馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

超意訳:南総里見八犬伝【第二十二回 浜路、密かに親族を悼む/糠助、病んで信乃に会う】

2025-02-20 01:01:20 | 南総里見八犬伝

 もう一度述べるが、大塚蟇六は信乃を迎えて、亀篠とともに愛想良く歓待しているが、それはただ外聞を飾るのみであった。蟇六夫婦は実は心に刃を研いでいるのだ。
 例えば蟇六はすでに里人たちを欺いて、番作の田畑を横領している。少しも信乃のために使われることもない。
 しかしいまだ村雨の太刀を奪うことはできないでいた。

 村雨を手に入れてから、後にあの少年を片づけてしまおう。
 そして宝刀によって、我が家はますます繁栄するだろう、また浜路には良い婿でも娶せてしまえば、老いてもなお楽しいことばかりになるはずだ。
 しかし思うにつけても、信乃の面魂は世の中の普通の童と違い、早まってことを仕損じては、その様に人の過ちを暴こうとしているうちに自分の弱点をさらけ出してしまうことになり、元も子もない。
 ただ真剣にもてなして油断させる他はない、と腹の底で思案し、妻の亀篠だけに秘密を打ち明けて、計略を話すのだった。

 この様に信乃が危ないことは、石の下に産み落とされた卵の様に割れやすく、薪に巣篭る雛鳥が潰されやすいのと同じなのだ。しかし信乃には父番作の先見の遺訓がある。
 加えてその才気勇敢は牛若丸をも凌ぎ、楠木正行にも劣らないほどの稀有の少年なので、村長夫婦の心情を見抜いていた。片時も本心から心を許さず、元の家にいた時から伯母の家に移った時も、宝刀を腰から離さず、座る時には必ずそばに置き、寝る時には枕の近くに寄せて守ることについて油断をしなかったので、盗人の出番はまったくと言って良いほどなかった。
 信乃の様子は主にその様であったため、一年あまりが経過しても、奸智の得意な蟇六ではあったが、何もできないでいた。なまじ刀に手を掛けて見とがめられてしまうと、今まで費やしてきた手間も苦労も泡と消えてしまい、自分のためにならないと思うと危ぶんだのである。
 盗み出そうという心もやや収まったが、今年はこの様に考えた。

 村雨の刀を入手できたとしても、信乃が安穏とこの村にいれば、関東管領家に進呈することができない。
 今、自分の物にならないとしても、持ち主も刀自体もここにあるのだ。我が家にあるのであれば、最後には我が物となる。急ぐ急ぐと心が早まればこそ、計略は達成できず、すべて都合が上手く行かず危ない。
 娘の浜路はまだ幼いが、今から十年待つとしても遅くはない。長く考えれば利があり、短慮は上手くいかないはずだ、とようやく思い、亀篠にもそのことを納得させた。
 しばらくの間は盗む算段を諦めて、折りを見ては額蔵に信乃の意中を探らせようとしたが、これはまた何も得ることができなかった。額蔵は村長夫婦に尋ねられる度に、表向きには信乃の悪口を言うが、重要なことは何一つ言わなかった。額蔵は聞かれたこととその返事を密かに言わないので、信乃はますます油断をしなくなった。
 信乃は表向きにも伯母を慕う振りをして、召使いの様な扱われ方をされていた。

 こうして光陰は漠然として流れていき、春は明け、秋は暮れ、月日はよどむことなく過ぎていき、文明の年号も早や九年(1477年)になった。

 この年に信乃は十八歳、浜路は二つ年下の二八の十六歳の春を迎えた。
 二人は花が燃える様な盛りの美しさを迎えており、月を前にしても輝き、柳が緑を増して春霞の間にそよぐ様である。信乃は優れた才能のある若者であり、浜路は美しい少女になった。その器量も美貌もこの村では稀なほどである。
 この男にはこの女が相応しいと、里人は皆言い囃し、村長夫婦を見掛ける度に二人の婚姻を催促する始末である。蟇六も亀篠も以前からの思惑があったため、実はこの問いに迷惑していた。信乃への悪心が再発し、密かに信乃を何とかしようと何か手立てを考えるものの、十一二歳の時でも手強かったのに、今は美丈夫になってしまった。身長は五尺八九寸(180センチ弱)、力もきっと強くなってしまっているだろう。

 幼い二葉のころに摘んでしまえばよかったのに、とうとう斧を使わなければ切ることができない、などと言うのだ。早く殺してしまえばよかった、そうすればこんなことにはならなかったと悔しがるのだ。
 とほぞを噛んでも、その甲斐はなく、ああした方が良いか、こうした方が良いかと苦心して考えているところに、近隣で騒動が起こり、不慮の合戦が始まってしまった。

 合戦の原因は武蔵国豊島郡の領主に豊島勘解由左衛門尉(としまかげゆさえもんのじょう)、平信盛という武士である。
 大した大名ではないが、志村、十条、尾久、神宮(かにわ、神谷のことかも)など幾つかの郷の領主であり、その弟、練馬平左衛門倍盛は練馬の館にいた。他にも平塚、円塚(まるつか)の一族が大きく広がって、栄えた旧家でもある。
 信盛と倍盛の兄弟は当初は鎌倉の両管領に従っていたが、何かのことで恨むことがあって、遂には疎遠になってしまった。
 しかしこの頃、管領山内上杉家の老臣だった長尾判官平景春が越後と上野の両国を支配して、自立しようという野望を持っていた。豊島勢を仲間に引き入れると、信盛はすぐに同意し、管領に対して反旗を翻した。
 対して山内上杉家、扇谷上杉家の両管領は密かに軍議を重ねて、敵の勢いが小さいうちに先に豊島を討とうと考えた。1477年文明九年四月十三日、巨田備中介持資(おおたびっちゅうのすけもちすけ、太田道灌)、植杉刑部少輔(うえすぎぎょうぶしゅうゆう、上杉朝昌)、千葉介自胤(ちばのすけよりたね、千葉自胤)たちを大将にして、軍勢およそ一千余騎を集めて不意に池袋まで押し寄せてきた。
 豊島方は油断しており敵の出現に驚いたが、一族はすべて近くにいるためか、鎧を急いで着込んで、馬に乗って走り回ってあちこちから集まって来た。総大将を信盛の一陣は、練馬、平塚、円塚の軍勢は合わせて三百余騎で、江古田、池袋に向かい、鬨の声をどっと挙げて矢を放った。

【豊島の一族、管領家の三将と池袋で戦う】
練馬平左衛門倍盛
植杉刑部少輔
千葉介自胤

矢が降る雨の様に放たれております。

続いて練馬氏関連地図。

大塚とは本当に眼と鼻の先なんです。

 

 両軍は入り乱れて、槍を交わし、撃ちつ撃たれて、火花を散らして半日あまり戦った。豊島は小勢だったが、千葉勢、植杉勢を切り崩して、しきりに調子に乗ってしまった。不用意なことに腰兵糧を用意しなかったため、次第に飢えていった。
 撤退しようとすると、今度は寄せ手の大将である巨田備中介持資が軍配を振って味方を励まして、急激に攻め立てた。これには豊島方も辟易して、討ち取られる兵の数を知らない。千葉と植杉たちもこれに気を良くして、魚鱗の陣形で十文字に駆けて敵兵を散らし、息をつかせず揉み進んだ。
 豊島の士卒は算を乱してしまい、ことごとく切り伏せられ、あまつさえ信盛と倍盛兄弟も乱軍の中で討たれてしまった。
 哀れなことに豊島と練馬の二人の大将は、一時の恨みによって大勢も分からないままに、一族郎党すべて壊滅し旧家はたちまちのうちに滅んでしまった。

 これによって世間はしばらくの間騒がしく、巣鴨、大塚の里でも人々の心は穏やかではなかった。
 また蟇六と亀篠夫婦はこれ幸いとばかりに、この様子では子供たちの婚姻は今年は準備できない、明くる年に波風が治まったら必ず浜路を娶せて、信乃に村長職を譲ると里人に話して、まずはその場を切り抜けたのである。

 さて蟇六の養女浜路は、八九歳のころから両親の口から、
「信乃は夫になるのだ、お前は妻になるのだ」
 と言い囃したてられた言葉を本当のことと信じて、ものごころついたころから、信乃のことを恥ずかしくも喜ばしく思う様になった。それとはなしに信乃が話すことが何でも楽しくなり、心を込めて接する様になった。
 しかし蟇六と亀篠は、浜路に対して、実は養女であるということを告げることも知らせることもなく、実の子の様にしていたが、密かに言う者がいた。
 実の親は練馬の家臣の何某という者で、兄弟一族がいることを浜路がわずかに伝え聞いたのは、年齢十二三のころである。
「このことから考えると、今の両親は人様の前では私を愛してるかの様に見受けられるけれども、口と心には表裏がある。近くに人のいない時には小さいことでも罵って辱め、私が小さい時にはさすると見せかけてつねられることが良くあった。育てていただいた恩は決して浅くはないけれど、本当の親子ではないことほど、悲しいことはない」
 浜路はつらつらと考える。
「本当の親は練馬殿の家臣の何某という人。兄弟もいると言う。私に取っては兄か弟か、姉に当たる人か、それとも妹なのか、いるのかいないのか」
 それ以上のことを聞く手立てはなくて、義理の親には涙の袖を見せず、実の親を思う。故郷はたった三里(約12キロ)足らずの距離にあると聞く。しかし自分にとっては、清少納言が随筆に書いた通り、鞍馬寺のつづら折りの様に近くて遠いのだ。
 春になると収穫されて馬の背に乗ってやって来る土大根も、練馬のものが有名だ。練馬と聞けば何でも恋しくなり、思い掛けなくも憂いが増して、
「今年、練馬家は滅亡し、一族は豊島、平塚はもちろん、兵士までみんな討ち取られてしまった」
 と聞いた。
 浜路は哀しさやるせなく、
「きっと、私の本当の親兄弟も逃げることはできなかっただろう。母上はどうなさったのであろうか。戦場でも婦女子は助けられるとも聞く。身を寄せるところもないだろうに」
 浜路はまた嘆いた。
「納得できないのは、私の義父母たちだ。私に実の父母がいることをはっきりと言わなかった。赤子のころから養われた温情も愛情も無下にはできない。知らなかった時節はどうしようもない。実の親兄弟があることをわずかに聞き、名前も知ることができず、またその討死の跡も弔うことができないのは、この身一つに掛かる宿世の悪報なのでしょうか。私はいったいどうしたら良いの」

 浜路は泣き、袖の涙を乾かすことにかこつけて、泣き顔を他人を見られまいとした。直した化粧も、朝霜が解けて落ちる様にまた涙が流れていった。

 思案の果てに浜路はつくづくと考えた。
 心の憂いはしかたがないが、右を見ても左を見ても相談をする人がいなかった。
 私のためには犬塚様だけ、まだ婚姻こそしてはいないが、幼いころから両親の許しをいただいた夫になるべき男だ。
 その心ざまは甲斐甲斐しく、浮いたところはまったくなく、本当に頼もしい人と思っている。だからこそこの身の悩みをすべて告げて、その知恵をお借りしたい。本当の親の姓名も生死も分かれば実家が滅びてしまった後の菩提をも私が弔うことができるから、と考えた。

 どうやってそれを信乃に言おうか、と密かに余人がいない折りを窺っていると、ある日、信乃が部屋に籠って、独り机に肘を寄せて、訓閲集(きんえつしゅう)という軍学書を読んでいる。

【木枯らしは また吹かねとも 君見れば はつかしの森に 言の葉もなし 信天翁】
浜路
犬塚信乃

あ、信乃さんだ、話し掛けちゃおうっと的な浜路さん

 

 浜路は密かに喜んで、足音を消して近づき、話し掛けようとしたその瞬間、急いでこちらへ向かってくる者がいた。
 浜路は思わず、ああっと叫んで、走って行く。信乃はようやくそこで足音に気づき、顔を上げて、見たのは後からやって来た亀篠である。

 信乃は机を押しやって亀篠を迎え入れようとしたが、当の亀篠は障子を開けたまま中には入らず、走って逃げていく浜路の背中をいぶかしげに見送った。そして、
「信乃よ、お前も前から知っている通り、糠助おじさんが長い病気に患っていて、昨日今日は危篤で、薬湯も咽喉を通らない状態であると、近くの人から今聞きました。昔はお前の家の隣にいて、親しくしていました。息のあるうちにもうお前と一度会いたいと言っているそうです。お葬式のことか医者への薬代のことか分かりませんが」
 亀篠の言葉には思いやりがなかった。
「いずれにしても、貧乏人に優しくしても得にはならないでしょう。無益なことだと思いますが、放ってもおけずに伝えました。見舞いに行こうと思うなら早く行きなさい」
 と言われたので信乃は驚いて、
「それは不愉快なことです。前に安否を尋ねた時、そういう風に見えませんでした。年齢が六十路余りの人の流行り病であれば心配です。急いで行って戻って参ります」
 と返事をして、刀を持って立ち上がった。それを見た亀篠は納戸の方へ赴いていく。

 畢竟、つまるところ糠助は犬塚信乃に会って何を言い残そうと言うのか。
 それは次の巻で明らかになる。

(続く……かも)

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超意訳:南総里見八犬伝【第二十一回 額蔵は間諜を全うする/犬塚信乃は懐かしんで青梅を観る】

2025-02-06 01:09:01 | 南総里見八犬伝

【口絵】
犬山道節忠与(ただとも)
斉の国の田単、燕を破った日、火は平原を燃やす。
阿難、釈迦の入滅の時、煙雨から良く防いだ。

犬飼見八信道(のぶみち)
剣術の極意は風の柳である。

火の属性持ちの道節さんと柔らの達人の現八さん、まだ出番は先

 

酢があればぬた合えにしてしまおう、網の魚、海老と蟹、舟で味噌をする
百姓糠助
大塚蟇六

軒の端に 鮑の貝の片思い 百夜つられし 雪の下草
下僕背介(せすけ)
簸上宮六(ひかみきゅうろく)

一般人の方々。

 

わがとしののぼるにつけて はつかしきこと葉のちりや 山となるらむ
乾坤一草亭のあるじ 信天翁題詠(曲亭馬琴)

 

【第二十一回 額蔵は間諜を全うする/犬塚信乃は懐かしんで青梅を観る】

 こうして犬塚と犬川の二人の子供、信乃と今は額蔵は互いに志を告げ、義兄弟の契りを結んだ。今後の行く末を語らっていると、外からやってくる足音が聞こえた。誰かがやって来るのだ。
 信乃は耳をそばだてて、目くばせをすると、額蔵は急いで寝床に行って、衣服を被って横になった。
 そこへ扉に掛けてあった鳴子を瓦が落ちてきた様に鳴らした者が、何回か咳をしてから、
「犬塚の坊っちゃん、お家にいますか。糠助が参りました。大丈夫ですか」
 と呼び掛けて、障子の破れたところから覗き込んできた。
 信乃は、支え木が朽ちそうになっている竹の縁側に片方の尻を置いてあぐらを搔き、後ろに手をついて、庭の若葉を眺めていた。
 信乃は身を起こして、障子を開けながら、
「糠助おじさん。良くいらっしゃいました、まずはこちらへどうぞ」
 信乃が短い箒で掃き清めると、糠助はその姿を見て首を振った。
【そのままそのまま、土足のままだから。毎年のことながら、ほととぎすの鳴く頃は、早稲も晩稲も種を水に浸し、畑も水田も土を耕さなければならない。ずっと働いていたので、大分ご無沙汰してしまいました。村長からつけてもらった子供の召使いはどうかな」
 と聞かれて、信乃は後ろを振り返って、
「額蔵は昨日から気分が悪いと言って寝ています。風邪を引いたと思って、薬を買って勧めましたが、すぐには良くはならないでしょう」
 と言うと糠助はすぐに言い返した。
「それはお困りでしょう。村長の家に行って、事情を話して、他の人を寄越して替わってもらいましょう。こんなことなら昨日でもなぜ教えて下さらなかったか。まだ十五歳にも足らないのだから、困ったことがあれば大変なはず。下男が助けにならず、あなた様に看病されるとは鬼の様な伯父、伯母殿でも思いがけないことでしょう。私に任せて下さい」
 と独りで言い放つ。
 早合点で軽はずみなところはあるが、心から信乃のことを心配している様子の糠助だったが、やはり言葉が終わらないままに、そのまま立ち上がって忙しそうに出て行ってしまった。


