馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

伊賀上野城に登ってきました

2025-02-15 21:05:46 | 城攻め

2025年2月15日伊賀上野城に登ってきました。

日本100名城の47番目です。4回目くらいですね。

再現天守ですが大好きなお城です。こんなトコにあるのですよ。

今日は天気も良くお出かけ日和。気持ち良く探索ができそうです。

まずは近鉄電車で伊賀神戸駅へ。ここからは伊賀鉄道線に乗換えます。

くノ一の電車ですが全然忍んでいません。松本零士さんのデザインですかね。ニンニン。

20分くらいで最寄りの上野市駅に到着です。

コインロッカーも忍びだらけニンニン。

上野市駅……忍者市駅?ニンニン

メーテルと哲郎がいました、忍者に取り囲まれています。

ポケモンのマンホール、アギルダーとミジュマルです。あまり詳しくないのですいません。

北へ5分くらい歩くと旧の伊賀市役所が取壊し中で、その横を歩いていきます。

すぐにお城公園の入り口が。

日差しが暖かいです、嬉しいですね。

伊賀上野には雪は見当たりませんでした(笑)

スーパーNINJAショウ、時間が合えば見ていきましょう、ニンニン。

この石垣は多分当時のものでは……ないかな?

進むと、

見えてきました、伊賀上野城。

うーん、木が邪魔です。

門の跡。裏門らしいですよ。

降りてみましょう。

降りて振り返ると、素晴らしい石垣があるのでした。

お城に近づきます。

素晴らしいですね!!

1935年昭和10年に復興天守が完成したそうです。

第二次世界大戦の戦災には遭わなかったのでしょうか。

お城に入る前に……

日本一・二の高さで有名な高石垣、これを見ない手はありません。

西側から見た天守。これを見ながら進みます。

来ました、高石垣。

高さのライバルは大阪城だそうですよ。

眼が眩みますね。

時々高石垣から転落して亡くなる人もいるんですって。

私も足がすくむので、城内へ参ります(笑)

別名、白鳳城。その異名にふさわしいですね。では登城します。

入場料は600円、若干値上げしたみたいです。

1612年慶長17年に建設途中の天守は倒壊してしまい、そのまま大阪の陣に突入、徳川幕府が安泰になると、そのまま天守はなし( ;∀;)

藤堂高虎もきっと涙目だったでしょう。大阪の陣では藤堂勢は大損害を受けておりますし、津城を本拠としてしまいました(´・ω・`)

ですので、復興天守は歴史的には正しくないと思われます。

入ってすぐに藤堂高虎の唐冠形兜があります!!

しかしこの兜……首を捻ることも難しいのでは?

一族の若武者に与えて使用させたは良いのですが、木村重成にやられてしまったのですね。

藤堂家系図。ちなみに左の寅さんは関係ないんですよ。

あ、養子の藤堂高吉さんの名前が出てますね。

本家は実子の藤堂高次が継いだ訳ですが、高吉さんとの軋轢についてはこちらを。

 

伊賀と名張を探検してきました - 馬鹿琴の独り言

2023年2月23日伊賀と名張を探検してきました。先日甲賀を探検したので、今度は伊賀とその奥地にある名張を見てきたくなったのです。伊賀や名張と言っても、いろいろ見て回る...

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入口の全景。壁に忍者が貼りついて常時見張っています。突き当りに兜が展示されています。

和風バイオハザードな階段。

こちらも展示物が飾っています。

武器武具ではなく藤堂家の調度品などを展示していました。

例えば藤堂家のタンス。剥き出しで置いてありますからね、触れるのは我慢です。

面白い文書がありました。藤堂高虎が家臣たちに伝えたものだそうです。

今回は全部は訳せませんが、赤線を引いたところにご注目。

ここだけ意訳しますと、

【衆道に手を出した者は、妻子ともども成敗仕るべきことを心得る様に】

男色、NGなんですよ。妻子ともども、とあるから両刀使いの人もダメどころか、家族も一緒に罰をもらってしまいます。

怖い怖い。

更に上の最上階へ。

こちらが最上階。

天井に揮毫した当時の名士たちの名前が記してあります。

尾崎行雄、若槻礼次郎、高浜虚子、金子堅太郎、清浦奎吾、細川護立(細川護熙さんのお爺さん)、横山大観、岡田啓介、徳川家達(第16代徳川家当主)、近衛文麿、宇垣一成、徳富蘇峰、下田歌子(岩村城の途中にお家があるのです)他多士済々。

政治家、軍人から学者、芸術家までそろっています。

近衛文麿さんの揮毫。明績重新???

