馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

美濃金山城に登ってきました

2024-06-16 05:13:06 | 城攻め

2024年6月15日美濃金山城に登ってきました。2回目です。

続100名城143番目のお城です。岩村城からの帰りに目指しました。

同じ県と思っていたら、移動が大変でした。

JR恵那駅に出てJR多治見駅に行きます。そこからJR太多線で可児駅下車。

名鉄の新可児駅まで動いて、

可愛らしい感じの名鉄車両。カエルっぽい🐸

名鉄明智駅で下車です。

バス停から明智駅をパシャリ。

YAOバスで明智駅から美濃金山城へ向かうのです。

YAOバス・コミュニティバス・デマンド交通/八百津町

このバスがあると助かりますよ~

明智駅発14時56分で元兼山町役場前15時7分下車、250円。

まずは資料を得るため戦国山城ミュージアムと可児市観光交流館へ。

自販機も戦国モード。

地図を観光交流館で入手、お手洗いもお借りします。

隣りの戦国ミュージアムで、

お城カードもGET。ミッションクリア。

それでは15時20分ですが、遅めの城攻めをいたしまする。

目印とした米蔵跡広場に到着。

石組みが見事ですよねえ。

穴太積みらしいです。この石組みを越えて登らないといけません。

うらじろの径を登りましょう。

序盤です。

ふうふう、15時40分、分岐点へ。迷わず本丸跡へ。

10分くらいで視界が開けてきましたよ。

左右どちらに行くべきか……表示がないのですが左に進みました。

搦手門の礎石と書いてあります、左に来て正解かしら。

石がゴロゴロな東腰曲輪跡。

いつのまにか登れたようですね。

あちらこちらに石がごろりんごろりん。

山城です。

搦手の虎口かな。

ここを登れば!

本丸虎口でした、到着です~

ちょいと達筆過ぎて頭に入ってこないのです(笑)

これがあれば安心の石碑。大体40分くらいで登れた訳です。

標高277メートル。

木曽御嶽は曇っていて見れませぬ。

伊吹山が見えました。その手前が岐阜城のある金華山。

では撤収~早(笑)

算木積みの天守台隅石。

石の城なのですよ。

大手側の虎口跡。

振り返って城側を見るとなるほど枡形虎口です。右に折れないと進めません。

石に魅かれながら降りて行きます。

足が先に進んで行きますよ。

慰霊碑かなと思ったら美濃金山城払下げの記念碑。戦後のことだそうです。

水の手ですが、こちらはこれ以上進めず。

本丸から下ってこんなところにいます。

石垣の後。破却されたんですって。

大手側の駐車場口まで来てしまいました。車の人はここから登るのです。

癒してくれる紫陽花の花。

どんどん降ります。

16時34分。先ほどのバス停に17時6分のバスが来てくれるのでやや早足になります。

大手道です。

やっぱり下から登るには搦手の方が楽ですね。

余裕でバスに間に合いました。明智駅で名鉄に乗り、可児まで出ます。

そこから多治見駅に出て、中央線で19時ごろ名古屋駅。

そういえばお昼を食べていません( ;∀;)

お腹が空いたので、中央線のホームにある住よしさんのきしめんをいただきました。

冷やしきしめんかき揚げ付きで630円。

前のきしめん話はこちら。

 

きしめんを食べてきました - 馬鹿琴の独り言

2023年9月1日きしめんを食べてきました。お仕事の関係で半年ぶりの名古屋へ行くことになり、伝説のきしめん屋さんである住よしさんへ行くことができました。住よしさんはこ...

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岩村城と美濃金山城を攻略しました。ふう、汗だらけです。

それでは帰ります、でわ。

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岩村城にまた登ってきました

2024-06-15 23:56:24 | 城攻め

2024年6月15日、100名城38番目の岩村城へ2年ぶりに行ってきましたよ。

ところが、またもや、またしても、再三、寝過ごしてしまい、恵那駅では降りられず、中津川駅で折り返す、という醜態です(´・ω・`)

30分遅れでJR恵那駅へ。

JR恵那駅。結構近代的です。ここからは明知鉄道に乗るのですが、駅舎は……?

JR隣りの可愛い駅です。ではフリー切符を買いましょう、おや?

開通90周年のフリー切符です、何と900円に値下げしていますよ。

90周年おめでとうございます!

明知鉄道恵那駅にある岩村の絵図面です。もう何度となく登っていますが、ワクワクします。

ヘッドマークも90年!