 蟇六と亀篠は、甥の信乃のために朝夕の食事の面倒を見るために、召使いの中でも年若の額蔵を遣わしていた。
 人目をはばかって、三四日ごとに飯の付け合せを小さな杯に盛って送り届けた。みずからも信乃の家を訪れて門から様子を窺い、最初こそ何回も来てはいたが、元から愛情が薄いため、田植え時の忙しさに忘れる様になり、久しく足が遠のいてしまっていた。
 この日は糠助が来て信乃の家で聞いたことを言うと、亀篠は眉をひそめた。
「この頃は、人が一人でできることを二人でやらせてもできないというの、心なしの丁稚めが。風邪を引いたから何だと言うのか」
 と怒りと不満を滑らしたが、途中で口をつぐんで微笑んでみせた。
「良く教えてくれました。ともかく何とかしなくては」
 と言って、糠助を返した。

 そして夫に言うと、蟇六は舌を鳴らして、
「ここと信乃の家は近くであっても、台所が二つだから人手が掛かって不便であることこの上ない。今日からでも信乃を呼んで養ってやろうととも思うが、あいつは子供でも親に似て偏屈者と見えるから、四十九日が過ぎていないから承服もしないだろう。もう少しのことだから、誰かを遣わして額蔵と引換えにしよう。親切にもてなしてやれば、こちらの得にもなるから嫌がらずに良くしてやりなさい」
 と囁くと、亀篠はうなづいた。そして老いた召使いを遣わして、額蔵と交代させた。

 帰って来た額蔵の様子を見たが、いつもと変わるところがない。
 何かあるな、と亀篠は近くに呼んで、
「おい、額蔵、お前は昨日から病に臥せった、と糠助が言っていた。皆が忙しい時であるが、さすがにそのままにはしておけず代わりの者を遣わせた。しかし顔色を見てみれば、変わったところもない様だ。さては子供同士がじゃれて、相撲でも取ったか。負けた腹いせにでもすねて、仮病にでもなったのだろう。馬鹿な子だ」
 夫婦はにらんで厳しく問うと、額蔵は額に手を押し当てて、
「少し頭痛はいたしますが、横になるほどではございませんと申し上げると、お前は横着だとますますお叱りなさるのです」
 信乃への悪口になった。
「私が犬塚家に参りました日から、とにかく信乃殿は打ち解けようとはされませんでした。水も自分で汲むからやらないでくれ、炊事も自分でするからそのまま置いておいてくれ、と万事その様子で私をお使いになりませんでした。四月の空に垂れ込めた雲の様に、にらみ合いをしてその日その日を過ごしましたので、困り果ててました」
 過剰気味な申告でもあった。
「だからと言って、逃げて帰ろうとすれば叱られます。思い起こせば年来私をお使いになるご主人の恩、今ようやくに眼が覚めました。起きても仕事をさせてもらえず、仕方なく衣を被って裏側ばかりを見て、しらみを潰して過ごしました。偽りの病の床は、村長の家への恋しさがから来る気鬱の症状でございます」
 額蔵はますます訴えるのだった。
「九死に一生の知恵を出して、こちらへ呼び返され元気になってきました。田畑の稼ぎ、どこやらへの使い、何でもいたします、真剣に取組みます。少しのことであっても、犬塚殿への用向きはどうかお許し下さい」
 と手を揉んで、まことしやかに主人に対して詫びるのである。
 主の夫婦は話を最後まで聞くと、笑いながら交互に見合った。
「亀篠、どう思う。こいつも信乃と同じ子供ではあるが、信乃が用心して出て行く理由がないとは言わないだろう。そういうことなら、先にこちらに言わないで、仮病を装って横になることがあるか。それが一生の知恵と言うなら、鐚銭三文の値打ちもない。このたわけめ」
 と蟇六が罵ると、亀篠はほほと笑い、
「そんなにお叱りになるな。信乃はまだ子供だけれども、実は大人びていて、執念深く腹黒く、そんな感じに見えます」
 亀篠は額蔵の方を向き、
「もし信乃に気に入られなくても、日頃の中で何か聞いたことはないか。信乃はこちらを嫌う恨みがあるか、それともないか、見ていてどうだったのか、様子を言いなさい」
 仏顔で問うのである。
 水を向けられても、額蔵はうかうかと本当のことは言わない。
「いえ、ただいま申し上げた通り、何かものを話し掛けても生返事しかされないので、具体的には何も聞いておりません。しかし今は伯母上の他に頼るべき人もいないので、こちらを恨むことなどないでしょう。最初は、信乃殿は伯母上を慕っているということは疑いないと思われました。なので、私につれない素振りをされるのは、前世の仇か、そうでなければ性格が合わないのかもしれません。この身には憎まれることなど、覚えがございません」
 何とか額蔵は凌いでみせた。
 蟇六はうなづき、
「かりそめの主従にも五性の相克、つまり気質の違いからくる争いの元があると言うから、性格が合わないということがないとは言えないが、仮病のことは不覚だぞ。きつく懲らしめてやろうと思ったが、今回ばかりは曲げて許してやろう。今は忙しい時期だから、ニ三人分の仕事をして今回の過ちをあがなってもらおう。きつい仕事をしてもらおう、さあ、立て立て」
 と額蔵を急がせた。彼はしきりに頭を下げて厨房の方へ下がって行った。

 亀篠はそれを見送ってから、
「あなたはどうお聞きになりましたか。人の気質は様々です。子供は子供同士と喜んで仕事に使うと思っていたら、まったく違った。額蔵が信乃に不快に思われたのは、一日や二日のことではないでしょう。酷く恨まれることをしたか、悪口を利いたか。そうでなければ性格が合わなかったか。そう思いませんか」
 と囁けば、蟇六は首を傾げて、
「いや、それだけではない。信乃はこちらを疑って、額蔵をつけたのを秘密裏に監視するのだろうと思って、心を許さなかったのかもしれない。絶対に侮ってはならない。ところで額蔵の代わりに誰を行かせたのか」
「誰といっても急なことでしたので、背介(せすけ)に行けと命じました。背介は年齢も六十あまりですので一人前には働けません。あまつさえこの頃は足に三里の灸を据えてしまい、起きるのも暮らすのも不自由です。額蔵と引換えに行っても、損はありません」
 亀篠が言えば蟇六は何回もうなづき、
「よく考えた。そうであれば一両日、或いは四五日、経ってから内緒で背介を呼び寄せて、信乃が背介にも用心するかどうかことの次第を聞いてみよ。背介にも心を開かないのであれば、我々夫婦を疑っているのだ。額蔵だけを嫌って背介を嫌がらないのであれば、丁稚独りだけのことでこちらを疑ってはいないということになる。本当のことを探って、後にまた計画を立てよう。分かったか」
 と額を合わせて相談し、話し終えると二人は立ち上がった。

 ニ三日経った後、亀篠は自ら信乃の家に行き、安否を問うた。そしてさりげなくことの次第を伺うと、信乃は背介を嫌わずに、また背介も真面目に仕えており、立ち振る舞いに問題はなかった。
 胸に一物がある亀篠は尚もしばらくよもやま話に時を費やしていたが、突然話を切り上げて、別れを告げて帰ることにした。

 夫の蟇六は納戸にいたが、帰って来た亀篠はちょうど良いとばかりに近づいて、
「背介を呼び寄せて密かに聞けと言われていましたが、信乃が疑うこともあるかと思って、私が行ってきました。喪中の安否を聞きながら、半日あまり向うにいて、隈なくすべてを見てきました。様子はこの様でございました」
 と密かに詳しく説明した。それを聞いていた蟇六はしばらく考えていたが、
「さりとて信乃は普通の少年ではないから、うかうかと本心を見せることはあるまい。まずは額蔵を呼びつけて策を施してみよう。成功すればまた策を考えてみよう。いろいろ後悔しない様にやってみよう。顔に出して悟られない様にな」
 蟇六が計画を説明すると、亀篠は感嘆して、
「確かに針は細小でも飲むことはできないということわざの通り、年若の子でも注意しましょう。まことに意志の強い少年ですので、用心になお用心を重ねた方が良いでしょう」
 と密談をしていると、竹の縁側を踏み鳴らして、障子の向こう側を通る者がいた。
「額蔵かい」
 尋ねると、そうでございますと返事が返ってきた。
「密かに言うことがある、こちらへ入れ」
 そう言われて、額蔵は障子を開けて、顔を入れてきた。
「障子を閉めて中に入って来なさい、こちらへおいで」
 亀篠は額蔵は招き寄せて、
「改めて物々しく言うべきことではありませんが、折りが良いので言います。信乃はまさしく甥ではありますが、番作の僻みである心の鬼とでも言うべきものを譲り受けています。彼の性質はお前も知っているでしょう。慈しみ深く、愛情深いこの伯母が甥のために遣わした者を嫌いになることはないでしょう。そうでなければ、お前は口さがないことでも言って、信乃を思いがけず腹を立たせてしまい、恨みを買ったことでもあるのでしょう。それはともかく、世間のやかましさに良くも悪くもあの子の身上については言いにくいのです」
 そう言って額蔵の顔を見つめた。
「そのためには世間の評判を気にしながら、揚げ足を取られない用心をする他はないのです。お前は六つか七歳の時からこの方使ってきた小者だから、実の甥にもまして大事に思われます。お前を育てた主人の恩、大事に思うならば、もし冷たく遇されても信乃のそばにいて、何かを聞いたら密かに言いなさい。ちょっとしたことでも必ず言うのですよ」
 語気が強くなった。
「信乃をここへ呼んで住まわせる日取りは決まってはいないが、まだ掛かりそうであるから、今申し伝えたことを念頭にして主人のために働きなさい。これほどの奉公はありませんよ、分かりましたか」
 と、言葉巧みに言う。
 蟇六は髯を抜いていた毛抜きを拭って、顎を撫でながら、
「額蔵、お前は果報者である。甥よりも頼りにされているから、亀篠がこの内密の話をしているのだ。従って、お前を遣わせてまた背介と代わらせよう。しばらくの間辛抱しろ」
 と言うので、額蔵は膝をさすり、
「そこまで主人に思われるご恩を無駄にして、お言いつけを忘れましょうか。先日申上げた通り、犬塚殿はこちらの他に頼るべきところもない人ですので、野心などあるはずもございません。とにもかくにも近づき主人のために良くないことでも聞けば密かに申し上げましょう。ご安心なさって下さい」
 と真面目に回答すると、主人夫婦はいよいよ言葉を優しく甘くする。
 額蔵は主が騙そうとするのを知りつつ、わざと騙されて、背介と交代しようと立ち上がった。亀篠は急いで制止して、
「子供同士でも仲が悪くなっているのに、甥の家に独りで行くのは今更ながら面目がないでしょう。私の後について来なさい」
 亀篠は身を起こして着物の前を合わせ、後ろで結んでいた帯の端を撫でながら、縁側に出た。
 額蔵が分厚い草履を置くと、亀篠は裳裾を引き上げて、納戸の方を振り返って、
「ちょっと行ってきます」
 と言うと夫はうなづくのみであった。
 親に劣らぬ強情な甥の家に向けて、亀篠は裏口の畑の畔を伝え歩いて、近道を進んで行った。

 亀篠は信乃の家に行くと、今日ばかりはいつもと違って笑顔を浮かべてみせた。
「信乃や、退屈をもてあましているのでしょう。用件がなければ私も参りません。数日前に来たのに、また何しに来たのかと思わないで下さいね。今日は別の用事で来たのです」
 亀篠の笑みに信乃は少なからず警戒する。
「この額蔵のことなのです。訳は知りませんが、お前の機嫌に逆らって用事に使われることもなくなり、仮病を起こして帰ってきたとあからさまに人に言っているのを聞きました。これではこの伯母の心が済みません。たとえ昔は疎い間柄であったとしても、今は親しい甥と伯母です。額蔵の様な小者に水を差されても、奥歯に物がはさまった様な気がして心配しているのです。蟇六殿も腹を立てて、額蔵をたいそう厳しく叱って、懲らしめました。額蔵はすぐに非を悔いて許しを乞い、お詫びをさせて欲しいと泣きましたので、再び連れて来ました。信乃には不愉快なことかもしれませんが、足らないところはいろいろと教え諭して使ってくれれば、額蔵のためには幸いです。この伯母も喜びます。さあ、ここへ来なさい」
 と振り返ると額蔵は恥じ入った面持ちで、頭を掻きながら前に出てきて座り込み、少しだけ前に出た。
「今、奥様のおっしゃられた通り、もう心の中にわだかまりがある訳ではございませんが、朝の飯炊きもさせていただけず、炭の汚れがついた鍋を洗うこともお命じずにそのまま置かれましたので、頭が痛くなりました。それは私自身の愚かな僻み根性のせいなのです。どうかお許し下さい」
 詫びを入れた額蔵ではあったが、今までの話はすでに示し合わせていた。信乃は詫びを聞くと、驚いた振りをして、
「これは思い掛けないこと、詫びてもらうことなどない。父が生きていたころから、私は炊事を得意にしていました。助けがなくてもと大丈夫と思い、思わず疎ましく接してしまったかもしれません、それも良く覚えていません。こんなことで伯母ご夫婦に心配をお掛けしたことは、皆これ私のせいです。疎んじる気持ちなどありません」
 これを聞いて亀篠は微笑んで、
「大したことではありませんでしたね。仲直りできた様子ですから、額蔵を置きますので、背介を連れて帰ります。これについても、亡き弟の忌中が終わるまで、自分の家で待ってはいますが何ごとにつけても不便です。五七の三十五日目の忌日を限りにあなたをこちらで養うことができれば、随分と楽になります。蟇六殿も最初から来て欲しいと思っておられましたが、あなたの心を汲みかねて、月日が経つを待っていました。ここを離れるのはいやですか、どうですか」
 そう聞かれて信乃はため息を吐き、
「貧しい家ながらも住み慣れた家。亡き親を思えば今更に離れがたくはありますが、四十九日を待っても別れは同じ。百日いたとしても、ただ去りづらくなるでしょう」
 信乃は首を振って続けた。
「自分の心の思うがまま考えました。日を過ごすほど罪が深くなります。ともかくも仰る通りに、仰せに従います」
 と快く承諾したので、亀篠は深く喜んだ。
「まあ畏れ多いこと、良く聞き分けましたな、良い子良い子。五七の三十五日日の忌日の前の晩には、近くの里人を招いて、仏の冥福を祈って皆に振舞いをしましょう。その次の日にはこの家を鎖で閉じて、お前は私たちの家に移りなさい。話し相手にもなりませんが、娘の浜路もおります。浜路のことを妹とも姫君とも思いなさいね」
 と言いながら独りで笑う。
 信乃は内心呆れて返答をしなかったが、亀篠はいよいよ機嫌良く指折り数えてうなづき、
「亡き人の三十五日は今日から数えてたった四日ほどです。蟇六どのにも吉報を伝えて喜ばせ、明日より忌日の前の日の宴の準備をしましょう。私はもう行きます。額蔵よ、すべてにおいて心から我が甥に仕えよ。言われたことを忘れるな。信乃も心を配って火の仕事でも水の仕事でも額蔵を使いなさい。置いていきますから、叱る時、罰を与える時には打って懲らしめても構いません」
 怖いことを言うと信乃は思った。
「あの背介めは裏口におりますか。額蔵を連れて来たので、背介は私と一緒に帰りますよ。どこにいるのですか」

 

【額蔵を連れて亀篠は犬塚宅に至る】

左から女装信乃、背介、亀篠、額蔵さん。真ん中奥には荷物を担いだそそっかしい糠助さん


 そう呼ぶと、
「ここにいます」
 と台所に繋がる障子がいきなり開いて、背介が顔を出した。
「落ち着いている場合ではありませんよ。そこにいたのですか、遅いですよ、門へ行きなさい」
 と亀篠は急がせた。
 そのまま出て行こうとするので、信乃は急いで席を離れて、
「日は大分長くなってきました、もうしばらくお話ししたいのです。お茶に入れるお湯も沸きました」
 と言ったが亀篠は首を振って、
「お茶をいただく暇はありません。竈の下の薪木、麦の収蔵、片時も時間を無駄にできないのです、損してしまいますからね。また参ります」
 出て行くのである。
 見送る信乃と額蔵は二人の真の約束を秘めながら玄関へ出た。
 背介は縁側に手をついて、信乃に別れを告げた。手入れされた庭を出て、主人である亀篠とともに去って行った。