横山大観さんは満月の絵。キレイ。

桃瓦はなかった感じ。

伊賀忍者と神君伊賀越え、伊賀でもう1つ有名なのが、鍵屋の辻の敵討ち。

赤枠四角内に荒木又右衛門ならぬ唐木政右衛門の絵が描かれております、剣の達人設定のせいか、敵討ちの当人より主役になっているのです。

後で鍵屋の辻にも寄ってみましょう、近いので。

大体城内を見終わって外に……あ、別に資料館があります。

いきなりの井戸。外に繋がっているとかいないとか(どっちなんだい!?)

ふ、深いです。

探偵ナイトスクープという番組で潜ったそうですが、抜け穴は見つからなかったそうです。

外に出ました。12時過ぎですので、ぶらぶらと忍者屋敷に向かってみます。

城代役所跡なんてものがありました。

今はご覧の通り何もありませんです。

伊賀上野地場産買物処。忍者グッズばかりです。

外国人の方々は楽しそう。

今、12時20分。13時のショウまで忍者屋敷に忍んでみますニンニン。

その前に城山稲荷神社に詣でました。

お代は800円ですが、今年の4月から1,000円になる様です、ニンニン。

潜り戸に入りますよ~

縄梯子です、上に隠し部屋があるのですニンニン。

赤いくノ一が隠し部屋から覗いています。

出た、どんでん返しニンニン。

別のどんでん返しですニンニン。

お仏壇がありました。不動明王でしょうかニンニン。

その脇の絵が……

服部大明神画像。服部神社というのは諸国にある様です。

しかし絵の左に江府四ツ谷西念寺、とあります。服部半蔵(初代)他服部一族数名のお墓があるところなのですよ。

初代槍の半蔵を神格化したのでしょうか。

今度は西念寺に行ってみる必要がありますね(笑)

地下に潜りますニンニン。

水遁の術でお馴染みの水蜘蛛ですよニンニン。

上に乗ってお堀を渡れるかという疑問がありますが……

水蜘蛛の術の正体は、浮き輪状態でした。

そりゃそうですよね、ニンニン。

忍者服。黒ではなかった様です。柿の葉色でもないのかな?

紺色だとは知りませんでしたニンニン。

様々な手裏剣があるのです。結構重いんですってニンニン。

みんな大好き苦無(くない)

反りのない直刀、いわゆる忍び刀ですが、幕末のころのものでシンボルチックな感じだそうですニンニン。

踏んだら痛いまきびし、アタタタ

隣接した忍者伝承館に入りました。

出ました、役行者さん。数々のお寺や寺院を建てた上に忍者の一人として紹介されています。

鬼神も使い、呪法も使い、空も飛びます。追放もされていますし、八犬伝でもお馴染みです。

支那の伏義、黄帝が始まりとされておりますよニンニン。

孫氏の兵法も忍術の一種なんですかねえニンニン。

もうすぐ13時の忍者ショウです、楽しみですニンニン。

500円の見物料が必要ですが、撮影禁止でした(;´д`)トホホ

殺陣、手裏剣術、組み紐による捕縛術、鎖鎌の演武、忍び刀の使い方、吹き矢など盛り沢山でした。

 

お昼を食べたいので、上野市駅方面に向かいます。

外に出る訳ですが……

高石垣を充分見学できるのです。

素敵な石垣、ウットリしちゃいます。

天守もチラと見えるのです。

伊賀と名張を探検しました、で見つけた忍者マンホールのカラー版がありましたよニンニン。

伊賀市ハイトピア2階のグラツィエさん。

グラツィエ | 伊賀肉(伊賀牛)の奥田

ハンバーグランチ1,490円、食後にソフトドリンクとデザート付き。

美味しかったですのよ。

 