車内も瀟洒な感じでした。木張りの床が素敵なのです。

10時18分発で10時47分にはもう岩村駅に着いてしまいました。

本当は9時17分発で9時46分には着くはずだったのです。

小さな岩村駅。ここからひたすら登るはずでしたが……

バスですよ。しかも岩村歴史資料館まで行ってくれるそうです。

250円です、乗ることにしました。登りは楽に行きましょう。

10分弱で岩村歴史資料館と太鼓櫓のところまで来ました。

お手洗いと飲み物の確認をします。

さあ行きましょう。

比較的綺麗なマンホール。岩村城と女城主の里。

早速厳しい坂道を登りますよ。

本丸まで700メートル、標高はすでに580メートル。

整備されていますね、ありがたいことです。

気温は30度を越えていますが、風が意外と涼しくて良いです。

初門辺りです。もう既に降りてくる人がいます(ノД`)シクシク

いつも目を奪われる一の門。右側が高いのです。

すぐに二の門、土岐門です。

要塞の入り口っぽくて好きです。

狭くなってきました、畳橋。

林の中、道は狭くなっており侵入者を撃退できますね。

岩村城で二番目に素敵だと個人的に思ってしまうところです。

ここまで来ると、

霧ヶ井の井戸ですね。中を覗くと、

さすがに飲めないです(´・ω・`)

逸話は前の登城記をお読み下さい。

 

 

岩村城に登ってきた思い出を語ります - 馬鹿琴の独り言

土曜日お仕事、日曜日が骨休め、ずっとお家にいました。なので100名城の38番目、岩村城に登ってきた思い出でも綴りましょう(;∀;)今年登ってきた高取城と備中松山城...

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この井戸まで来ればもうちょっとです。

ほら、今日も素敵な六段壁。

あれれ?

前、電気のポールが立っていて、六段壁全身を写す邪魔になっていたのですが、今はありませんねえ。

昔の写真をゴソゴソと漁ってみますと、出てきました。

2012年の写真なんですが、ね、あるでしょ?

霧の立ち込む岩村城六段壁にはポールがあったのです。

除去してくれたのでしょうか。

もっと登りますよ~

もうちょっとでてっぺんです。

ここを上がりきると、

新しい表示板です。

信長さんが岩村城に登って明智光秀と宿営した際、武田勝頼が遠く甲州で自刃したと書いてあります。

その約3か月後、信長さんも光秀によって……

昇竜の井戸と慰霊碑。

んーやっぱり車が見えます。

車で登るのも道が狭くて結構大変です。でも一の門も二の門も見てない、ってことですよね。

それもまた悲しい。

本丸跡。

バス乗り場から50分で来たことになります。では、撤収!!

虎口を通って、

振り返ります。きっちり石を積んでおります。

埋見門跡。ここからの眺めも素晴らしいのですよ。

六段壁を横目に一気に下ります。

15分で岩村歴史資料館です、早い早い。

今、12時ですが、12時55分の岩村駅発の明知鉄道に乗りたいので、少し急ぎます。

町並みふれあいの館。昔の銀行っぽいです。

キタ――(゚∀゚)――!!岩村城のお城カードです。

これを得るために今回ここへ来たのですよ。ミッションクリア。緑の六段壁。

おつやの方、女城主がいましたよ。パシャリと撮影すると、

係の方が記念品をくれました。薙刀を持つおつやさん。

こちらはかめや菓子舗。

岩村三大カステラ屋さん、松浦軒本店、かめや菓子舗、松浦軒本舗の一角です。

かめやさんで和紅茶とゆずのカステラを購入しました。

かめや菓子舗はこちら。

岐阜の銘菓・お土産 かめや菓子舗|かすていら|恵那市岩村町

古い町並みにも大分お客さんが遊びに来ているようです、良かった良かった。

鴨長明祠と書いてあります。

方丈記作者の鴨長明が、岩村で逝去したという説があるそうです。

岩村駅の待合室。

ホームに出て列車を待ちます。でも反対側だから、

渡るのですよ。

反対側に大正ロマン号が来ましたよ!!