 しばらくすると額蔵は外へ出て行って、村長夫婦の家の方を眺めてから左右を確認し、誰もいないことを確認してから戻ってきた。そして扉をしっかりと閉めてから、信乃の真向かいに座った。
 そして村長夫婦に言われたこと、自分が言ったことを密かに信乃に告げた。
 信乃は何度もため息を吐き、
「仲が悪くても父の異母姉なんだ。そして私のただ一人の伯母と思えば、今更ながら腹黒い心を持つことなどできやしない。しかしこんな風にとにかく疑われて、仇敵の様に思われては、これからの長い月日をどの様にあちらで過ごしたらいいのだろう。困ったなあ」
 と言い掛けてまたため息を吐く。
 額蔵はそんな信乃を慰めようと、
「そのことなんですが、こう言ってはなんですが伯母ご夫婦は強欲です。ただ己の利のために骨肉の愛を忘れてしまう様な人ですから、その邪悪な考えをかわすのは難しいことではありませんよ」
 にこりと笑った。
「私はあなた様の影に寄添います。村長の考えた反間の計略は破綻しかけています。ですからいつまでもあなた様と私は仲良くしないでいて、気持ちが合わないと思われることに越したことがないでしょう。私が言うことをことごとく信用しないで下さい。緊張はいつまでも続くものではなく、張りつめたものはいつか緩む時が来るものと言うでしょう。村長夫婦にはあなた様への悪心がありますが、真心を持って柔良く剛を制することができれば、伯母上の邪険の角は折れて、遂には慈母となることがあるかもしれません。そこまではいかなくとも、村長宅に身を寄せて、ご対応を見守りましょう。ここであれこれ心配していても何の役にも立ちません。心を広く持ちましょう」
 と額蔵が諫めると、信乃はすぐに感激すると同時に思わずにっこりと笑った。
「人間の才能には一長一短があるね。私はたった一歳年下の弟だけれども、あなたに遠く及ばない。伯母のところにこの身を寄せることは、元々は父親の遺言なので吉凶はただ運に任せよう。いずれ伯母の家に移ってしまえば、膝を合わせて腹の底から語ることは難しくなるだろう。後々のことであっても、今、言っておきたいことがあれば教えて欲しい」
 と言うと、額蔵は頭を掻いて、
「私だってあなたにはかないませんけど、世の中で言う岡目八目、すなわち他から見れば当人たちよりも良く真実が分かるってことですよ。頭が良いのですから臨機応変に災いを避けて下さい。私もまた密かに盾となって、微笑の中の刃を防ぎましょう。くれぐれも秘密にしましょう」
 と内緒話をして示し合わせをする。少年たちの思慮遠謀は、誠に一組の賢い童なのであった。

 そうこうしている間に、番作の三十五日目の忌日の前の晩になった。
 亀篠は昨日から魚の膾や汁物の用意をして、碗などの食器を村長宅から何度も召使いたちに運ばせた。台所で働く名刺使いの足が棒の様になり、用意が大体整ったころには早くも黄昏時になった。

 この日も信乃は亡き両親の墓参りをするとともに菩提寺の法師を伴って、急いで帰って来た。法師は仏像に向かって木魚を叩き経を唱えるものの、 頭の中では一口茄子の澄まし汁やお供えの料理に気を取られているのであった。

 そこへ糠助たち里人がたくさん集まって来て、寒暖や季節の時候の挨拶を述べた。
 そして亡き人の思い出話も始まって、
「昨日今日のことの様だが、三十五日になりますか。無常迅速、月日が経つのは早いものだ。思えば浮世のことは夢、さあ席を詰めて座りましょう」
「それではご免、しかしあまり上座に座ると不躾千万になってしまう」
「いえ遠慮に及ばず、お手をどうぞ」
「これは迷惑。鎌平さんは年長者ではありませんか」
「そんなことは言わないでくれ。これでも六十じゃが、まだ女遊びも現役なんじゃぞ。鍬や鋤を取っても若い衆に少しも遅れることはない。仏と特別に仲の良かった糠助さんこそ上座に行きなさい。お座りなさい」
 こんな風に皆立ったり座ったり忙しい。席を譲り合ったり、お喋りに花が咲いたり、騒いでいる。
 やがて大きく分けて二組に分かれて座ると、信乃みずから配膳し酒杯を渡すと、そこでまた挨拶が始まるのである。
 そこを見透かした額蔵は碗を取って飯を盛ると、中には故人を思い出して涙ぐむ者がいて、飯に汁をかけてごまかす者もいた。
 酒を飲めない下戸を嘲笑する宗旨違いの酒飲みは、念仏を唱える法師を上座に六歌仙の様に取り囲んだ。歌を歌い、膝を崩して、騒ぐばかりだ。

 時分を計って蟇六は縁側から入って来て、上座の障子を開いた。
「皆さんそろってよくおいで下さいました。大したものはございませんが、くつろいでお過ごし下さい」
 と言いながら席に着く。立派な姿を見て、客たちは皆箸を置いて、
「ご馳走をいただいております。私どもは武士ではありませんが、背伸びもできず、お辞儀をすることもできずにいただいております」
 と一人が言えば、皆どっと笑い出した。中には飯粒を膳の上に花吹雪の様に撒き散らす者もいた。
 これはこれは失敬、と言い飯粒を拾おうとするが数が多くて大変である。雀がいれば助けて欲しいとぼやくのだあった。

 そんなこともあっても、蟇六は苦み切った顔をしていた。やがて口を開いてこう言った。
「皆様ご存じの通り、我が妻は元の地頭、大塚匠作様の嫡女であり、大塚番作の姉であった。嘉吉の結城合戦において、大塚家は一旦滅んで、子孫は村人に落ちてしまった。しかし後に再興したのは、亀篠の縁に繋がった私の功績である。これは言わずもがなのことでありますが、死んだと思われていた番作が妻を連れて帰ってきました。それならば」
 聞いていた信乃は嫌な思いになった。
「どうにか所領を分けて、荘官の地位さえ譲ろうと思いましたが足が悪く、身の不自由はおろか心さえ素直ではなく、私のところへ訪れることもなかった。姉を恨み、私のことを仇敵の様に罵るだけだったのです。とうとう最後まで語り合うこともなく、残念には思いましたが、さすがに村長の役目が重く、私から頭を下げて謝罪することはありませんでした」
 里の者たちも黙って聞いている。
「しかし皆様におかれましては、番作を憐れみ、助けると思って金銭を集めて、家を購入していただき、更には田畑までつけていただき養っていただいたのは、旧きを思う言わば義の心であり、信の心です、私は口には出しませんでしたが、涙ぐむまで感謝し、ずっと感嘆していたのです。この様に思いながらも、皆様にお礼を言わなかったのはお役目の哀しさ、少しはお分かりいただけましたでしょうか」
 蟇六は少しお得意になって、皆を見渡した。
「まあこれは過ぎたことです、片意地を立て通して儚くなってしまった番作の黄泉路の迷いは、この信乃のことだけです。この孤児を引き取って養い、立派な人としなければ先祖への不孝、と他人に言われてしまいます。よって妻の亀篠と話し合い、親が亡くなった日から召使いを遣わし、夫婦が代わる代わる足を運んで、五七の忌日の前日である今日まで、心の底から甥の面倒を見てきたことは皆様もご存じでしょう」
 一同を見据えると、蟇六は続いて語った。
「されど十五にもならない甥を、手放しでいつまでここに置くことはできません。明日は私の家に迎えて、立派な大人に育てて、娘の浜路と娶せて、将来は大塚の家の世継ぎとするつもりです。ついては番作の田は、皆様に返しましょうか、または信乃に与えましょうか」
 と問えば、里人は皆顔を上げて、
「言うまでもない。親のものを子供に譲るのは上下貴賤のけじめはないのです。例の田畑の主はこの家の息子の他にはない。我々は何で文句を言いましょうか、良きに計らい下さい」
 この返答に蟇六は笑って、
「それでは信乃が成長するまで、土地の証文は私が預かろう。そしてこの家は床を取って、番作の田の稲藁保管小屋としよう。皆様、どうかご承知おき下さい」
 と真面目な顔で言うので、自分たちの田畑にも関係してくると知った百姓たちは顔を見合わせて返答に困っていたが、台所から現れた亀篠が信乃のそばに立ってこう言った。
「今日の仏の番作はともかくも、この子は私の婿であり子供です。子を持たない者は、他人の子を養い、慈しむというのに、かけがえのない甥に譲るのです。田畑には役儀も年貢もあるのです、あの番作の田をどうにもいたしません。信乃もしかと心得なさい。明日から私の家の竈の下の灰まで、すべてお前のものなのですよ。憎いと思った弟でも今こうなっては愛しいもの。東を見ても西を見ても、伯母より他に親類なきこの子の今後を思いやれば、襁褓の中から育んできた浜路にもまして不憫です。可愛いものなのです」
 と言ってしきりに袖で眼尻を拭ったが、実は涙は流れてはいないのだ。
 亀篠の泣き真似につられて、里人たちも泣き出した。そして皆ため息を吐き、
「この集まりにおいて、今こそ人の誠を知ることができました。伯母君の述懐は、仏に対する供養としてこの上ありません。番作殿のご子息を婿にされると皆聞きました。こうなっては何を疑いましょう。番作殿の田畑は村長どのがしばらくの間管理されること、もちろん承知いたします」
 異口同音に返答するのである。
 それを見た蟇六と亀篠は喜んで、冷えた汁の碗を取り返させ、酒の盃をすすめ、また飯を盛り、里人たちの歓待は初めよりにぎやかになっていった。

 こうしてその夜、初更のころ(午後七時から九時の間)に会は終わり、法師は布施の二百文を腹の辺りに差し込んで立ち上がった。それに合わせて、来客の百姓たちも皆謝辞を述べてようやく出て行く。
 蝋燭を灯した法要の灯に送られながら、番作のために念仏を唱えて南無阿弥陀仏、酔って田圃で転ぶなよと口々に言って去って行った。
 後に残ったのは、嵐の過ぎ去った凪の様な静かさと、しめやかに洗い清められて拭われた仏具の音だけが聞こえた。

 翌朝、信乃は亡き父母の墓に花を手向けようと菩提院へ向かったが、信乃の帰りを待たずに蟇六夫婦は召使いたちに命じて犬塚家に向かわせた。
 家具一式を運び出し、竈の下のものから畳、襖までほとんどを売り払って、早々に空き家にしてしまったのだ。
 信乃はそうとも知らずに我が家近くに帰って来ると、道にたたずむ額蔵を見た。
 裳裾を高く上げ、精悍にたすきを掛け、額は煤に汚れ汗を拭う額蔵の姿を不審に思って、何か起きたのかと問いながら近づいた。
 額蔵は後ろを見てから、
「今朝、あなた様がお出かけになってからしばらくもしないうちに、村長どのが人を引き連れてやって来て、お家の調度品を取り外し、運ばせて、あるいは売り払ってしまいました。私もその仕事を命じられて、みて下さい、年末の大掃除の様に手も足も汚れてしまいました。今ようやく終わったところです。さぞかしご立腹のこととは思いますが、我慢なさって直ぐに伯母上の家へお行き下さい」
 そう言われて、信乃は呆れ果ててしまった。
「前から覚悟はしていたが、父の五七、三十五日目の忌日の今日一日を過ごしても遅くはないのに、こんなに急ぐのは皆の気持ちが変わるのを恐れたからだろう。長く話すと誰かに知られるかもしれない、急いで先に行ってくれ」
 額蔵を先に行かせてから、静かに信乃は進んだ。やじはり、見過ごすことはできずに自分の家に寄ってみると、他の家の垣根と同様に杜仲の木が植えられた庭の門には鎖が巻かれていた。さすがに名残り惜しく、寂しくなってしばらくそこにたたずむしかなかった。
 犬の与四郎を埋めた梅の木の辺りを見て、愛惜の涙が袂を露で濡らした。
「与四郎のためにもきっと卒塔婆を建てよう」
 と独り言を言いながら、短刀の刀身で梅の木の幹を推し削るのだった。そして、如是畜生発菩提心、南無阿弥陀仏と書き記し、十回ばかり仏名を唱えた。

 その後、伯母の家に到着すると、蟇六と亀篠が待っていたかの様に出てきて、
「信乃か、早かったね、こちらへ」
 と招き入れ、
「お前が寺から帰った後に取り図ろうとは思っていましたが、一日では片付かないと思いました。なまじお前に見せては、嘆きは増すばかりと思いまして、急ぐことにしました。元の家を空き家にして、仏具はこちらの家と一緒にしました。今日からここがお前の家です。昨夜も言った通り、お前が二十歳になるころ、浜路を娶せ二代目の村長になってもらい、私たちは裏の家に隠居して左うちわで暮らす日を待ち遠しく思います。浜路おいで」
 と呼んで浜路を蟇六と亀篠の間に置いた。
「今はまだ親しくはできないかもしれないが、間近にいればだんだんと知るでしょう、信乃はお前と従兄弟ですが、今日からこの家の子になりました。大きくなったらお前の良人となります、同じ様に背丈を伸ばして早く夫婦になっておくれ。仲良くしなさい」
 と説明されると、恥ずかしくなったのか浜路は耐え切れなくなって、そのまま立つと部屋にあった屏風の裏に隠れてしまった。
 信乃はすべてにおいて油断はしなかった。甘い言葉は我が身の毒になると思い、返事もせず、様子を見に行くこともできない。そのまま困った顔をしていた。
 それから亀篠は信乃を誘い出して、西面の一間に連れて行った。
「ここをお前の部屋にします。読書、手習いを怠ったらいけませんよ。用事があれば、額蔵なり、浜路なり、申しつけて構いません。遠慮深いのもところによりますよ。いつまでも初々しい子ですね。早くこの家に
打ち解けるのです」
 亀篠は慰める様なことを言って、普段と変わらずに信乃をもてなすのだった。

 こうして三伏の夏、すなわち夏至以降立秋までの酷暑のころが過ぎて、秋の初風が経ったころ、信乃の父の忌が終わった。
 これより先、亀篠は信乃の服を男の服に改めさせて、産土神社に参詣に行かせた。
 年齢は十一歳ではあったが、同じ年代の子よりも大きな身長だったので、十四五歳に見えてしまう。
「今日、祝いの赤飯をいただきましょう。ついでに月代を剃りなさい」
 と前から夫に勧めていたので、蟇六はその通り、信乃の元服の儀を執り行った。
 世間の人には儀式がしっかり行われたと思われたので、日頃から村長を夫婦を憎んでいた里人たちもこの古狸に欺かれてしまい、逆に村長を頼もしく思ったりする者もいた。
 これらいきなりのことにも、信乃はただ言われるままで逆らおうとはしなかった。女の服を変えて世の常に従うことは、父番作の遺訓に適うことでもあったので、親の賢察には改めて感心した。
 ただ今後の自分自身の行く末については多分に不安定であり、思いは揺れ戸惑うしかなかった。

 今日が暮れ明日を明かすといった具合に今年は儚く送って、次の年の春三月弥生の月、あっという間に亡き父親の一周忌が巡って来た。
 前夜は家の中の仏像の前で父母の冥福を祈るだけだった。明け方になると亀篠の言いつけ通り額蔵が遣わされて、墓参りの従者となった。
 しかし他所への聞こえもあってか、墓参りの道すがら、口を開かずにいた。寺に着き、一緒に墓を洗い清め、水を汲み入れて、花を手向けて、主従二人で祈っているとふと涙が流れていく。

 その帰りには村長の家が近くなると、信乃はやはり昔の自分の家をつくづくと眺めてしまい、
「今の家と遠くもないところだが、住まなくなってから一年も経ってしまった。外から見ると変わらない様だけど、庭の草木だけでも見ていこう」
 と言って、傾いて崩れかけている扉を押して、二人は中へ進んで入った。
 軒を見れば昔を偲び、柱は斜めになり壁が落ちて、藁の他には何もない。昔、人が住んでいたという気配だけが分かる。空き家になってしまい、誰も来ていないのだ。
 それだけでも寂しくて、涙が出てしまいそうになる。
 ふと目を向けると、昨年の今ごろ、犬の与四郎のために幹を削って、如是畜生の経文を書きつけた梅の木は、前よりも繁っていた。削った痕は治り、文字は消えてしまっている様だが、青い梅の実を多く生っている。
「この梅の木の下に与四郎が眠っている。薄い紅梅だから実がつくことはほとんどないのに、枝ごとに生るのは今年が初めてだ。ほら見てごらん」
 と指を差すと、額蔵も眺めて、
「めでたいことです。この梅は枝ごとに実が八つあります。世の中に八房という梅があるとは聞いていましたが、見たことがありませんでした。これこそ八房に違いありません」
 そう言うと、信乃も気づき、
「本当だ、実が八つ生っている、これが八房なんだ。物心ついた時からこんな風に枝ごとに八つ生ることは聞いたこともなかった。下に眠っている犬の与四郎の名前からすれば、四房こそ生るべきなのにどうして八房なんだろう」

【八房の梅の実】
無料写真素材「花ざかりの森」
https://forest17.com/

梅の実が生りすぎ(笑)