食後は鍵屋の辻へ。西に向かって歩きます。

こちらは初めての忍者マンホール。伊賀上野城ヴァージョンです。

1キロほど歩きますと、

下ると鍵屋の辻です。

ほほう、ここが日本三大敵討ちの鍵屋の辻の現場ですか。

他の2つは、曽我兄弟の敵討ち、赤穂浪士の敵討ちです。

敵討ちの概要です。

これも発端は衆道ですね、藤堂高虎の命令は正しかったのかも。

岡山藩士河合又五郎が藩主池田忠雄が寵愛する同僚の渡辺源太夫に言い寄ったものの、源太夫さんは殿様の恋人ですので肘鉄を喰らわせたのです。

怒った河合又五郎さんは源太夫さんを殺して、江戸へ逃亡、旗本の安藤さんのところへ逃げました。

恋人を殺されて怒った池田忠雄さんは激怒、幕府に訴えますが安藤さんは河合又五郎の引渡しを拒否してしまいました。

大名対旗本の対決ということで世間は盛り上がります。

小牧長久手の戦いで、安藤さんの親戚の徳川方旗本安藤直次が池田元助を倒しているという因縁があります。

池田元助の弟の輝政が池田家を継承しているので、池田対安藤というのは、不思議な結びつきなんですねえ。

困った幕府は旗本たちを謹慎させ、犯人の河合又五郎を江戸から追放しました。

ところが肝心の池田忠雄が病気に罹り、死に臨んで遺言として河合又五郎を討つ様に命じるのです。

渡辺源太夫の兄、数馬は姉の旦那さんである荒木又右衛門に助太刀を依頼しました。

又右衛門は伊賀出身、新陰流を学んだ剣の達人ですので、当てにしたのでしょう。

又右衛門は了承し、大和郡山藩の剣術指南役を辞めて、渡辺数馬に随伴します。

最初の事件から4年後、1634年寛永11年、とうとう渡辺軍団は河合又五郎を見つけて決闘を挑むことになったのでした。

ちなみに渡辺側は4人、河合側は11人だったそうですが、死者は渡辺側1人、河合側4人。

ターゲットの河合又五郎は渡辺数馬が無事討ち取ったそうですよ、良かったですね。

ただこの決闘、早朝から6時間も掛かったそうですよ。敵討ちも大変なのです。

荒木又右衛門はバッサバッサとたくさん斬ったイメージがありますが、それは講談や映画の話で、実際には2人のみ斬ったそうです。

それでもやはり剣豪ですね。魔界転生でも召喚される訳です(笑)

あれ、資料館はお休みでした(´・ω・`)

記念碑までもあるのです。

しかし荒木又右衛門からすれば、出身の伊賀で敵と遭遇ですから、地の利を得ておりますなあ。

それではそろそろ帰ろうと思いましたが、伊賀電鉄さんの時間が約1時間もあります。

上野市駅まで戻ります。

お昼を食べた伊賀市ハイトピア5階には展望台があったのです。白鳳城素敵。

俳聖芭蕉さんの像も駅前にはあります。

芭蕉さんも忍者説があって楽しいですね。

伊賀鉄道さんのイメージキャラ、広小路かやさん。

伊賀線は開業して100年以上あるのです。この先も頑張って走って欲しいですね。

電車が来そうです、でわ。

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雪の月山富田城に登ってきました

2025-02-11 21:35:34 | 城攻め

2025年2月11日、雪の月山富田城に登ってきました。

今回はここがメインなのでした。

月山富田城は日本100名城65番目、尼子氏の居城。

私は3回目だったかな。こんなトコにあります。

結構不便なところにあるのです。米子駅か荒島駅、安来駅からバスが出ています。

ということで7時半にJR荒島駅。米子から出雲、松江方面に向かって2駅です。

ご覧の通り雪は降っていませんが、積もってますねえ( ゚Д゚)

これは厳しいかもしれません( ;∀;)

JR荒島駅です。ポストの隣にバス停がありますでしょ?

ここからバスに乗って向かいます、お庭で有名な足立美術館には寄りませぬ(笑)

駅も山中鹿介のポスターを貼って推しています。私も彼が好きです。

麒麟がくるではなく、麒麟がいる、です。山陰の麒麟児、山中鹿介、カッコいいのです。

赤の四角が荒島駅、右上方の赤い丸が目的地の月山富田城です。遠いですね(笑)

あら、7時50分バスの時間になりました。

これこれ。安来市のイエローバスという乗り物に乗ります。

ICカードは使えず後払いの200円でした。

乗客私一人でした(´・ω・`)では出発~

 

寝たら危険ですので、おメメぱっちりでいきます。

見た目の距離の割に、約20分でピュアレ前というバス停で下車しました。

あれが月山富田城です、(;゚д゚)ゴクリ…雪積もってますやん!!