明知鉄道明智駅には日本大正村や大正ロマン館があるのです。

私は恵那駅行きに乗り、次の目的地を目指すのです。

でわ。

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長浜城に登ってきました

2024-06-08 00:33:29 | 城攻め

2024年6月7日長浜城に登ってきました。

JR木ノ本駅から4駅、JR長浜駅で下車です。乗っている間はわずか13分の近さなんです。

駅を降りて地図を見てみましょう。

ち、近いです。まあ、再現天守なんですけどね。

駅を降りるエスカレーターで必ず見てしまう太閤秀吉と長浜城。

駅から城に向かう途中に馬屋跡。

秀吉出世の長浜城が見えました。

元は今浜、浅井家滅亡後、領主となった秀吉は、信長から長をもらって長浜に地名を変えたのです。

真正面。シュッとしてますね。

おや、近づくと斜めから見た方が良い感じです。

さあ入りましょう、入場料410円、JAF割引がありました。

一気に3階に上がり、展示物を見ながら上に上がります。ところで撮影禁止ですので、映せません。

展望室まで来ました。

北側。

  竹生島         山本山 賤ヶ岳 マンション 虎御世山 小谷城

西側。

 安土山   沖島      琵琶湖西側比良山            竹生島

南側。

                       佐和山城址

                     ホテル    彦根城

東側。

                 伊吹山           関ケ原

等々見えています。

2階では竹生島の秘宝を展示していました。

ちょっと外に出て散策しましょう。

字が読めませんが、太閤井戸の跡と記しています。

琵琶湖の中に井戸の跡?ちょっと不思議です。

更に奥へ行くと……

こんなものがあるんですね。

お城の裏側に来ちゃいましたね。

実はこの付近に……

本丸跡があるんです。

再現天守と位置が違っていました。

人柱伝説もあるそうですが、見落としたようです。

お城隣接の歴史博物館で御城印GET。

15時過ぎです、そろそろ駅へ行きましょう。

太閤出世の長浜城でした。

 

でわ、また。

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賤ケ岳砦に登ってきました

2024-06-07 22:27:09 | 城攻め

2024年6月7日、賤ケ岳城……ではなく賤ケ岳砦に登ってきました。

9時20分過ぎにJR木ノ本さくら駅へ。全然人がいません( ;∀;)

エスカレーターを降りると、  

賤ケ岳合戦の絵が描かれていました。

さて今日の計画は、賤ケ岳に登りますので、登山口まで歩こうと思ったら、結構距離があることに気づいたので、

駅東口のふれあいステーションおかんさんでレンタルサイクルをお借りしました。

電動アシストなしで500円。

レンタサイクルで颯爽と出発、JR木ノ本駅東口の雄姿です。

にしても今日は暑いです。そろそろ山城攻めや登山は注意しないといけませんね。

今日のお昼は山頂へ食べるためにスーパー、地元の平和堂さんの木ノ本店でお買い物。

飲み物も買ってGO!

平和堂さんから10分くらい走ると、雰囲気の良い神社が。八幡神社です。

振り向くと、あ、賤ケ岳が見えますよ、ほら。

真ん中が賤ケ岳リフトなんでしょうね。楽しみです。

どんどこ近づいていきます。

出発して45分リフト乗り場に迫りました。

付近の地図です。登りますが、賤ケ岳で戦死した中川清秀さんのお墓までは厳しいかなあ。

帰りに黒田家御廟所に寄っていくつもりです。

左に見えるお手洗いを借りて、いざ参る!

登山道は1,500メートルですって。

リフトで行く方は左へ、私は右の登山道へ進みますよ。

リフト乗り場を見ると、七本槍が強く自己主張!!

リフトで行くのも楽しそうです。

 

【公式】賤ヶ岳リフト | 滋賀県長浜市の絶景が一望できるリフト

南西は琵琶湖と比良山系、竹生島など湖山の美しさ、東は伊吹山、北は羽衣伝説の余呉湖が一望できる、滋賀県長浜市の賤ヶ岳(しずがたけ)リフトの公式サイトです。

賤ヶ岳リフト

 

往復のチケットは900円です。リフトに乗りたい誘惑と戦って、私は歩くのです。

序盤はこんな感じですがヤマビル警報が出ていました、気をつけて行きます。

あれ、宇佐山城の登りより厳しいです。結構休み休みしてしまいます。

後1,200メートル。リフト登り口から15分弱です。

何と登山道はリフトのルートの中を通るのです。頭上と左右注意、です。

結構厳しい道を登っているんですね(笑)

まだまだ上があります。

あれ、いつのまにか750メートルになっちゃった(笑)

それでも厳しいなあ、ふうふう。

あれ、何か見えてきた。リフト登山口から45分。

賤ケ岳リフト山頂駅に着きました。ガイドマップ通り50分弱です。

近く(近くはないけど)に山本山という山があります。

源平争乱期にはもう一人の義経こと山本義経がここで活躍したそうですよ。

また次の機会に登ろうと思っています。

歌碑がありました。帰って調べたら、

笠金村という歌人の万葉集の一首、

 

