して勘当まで口にしたそうです。

さて1581年天正9年、今度は親父殿が自ら命令して、信雄は伊賀に攻め込みます。この時もやっぱり伊賀の国侍上柘植の福地伊予守宗隆らが事前にガイドします、と申し出ているんですね。これが第二次天正伊賀の乱。

大軍で編成された織田軍はさすがに強く、伊賀忍者達はとうとう柏原城に追い詰められて、降伏します。

という訳で、丸山城と柏原城をメインで城攻め、探検することにしました。

 

朝9時に車で出発(寝坊してしまいました)、東名阪自動車道を使って亀山から名阪国道へ。雨が少し降っています、名阪国道はカーブが多いし、上り下りが激しく怖いですよね。

11時過ぎには名張市内に入れました。

 

★柏原城

事前に調べましたが、近鉄の赤目口駅を過ぎてしばらく、近くの神社、勝手神社に駐車場があるそうです。

勝手神社はこちら。

お参りします。今日も無事に城攻めと探検が出来ますように。

神社の脇に石碑がありました。

決戦之地柏原城とあります。ワクワクしてきました。

簡単な地図もありますよ。右側に駐車場の表示があります、私はそこに停めました。

では畦道を通って柏原城へ向かいます。早速見えてきました。

説明書きと縄張り図があります。

柏原城の虎口です。さあ、いよいよ、忍者達の終焉の地は……

あれ?

これだけ?

井戸がありました。だ、誰も出てこないですよね?

お滝女郎化粧井戸というそうです。

周囲の高台に登ってみました。井戸が見えています。

空堀や堀切はあるのですが、落葉と雨で足が取られてしまいそうです。

ふーむ、他には史跡が見当たらないので撤収します。ちょっち不満な私。( ;∀;)

 

11時半ですので食事します。名張で一番美味しいと噂のあすの澪(しずく)さんへ。

魚介とんこつらーめん、麵固さ普通をいただきました。850円です。

美味しいです。

★名張藤堂家邸跡

名張陣屋こと名張藤堂邸跡が近くにあるので、寄ることにしました。

名張は津の藤堂藩藤堂高虎の養子である藤堂高吉の領地です。

この高吉という人は丹羽長秀の三男だったのですが、羽柴秀長(秀吉の弟、小一郎ですね)の養子になりました。その後、秀吉のいろいろな思惑が重なって、藤堂高虎の養子になりました。

関ケ原では高虎と共に戦って今治の地に領地を得て、藤堂家の後継者と目されましたが、1602年慶長6年に藤堂高次が実子として生まれたことにより、波乱が起きます。

高虎と一緒に大阪の陣を経験した高吉ですが、本家を高次が継ぐと名張を治めるように命令されます。

年の差は22歳、高吉の方が年上で歴戦の武将なので面白くなかったでしょうかねえ。津の藤堂藩は22万石(諸説あり)、名張藤堂家は15000石という違いがあるんですもの。

その後本家と名張藤堂家は冷えた関係にあったようですが、将軍吉宗のころに本家からの独立を目論んで、騒動が起きました。結局名張側が屈してこの騒ぎ(名張騒動)は終わりました。

えー長いな(笑)、その屋敷跡に寄ってきました。火災に何度かあって、屋敷は一部しかない模様です。

正面からパシャリ。

お庭もあります。

見物料200円をお支払いして中に入ります。

中にもお庭が。

湯殿(お風呂)だそうです。

厠!もう和式使用は厳しいですねえ。

茶室。

では、いよいよ天正伊賀の乱のきっかけとなった丸山城へ向かいます。

でもお手洗いに行きたいなあ…コンビニ行こうかな?…あ、大きなスーパーがあるなあ…どこだろう?

プ、プラント?プラント伊賀ですと~

伊賀店|SUPER CENTER PLANT

あ~勝手にハンドルが曲がる、車が吸い寄せられていく~

墨俣以来のSUPER CENTER PLANTさんです。手を洗った後、気になってカレーコーナーを見ると、

やっぱり充実してます、ただ墨俣の方が大きいかなあ。

 

★丸山城

名張藤堂邸から約1時間、伊賀市内に戻ってきました。

近鉄伊賀線丸山駅の近くで踏切を渡ると、忍者がいました!