 

【八房の紅梅】
神戸観光壁紙写真集 KOBE Photo Gallery
http://kobe.travel.coocan.jp/index.htm

ちょっと見に行きたいですね。

兵庫県明石の月照寺さんの八房の紅梅デス。

 

 そう言いかけて、また梅の木を見ると、
「不思議なことだ。八房だけではない、見たまえ、実ごとに模様があるよ。何かに似ている」
 枝を引き寄せて実を取って手のひらに乗せ、太陽に向かって見ると、文字が見えた。一個は仁、もう一つは義。他にも礼、智、忠、信、孝、悌の文字がある。実ごとに一文字ずつ、明らかに読むことができる。
 二人は身の毛がよだつほど驚き、怖くもなった。
 幹を削って写した如是畜生の八文字は消え失せて、今は梅の実に仁義礼智の八行の文字が映っている。どうしてだろうと不思議に思うが、謎が解けることもないのだ。

【 青梅か香は亦 花にまさりけり 巳克亭鶏忠】

凛々しい信乃と額蔵。

巳克亭鶏忠とは良く分かりませんが、馬琴翁の別名かもしれません。

 

 しばらくしてから額蔵は、肌身離さずに持っていた御守の袋から秘蔵の珠を取り出した。
「若様、これを見て下さい。梅の実とこの珠は形が似ています。文字も違っていません。これには何か理由があるはずですが、どうしても分かりません」
 本当だね、と信乃も護身袋に秘めた珠を出して、同様に見た。大きさも文字も、珠と梅の実は等しく見えるのだった。
「本当に同じだ、何の因果なのだろう。珠といい梅といい、符節を合わせたかの様に不思議だ。考えてみたが、この珠は元は八つあって、仁義八行の文字通りにあったのかもしれない。だから残る六つの珠が世の中にあるはずだ」
 信乃は梅の木を見た。
「この梅はどうして八房になったのか。私たちの珠と梅の実に現れた文字がどうして一緒なのか。聞いても梅の木は返事をしてくれないし、叩いても珠も答えてくれる訳もない。因縁があれば、必ず後で何かを答えてくれると思う」
 決意をした瞳で額蔵を見る。
「人は不思議や謎を好むものだ、他人がもしこれを知るならば知るが良い。私は自分から話したりはしない。私たちの秘密にしよう」
 と二人は秘密にすることを誓って、八房の梅の実を取って紙に包み、それぞれの袋にしまった。そして荒れたままの庭を走り出て、村長の家に帰ることにした。

 その年の皐月(五月)のころ、梅が熟した時、蟇六のところの召使いは言うまでもなく、近在の里人たちは、初めて八房の梅を見つけて、世の中には珍しいものがあると村長夫婦に言ってきた者もいた。またあちこちに言いふらして、風聞が高くなってきた。
 しかし梅は熟した後、例の仁義礼智の文字は突如として消えてしまった。
 そのために里人たちはただ八房の梅を珍しがるだけで、文字のことを知っている者はいなかった。それ以降毎年梅の実は八つ生るが、文字はこの春のみ現れて、二度と現れることはなかった。

 蟇六と亀篠は梅の木の話を聞いても、風雅の道には疎いので、花や果実を楽しもうというということはなかった。単に梅の実の多いことを喜んで、毎年実を塩漬けにして、酒の肴にするだけだった。
 この実は次第に世の人に知られていき、名木になった。与四郎のことが伝わって、八房の梅、与四郎塚として、古老が口伝で伝える様になったが、後年数度の兵火に遭って、梅は枯れ、塚は荒れ果てて、今はその痕すら分からない様になってしまった。
 今はただ猫貍橋(ねこまたばし)のみが遺っている。

大正十一年の猫又橋。石組みですね、現在はありません。

まさかの妖怪伝説(笑)

場所は……


(続く……かも)

 

コメント (4)
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なぜなに八犬伝Ⅳ

2024-12-23 23:20:12 | 南総里見八犬伝

第十六回から第二十回まで超意訳:南総里見八犬伝をお届けしました。
犬塚信乃編、もしくは犬塚親子編といった感じでした。
今回も謎、というか気になったことを書いてみます、どうかおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

①手束ちゃんは武道の達人かもしれない件
第十六回、包丁を奪って悪僧の蚊牛法師を倒した犬塚番作は、悪の手先だと勘違いをして、健気な手束ちゃんを殺そうとします。
言い訳を聞かずに、これも酷い話ですね。
番作さんさあ、ちょっと短絡過ぎませんかねえ。

まあ、文を見て身の上話を聞いて、態度を改めて、今度は結婚を前提としたおつきあいになった訳ですが、手束ちゃんもまんざらではなさそうで、訳してて、何なのこの馬鹿ップル!とか思ってました(笑)

それはそうとそれが本題ではなく、この時刀ではなく菜切り包丁ですが、手束ちゃんは攻撃をかわすのです。
こんな風に。

打ち閃かす菜切り包丁の光を婦人は飛び退いた。
賊を許そうとしない怒りの切っ先は、どこまでも付き回した。刃先に対して楯のないなよ竹が雪に折れようとする様子で、右手を伸ばし、左手を衝き、片膝立てて身を反らして、後ろ様に逃げ回る。
大塚番作は逃すまいと打てば開き、払えば沈み、立とうとすると頭上に閃く氷の刃を振り回す。

美濃は垂井の暴れん坊の攻撃をひたすらかわす手束ちゃん、さすがお父上の井丹三直秀さんの仕込みのせいか、回避しまくるのです。
ひょっとして武芸の達人ではなかったでしょうか。

ここ以外、彼女にはアクションシーンはないんですが。

②竹刀はいつできた
第十七回、9歳になった信乃は剣を学びます。そしてこう書かれています。

母の視界から隠れては竹刀を手に取らない日はなく

……竹刀っていつできたんでしょう?

敬愛する故隆慶一郎さんは、柳生石舟斎だか柳生宗矩が道場稽古のために発明したと作品の中で書いておられて、私もそれを信じておりました。

で、調べました。

Wiki情報ですが、柳生新陰流ではなく新陰流の剣聖上泉信綱が考案されていると言われているそうです。
室町前半では、まだ竹刀は開発されていませんでした。

③二荒膳って何だ?
同じく第十七回、信乃の名づけを祝して飲み会を開きます。
それは良いのですが、手束ちゃんは【二荒膳】という料理をお客に振舞います。

里の子供たちを呼び集めて、盛り並べた飯は二荒膳だった。

二荒膳って何だろう?
原文読んでもまったく分かりません。

手束は隣き媼等を傭ひて、赤小豆飯に芝雑魚の羹よ膾といそがしく、目つらを掴み料理して、里の総角等を召聚會、盛ならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳、箸とりあぐる髫鬟等が、顔は隱るゝ親碗に、子の久後を壽きの饗応……

私の推理ですが、二荒は栃木県の二荒山神社ではないでしょうか。
http://www.futarasan.jp/

こちらでお祝いに出す様なお膳があって、それを振舞ったとか。
お魚出すので少しなまぐさですが、お祝いだし御愛嬌ということで(笑)

うーん、良く分かりません、本当に謎です。
ご存じの方がいらっしゃればご教示願います。

④猫に袋を被せた様に、ですと?
第十八回、こんな表現が出てきます。
猫の紀二郎が死んでしまう鬱な会です。

犯人の与四郎を差し出せという蟇六の召使いに対して、番作さんは屁理屈(笑)で追い返します。
言い返せなかった召使いたちは、

理屈を極めた犬塚番作の返答に、二人の召使いはかしこまる他はなかった。猫に袋を被せた様に、尻を高くして頭を下げ、後退りして出て行った。

猫に袋を被せるですと?
何てむごいことを馬琴翁は書いているのだ~と怒りに身が震えました(激怒)

猫に紙袋を被せるとどうなるのか?
後ろに下がるのです(笑)前には進めなくなります。
良い動画がありませんのでこちらのサイトを見て下さい。

https://nekojiten.com/wp/nekonikanbukuro/

【江戸時代からこの表現があった】ということが驚きです。
きっと勝手に袋の中に頭を入れてパニックになる猫の姿は、この頃も一般的だったのでしょうかね。
猫を飼っている方は試したらダメですよ!!

⑤3人の神童あれこれ
第十九回、中国の3人の神童として有名な人の名前が出てきます。
3人のうち、私は1人だけ知っていました。

勇気が弛まず世にも稀な孝子であり神童でもある。古人である秦の甘羅(かんら)、後漢の孔融、北宋の趙幼悟(ちょうようご)の才能にも負けず、今またこの子供、信乃も大したものである。

後漢の孔融です。
後年、曹操に歯向かって処刑されてしまう硬骨漢です。
映画レッドクリフではそこまで描写はありませんでしたが、彼が死刑を言い渡されるシーンはありました。
孔融は孔子の子孫で、若かりし頃から神童の名を欲しいままにしていました。

しかし後2人が分かりません。
どんな人でしょうか。

秦の甘羅
12歳で秦の相国である呂不韋に仕え、他国との外交で秦王政の覇業に寄与したとありました。
燕の国に行かせたい人がいるのですが、途中を通る趙の国で指名手配されているため行きたくないと言って使命を断るのです。
手立てがなくて困った呂不韋に、12歳の甘羅が、こう言うのです。
「僕が行って口説いてきます」
結果は無事行かせることとなりました。

ちょうど漫画のキングダムの時代の方ですかね。
ふむふむ。

では北宋の趙幼悟とは?
Wikiによると北宋の仁宗の八女だそうです。
珍しい、女性の方です。

んーと、慶暦3年12月10日(1044年1月18日)、幼悟は生まれた。慶暦4年12月12日(1045年1月8日)に出家し、保慈崇祐大師の道号を贈られた。
慶暦5年4月5日(1045年4月30日)、鄧国公主に封ぜられた。同月23日(5月18日)に還俗し、斉国長公主に進んだが、2日後(5月20日)に死去し、韓国公主の位を追贈された。

???
生まれて1年で出家した(させられた?)。
大師の称号を得た。
1歳で鄧国公主、公主は皇帝の娘ですからプリンセス、日本で言えば内親王。
その後、1歳とちょっとで還俗して、斉の国の長公主になった。長公主とは皇帝の娘の中で尊崇を受けた者が得る称号……しかし1歳で尊敬を受けちゃうものなのかしらん。

ま、凡人には分からない、そこが神童の神童の故たること。

しかし長公主称号をもらった2日後、死去ですって。わずか1歳です、南無~

本当に神童だったかはさておき、わずか1歳で死んでしまったことがお気の毒と言われているのかなと思ったりしました。
怨霊信仰でもあったのでしょうか。

⑥犬塚番作の凄絶すぎる生き様
改めて修羅の犬塚番作の人生を振り返ってみましょう。

1440年、15歳。武蔵国大塚村の住人、番作は父の匠作と共に結城合戦に結城方で参加。

1441年、16歳。結城城は落城。番作は父から宝剣村雨を託され、美濃垂井まで行く。
    足利幼君兄弟が斬られ、父匠作は刑場で戦死。
    別途乱入した番作は仇の牡蠣崎小二郎を倒し、2人の幼君と父の首の3つを持って暴れる。
    闇の中、藪を抜けて脱出。

    1日で東美濃の神坂峠に到着。
    粘華庵で3人の首を埋め、悪僧蚊牛法師を倒し、運命の人、手束ちゃんと出会う。
    信濃の筑摩に到着、湯治をするが、日ごろの不摂生と怪我、垂井からの強行軍のせいで歩行の自由がなくなる。
    父匠作の一周忌が過ぎ、このころ実質的な夫婦になった。(かもしれない)

1444年、19歳。貯えがほとんどなくなる。
    湯治場の噂で鎌倉府再興の話を聞き、故郷へ帰ることを決める。
    足の具合が良くないため、3か月掛けて武蔵国に到着。
    姉の不義理、婿を取って大塚の荘園を奪われたこと、大塚の名跡を失ったこと、村長の地位に就いていることなどを知り、姉夫婦との義絶を決意。
    村人の好意で、よりによって姉夫婦近くの家を入手、わずかながらも生活できるだけの田畑も得る。
    犬塚に姓を変更する。
    番作は手習いの師範を始め、手束は綿を積み、衣服の縫物を子女に教え始める。

    姉の亀篠、人望を得た番作に言い訳を行い、村を出る様に脅迫するも一蹴される。
    以降、姉夫婦との冷戦始まる。

1454年、29歳。鎌倉公方足利成氏が鎌倉を出奔、古河に落ち延びる。
    この10年間で男子を3人設けるも、赤子の時に亡くなってしまう。

1457年、32歳。手束、子宝を授かるために滝野川弁財天に参詣開始。

1459年、34歳。手束、参詣の時間を間違えるという痛恨のミス。
    弁財天の帰り、子犬を拾う。後の与四郎。
    同じく帰りに老犬に乗った神女に遭遇、投げられた珠を無くすというこれまた痛恨のミスを起こす。

1460年、35歳。信乃誕生。
    名づけのお祝いの会。謎の二荒膳が振舞われる。

1463年、38歳、信乃は女物の服を着せられる。

1469年、44歳、信乃は女装のまま、犬に乗ったりして餓鬼大将になる。玉なしと陰口を叩かれることも。
    手束、体調を崩し始める。
    信乃、滝野川不動の滝に打たれ、失神。糠助に助けられる。
    
    手束逝去。※1468年応仁二年十月下旬、享年四十三歳とあります。西暦は私が調べました。
    信乃は1460年生まれで9歳になっているが、身体が大きく、女装をしている描写があります。
    ここはカレンダーが合いません。

1470年、45歳、気力が衰え、歯が抜け、頭髪は真っ白になる。
    農業や養蚕のことを書物に記し、村人に授ける。
    犬の与四郎が亀篠夫婦の猫の紀二郎を噛み殺し、信乃と糠助の稚拙な策で与四郎は重傷を負う。
    亀篠に騙された糠助が番作のもとを訪問し、村雨を手放す様に勧める、番作拒否するも糠助は譲らない。
    番作、この日、宝刀村雨を信乃に譲り、自害を決意、実行。

凄まじ過ぎる人生です。
結城の戦いで死ねなかったということをどうも後悔している様子でした。

ところで犬塚番作は里見家と関りが無いんですよね。
一緒に先代、当代の里見家当主と結城合戦に参加したということくらいしかないんですよね。

手束ちゃんの享年が合わないのは、今初めて分かりました。
何か計算が間違ってるのかもしれません。

⑦黄檗宗と関帝廟の謎
堀越御所の荘園管理人、犬川衛二則任さんは子供荘之助の痣が心配で、里の黄檗宗の関帝廟に行っておみくじを引きます。
これも問題ありですね。

黄檗宗は中国唐代の禅僧黄檗和尚の名を取っていますが、黄檗宗自体は明の僧、隠元和尚が黄檗山で修業した後、日本にやって来て持ち込んでいます。
それは1655年明暦元年で江戸幕府が開府済み(´・ω・`)

時期が合いませぬ(笑)

で、関帝廟。

三国志蜀漢の武将、関羽を神様として祀っているのは皆様ご存じの通り。

横浜の関帝廟は1871年明治4年完成(!)
京都の萬福寺は黄檗宗大本山ですが上記の隠元和尚が1661年寛文元年開設、関帝廟はありません。
ただし華光菩薩像があって、関帝の姿に似ているそうです。
大阪の関帝廟のある清寿院は黄檗宗の寺院で、1764年明和元年開設。別名南京寺。
神戸の関帝廟は1939年昭和14年で、寺院は神戸空襲で焼失です。
長崎の関帝廟は崇福寺で黄檗宗、1629年寛永6年開設。

なので、その頃堀越御所近辺には黄檗宗も関帝廟もないのよ、犬川衛二さん(´・ω・`)

以上、またまたなぜなに八犬伝でした、でわ。

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超意訳:南総里見八犬伝【第二十回 一組の白珠、義を結ぶ/三尺の童子(七~八歳の子供)、志を述べる】