バス停から15分、安来市立歴史資料館と道の駅広瀬・富田城に着きました。

雪は降っていませんが、暗鬱な曇り空。そして風が冷たいです。

こんなイメージ。雪もフカフカですが行きましょうか……

でもその前に安来市立歴史資料館がオープンしています、寄ってみましょう。

凄いです、こんな要塞だったのでしょうか。

尼子氏と中国地方の関係図。

これを見ると、尼子・大内の勢力圏のはざまにいた毛利氏が、中国地方の覇者になるとは分からないものです。

紅顔の美少年な山中鹿介さん、可愛い(笑)

今どきゲーム風の鹿介さん。月にもっと祈って下さい。

御城印を入手しました。

お城カードもGETです、ミッションクリア。

これで登らなくても良いのですが、そんな訳にも参りません。

昨日、米子城で雪の登城訓練をしたので、行けるところまで行きましょう。

尼子興久さんのお墓が起点となります。

彼は尼子経久の三男で、塩谷氏に養子に行きます。父に反乱を起こして、結局負けて自害。38才で亡くなりました。

その横を失礼しますよ。

道があるようでありません(見えません)が、誰かさんの足跡があるので踏んでたどっていきます。

早速の登り道を登って行くと、

尼子神社です。無事を祈願せざるを得ません!!

千畳平。大きくて広い曲輪なのですが、今は単なる雪原。

先進むと境界が分からなくなるので困ります。

またちょっと登りますと……

月に祈る山中鹿介像。

願わくは我に七難八苦を与え給えと三日月に祈り、それが実現してしまった戦国きってのマゾヒストなのです。

更に登ると、花の壇と呼ばれる施設に来ました。

発掘すると、当時の花壇みたいなものが見つかったそうですよ。

休憩できる様なんですが、この時間は施錠されていました^^

部分部分では石垣もあるのです。

上部にはこれから登る七曲りが見えていますが、真っ白(涙)

うわ、何か吹雪いてきました、前途多難かも。

軍用大井戸と書いてありますが、何も見えません。

菅谷口と書いてあります。虎口なんでしょうか。

これ以上は先に行けません。

方向を変えて山中御殿平(やまなかではありません、さんちゅうごてんひら)に進むと、

鏡石のある石垣。

この左側を歩きます。少し雪が深いです。

石垣がキレイすぎます、後で直したのかな?

とうとう来ました、七曲りの入り口。9時25分です。

10分進んで小休止。後ろを振り返りました。

山吹井戸。

しかし井戸が見当たりません、足もずぼっとはまりそうですので、探索は断念。

あれ、意外と呆気なく七曲りを登り切ったようです。9時39分。

15分弱で雪道を登れた訳ですね( ̄ー ̄)ニヤリ

私、頑張りました(自画自賛)

西袖ヶ平から見た三ノ丸。

左側から登ることができます、行きましょう。

大きな鳥居が見えました。

すぐ二ノ丸です。

ここからは眺めが良く海も見えるのです。

米子方面の中海です。

薄く日も差してきました、もっと早くお願いしますよ(笑)

二ノ丸の小屋は、休憩用でここは開いていました。

地元の写真家の方の作品が展示されていました。

では、最後の本丸に行きましょう……あれ?二ノ丸から道が繋がっていません(´・ω・`)

雪で良く分かりませんので探してみましょう。

ありました、一旦下る必要があるのでした。

雪道をおいしよおいしょ。

振り返って二ノ丸。やっぱり直接進めない様になっているのですね。

本丸に到着しました!9時44分。

山中鹿介記念碑……ですが、これ割れていませんか?

題字は【山中幸盛塔】と記されております。

本丸の頂上には神社があります。

勝日高守神社です。大国主命を祀っているそうです。

お参りしたのですが、少し不思議に思いました。唐獅子から見て、本殿は何故か右側を向いているのです。

中のご神体の向きまでは確認できておりませんが……

 

さて恐怖の下山を開始します。

七曲りが滑りそうで怖いのですが、手すりに掴まってそろそろと降ります。

30分近く掛けて山中御殿平に到着です。

この階段も降りるのが苦戦しました。

大土塁、というのがあるそうです、見に行ってみます。

おー立派な石垣です。

その隣が土塁でした。うーん、良く分かりません。

御子守口に出てしまいました。

史跡の表示をパシャリ。

自動販売機も山中鹿介推しでした。

入口から3時間弱で月山富田城を登って降りることができましたね。

 