伊香山 野辺に咲きたる 萩見れば 

君が家なる 尾花し思ほゆ

 

でした。伊香山は賤ケ岳一帯を示すのだそうです。ご当地万葉集ですね。

振り返ると琵琶湖です、綺麗だなあ。

賤ケ岳合戦の戦没者慰霊のお堂がありました。

あ、七本槍の絵馬ですよ。実は私は7人の名前を覚えきれておりません(笑)

また振り返ると今度は竹生島が見えました。

竹生島はこの間登りましたねえ。

 

竹生島に行ってきました - 馬鹿琴の独り言

2024年5月2日竹生島に行ってきました。JR彦根駅ですが、今日は彦根城には行きません。JR彦根駅西口を降りたところの奥のバス停に行きます。6番彦根港行きです。シャトルバス...

goo blog

 

何故か懐かしいのです。

さあ、上までもうちょっと、まだ続くのです。

うわ、琵琶湖が一望できますよ。

言いたくなりますね、あの台詞。

「琵琶湖の水、止めたろか?」

大体頂上に着いた感じです。リフト山頂から10分でした。

散策すると七本槍の雄、脇坂安治を奉じた竜野の方々が植樹をされていました。

脇坂さん、もはや神様!

疲れ切った兵士の像。秀吉ではありませんでした。

賤ケ岳の三角点421メートルです。登り切りましたね。

こちらは琵琶湖ではなく、余呉湖。琵琶湖の6分の1の大きさなんですって。

合戦図を見ながら、買ってきたお昼を食べます。

しかし佐久間盛政は大活躍です。中川清秀を討取り、高山右近、桑山繁晴を撤退させるのですから。

丹羽長秀が後からやって来て佐久間盛政の背後を襲ったことと、前田利家の謎の退却(無傷)が、転機なんでしょうね。

私の様なうかつな者の眼ではまったく城跡、砦跡が見つけられませんが、今私は上の図の3番で昼食を取っているのです。

全然分からなーい(笑)

4番から西を見ます。何となく砦っぽいかな(嘘です、全然分かりません)( ;∀;)

こちらは2番の主郭辺り。琵琶湖が良く見えているのですよ。

12時過ぎです、そろそろ降りましょう。

輪違紋の脇坂安治さんが待ち伏せしていました!

 

リフト山頂駅から下りますよ、登りと違ってテンポ良く下ることができました。

登りは50分、下りは30分ってとこです。

リフト乗り場入口の西光寺さんのあじさい。青の軍団が鮮烈なのです。

こちらは淡いあじさい。心が洗われるのです(ホンマかいな?)

無事下山できました。

水分を充分に取ってから、黒田家御廟所に行ってみましょう。

伊香具神社の参道です、振り返ると、

伊香具神社です。

面白い由緒書きです。

菅原道真が法華経と金光明経、仏教の経典を神社に収めた、そうですよ。

他の宗教の経文を他の宗教の神聖なる教会に預ける、というのですから、これはまた凄い話です。

とにかく今日の無事を今ごろ祈って、先に参ります。

リフト乗り場から約30分で到着です。大大的に宣伝してますね。

この付近、黒田という地名です。黒田集会所。

鯉のいる池、左手には黒田勘兵衛所縁の藤でしょうかね。

代々の黒田家廟所です。

ほーん、黒田家は京極家の一族で、しかも婆沙羅大名佐々木道誉の親戚だったのですね。

 

13時15分。電車に乗ってもう1か所行きたいので自転車で木ノ本駅に帰ります。

ふれあいステーションおかんさんで御城印をGET。

賤ケ岳城ではなく賤ケ岳砦でした、でわ。

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宇佐山城に登ってきました

2024-05-26 23:57:05 | 城攻め

2024年5月26日、宇佐山城に登ってきました。

宇佐山城はこんなお城です。

第28回 宇佐山城 - 近江の城めぐり|出張!お城EXPO in 滋賀・びわ湖

信長包囲網に絡め取られた織田信長さんは、摂津の野田・福島方面で本願寺勢と三好勢、雑賀・根来勢と激闘中。

近江西側を守っていたのが、この宇佐山城で琵琶湖西側に位置していました。

西側となると、比叡山、浅井・朝倉と当たることになります。

当時城を守っていたのが、信長の弟、織田信治さんと歴戦の猛将森可成(蘭丸の父)。

信長の主力が摂津方面にいることを知った反信長軍団は急遽、邪魔な( ゚Д゚)宇佐山城に襲い掛かります。

守る織田勢は1,000人くらい、浅井・朝倉勢は比叡山延暦寺の僧兵も加わって、何と30,000!!