2024-12-20 02:02:17 | 南総里見八犬伝

 信乃は庭から現れた人の呼び止める声を聞いても、まったく止めようとはしなかった。早く身体に突き立てようと刃を持ったが、腕が痺れて死ぬことはかなわなかった。
 こんなはずではないと何度も死のうとしたが、真っ先に飛び込んで来たのは誰でもない、再度来るはずだった糠助である。
 ああ、と騒ぐが白刃を恐れてか、足が止まってしまっている。糠助より先に信乃を抱き止めたのは、蟇六と亀篠だった。左右から腕を取ったが、少しも動かせない。
「まずこの刃を放しなさい」
 と言っても、信乃は手を緩めなかった。
「お顔は存じていますが、名乗りもなされなかった伯母上ご夫婦、何をしにいらっしゃいましたか」
 そう言われて亀篠は涙ぐみ、
「強情な親に似て、お前もそういう風に言うのか。子供だけど生意気そうなこと。良いですか、良くわきまえなさい」
 信乃の顔を見据えて、亀篠は言った。
「私は最初から女子の身として、弟の土地や財産を奪ったのではありません。父も弟も討死にしたと風の便りに聞いたので、せめて親の跡を立てようと思って、蟇六殿を婿に取ったのです。それを幸いに荘園をいただいたのです。村長の地位に登った夫に咎はありません」
 さすがに亀篠は真面目な顔である。
「弟は生き延びて、故郷に帰って来ましたが、足が不自由になっていました。村長のお務めには堪えられない身を見返らず、私たち夫婦をひどく憎んで義絶してしまったことは、弟自身の心の僻みに違いないのです。つれない弟と思っても、姉弟の関係を切ることはできません。今回の御教書破却の落ち度、どうやって弟親子を助けようかと心を尽くす甲斐もなく、番作は早くも自害してしまいました。お前も共に死のうなどとつき詰めて考えることは、子供には似合わない短慮です。死んではなりません、話を最後まで聞くのです」
 そう諫めると、蟇六も瞼をしばたたかせ、
「番作が生きているうちに、私の赤心を知らせなかったのが残念だ。せめてその子を引き取って養い、養女の浜路を妻とすれば、先祖の血筋も断絶しない。世間にも他人にも恨まれそうな我が家も安心だし、安泰である。信乃、話を良く聞きなさい」
 蟇六は信乃から見れば、いささか調子に乗っているとしか思えない。
「信乃、良く聞くのだ。御教書のこと、大変な落ち度とは言いながら、原因は犬畜生のせいであり、犬はもちろん犬の主人である番作も落命しているのであれば、一切の後難はない。もしその子、すなわちお前にお咎めがあれば、私が釈明しよう。先ほど真っ先に糠助が走ってやって来て、お前の父のことを告げてきたのだ。元から義絶している親族であっても、自害の変を聞いてしまえば、もう仇敵うんぬんの思いをしている場合ではない。来てみれば、図らずもお前まで死のうとしているではないか。もうやめなさい、そして早く刃を納めるのだ」
 蟇六が言葉を尽くせば、糠助も一緒になって諫めた。
 黙って信乃は蟇六と亀篠の言い分を聞いていたが、思っていたよりも伯母夫婦の口が頼もしいくらい慈愛に満ちていて、宝刀村雨のことを一言も言わないことが逆に怪しいと思った。
 すべては自分を欺くためなのだ、さすが父の犬塚番作は人間を見通していた。聖人の様に伯母夫婦のたくらみを未然に察した遺訓なのだ。

 そう思うと、信乃は自殺をやっと思いとどまり、しばらくの間伯母に養ってもらって元服しようと思案し、ようやく伯母夫婦の言葉にうなづいた。
「思いがけない伯母上夫婦の慈しみを蒙りまして、考えました。自害をお止め下さいましたので、死に後れました。鎌倉への沙汰にしないで、太刀さえ出さなくて良いのであれば、仰せに従います」
 と言うと、蟇六は眉根を寄せて、
「宝刀のことは私は知らない。それは浅はかな女の戯言。亀篠が心の中だけのことだ。親から譲り受けたものは、お前が好きにしなさい」
 蟇六は笑みすら浮かべてみせた。
「この様に打ち解けたからには、親族同様に心ゆくまで語ろう。もう疑いは晴らして、私が言う通りに任せなさい」
 と真剣めいて伯母夫婦と糠助の三方から諫めると、信乃はいよいよ心深く考えて、
「それではその手をお放し下さい。おっしゃることお聞きいたします」
 この返答は皆を喜ばせて、そのまま少し退いた。
 信乃は刃を鞘に納めて、膝を組み直したが落ち着かなかった。今後の行く末を思いやられて、黙然としていたのである。

 その時、蟇六と亀篠は糠助を自宅に走らせ、召使いを一人二人呼び寄せた。犬塚番作の埋葬のことを指図し、その夜は自害した番作の亡骸を弔った。
 蟇六は家に帰り、蟇六と糠助は犬塚の家で通夜を行い、信乃を慰めた。次の日は犬塚番作を墓に送り、里人たちはこれを悼んで追慕しない者は誰もいなかった。この日、棺を見送る者の総数は三百余人である。
「犬塚信乃のために、せめてもの面目にしよう」
 と人々は皆こう言った。

 蟇六と亀篠が犬塚番作の自殺を聞いて、わざわざ犬塚の家に赴いて信乃の後追い自殺を止めたことは、先に番作が考えた通りに違いなかった。
 御教書のことは嘘であったが犬塚親子を自殺させては、里人たちが憤って都合の悪いことになる。信乃だけでも養うことにすれば、里人の疑念も晴れ、更に自分たちも安心である、と夫婦は急いで話し合い、丁寧に接してくるのである。

 元から賢い信乃はそれを見破り、父の遺訓をも思い出す。
 蟇六と亀篠は最初には村雨のことを言わなかった。信乃が「太刀さえ出さなくて良いのであれば」と言うのを受けて、蟇六は早くも太刀のことを宝刀と言い、また宝刀のことは知らないと言った。その時、言葉を紡ぐ口先は濁り、顔色さえ変わっていた。
 信乃はいよいよ心に決めた。父の先見と明智を感じ、自殺を留まった。
 信乃はもちろん、さすがに犬塚番作は智勇に優れた者であった。惜しくも不幸にして最期まで人生を全うできなかったのは、泥の中に埋もれてしまった珠玉の様である。彼の名は口伝でのみ残っているのだ。

 それはさておき、葬式の後亀篠は蟇六と相談して、信乃を呼び寄せようとして、迎えの者を遣わした。
 しかし信乃は、
「せめて亡き親の四十九日を過ぎてから仰せに従いたいと思います。今しばらく我がままをお許し下さい」
 と言う。

 これを聞いた亀篠と蟇六は、確かに理屈は通ってはいるが、子供を独りで置いていく訳にはいかない。
 糠助の家が近いので、朝も夕も信乃の子守をする様に命じた。更に召使いの額蔵は年齢的にも信乃とほとんど一緒なので、話し相手にもなるだろうと、信乃の身の回りの雑用をする様に命じて遣わせた。

 しかし信乃は、額蔵のことさえ自分の本心を探ろうという伯母夫婦の回し者であると思って、少しも心を許さなかった。みずから火を焚き水を汲み、父母の霊前に祈り、喪に服しているうちに、いつしか桜の花は散って若葉は色付いて青くなり、いよいよほととぎすの鳴くころになった。

 信乃は、日頃から額蔵の立ち振る舞いを見ているうちにいろいろと考えた。
 額蔵の性質は温順であり、とても単なる田舎の召使には見えなかった。主人である村長の威を借りて信乃を侮る様なこともなく、良く仕えるので、実は見直す様になった。それ以来、あまり疑うこともなくなりつつあった。

 ある日、額蔵は信乃が風呂にも入らず、喪に服し続けているのを見て、
「亡き人の三七日(みなのか)、二十一日も早や過ぎてしまいました。髪を結い上げなくても、行水をなさって下さい。湯も沸いておりますので」
 と言われて信乃はうなずいた。
「本当に卯月(四月)の暑さには堪えられない時があるなあ。今日は南風が吹いて蒸し暑い。身体を拭くとしよう。良く言ってくれた、湯浴みをしよう」
 縁側近くに立って着物を脱ぐと、額蔵は大きなたらいに湯を並々と汲んでから水を差して温度の具合を確かめた。信乃の後ろに回って、静かに身体を拭こうとしたが、信乃の腕の痣を見つけて思わず言った。
「お前様にも痣があるのですね。私もまた似た様な痣があるのです。これを見て下さい」
 額蔵も着物を脱いで背中を見せた。そこには確かに右肩から肩甲骨辺りの下にかけて、黒い大きな痣があった。その形状は信乃のそれと同じである。
 額蔵は袖に腕を通し、たすきを掛けながら、
「私の痣は自分では見えませんが、子供のころからあると聞いていました。お前様もそうなのですか」
 と聞くが、信乃はただ笑って答えなかった。
 額蔵は緑が増した庭の方を指さして、
「あちらの梅の木の近くが新しく土が盛られていると思われます。少し高くなっておりますが、あれは一体何ですか」
 信乃は答えて、
「あれは額蔵も知っているはずの犬を埋めたところだよ」
 額蔵は信乃を傷つけたと思って己を恥じて、
「そんなに大した仇でもないのに執念深い人が犬を傷つけたことを誇っていました。私もまたあの犬を打ち、槍を突きさしたとお前様に思われましたでしょうか。参りました」
 と信乃のことを思って言うが、当の信乃は笑うだけで、額蔵のことを責めたり非難もせず、また与四郎を傷つけたかどうかにも触れなかった。

 信乃が湯浴みを終えて着物を着ると、たもとの間から一個の珠が落ちた。
 額蔵はそれを拾って良く眺め、
「不思議だ、お前様はこの珠を持っているのですか。そもそも家伝のものでしょうか。是非、由来を聞かせて下さい」
 と言って信乃に返すが、信乃は珠を手に取って、
「私はある朝に親を喪い、悲しんで憂いて、その珠のことは忘れてしまった。これには様々な逸話があるんだよ」
 それだけ答えて詳細は言わなかったので、額蔵は悲しんだ。数回ため息を吐いて、
「人間は同じ者はいないけれども、他人でも良く似ている者がいるものです。人の心は同じではないが、友人がいない訳ではありません。お前様は私を疑いますが、私は少しも隠すことはありません。これを見て下さい」
 そう言って、額蔵は肌に着けていた御守の袋から一つの珠を取り出した。
 今度は信乃が訝って、それを手のひらで受け取ってみた。良く見ると、自分の珠と少しも異なることがない。しかし文字だけが違っていて、義という字が鮮やかに読めた。
 ここに至って信乃も初めて心を打たれ、うやうやしくその珠を額蔵に返して言った。
「私はまだ子供で、何の才能もなく、眼があってもないも同然だよ。早くに君を知ったが、最初は深く疑っていた。日頃、君のふるまいや言動を見ていると、私には及ばないところが多いと思った。ただの召使いではないと思っていたが素性をなかなか聞けなくて、今日まで黙っていた」
 信乃は穏やかに語った。
「しかし今日になって図らずも身体に似た痣を見た。また持っている珠が同じだ。必ずこれは何かの因縁によるもので、昨日今日の縁ではないと思う。まず私の珠の由来を話そう。この珠は実は」

 信乃は、母が滝野川弁財天へのお参りの帰りに神女が現れ、遭遇した初めから、けがをした与四郎が死を促した話、その首の切り口から珠を得た話、急に痣ができたこと、父の先見の明のある遺訓の話まですべてを少しも隠さず話すのだった。
 額蔵は真剣に話を聞き、夢中になっていた。話の途中で感銘を受け、ため息を吐いて、時には涙を流すのである。しばらくするときちんと座り直し、粗末だが衣服を改め、
「この世に不幸なのは私だけかと思っておりましたが、違いました。お前様の身の上話を聞くとそんな風に思い、また勇気づけられました」
 額蔵は改めて自分の身の上を語り出した。

 実は額蔵は、伊豆国北条の荘園管理の役人であった犬川衛二則任(いぬかわえじのりとう)の一人息子で、幼名荘之助と呼ばれた者である。

 荘之助が産まれた時に、家の家老が胞衣、いわゆるへその緒を埋めようと庭の樹木の下を掘った時に、偶然に珠を見つけたのである。
 それは吉兆に違いない、と皆が言ったが、背中に怪しい痣があるのを見て父は心配した。痣の吉兆を調べようとしたが、伊豆には詳しい博士がいなかった。
 ただし里の禅宗の黄檗寺に関帝廟があり、父はずっと信仰していた。参拝して今後の命運を問うために御神籤を引いた。第九十八籤を引き、その中身は、

 百事を経営して、精神を費やす 南北に奔馳して、運はいまだ新たならず
 玉兎交わる時、正に意を得る  あたかも枯れ木が再び春に逢うがごとく

 少しながら漢籍に詳しい父が内容を判じたところ、最初の起句は吉ではない。しかし結句には幸いがあると言う。
 玉兎は月の異名である。交わるとは満月のことであり、十五夜を言う。
 荘之助は十二三歳まで病気がちかもしれないが、年十五歳から体調が良くなって、思うままに過ごすことが出来る様にと、荘之助と名づけたと母が語った。
 荘は、荘り盛ん(さかりさかん)である様にとの意味だそうだ。

 その頃、鎌倉公方の足利成氏殿は京都の幕府将軍と仲が悪くなり、両管領に攻められることになって、古河へ追いやられてしまった。

 1461年寛正二年に京都から前将軍普広院、足利義教公の第四男の政知と言われた者が右兵衛督に任命されて、伊豆の北条に下った。
 堀越御所と称して東国諸国の賞罰を司ることになったが、足利政知殿は武威を募るばかりで民百姓をいたわる心がなく、贅沢驕奢を極め、臨時の工事用課役が多くなった。

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 荘之助の父、犬川衛二則任は荘官なので、旧例を持って苛政を諫める様に進言し、何度か年貢や課役の宥免を願ったが、讒言を言う者が現れた。それにより堀越御所の怒りは甚だしく、犬川を誅殺すべし、と噂も広がった。
 犬川衛二則任はそれを聞いてますます嘆き、一通の遺書を残して、妻にも知らせず自害してしまった。
 時に1465年寛正六年の秋、九月十一日、荘之助はわずかに七歳である。
 荘園の田畑や家財は没収され、家に仕える者たちもすべて離散し、犬川母子に従う者はいなくなってしまった。さしもの裕福と言われていた犬川の家も水が枯れる様に没落し、犬川母子は追放されてしまい、母は泣きながら荘之助の手を引いて、所縁のある者や知合いを訪ねてあちこちに身を置いては、大変悲しい秋を旅の宿で送り、霰の降る冬の半ばを迎えてしまった。

 母の従弟である尼崎十郎輝武という者が安房の国司里見家の家臣でいた。もともとは安房の郷士であった。その尼崎殿を頼ることにして、母は荘之助を助け、荘之助は母を慰めつつ、何とか鎌倉に行き、安房行きの便船を求めたが、合戦が続く中では通路が遮断されていて、鎌倉からは船が出ないということであった。
 ただし、下総の行徳の港からは上総に渡る船があると人から教えられたので、行徳を目指してやっと大塚の里には来たが、路銀を賊に掠め取られてしまい、宿を借りる手立てもなくなってしまった。

 やむを得ず村長のところへ行って、ことの次第を話して一夜の宿をお願いするも、人に知られた冷たい村長夫婦は金がないと聞いた途端、召使いたちを叱るだけで母子には何もしてくれなかった。せめて雑務用の小屋の中でもとお願いしても許されず、召使いたちによって追い出されてしまったのだ。門も閉じられ、日は暮れ、雪が降り出す中、母親は子に優しい夜の鶴、子供は軒の下の寒雀になってしまった。
 寝ぐらに迷う旅路の苦難でつれない村長の門ではあるが、もしかしてもう一度呼び入れてくれるのではないか、と思いながらも立っていると、雪はますます激しくなり、吹雪は身体を吹き荒び、破れ笠は風に取られてしまった。骨まで凍る冬の夜、母は元からの持病の癪があり、秋からの心労が旅の途中で酷くなってしまったのだ。
 痛みに苦しめられ危険に見えたので、母をいたわったり、声を掛け続けたとしても、何も知らない七歳児に何ができるだろう。
 儚くも母の魂は先立ってしまい、あの世に行ってしまったのは、十一月二十九日のことである。

【七歳の小児、旅路に母を喪う】

雪の嵐の日、笠が飛んで行くのです。

壮助母の魂も……


 荘之助が空しく亡骸に取りすがって、叫び、泣き、夜を明かしていると、ようやく村長はそのことを知った。
 村長はこの期に及んで荘之助を屋敷の中に入れて、出身やいきさつを詳しく問うてきたので、子供は泣きながら語った。村長は騒がず、まず母の亡骸をまるで棄てるかの様に埋めてしまい、その日のうちにもう一度呼び出してこう言った。
 