バスの時間がまだありそうですので、何か探しましょう。

山中鹿介生誕地!!これは見ない手はありません。

自動販売機から10分、見つけました。

やれやれ、坂を登るみたいです。

ここですね、屋敷跡。

ご自由にお入り下さいと書いてあるのですが、門が雪で動きませんぞ(´・ω・`)

仕方ありません、門の外からパシャリ。

山中鹿介幸盛屋敷跡を確認しました。

後は新宮党館跡があるのですが、距離があるのと時間が厳しいので諦めました。

新宮党とは尼子氏の中の精鋭部隊なのですが、武芸を鼻に掛けて傲慢な振舞いをすることもあり軋轢があって、当主尼子晴久は粛清してしまいました。

一説には、毛利元就が新宮党を厄介払いにするために謀略を仕掛けたとか何とか。

 

では道の駅で食事をしてバスに乗りましょう。

どじょっ子の停留所です。

それではイエローバスに乗って米子駅に帰ります、でわ。

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雪の米子城に登ってきました

2025-02-10 23:11:05 | 城攻め

2025年2月10日米子城に登ってきました。

こちらも昨年7月以来3回目。

以前の攻略記はこちら。

 

米子城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

2024年7月21日米子城に登ってきました。昨晩は米子泊でした。それでは朝からキツい日差しですが、行ってみましょう。米子城は続日本100名城169番目、以前2017年に一度行って...

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13時40分JR山陰本線に乗って5駅30分ほどで米子駅へ。

ふーむ、米子の方が松江より雪が深い気がします。

では、荷物を預けてちゃっちゃっと進みます。

米子城も雪化粧。

津和野の悪夢が甦りそうですが、今日は登山靴で臨んでおります。

麓はこんな感じなんです。

竹の杖をお借りしちゃいましょう。

雪には負けませんぞ!!

前は夏草で見れなかった井戸。

恐る恐る近づいてみました。水が……ありそうです。

登ります~

結構順調なんです。

右は内膳丸、左が本丸。

内膳丸は前回行ったので、左だけにしましょう。

お~見えてきました。

雪に凍る米子城址なのです。

道を踏み外すと、真っ逆さまに堕ちてデザイアーになってしまうのです。

もうすぐ頂上です。

私が米子城で一番好きなところです。麓から20分程度。

素晴らしい光景ですね!!

上には3、4人いました。

西側水手御門跡方面。しかし一面雪だらけでした。

一転して伯耆大山を見ましたが、上は雲の中。

北西の境港方面です。

俯瞰絵図ですが小さくて見えませんね(笑)

水手御門方面から本丸方面を見ました。

ここから左側を回って降りることができます。

15時半ですので、そろそろ降りましょう。視界が悪くなると、足を踏み外す可能性があります。

さらば米子城。

降りる時は竹杖が役立ちます、滑りそうですが杖が頼りなのですよ。

今日は米子に泊まって明日朝別のお城にチャレンジするのです。

ココよりも雪が凄かったら、登れませんでしたレポートでご報告いたします。

ひゃー寒くなってきました、でわ。

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雪の松江城に登ってきました

2025-02-10 22:12:34 | 城攻め

2025年2月10日、雪の松江城に登ってきました。

昨年の7月21日以来の登城です。通算3回目です。

以前の登城はこちら。

 

松江城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

2024年7月20日浜田城から松江駅で下車、松江城に登ってきました。100名城64番目、2回目の登城です。こんなトコにあります。松江駅です。しまねっこが迎えてくれました。出雲...

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何で登ったかと言えば山陰地方のあるお城に行きたいのですが、どうしてもお泊りが必要になるので、そのついでに登城いたしました。

国宝のお城を、ついでに登城、とか言語横断、問答無用、誠に申し訳ない限りでございます。

しかし予想外は最強寒波でした(´・ω・`)こればっかりは参りましたねえ。

 