激闘の末、織田信治、森可成は戦死、しかし宇佐山城は落城しません。森可成の家老が必死に守るのです。

宇佐山城ピンチを知った信長は急いで近江へ転身、宇佐山攻略を諦めた浅井・朝倉勢は山科辺りまで出陣していましたが、比叡山まで後退したそうです。

信長は比叡山に中立になるよう使者を出しますが、比叡山は拒否。

これが後の比叡山焼き打ちに繋がる、と言われております。

機会があれば登りたかった城址なんです。

 

話が長くなりました、早速登城しましょう。

9時20分に大津京駅に到着です。

ここから歩きます、天気は快晴、水分補給を忘れずに参りましょう。ほとんど登山ですから。

早くも遺跡が登場。これは大津京の跡ですよ。

柿本人麻呂の歌碑もあります。

住宅街の一角なんですよ。

ここから後ろを見ると……

山頂に見える、あれが宇佐山城かもしれません。

周辺の地図もありますよ。

歩いて25分くらいで目印が現れました。

まずは目印となる宇佐八幡宮に向かいます。ちょっと上り坂。

こちらは下の宇佐八幡宮。上に登れない方のための遥拝所なんですって。

更に登ります。

この左側を行くのですよ。

ここまで駅から35分掛かりました。

おや、何でしょう?

御足形ですって。

前九年の役の後、大津京近くに住んでいた源頼義が八幡宮を勧請した折に鳩が現れて、場所を示したそうです。

その鳩が留まったところ、ですかね。

源頼義は八幡太郎義家の親父殿でしたっけ。

さあまだ序盤です、先に行きます。

こんな道をてくてく。

また何か出てきました。金殿井とあります。見ていきましょう。

金殿井、大津京にいた天智天皇が井戸の水を飲んで、病気を治したそうです。

奥には井戸があるのですが、水は飲めそうもないのです。先に行きましょう。

あ、石段です。上に社が見えますね!

宇佐八幡宮に到着です。

中では神事を執り行っているようですので、お邪魔しません。

提灯にも鳩。

ぐつぐつ煮ております、これも神事関連かしら。

先に進むと、

手書きの案内板です。ここからが本番です。

近くの小学校の生徒が作ってくれたようですよ。

歴史がたくさんいいね、滋賀。

こんな道を登るのですよ。急な傾斜面にはロープが張ってあり、捕まっても大丈夫でした。

それにしても暑いし、キツいのです。

ここが一番の難所かも。

道が分かりにくいのです、狭くて、まさがここが、と思ってしまいました(´・ω・`)

ピンクのテープが貼ってくれてあったおかげで、ようやく気づきました。

がんばれとか、山頂にいるのは誰、とか励ましてくれております。

ちょっと疲れてきてイラッとしてきました(笑)

駅から1時間、鳥居から30分で本丸石垣が見えてきました。

もうちょっとですかね、頑張りましょう。

三の丸跡に到着です!

右側に行くと宇佐山テラスがあるようですよ。

木が邪魔ですが、琵琶湖が見えています。

人が集まってきているので、ここは早々に退散。

石垣、もっと見に行きたいです。

接近したい!!

石垣です。これは良いですね。

うーん、後ろの建物が気になります、気になりますでしょ?

ちゃーんと登れるんですよ。

放送局のアンテナが立っていました。ここが本丸なのです。

金網に御城印の案内があるのが良心的かな(笑)

縄張図ですが……何もここに放送局設備を作らなくても( ;∀;)

設備近影でもお楽しみ下さい(´・ω・`)

裏の急斜面を見に行ったら、こんなものがありました。

物資搬入用のモノレールですね、これがないと保守もできませんよね。

それでは下山しましょう、ただいま10時50分過ぎ。

ここ登って石垣に触れたかったのですが、斜面が急過ぎてやめました。

残念です。

下りは順調、20分くらいで宇佐八幡宮の参道に出てきました。

ここをまっすぐ進むと、登りに見た金殿井と御足形を見ることができます。

宇佐八幡宮鳥居を潜って、遥拝所の手前を左折します。

よいこの森保育園に出てきました。

御城印は近江八幡宮にあるとのことですので寄り道をします。

こちらが御城印。かるたの聖地近江神宮でいただきました。

せっかくですので、近江神宮にもお参りして行きましょう、それは次のエントリーで。

でわ。

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