 曰く、荘之助は母を旅の途中で喪い、帰る家もなく、行くべき里もない。安房の里見は足利成氏方だが、この大塚村は関東管領家の領地のため、従って安房へは渡るのは難しい。
 荘之介の母は、更に路銀を失くし村長の門の前で死んでしまった。葬式は他にも雑費が掛かり、多くの銭を費やした。
 今から村長の家に仕えて、精一杯働いてこれに報いなさい。そうしなければ今後良いことはない。しかし年はまだ幼いので、三四年は食わせ損になるし、物の役には立つまい。よって年季も決められない。夏には涼しい着物を一枚、冬には温かい木綿の綿入れをやろう。それを給料には過分であると思って、一生涯奉公をしなさい。給料はやらないが、飼殺ししてやろう。

 村長はそんな風に酷いことを言った。

 荘之助は、言われた時には恨めしく、悔しく思ったが、港に漂う船の様に寄る辺のない身の上では断れなかった。
 
「それ以来、村長の小者になって五年あまり経ちました。しかし私の志は農業や金儲けを願うことではなく、今、戦国の世に生まれて、身を立てて家を興さなければ、男子たる甲斐がないと思っているのです。ともかくも武士になりたい、と決心したのは十歳の春でした」
 額蔵の身の上話はまだ続く。
「こう言ってはなんですが、村長は疑い深く、良く妬む人ですので、私は本心を出さない様にしました。ことの善悪について村長の主命に違えることなく愚直さを示すと、大層酷く私を使うのです」
 ため息を吐きながら、
「奉公の片手間に夜は遅くまで手習いし、昼は飼葉を刈る納屋では人目を忍びつつ、石を挙げたり、木を打ったりしました。一人撃剣や柔術を試して、人に教わることなくどうにか太刀筋などを想像して実践してみました」
 何と額蔵は独りで修業していたというのだ。
「こんな私の思いを朋輩に知られれば、皆、嘲笑って阿呆と言うのでしょう。奴らはすべて器量の狭い小輩、この村で共にいろいろ語り合うべき者ではありません。しかし以前から思っていましたが、君は俊才です」
 信乃は思わず額蔵の顔を覗き込んだ。
「親御様への孝行をお聞きしし、実際に拝見してからもお慕いしておりました。きっと億万人の人と知己になるよりも、君と交わることができれば頼もしいことでしょう、しかし」
 またため息を吐く。
「村長と義絶された親族のご子息であれば、間近くに住んでいても何も言えません。機会さえあればどうにかして私の志をお知らせしようと思っていたのは、昨日今日ではありません。でも犬塚番作殿のご自害によって、こう申しては何ですが、道がたちまち開けました。あまつさえ、村長はお前様の話し相手として、私にここへ行けという主命を下しました。その主命は私に取っては千金より増すものです。これは天の助けと密かに喜び、心勇んで来てみれば、お前様は深く疑って日頃触れ合いこそありますが、打ち解けてくれませんでした。私もまたその意を汲んで、安易に宿志を申し上げませんでした。しばらく時節を待っておりましたら、それは遂に無駄ではありませんでした」
 少年の瞳に涙が浮かび、また光が灯るのを信乃は見た。
「お互いに場所こそ違いますが身体の痣、また一対の白珠がありました。これはもう私たちを結びつけて、本音を言う機会を得たも同然です」

 歓喜する額蔵は、病んだ雀が美しい花をついばんで元気になり、強く羽ばたける翼を得た様なものです、或いは陸に上がって水のないところで苦しむ魚が不意の雨に打たれて生き長らえて潤している様なものです、などと分かった様な分からない様なことを言った。
 
「一生の歓会、これに勝るものはもうないでしょう。私の望みは足りました」
 と今までの思いを細かく熱く語って、吐露した。
 聞いていた信乃は額蔵こと荘之助の博命を自分の身上と比べながら、しかし聞くごとに感嘆し、
「驚いたな、君の大志は私の及ぶところではない。この珠が二人を繋いで、私たちを水魚の交わりとしてくれたことは必ず因縁があるはずだ」

 信乃も熱く語るのである。

 先ほど額蔵が示した関帝廟の籤の結句、

 玉兎交わる時、正に意を得る  あたかも枯れ木が再び春に逢うがごとく

 は今日のことだと言った。
 月を珠に例え、珠をまた月に例えるのは、和漢の古典に良く載っている。
 であるから玉兎交わる時、正に意を得るというのは、二つの珠によってここに交わりを結ぶという意味かもしれない。
 枯れ木が再び春に逢う、とは、今私たちが最も薄命で、例えば樹の幹がほとんど枯れてしまい、わずかな枝が残っている状態ではあるが、不意に刎頸の友を得て、互いに助け合い、世に名をあげ、家を興すことになれば、枯れ木が春に逢うという意味になるのではないか。後日共に栄えていく意味でもあるのだ。

 神は、人が求めたために進むべき手本を指し示した。関帝の神慮は本当に畏れ多いと思う。

 また初めの二句の意味は、君のお父上もご自害されて、君とお母上が南北を奔走し、命運はしばらく良くないことを示したのだ。

 百事を経営して、精神を費やす 南北に奔馳して、運はいまだ新たならず

 籤の通りではないか、と信乃は思った通りのことを言う。

 額蔵は籤の句の意味をようやく感悟して、信乃の博識を称賛し、また恥じて額を撫でた。
「私は少しだけの手習いをして、正しくもない俗事を諳んじただけです。文を学ぶ余力がありませんでした。君が説明してくれなければ、ここまで神慮の霊験があらたかなことが分かりませんでした。お願いがあります、今からあなた様を師として密かに学問を励んでみたいと思っています、どうか教えて下さいませんか」
 神妙な面持ちの額蔵に対し、信乃は首を振って、
「私はまだ十一歳、赤ん坊の頃から学んだと言っても、まだまだ知らないことばかり。幸いにも父の遺書がある、君が字を学ぶのであれば貸そう。思うに人は善悪を友とすると思う。善には善友があり、悪には悪友がある。供を選ぶ時、志が同じ時は、四海すべてが兄弟となる。私は孤児となったが、君もまた同じ孤児、であれば同胞ではないか。今日より義を結んで、兄弟となろう。どうか考えて欲しい」
 額蔵は歓喜した。
「ああ、それはもちろん願うところです。楽しみを共にせずとも、憂いは共に分かち合いましょう。辛いことや苦しいこと、艱難辛苦は互いに助け合いましょう。少しでもこの誓いに背くことがあれば、天の怒りは雷となってたちどころに私を撃つでしょう。ここにうやうやしく天にお伝えします。急々如律令」
 と天に向かって誓えば、信乃もまた喜んで一緒に誓った。酒はないので水を代用として、酌み交わしその約束を固く誓い合ったのだ。

 互いに年齢を確かめることになると、額蔵は1459年長禄三年(伏姫自害の翌年)十二月一日に生まれており十二歳、信乃は七か月下なので、額蔵を兄とすることにした。信乃は義兄を再拝して、みずからを弟と称して、共に笑い合った。
 しかし額蔵は上座には座らなかった。
 信乃が何回も勧めても、額蔵は首を振って、
「年齢の多少はとにかく、学識に詳しいあなたこそ我が兄と呼ばれるべきです。仲の良い莫逆の兄弟ですが、長幼のことは決めないでおきましょう」
 そしてこんなことを言い出した。
「先に言った通り、私の幼名は荘之助です。いまだ名乗りはありません。あなたは親孝行な子としてこの村では知られていて、その名乗りは戌孝じゃありませんか。例の白い珠にも孝の字があるし、本当に不思議なことです」
 額蔵は少し考えてから口を開いた。
「私の珠には義の字があります。父は犬川衛二則任ですから、私は幼名の荘之助の之の字を省いて、犬川荘助義任(いぬかわそうすけよしとう)と名乗ります。しかしこの話や由来は他人には言いません。ただ私とあなただけのことにしておきます。義を大切にして、名前を汚したくないというのが望みなのです」
 そう言われて信乃はうなづき、
「名前は持ち主である主人に従うもの。義任、もっとも君にふさわしい。人目がある時は額蔵と呼ぶから返答してくれ」
 額蔵、いや今や荘助はにっこりと笑って、
「それはもちろんです。あなたと私は数か月の間、一緒に過ごしてきましたが、他の人には親しくない様に思わせておきましょう。村長夫婦に対しては、私は時々あなたの悪口を言っておきます。あなたは逆に私を馬鹿にして下さい。他の人に疑いを持たせない様にすべきです。互いに悪口を言い続けていれば簡単にできます」
 壮助はすでに楽しんでいるかの様である。
「私はすでに聞いたことがあります。その内容は」
 糠助が亀篠に騙されて帰った時、蟇六が妻に語った内容について、詳しく言い、
「その時、私は茶道具を置いた部屋にいて、狸寝入りをしながら全部聞いてしまいました。本当にあなたの亡き父上は、人を知る先見の明をお持ちです。その行いは国士無双と言うべきものでした。本当に惜しい方を亡くしたと思います」
 しきりに嘆く壮助に対して、信乃も同じくため息を吐き、
「私は父の遺命に従って、宝刀を守りながら腹黒の伯母の家に同居することになれば、君の助けがないと簡単に奪われてしまうかもしれない。伯母夫婦の話を聞かせてもらったので、くれぐれも用心をします」
 うやうやしく言うので、壮助はしばらく考え込んだ。
「そういうことならば、私は君と一緒にずっとここにいてはいけない。後々のことを考えると都合が悪いですね。明日は病にかこつけて、一回村長の家に帰ります」
 壮助は信乃にも忠告めいたことを言った。
「あなたも四十九日が明けるのを待たずに、そろそろ三十五日目ぐらいでしょうが、早く伯母上のところに行って下さい。すでに私はあなたと義を結んだからには、あなたの父上は私の父でもあります。今日から心は喪に服して、感謝の気持ちと御恩を尽くしましょう。女々しくも花を手向け、経を読むだけが孝の道ではありません」
 そう信乃を励まして共に犬塚番作の位牌を拝んだ。
 仲良くつきない話をしていると、外から誰かがやって来る足音が聞こえてきた。

 誰の足音だろう、読者は三集の続きが出るのをお待ち下さい。次の巻の初めに分かることでしょう。

 作者曰く、私がこの巻を書いていると、ある人が原稿を読みながら、作品を非難した。

 信乃、壮助は英知や才能に優れているといっても、元はまだ黄色いくちばしの小僧であり、年齢はまだ十五にも達していない。
 それなのに口も達者で、子供には見えない。物語の登場人物といっても、はなはだしく優秀過ぎないか。 
 思うに小説というものは良く人情の機微に触れて、読者を飽きさせない様にするものだ。今、この二人の少年の物語は人間の情に反するものではないか、そうではないか。

 筆者はこう答えた。

 ご指摘の通りではない。
 古代中国の蒲衣(ほい)という者は八歳で五帝の舜の師になった。同じく睪子(やくし)という者は五歳で五帝の禹を補佐した。また舜と禹に仕えた伯益は、五歳にして火を司ったと言う。
 時代は下って項橐(こうたく)は五歳で孔子の師になった。
 
 古の聖賢は生まれながらにして明知俊才、何億という人の上に傑出して現れるものだ。元から早くいろいろ悟るものであり、並の者とは違う。
 この他にも神童はたくさんいる。明の文人である謝肇淛(しゃちょうせい)、字は在抗(ざいこう)はかつて集めて記録を行い、一編の著作を記した。今、その数を数えるのにいとまもない。五雑組(ござっそ)という書物の中で見れるはずである。
 八犬士の如き物語もこれに中国の神童たちの話に次ぐものなのである。すなわちこれは筆者が戯れにその列伝を書く由縁なのだ。

 また尼崎十郎輝武が富山で溺死したのは1458年長禄二年のことだ。
 更に犬川荘助の父、衛二が自害したのは、それより八年後の1465年寛正六年のこと。
 しかし交通の便が絶えてしまい、犬川衛二の妻は従弟である尼崎輝武の死を知らなかった。安房へ行こうとして、旅の途中で亡くなってしまった。

 婦人と子供の読者の疑惑を解くために、筆のついでに自分で説明をしておこう。

 家伝神女湯 一包代百銅 婦人の諸病の良薬で第一産前産後の血の道症に即効がある。
       普通の振出し薬とは違う。効能はこの書の前書きに詳しく掲載したのでここでは略す。

 精製奇応丸 偽薬は止めて本当の薬を選ぶ。家伝の加減を守って、分量すべて法に従い製法は謹んでいる。
       この効能は神のごとくであり、別に能書きがあるが今は略す。
       大包代 銀二朱 中包代一匁五分 小包代五分 ただし、はしたの量での販売はいたしません。

 婦人つぎ虫の妙薬 毎月生理痛に用いて、即効神のごとし。産後のおりものの不調に最も効く。一包六十四銅 半包三十二銅

 製薬並びに販売所 江戸元飯田町中阪下南側四方味噌店向い 滝沢氏製【乾坤一草亭】
 取次所      江戸芝神明前和泉屋市兵衛
          大阪心斎橋筋唐物町河内屋太助

里見八犬伝第二集巻之五 終

編述      著作堂馬琴稿本[乾坤一草亭]
全巻清書    千形仲道 書写
作画      柳川重信 絵画
挿絵彫刻    朝倉伊八郎

曲亭新作絵入り小説簡易目録 山青堂開版

美濃旧衣八丈綺談(みのふるきぬはちじょうきだん) 葛飾北嵩重宣画 全本五冊 お駒、才三郎が竒談を作り、因果の二字をによって結末を迎える。実に未曾有の小説
南総里見八犬士伝(なんそうさとみはっけんしでん) 柳川重信画 初出 全五冊 1814年文化十一年甲戌の冬、発売開始
朝夷巡島記(あさひなしまめぐりのき)初編(しよへん) 歌川豊広画 全五冊 1815年文化十二年乙亥の春、発売開始
里見八犬伝(さとみはっけんでん)第二輯(だいにしゅう) 柳川重信画 全五冊発行
朝夷巡嶋記(あさひなしまめぐりのき)第二輯(だいにへん) 歌川豊広画 全五冊 近日続々発刊
里見八犬伝(さとみはっけんでん)第三輯(だいさんしゅう) 歌川豊広画 全五冊 来たる丑の冬月、遅滞なく発売開始

1816年文化十三年歳次丙子/冬十二月吉日発売
刊行書店

大坂心斎橋筋唐物町  河内屋太助
江戸馬食町三町目   若林清兵衛
江戸本所松坂町二町目 平林庄五郎
筋違御門外神田平永町 山崎平八

(続く……かも)

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超意訳:南総里見八犬伝【第十九回 亀篠の奸計、糠助を騙す/番作の遠謀、孤児を托す】

2024-12-02 02:47:03 | 南総里見八犬伝

 こうして百姓の糠助は中途半端に信乃を助けようと犬を蟇六の屋敷の裏門に追い込んで計画したことは、犬を失うだけではなく、とばっちりが自分自身に関わっては困ると早く逃げ返ってしまった。
 家の者に事情を話して、
「もし村長のところから人が来ても、いないと答えてくれ」
 と言って、家の奥に隠れて着物を被って伏せてしまった。
 起きても不安気な顔をしているので、家族の者が心配していると、果たして蟇六の召使いがやって来た。
「糠助さんはご在宅であるか。村長の奥方がお呼びですので、お急ぎ下さい」
 と呼びに来たのであるが、何回か家にいないと家族が断ってくれたが、それも数度に及ぶと、今はもう逃げられないと観念した。
 しかし蟇六ではなく亀篠からの使いというので、番作と信乃、与四郎のことではかもしれないと考えたが、足が向かず呼出しには応じなかった。今度は糠助の妻がさすがに怒り出し、とうとう召使いに引き立てられて、やむを得ず、村長の宅に行くことになった。