丸山集会所、こちらに駐車場が数台ありました。

目印です。

入口、なんか不穏な気配。

うっわ、昼なお暗い登り道です。登ると…

広場に出ましたが、まさかこれで終わりでは…右手に道があるようです。

上に続いています。

キツい登り道になってきましたよ、石碑が見えるです。

石塔があります。近づいてみると、

天正伊賀の乱の犠牲者を悼む、と刻んであるようでした。

探索を続けますと、石碑が出てきました。

212.93メートルの丸山城を攻め落としました!!

忍者マンホールを見つけました。

★敢国神社

伊賀上野城の鬼門に位置するそうです。

こちらの神社は服部家の奇祭、黒党祭というものを催しているそうです。

神社のサイトはこちら。

伊賀一宮 敢國神社(あえくにじんじゃ) – 三重県伊賀市のご祈祷・厄祓|三重県伊賀市のご祈祷、厄祓「敢國神社」。当神社で、毎日皆様の車祓、初宮詣、厄祓、安産祈願、家内安全、身体健康を始め様々なご祈祷(お願い事)を奉仕しております。又、出張で祭典(地鎮祭・上棟祭・新築祓始め会社関係)や個人のお祓い等も御奉仕致します。

伊賀一宮 敢國神社(あえくにじんじゃ) – 三重県伊賀市のご祈祷・厄祓|三重県伊賀市のご祈祷、厄祓「敢國神社」。当神社で、毎日皆様の車祓、初宮詣、厄祓、安産祈願、家内安全、身体健康を始め様々なご祈祷(お願い事)を奉仕しております。又、出張で祭典(地鎮祭・上棟祭・新築祓始め会社関係)や個人のお祓い等も御奉仕致します。

 

 

お参りしていきましょう。うわ、また忍者がいます。

伊賀出身の俳聖、松尾芭蕉の句碑です。

手ばなかむ 音さへ梅の におひかな

伊賀の国一之宮です。

社殿に続く階段。

お参りしてから見下ろすとこんな感じ。

服部家と言えば、服部半蔵が生まれたという千賀地城に行ったことがあります。

敢国神社の東北には伝説の上忍、百地三太夫のお城までありましたよ。

まあ、話は半分に聞いておきましょう。

百地家累代のお墓。

上の千賀地城と百地砦は以前訪れた時の写真です。

では最後に第二次天正伊賀の乱で織田側についた福地宗隆のお城に寄って帰ります。

★福地城

目印は伊賀SAですかね。芭蕉公園では私のナビは探せませんでした。

車で上がってしまいました。

石碑の右側が登れそうです。あ、石垣ですね。

なかなか立派な石垣が積んであります。

何やら嬉しくなります。

伊賀上野城以外ではあまり見かけない石垣の群れです。

芭蕉翁生誕之地と書かれています。ホンマかいな~

梅の木が一本咲いています。

紅梅や 見ぬ恋作る 玉すだれ

良い句なのか、全く分かりません。

一家に 遊女も寝たり萩と月

ある人に寄れば、なかなかエロティックな状況だそうです。(笑)

私は横溝正史さんの獄門島の見立てを思い出しました。

是にて伊賀と名張の探検は終了です。

たくさん走り回って疲れました、でわまた。

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松本零士さん、お亡くなりに

2023-02-20 19:15:59 | 日記

松本零士さんがお亡くなりになりました、謹んでお悔やみ申し上げます。

向うで西崎プロデューサーと喧嘩してるんだろうなあ、と思ってしまいます。

銀河鉄道999星野哲郎役の野沢雅子さんが、999の車掌さんもあちらで乗車を待ってますから、と述べられたのがしっくりきました。

でもやっぱり、あちらでも西崎Pとバトってて欲しいなあ。

999の車掌さんも、キャプテンハーロックや古代守・進兄弟、沖田艦長、佐渡先生と徳川機関長、真田技師長、スターシャもドメル将軍もみんな星々の彼方に逝ってしまわれました。

哀しいです。

ささきいさおさんのテレビ版OPも劇場版のゴダイゴさんの大ヒット曲や挿入曲のTAKING OFF!もいいけれど、

私はこのSAYONARAが好き。たまらなく好きです。

サヨナラ、松本零士さん。

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