前回は浜田城から松江に来ましたが、今回は朝早く大阪からバスに乗って松江に直行です。

6時40分発一畑バスさんに乗って、11時半松江駅に到着、雪はかなり残っていましたが、思ったほどではありません。

それに結構暖かく、太陽さえ出ているのです。

こちら松江駅前。雪がないでしょ。

もちろん雪かきしていただいている方のお力ではありますが。

ぐるっと松江レイクラインという観光バスが待っていてくれました、これに乗って松江城に直行です。

10分弱で松江城に到着です、助かります。

徳川家康の孫、結城秀康の三男の松平直政さんと松江城。

うっすら雪化粧の松江城。意外と緑が残っていて雪をかぶっていませんね。

堀も凍る冬の厳しさです。

それでも結構見物客が来ています。天守もちらと見えています。

例の石の壁。地面がぬかるんでいます。

松江城はですねえ、個人的感想なんですが樹木が伸び過ぎなんですよ。

もっと切りましょうよ~

繁りすぎです。

例のバイオハザード風の洋館も雪化粧。

油断して近づくと、屋根から雪が落ちてきます、要注意なのです。

南多門櫓跡。この先はチケット売り場ですが、今日はこの中には入りません。

その代わり、お城の東側を歩きましょう。

相変わらずの黒さです、松江城。

馬洗池も凍結中。

人間ではない何か小動物の足跡がちらほら。

この辺からお城を見上げますと……

良いですねえ~

こっちは人が少なくて雪もまだキレイ。少し得した気分です。

雪化粧の松江城さんも美しいのです。

真っ青のお空と真っ黒の松江城、石垣が雪をまとっておりますよ。

松江城はここまで。撤退します。

 

市民会館近くからバスに乗って松江駅に向かいます。

お昼は出雲そばにしました。

たたらやさんです。

松江観光協会 - グルメ|店舗情報

割子そば定食1,180円です。おそばも美味しいのですが、出汁飯としじみのお味噌汁が最強です。

駅の階段に描かれた松江城。

次の目的は今回も米子駅ですが、列車は1時間に大体1本。

でもお昼を食べたので時間調整済みです。

各駅停車で米子に向かいましょう、でわ。

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紀伊太田城に登ってきました

2025-02-01 23:17:07 | 城攻め

2025年2月1日、太田城に登ってきました。

太田城はこんなトコです、どこか、いえそもそもどんな城か知らないでしょ?

和歌山駅から徒歩7分というロケーションの良さ。

こちら関西の天気もあまりよろしくないので、駅からの近さに魅かれて行くことにしました。

ほい、和歌山駅。

いつものことですが、お腹が空きました。

それでいつもの丸美商店さんへ行きます。

今日は比較的空いていました。

和歌山ラーメン880円です。

食べても食べても飽きない味なのです。

さあ、天気も怪しいのでさっさと太田城へ参りますよ。

お寺の来迎寺さん。

こちらが紀伊太田城址なんです。

正門の傍らに、

ね、太田城址なんです。

しかも備中高松城、武蔵忍城、そしてここ紀伊太田城と併せて、日本三大水攻めというのだそうです。

ん、全部秀吉さんの功績じゃないですか!?

第一次太田城の合戦は織田信長の紀州攻めの時、第二次太田城の合戦は羽柴秀吉が小牧長久手の戦いの後に行ったのです。

それではお寺の中に入ってみましょう。

桃の瓦です!

花壇の中に置いてありましたよ。不思議です~何で置いてあるのでしょう。

もっと奥に進むと、

城址の碑です。

揮毫は従三位侯爵徳川頼倫(よりみち)さん。

紀州徳川家第15代当主だそうです、幕末の紀州第14代紀州藩主茂承(もちつぐ)の養子になったんですって。

 

さてお寺にお参りはしましたが、これ以外には特にお城関連の遺物はありません。

最初のお城の説明版にあった水攻めの堤跡でも見に行きましょう。

あら出たところに小山塚がありました。

降伏した武将たちの首塚!

埋葬できたのですね、良かった良かった。

調べると、来迎寺さんから北東700メートルのところに堤跡が残っているそうです。

きのくに信用金庫出水支店さんを目印に参ります。

と、歩いて10分くらいで見えてきましたよ。

ふーむ、これですね。

備中高松城、武蔵忍城、紀伊太田城でこれで日本三大水攻め城制覇です(笑)

これ以上は近づけません(´・ω・`)

あ、奥にはみかんがなっていますよ。

登りたいですが、柵もあってこれ以上はダメの様です。

 

こんなものでしょうか、天気も崩れそうですねえ、帰りましょうか、まだ早いですけれど。

それでは、また。

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