 亀篠は小さな座敷にやって来た糠助を呼び入れた。
 いつもと違ってにこやかで、糠助を近くに招いてまずは身体の調子を尋ねた。糠助は少し落ち着いて、蒼ざめていた顔色も平静に戻っていった。
 しばらくしてから亀篠は、そばにいた召使いを遠ざけてから真面目な表情で声を低くして言った。
「急にそなたを招いたこと、覚えがあるでしょう。どうして番作の童を助けて、山犬を村長の屋敷に追込み、人を食べさせようと考えたのです。そなたと信乃が棒を持って、裏口から逃げて行くのを我が家の召使いが見ていました。言い訳はできないでしょう。それだけではなく、あの犬はこの小部屋に走って来て、これを見てみなさい」
 亀篠は、破れた一通の書状を取り出して、開きながら突きつけた。
「あの犬はこんなひどいことをしてくれたのです。鎌倉の足利成氏殿、古河へ落ち延びあそばされた後、この地の陣代大石様も両管領に従うことになって、鎌倉においでになるそうです。兵糧のことなどを私の夫に命じられました。そなたもそれを良く知っているところ、改めて言う訳ではありませんが、この度また鎌倉から古河の城攻めがあるとのことで、ここにも兵糧の催促があったのです。この管領家の御教書に陣代の下知状を添えられて、今日飛脚が到着しました」
 糠助の眼が真ん丸になった。
「我が夫はこの小部屋の塵を払って部屋を浄め、御教書を拝見しようとした折りも折り、あの犬が走って入って来て、四足で踏んでこの様に踏み裂きました。逃がしてやるものかと犬には槍をつけて、数か所の傷を負わせはしましたが、暴れたので殺せませんでした。板塀の下を突き破って、外へ逃げて行きましたが、途中で倒れたとは聞かなかったので、主人である弟の家に帰ったと思います」
 亀篠は厳しい顔になった。
「御教書破却は謀反に等しいと聞きます。犬畜生はご法度を知らないといっても、飼い主は罪科を逃れられはすまい。もちろん犬を追い込んだそなたと信乃はどうなりますか。百回、大赦があっても、命を助けることができないのではありませんか。糠助さん、元から覚悟があってのことですか」
 いよいよ舌鋒が鋭くなった。
「番作は日頃から仲が悪いので子供に言いつけて他愛もないことをしたとしても、そなたは何の恨みがあって、身を滅ぼすのを顧みず、どうしようもない弟に加担して村長を倒そうとするのです。そなたは憎い人」
 恨み言を聞いて、糠助は驚き、恐れて、冷たい汗を流すことしかできない。今更ながら何も言うことができず、しばらくしてから顔を上げて、
「思いもがけない落ち度で私の命をお取りになること、逃げようもございません。例の犬のことにつきましては、村長に悪かろうとしてお屋敷に追い込んだのではありません。そうは申してもいろいろお詫びをしてもお許しいただけることではございませんが、大慈大悲を仰ぐのみでございます。願いはただお上に善政をお願いいたします様取り持っていただき、私ばかりはどうかお救い下さい。お助け下さい」
 そう言う声も冬の枯野の虫の鳴く音より心細く、乞い願うものであった。

 亀篠はそれを聞いてため息を吐き、
「村長は人の頭を務めるものだが、これほど世の中に辛いものはないのです。良きにつけ悪につけ、公の道を進むのであれば、憎むのは人の私心であり、人に恵むのであれば村長の職務に欠け、職務を立てれば邪険に似たことになってしまう。本来であれば、そなたは言うまでもなく番作親子をひしと絡め取り、鎌倉へ引き立てるべきですが、親の片意地で言葉を掛けさせないけれども、信乃は私の可愛い甥なのです。憎いと思っても番作はこの世では弟なのです。それを一朝に罪はなく、快良く許すのことはなかなか簡単にできることではありません」
 亀篠は泣く真似をしてみせた。
「痛ましく、また悲しく、怒る夫のたもとにすがりつき、泣きついて詫びて、どうにか今日一日、追捕のお沙汰を止めました。しかしそれだけではその罪を逃れることはできないのです。何とかして救えないかと人知れず胸を苦しめ、浅はかな女子の知恵では及ばないことことですが、よくよく考えてどうにか思いついたのです。助ける方法を」
 いよいよ本題に入った様だが、それは糠助にはまだ分からなかった。
「番作が大切に持っている村雨という刀は、足利持氏殿の佩刀であり、春王君へ譲られなさった源家数代の秘宝、管領の方々も良くご存じで、手に入れたいとお考えの旨、かねてから噂がございます。今この刀を鎌倉へ献上し、今回の罪をお詫びすれば、そなたの身には問題もなく、きっと番作親子も許されるでしょう。或いは弟が我がままをやめて蟇六殿に詫びなければ、誰がこのことを鎌倉に申上げるでしょうか」

 亀篠はこれが言いたかったのだ。
「ここまで考えた私の誠をまだ僻んだ心で疑い、自滅しようというのであれば、もう他に手段はありません。そなたもお覚悟なさるがよい。密かにお呼びしたのは、これをお伝えしたかったからなのです」
 まことしやかに話せば、驚きのあまり魂が抜けていた糠助は我に返って、思わず大きな息を吐き、
「お言葉承りました。不幸に際して、他人は食物にありつくために寄り集まるが、身内の者は心から悲しんで集まってくれる、ということわざが世の中にあります。日頃は仲がお悪いご様子ではございますが、姉であればこそ弟であればこそ、どなたがこの危機を救うのでしょうか。君を思うことは我が身を思うこと、かくなる上は糠助は舌の根のある限り、釈迦の弟子の富楼那(ふるな)の様に弁舌を持って、犬塚殿の心を和らげ、事態を整えてみましょう。成功した時には第一番に私をお許し下さい。善は急げと言います、今から行って参ります」
 と立ち上がる糠助は、亀篠はしばらくの間引き留めて、
「言うまでもないけれども、期限は今日一日ですよ。説得に長い時間を掛けてしまって、夜が明けても後悔なさらないで下さい」
 と言うと糠助は何回もうなずいて、
「それはもちろん分かっています、心得ています」
 返事をしながら、障子を逆手に持って急に引き開けようとして、押し倒してしまった。そして倒れた障子も見ずに、そのまま出て行った。
 亀篠は驚きながらも身を起こして、倒れた障子を受けとめた。
「そそっかしい人」
 呟いて立つと、隣の部屋で立ち聞きしていた蟇六が戸を開けて現れた。夫婦は眼と眼を合わせつつ、にっこりと笑った。
「亀篠か、良くやった」
「あなた、良く聞きましたか。思ったより首尾よく話すことができました」
 その時、石臼を引き出す音が聞こえ始めた。茶道具の向こうでうとうととしながら茶の葉を挽いていた額蔵が、夫婦の会話で眼を覚ましたのだ。
 石臼の音に驚いた夫婦は、旅人が雨の中雷の音を聞いた様に慌てて囁きの会話をやめて、屋敷の奥に隠れる様に入って行った。

 糠助の踏む足音は地に着かなかった。慌てふためいたまま犬塚番作の家に行き、亀篠が話したことをすべて話し、
「子供の言い出した知恵に釣られてしまい、愚かなことをしてしまいました。私を大人気ないとお叱り下さい、謝罪いたします。でも詫びても許されないのは、御教書の破損です。とにかくことわざに地獄にも知る人あれ、と言うのは真にこのことです。性根の良くないと思っていましたが、あなた様の姉君の菩薩心、甥を可愛いと思う誠の心に私は打たれました。身内の方の心配こそ尊いのですよ。私も良い日にその場にいたものです、財宝は持っていれば急場に持ち主の身を救うものになると言います。それこそ宝刀です」
 糠助は善良な男なのだ、と思いながら犬塚番作は聞いている。
「村長に頭を下げてたとしても、いささかも恥ではありません。姉に従うことは順当なことです。あなた様のお子に取っても当然のことです。何ごともご子息のことを考えて、このこと、村長に折れなされ、姉君の言うことに承服なされ」
 糠助は手を合わし、言葉を尽くして犬塚番作に勧めるが、彼はずっと静かに糠助の言い分を聞くだけだった。やがておもむろに口を開いて、
「御教書のことが本当であれば、驚かれるのも当然だ。お前様は御教書そのものを見て、その様に言われるのか」
 と尋ねた。
 聞かれた糠助は頭を掻き、
「いえ、あなた様もご存じの様に、私は字が読めないのです。御教書とはお聞きしましたが」
 と返答をすれば、犬塚番作は苦笑して、
「さればさ、人の心というものは様々で図りがたいものなのだ。微笑の中に刃を隠す、とは中国の兵法書にもある言葉だが、今、戦国の習いだ。親族であるからといって心を許すと、後で必ずほぞを噛む様な悔いがあるだろう。日頃は仇の様な関係になっている姉夫婦が俄かに弟に優しく接し、甥を愛するなどありえない」
 犬塚番作は断言した。
「もしそれが本当だとしても、村雨の刀を差し出せば問題ないとは誰が決めたことなのだ。関東管領家のご沙汰でなければ、お上は何を言ってるのだ。当てにならない。果たして、もし許されずに鎌倉に連行されたとしても、後に宝剣を差し出せば遅くはない」
 糠助の眼を覗き込んだ。
「お前様の身の上は心苦しく思うが、女々しく我が子のことに取り乱して、不覚を取れば武士の恥。そのことには従えない」
 糠助は膝を叩いて激昂した。
「違う違う、それは片意地というものです。疑って今日を過ごしてしまえば、後悔はそこに立ちがたい。親子と言いながら三人の命は、ただ一振りの太刀を出して救えるものであれば、半刻(約1時間)でも早い方が良い。縄目の恥に妻子を泣かし、あちこちの人に指を差され、仮に助かったとしても、あたら武士の名前に傷つくというもの
。どうか思い返して承諾なさって下さい。おう、という一声を聞かなければ家に帰ることができません。手を合わせて拝んでいるのが見えませんか、強情でございますな」
 と説得し、議論は終わりそうもないので、犬塚番作はほとほと持てあまし、
「我が子一人のことであれば、八つ裂きにされるとも他人の意見を聞くまでもない。しかしここまで言っても分かってくれないお前様の周章狼狽、分かってもらうには良い思案が今はない。しばらく考えてから返答しよう、日が暮れてから、再び来てくれるか」
 と言う。
 糠助は外を見て、
「裏口の柳に夕日が落ちれば、間もなく日も暮れるでしょう。夕飯を食べたらまた来ます。物事を知る人は、他人を謀って、自分自身がどうなるか分からないことが多い。あまりに人を疑いなさって、この糠助さえも殺そうとなさいますな。今はまず一旦帰ります」
 ようやく片膝を立てて身を起こした糠助は、足の痺れをさすりながら、片方の草履だけを履いた。片方は裸足のまま、まるで鞍を置かない馬の様である。糠助の憂いは重い荷物が融けた様でもあり、びっこを曳いて帰って行く。

 三月の空も冴える秩父おろしの夕風は寒く、父にもう一枚着せようと思った信乃は手習いの机を片づけて、薄青色の羽織を後ろから父の肩に掛けてやった。
 行燈が灯す明かりは四方八方すべてを照らすことはできない。しかし庭からは明るい夕方の月の光が差込み、まだ生きている与四郎をおぼつかなげに照らしている。
 信乃は雨戸を一枚閉めて、父のそばに火桶を寄せた。
「風が変わって急に寒くなってきました。昼間が長かったので、早くお出ししました夕食の雑炊も多くは召し上がりませんでしたが、まだお食べになられませんか」
 と問えば、犬塚番作は首を振り、
「身体を動かさないのに三度の食事時意外に何を食べると言うのだ。宵越しの雑炊はどうしようもないものだ。余りがあるなら後でまだ出してくれ。冷えておれば良くない、温めておきなさい」
 と言いつつ火桶を引き寄せて、火を掻き起す。
「いえ、余りはありません、与四郎にも与えましたが食べられません。無益なことでしたが、犬を救おうとしてこんな大変なことになったこと、すべて私のせいです。悔やんでも仕方のないことですが、今、糠助さんがお話されたことも父上のお答えも、こちらで詳しく聞いておりました。御教書のことが本当であれば、災いは間もなくやって来ます。元から父上は初めからご存じのことではありませんので、何度も説明すれば私だけが罰されることはもちろんでしょう。そう覚悟はしておりますが」
 信乃は悔しそうな顔になった。
「お足元も不自由で、最近は病気がちな父に明日から誰がお仕えできましょうか。悔しいことに、日に日にきっと病いが重くなり、かなわないでしょう。看病できないのは、不幸の罪でございます。これを思いますと、来世に生まれ変わったとしても、罪を贖うことはできません。そもそも父上もお爺様も忠義は余人より優れておりますのに、武士道の花も実も埋もれてしまって、月も日も照らして下さらないのは一体どうしてなのでしょう。親のことを思うと決して惜しくはない露の様な命でございますが、さすがに惜しくございます」
 と言って涙声で鼻をかんだ。
 犬塚番作は灰を掻きならす火箸を持ちながら、ため息を吐いた。
「禍福は時であり、天であり、運命である。恨んではいけない、悲しんではならない。信乃よ、私が糠助に諭したことを、お前は良く聞いていなかったのか。御教書のことは、おぞましくも謀ろうとするあの人たちの嘘なのだ。たったあれだけの口車で、子供は欺けても、この番作を欺くことはできはしまい。これは蟇六が姉に悪知恵を授けて、糠助を騙しながら、宝刀を騙し取ろうとするためだ。浅はかな所業ではないか」
 犬塚番作はとうとうと語り出す。
「そもそもこの二十年間この方、蟇六はいろいろ手段を尽くして、村雨の宝刀を奪い取ろうとしたことは何回もあったのだぞ。或いは人を語らって利を誘いながら、値段を高く村雨を買おうと言わせたり、或いは夜更けに寝静まった晩を狙って根を越え、戸締りを狙って、盗み取ろうとした夜もあった。奴らが百計を考えれば私もまた百の備えで応じたのだ。蟇六の悪念、今に至るまで果たされることはなく、ずっと口惜しく思っていたのだろう。だから今日図らずも、奴が与四郎を傷つけて、鬱憤を晴らそうとして、またここに悪だくみを考えたのだな。御教書破損にかこつけて、宝刀を奪おうという奸計は、鏡に映して見るがごとく明らかだ」
 ふうとため息を吐いた。
「そもそも蟇六が宝刀に望みを掛けていることは、私もその本心を見抜いている。奴は我が父の跡目と自称して、村長になってはいるけれど、代々受け継いだ記録はない。もし私がこの太刀を持って家督を争うとすれば、困ったことになるのだ。これがまず一つ」
 信乃は黙って聞いている。
「足利成氏殿が没落されて古河に出奔の後、大塚のこの地はすでに鎌倉の両管領、扇谷上杉定正殿と山内上杉顕定殿のご決裁に従っている。それは即ち、蟇六は管領側の、つまり敵方の家臣の相続人であり、鎌倉公方様に対する旧功や旧恩がないのだ。新たに管領側に忠義を少しでも見せなくては、大塚村の村長の地位と荘園を長く保つことができない。これが彼が恐れる二つ目」
 犬塚番作は水を飲みながら説明を続けた。

 従って蟇六の目的は、村雨の宝刀を鎌倉の管領に献上し、公私の心配と災いを祓って安心するためである。
 姉のために、村長の座と荘園をもう争うことはしない。
 そのために一振りの太刀を惜しんだりもしないが、あの宝刀は幼君の形見でもあり、亡父の遺命は重く、この身が共に滅ぼうとも、姉婿には絶対に渡すことはできない。
 また当初、村雨を足利成氏殿へ献上しなかったのは、姉を思っただけではない。春王、安王、永寿王、永寿王はかつての成氏殿の幼名だが、皆先代の足利持氏殿のお子ではあるけれど、父の大塚匠作は、春王、安王の両若君のお世話をしていた。
 両若君が美濃で討たれなさったので、宝刀は両若君と父の形見として菩提を弔えと遺訓を受けたが、生き残られた永寿王こと足利成氏殿に捧げよ、と言われたことはない。

 永寿王は結城合戦には関わることなく、信濃で育てられたのである。

 しかし主君と亡父の義に寄ってはいたが、犬塚番作は考え直した。信乃の元服後、宝刀村雨を左兵衛督足利成氏に献上して身を立てさせようと。だからこそたくさん賊がやってきたが、何度も防いで秘蔵していたのだ。

「今宵、お前に譲ることにする。見なさい」
 少しの沈黙の後、犬塚番作は口を開いてそう言った。

 犬塚番作は硯箱にある小刀を取って、家の柱に釣ってあった大きな竹の筒を打ち、更に釣り縄を切断した。竹の筒はそのまま落ちて、二つに割れて中から、村雨の宝刀が現れた。
 錦の袋の紐を急いで解いた犬塚番作は、刀の鞘をうやうやしく額に押し当てて、何ごとかを念じてから刀身を抜き放った。
 信乃は間近でそれを見た。鍔元から切っ先まで瞬きもせずに見つめた。
 煌々と光り輝く北斗七星の紋、それは冷たく光り、刀身は三尺(約90センチ)の氷の刃であった。露を結び、霜が固まって、まるで半月の様に見える。
 それは邪悪を退け、妖を鎮めて、千年の宝剣にも見える。古代中国の太阿、龍泉、我が国の平忠盛の抜丸、蒔鳩、平氏の重宝の小烏、源頼光の鬼丸といった名剣にも、勝るとも劣るまい。


【犬塚番作遺訓して、夜その子に村雨の太刀を譲る】

竹の中から村雨発現!!

病の番作さん、顔色悪し。

 

 しばらくして犬塚番作は刃を鞘に納め、
「信乃よ、この宝剣の奇跡を知っているか。殺気を持って刀を抜けば、切っ先から露が滴る。敵を切り、刃が血塗れば、水がますますほとばしって、手の動きに呼応して水を散らす。例えるなら、ひとしきり激しく降っては止む雨が木の梢を払う様だ。即ち、村雨から名づけられた。これをお前に譲るが、その様では相応しくないな。髻を短くして、今から犬塚信乃戌孝(もりたか)と名乗りなさい」
 犬塚番作は息子に語り掛け続けた。
「かねてから二八の十六歳の春を待ってから元服させようと思ってはいたが、私は宿病に苦しめられ、長く生きることはできないだろう。今日死ななければ、明日は死ぬだろうと思っていた。もし死なないとしても、今年の寒さと暑さは厳しく越えられそうもない。ただ残念に思うのは、お前はわずかに十一歳、孤児となることだ」
 と言って深くため息を吐く。
 信乃は思わず親の顔を見上げて、
「何ごとをおっしゃるのですか。例え多病といっても、父のお年は五十にもなっておりません。どうしてそんなことを言うのですか。今日、明日などと良からぬことを急がせるのです。御教書のことは、実は本当で追手が来るのであれば、父上が取り手を引き受けて、私をお救い下さるとのおつもりでしょうか。そんなことはおやめ下さい」
 と言う間もなく、犬塚番作はからからと笑い、
「御教書のことは嘘偽りだから、捕まることもない。しかし、我が姉の謀りであっても、糠助がもう一度来る時にお前のことを良く頼むつもりだから良かったのかもしれない。死期が近い親の痩せ腹、今目の当たりにかき切って、お前を姉に託すことにした」
 と言うから信乃はいよいよ呆れ果てて、
「父上のお言葉とも思えません。親類ではありますが、あの人たちはひとかどならぬ、言わば仇敵です。父上を喪ったからと言って、理由もなく仇敵に子供を託すとは、訳が分かりません」
 と詰った。
 父はうなづいて、
「その疑いはもっともだ。これは我が遠謀、村雨の太刀も奪われずに、今から姉の手を借りて、お前を一人前にするのみ。とても長生きできそうもない、親の自殺は子を肥やす苦肉の一計であると知るが良い。我が姉夫婦は利に耽り恩義を知らない性だが、この番作の自決を聞けば、大塚村の人々はいよいよ村長を憎む様になる。集まっては姉夫婦の非を管領に訴えることもあるかもと心配するはずだ。であればお前を引き取って誠実に養い、里の者たちの憤りを和らげると考えるだろう」
 犬塚番作は刀を取って、
「またこの宝刀は姉夫婦がいろんな手立てで奪おうとも、元から親の遺命があるとするのだ。そして元服の後、古河に参上して、左兵衛督足利成氏にこそ献上すると言え。このことだけは譲れないと固く拒んで、寝る時も起きている時も常にそばに置き、盗まれない様にしなさい。宝刀が手に入らないとしても、蟇六は家に刀があるのであればいつかは奪うのが容易であると思って心を許して、急に迫ってはこないと思う。それを防ぐのは、お前の知力に掛かっている。なまじ宝刀を隠してしまうと奪おうとする気持ちは決して揺るがず、防いでいても遂には奪われてしまう」
 古代中国、後漢の黄叔度こと黄憲が琴を鳴らして、盗賊を追い返したという計略と同じだよ、と言った。
 少ない兵士数で守れないところだったが、敵同士に疑心暗鬼を起こさせ、危機一髪のところではあったが、九死に一生をを得た逸話である。
 賢い知恵さえあれば、機に臨んで変に応じ、何ごとがあっても防ぐことができるだろう。肝に銘じてそれを忘れてはいけないよ、父は続けた。
 しかし、と言う。
「しかし我が姉夫婦が万一にも気持ちを改めて、本当にお前を憐れんで接するのであれば、お前もまた真心を持って姉夫婦に仕えて、養育の恩義に報いなさい。また宝刀を奪うことを諦めないのならば」
 犬塚番作は続けた。
「村雨を抱いて早く去りなさい。五年や七年、養われたとしても、お前は大塚氏の嫡孫だ。言ってしまうのは何だが、蟇六の職と禄は、お前の祖父の賜物。その禄で元服したとしても、伯母婿である蟇六の恩ではない。例え宝刀を持って村を去ったとしても、それは不義ではない。この理をわきまえていきなさい」
 一杯水をまた飲んでから父はにやりと笑った。
「私の計略はこんなところだ。長くもない余命を貪り、この時を逃して後で病床で息絶えるのであれば、伯母もお前を養わず、宝刀も悪人の手に落ちて、私の計略も絵に描いた餅になってしまう。この刀は君父の形見だ」
 私は古代中国の伯夷、叔斉兄弟の様に首陽山に入って蕨などの山菜を取ったりはしないが、二君には仕えたりはしない。しかし最期に村雨の力を借りて、奇跡を見せようと言った。

 村雨の宝刀を再び取って抜こうとする父の拳に、信乃は慌てて取りすがった。
「父上が後々のことまでお考えになった計略は良く分かりました。あくまで私のことを思ってのご自害、父上の慈しみを分からずにお止めする訳ではございません。例え、私の手には負えない難病であっても良薬良医を求めて、父上を看病し、お近くでお仕えします。届かずに病気が治らないとしても、私がおそばにおります。きちんと見定めることなくお腹を召されれば、人はただ狂死したと言うでしょう。ご自害など、今宵に限ってなさることではありません」
 と信乃は必死になって止めるが、犬塚番作は声を激しくして、
「愚かなことを言う。死すべき時に死ななければ、他に死ぬ時に恥が多くなるだけだ。嘉吉の昔、結城にて死ねなかったのは君父のため、足が悪くなって筑摩に三年の間旅住まいし、母の今際に遭えなかったのは生きていく甲斐のない後悔であった。それから二十年余り、なすすべもなく何もせずに過ごして露命を貪り生きてきた。今、また子供の身の上思わずに、いつまで生きていよう。千曳の石は転がることはあっても、私の心は転ばない。止めるのは不孝であるぞ。今にも糠助が来てしまえば、邪魔をするに違いない。そこをどけ」
 荒々しく左手を伸ばして、捻じ伏せ様とする。
 信乃の髻はちぎれ、髪は乱れて転ぶものの、右の拳は父を離しはしなかった。
「お叱りを蒙るとも、ご自害のことだけは逆らってもお止めいたします。お許し下さい」
 しがみつき、刃を奪い取ろうと焦ったが、子供の力は大人にはなかなか及ばない。放せ放せと怒りの声、子は尚も一生懸命に絡みつく。
 果てしない争いと思われたが、とうとう犬塚番作は我が子をしっかと伏せて、その背中の上に座り込んだ。病み衰えていても、父は勇士であり、どうやっても動かせない。
 信乃は哀しく悶えて、何度も跳ね返そうとしたが、枷も鉄輪も着けられた様に動けはしない。
 その間に犬塚番作は、襟を掻き分けて上半身を剝き出しにした。そして刃を引き抜いて、右の袂を巻き添えて、氷の様な切っ先を腹にぐさと突立て、心静かに引いた。
 ほとばしった血潮の下に浴びる子は血の涙に瞳を濡らし、親は刃を持ち換えてさすがに弱った右の手に左手を添えて、咽喉を刺そうとした。
「ん、ん」
 何度か外した後、ようやく刃は咽喉を貫いた。倒れる犬塚番作と身を起こす信乃は、半身を深紅に染めている。
 父の亡骸に抱きつき信乃は号泣する。秋風は寒く、紅葉の様な信乃の手は血に濡れて、枯れた巨木を抱きしめている様だった。

 そこへ糠助がやって来た。犬塚番作の回答を聞こうとして、日が暮れてからやって来たのだが、近づくと信乃の泣き声が聞こえる。
 何ごとが起きたと抜き足差し足で近づくと、思いがけずも犬塚家の主の自害である。糠助は驚き、恐れて、舌を巻き、身の毛が立ち、歯の根ががたがた震えて合わなかった。
 足も震えて止まらなかった。膝を押さえるのが精一杯で、犬塚邸の中には入れなかった。戻ろうと思ってもいつにもなく足は重く、誰かが腰を引き留めているかの様だ。
 糠助は思う様に動けないが、やっとの思いで外に出て、ため息を吐いた。まずは起こったことを村長に告げようと裾を端折って、どうにか走り出した。

 糠助が来たことも知らずに、信乃は涙の滝の糸に暮れていた。むせ返り、嘆いているうちに、ようやくわずかながらも理性を取り戻して、顔を上げ、
「悔しい、私の年がもう四つ五つ上であれば、刃を持った父上の尻に敷かれて、父を死なせはしなかったのに。声を限りに泣いても、来る夜と一緒に口説いたとしても、無駄なのだ。もう父のおためにもならない」
 信乃は自嘲気味であった。
「父の遺言の趣きは耳に残り、はらわたに染み渡った。露ばかりも背こうとは思わないが、錦の袋に毒を詰め込んだ伯母と伯母婿に養われるなど御免だ。それだけではない、謀られて宝刀を奪い取られれば、この身の不覚、亡き両親に申上げる言葉もない。戦場では父子もろともに討ち死にすることも多い。頼みにもならない伯母を宛てにして、ぼんやりと生きて行くのは却って父やご先祖の名を恥ずかしめてしまう。父上がおいでであったからこそ、辛いことにも堪えられた。今日から誰のために、数多くの艱難辛苦を忍んでいこうというのだ」
 信乃は決意した。
「ご遺言には反するが。足元の弱い父に追いついてその手を引き、一緒に死出の山路を越えて、母に逢おう、そうしよう」
 と独り言を言い、父の手を放して村雨の太刀を取り上げた。明かりに刀身を寄せて表も裏も見返して、
「珍しい。血潮が水で洗い流した様になっている。親には及ばないが、この刀で信乃の自害もさせていただくことは、申し訳ない」
 と額に押し頂いた。

 その時、軒先から犬の鳴く声が聞こえた。藁の上で伏せていた犬が、深手の苦痛に我慢できずに弱々しく吠えたのだ。
 信乃は見返して、
「ああ、与四郎はまだ生きていたか。あの犬を得て私は生まれ、その犬によって父を喪うことになった。ことの始めを聞き、ことの終わりを思えば、愛してもいるし憎んでもいる。だがこのままこの犬を捨てておけば可哀想だ。このまま生きていくのが厳しいと思われる傷、一晩中苦痛に悩まされるより、速やかに我が手に掛かれ。犬畜生の死を促すのにこの宝刀を汚すのは、大変恐れ多いことではあるが、血潮に染まらなかった刃の奇跡を起こそう、誰がためにも惜しくはない。さあ、痛みから助けてやろう、聞こえたか、与四郎」
 と問うて、信乃は太刀を引っ提げて縁側からひらりと降りて、村雨を振り上げた。
 与四郎は刃を恐れず、前足を突き立ててうなじを伸ばした。ここを切れと言わんばかりの健気さである。
 自分より一歳上の言わば幼馴染みでもあり、両親も可愛がって養い、自分には馴れも懐きもあるこの犬をどうやって斬ればいいのだ、と思い、思わず躊躇して太刀を振りかぶった手も降ろせなかった。
「しかしこの犬はこのままにしておいても、明日死んでしまうかもしれない。また伯母夫婦の手に掛かって死ぬかもしれない。心を弱く思うな。与四郎、如是畜生、発菩提心」
 刃が閃いて、犬の頭がはたと落ちる。さっとほとばしる鮮血の勢いは、五尺(約150センチ)の紅の絹を掛けた様に勢い良く、そして激しい音で立ち昇った。
 その中で何か煌くものがあり、信乃は左手を伸ばして掴むことができた。鮮血の勢いはすぐに衰えた。

【自殺を決めて信乃、与四郎を切る】

与四郎君が哀れ過ぎて、私も感涙です。後ろでは番作さんが伏しております(涙)

亀篠と蟇六が覗き見していますね。

おっと珠が浮いてる?!

 

 信乃は滴る刃の露と水を袖で拭い、急いで鞘に納めて腰に帯び、左手を見た。犬の首の切り口から出たものを血を洗いながら覗き込むと、それは一つの白玉である。大きさは豆の倍ほどであり、紐を通す穴さえあった。見た感じではこれは数珠の珠に違いない。
 思い掛けないものだったので、信乃はとても不審に思った。明るい月の光にかざしてまた見つめると、珠の中に一つの文字がある様だ。正に孝の一文字である。
 削られたものでもなく、書かれたものでもないと思われた。ただ自然に加われた様で、信乃はひどく感動を覚えた。
「この不思議な珠、不思議な文字。私は良くは知らないが、思い出すと母が子宝を祈って滝野川から帰る時に、途中でこの犬を見て、可愛がって見過ごすことができず仕方なく連れ帰った。家路に急ぐ途中で、夢か現か神女を目撃し、一個の珠が授けられたのになくしてしまい、犬の近くで転がったのを見失った。探したのにとうとう見つからなかったと言う」

 確かそのころから母は身籠って、次の年の秋の始めに信乃を出産したと教えてくれた。
 その後、母は長く病気になり、神仏にいろいろ祈ったがその甲斐なく、珠も見つからないせいか病気は重くなった。そしてとうとう重篤になってしまった。
 この珠さえ見つかれば母の病気も快方に向かうはずだと望みを掛けて探したが、見たこともない珠はとうとう見つからずに、母はその冬に亡くなってしまった。

 三年後のこの秋、今宵、父上は自決し、信乃自身もも冥土の道連れにと、満身創痍の与四郎を手に掛けた。
 切った犬の傷口から不思議に現れた珠に、両親を失い、信乃自身も覚悟の今際に及んで、自分の名を示す孝の一字(信乃の名乗りは戌孝である)が確かに見えても、これではまるで六日の菖蒲で十日の菊、必要とする時に間に合わず、手遅れとしか言い様がない。
 この珠、どうしてやろうか。

 と腹が今更ながらに立って、投げ捨てたが、珠はそのまま跳ね返って、懐に入って来る。気味が悪いとまた投げるが飛び返り、また投げても飛び返ってきた。三回同じことが起きたので、半ば呆れて珠を見ながら手をこまねいた。
 しばらくの間考えてはいたが、うなづいて、
「この珠は本当に霊力があるものなのだ。母が落とした時に犬が飲み込んでしまったからこそ、十二年の今に至って、歯は堅固で、毛並みは良く、血気はいつも盛んだったのは、与四郎の腹にこの珠があったからなのだろう。これはこの世に二つとない宝かもしれない」

 例えこの珠が古代中国の有名な随候珠や趙璧であっても、この命は惜しくなどない。
 孝の珠が宝だとしても、迷って死を恐れたりはしない。

「貴人の亡骸に珠を一緒に埋める例はあるが、無益なことだ。宝刀村雨も私が死んだ後、欲しければ誰かが取れば良い。いざ、それでは父上に追いつこう。大分時間が立ってしまった」
 と呟いて、父の亡骸の横に並んで、最期の覚悟を決めて、宝刀を三度戴き、上半身を露わにした。ふと見ると、左腕に大きな痣がいつの間にか出来ており、形が牡丹の花びらに似ていることに気づいた。
 何だろうと肘を曲げて良く見てみた。触ってみても手習いの墨などとは違う様だが、色は黒かった。
 腕を叩いて、
「昨日や今朝までこの痣はなかった。先ほど珠が飛び返って懐に入った際に、左腕に当たって少し痛かったが、痣が出来るほどではなかった。国が危うくなる時に様々な妖異があり、人が死のうとする時にまた妖怪を見ると言う。両親の教えてもらったり、漢籍にもそう載っていた。すべてこれは私自身の惑いなのだ。死んでしまえば土になるというのに、痣もほくろも嫌がってもどうなるものでもない」
 信乃は再び決意した。ある意味、勇気が弛まず世にも稀な孝子であり神童でもある。古人である秦の甘羅(かんら)、後漢の孔融、北宋の趙幼悟(ちょうようご)の才能にも負けず、今またこの子供、信乃も大したものである。 
 春の夜は短くて、早やくも宵の口(午後8時ごろ)を告げる寺の鐘も無常の音に聞こえた。
 信乃は額の乱れ髪を掻き分けて、宝刀を手に取った。
「ああ、我ながら父に大分遅れを取った。父上、母上、一蓮托生でございます、南無阿弥陀仏」
 と唱えつつ、刃をきらりと引き抜いて腹を切ろうとしたその刹那、たちまち庭の木陰から、
「待て待て、信乃、待ちなさい」
 と大きな声で急いで呼び掛ける男女三人が現れて、飛ぶがごとくに縁側から等しく入って来るのだった。

(続く……かも)

コメント (2)
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