馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

安倍晴明を探してⅦ

2024-07-29 02:15:12 | 安倍晴明を探して

7月28日巨大ロボット展の後、安倍晴明の墓所に行って参りました。

烏丸御池駅に出て地下鉄東西線で太秦天神川へ。

嵐電天神川で嵐電に乗換えます。

可愛い嵐電がやってきてくれました。

昨年は太秦広隆寺に行く時にお世話になりましたね。

10分ほどで嵐電嵯峨駅です、下車。

博物館の中は冷房が効いていましたが、外はやっぱり暑いですねえ。

墓所に向かう途中……

長慶天皇の御陵です。

長慶天皇は南朝3代目の天皇。後醍醐の孫、後村上の息子。

不遇な帝なのです。全部後醍醐さんのお陰。

長慶天皇嵯峨東陵とあります。

実は確定していないそうで、それどころか皇位についても即位されたかどうか議論が交わされている方なのです。

1926年大正15年になって、即位が公認されたそうなんですよ。ありゃま。

長慶帝のお隣に小さな陵が。承朝王墓とありますが、僧籍の方です。

長慶帝の息子さんで相国寺、南禅寺で住持、天竜寺で庵主を務められたそうです。

南北合一後に亡くなったそうですよ。

 

安部晴明を探すに戻りましょう。

実は先ほどの承朝王のお墓に隣接しています。

隣接と言っても直接は行けないので、回って行きます。

写真は鳥居がありますが、角倉ちびっこ広場。

その隣にもう1つ社がある様です。

こちらです!

陰陽博士安部晴明公嵯峨御墓所とあります。

うーん、単に墓所と書けば良いのに、嵯峨御墓所とあるのが、怪しい。

お墓に関しては複数説があるからなんでしょうか。

お供え物は持ち帰りましょう。

五芒星がお墓を守っています。

お墓参り、果たしました。

16時過ぎ、嵐山観光するには遅いし、暑いです。

渡月橋の上は人でいっぱい。

渡ってしまいましょう。

更に小さい中ノ島橋を渡って、阪急嵐山駅へ。

阪急嵐山駅です。

桂行きの電車が待ってくれていました。それでは京都を後にしましょう、でわ。

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安倍晴明を探してⅥ

2024-03-03 00:56:51 | 安倍晴明を探して

2024年3月2日奈良探訪の途中で安倍文殊院に行ってきました。

こんなところです。

 

安倍文殊院

奈良県桜井市にある安倍文殊院の公式ウェブサイトです。日本三文殊の一つとして知られており、御本尊は国宝の文殊菩薩で日本一の大きさです。

安倍文殊院

 

艸墓古墳の後、すぐ近くなんです。

一応安倍晴明関連でございます。

こちらにも古墳。中に入れます。

願かけ不動尊さんがおわしました。安倍倉梯麻呂さんのお墓説がありましたよ。

西古墳ということは東側にもきっとあるのでしょう。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に 出でし月かも

安部仲麻呂(阿倍仲麻呂)の歌碑がありました。

本堂。手前は舞台になっております。

素晴らしい像です、でも中に入ってはおりません。

外にあったポスターでした(笑)

国宝の渡海文珠さん。

下に安倍晴明像がありますが、見てきませんでした。

この中に文殊菩薩像があるんですって。

稲荷社。

晴明のお母さん、白狐の葛の葉を祀っております。

魔除けが五芒星なのです。

閼伽井古墳、東古墳です。

この閼伽井という字は東大寺の二月堂で見ましたね。閼伽は仏に備える清水のことだそうです。

さて階段があり登って行きますと……

晴明堂。

2004年平成16年に安部晴明1000回忌に併せて、200年ぶりに再建したそうです。

この200年ぶりが良く分かりませんね。1804年ごろ何かがあって、先代の晴明堂が壊れてしまったのでしょうか。

安部晴明がこの丘で天文観測をしたとのこと。

AIのPerplexity先生に訊いても、

 

安部晴明が安部文珠院で天文観測を行った具体的な時期に関する情報は提供されていません。

彼は全国で天体観測を行ったという伝承があり、岡山天文台の北西約2.3キロメートルの阿部山の山頂付近に安部晴明が天体観測のためにかつて居を構えたとされています。

 

とつれない返事でした(´・ω・`)

岡山にもまた行く必要があるのかもしれません。

展望台からの眺め。

二上山、葛城山、耳成山は見えますね。

御朱印をいただきました。文珠大士と書かれています。

あ、晴れているのに雪が舞い始めました。

それでは、次の目的地に向かいます、でわ。

 

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安倍晴明を探してⅤ

2024-01-22 19:25:50 | 安倍晴明を探して

2024年1月19日二条を巡った後、晴明神社に寄ってみました。

足利義昭専用二条城跡からたった20分、急急如律令で一条戻り橋に到着です。

①一条戻り橋

川を覗き込むと……

堀川が流れていますよ!

反対側からも一条戻り橋。

晴明はこの橋の下に式神を隠していたそうで、誰かが橋を渡ってくるのを見ていたそうです。

あれ、降りれますよ。昔は降りられなかったはずなんですが、整備してくれたのでしょうか。

橋の下に式神はいるかな?

残念、お出掛け中みたいです。

上に上がって今度は晴明神社に行きましょう。

②晴明神社

京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル)

五芒星も鮮やかな一の鳥居です。

 

晴明神社 〜陰陽師 安倍晴明公をお祀りする晴明神社〜

京都・一條戻橋。平安時代の陰陽師「安倍晴明公」をお祀りする神社。魔除け、厄除けにご利益がある。境内に社紋である五芒星がいたるところに施されている。

晴明神社 〜陰陽師 安倍晴明公をお祀りする晴明神社〜

 

戻り橋からはすぐなんですよ。

神社御由緒。主祭神はもちろん安倍晴明さんです。

傍らには戻り橋と式神が。

昔実際に掛かっていた橋……といっても1922年大正11年から1995年平成7年までですが、だそうです。

道(葭屋町通り)を挟んで二の鳥居へ。

隣接したところに千利休屋敷跡があったのですが、忘れてしまいスルーしてしまいました。(・ω≦) テヘペロ

怪しい五芒星。

清明によって水が湧くという晴明井。

かつては井戸の脇に北斗七星が描かれていたはずなんですが、今もう跡形もありませんでした。

本殿です、畏み畏み。

本殿横には晴明像がありました。

何か怪しい光が出ていますね(単なる逆光)

厄除けの桃。最近すっかり桃づいています。

クリアファイル付きの御朱印をいただきました。

去る間際、式神ちゃんにご挨拶。

ふう。良く歩きましね。

しかしまた変な疑問が生じました。

一条戻り橋に式神がいて、誰かが占いやら呪詛返しについて依頼ごとを持ってくるのを晴明に報告する、と小説などで読んだのですが、おかしくありませんか?

旧二条城に御所があったとしたら、晴明の屋敷に行くには北上するしかありません。

多分、一条戻り橋を通らないでしょう。

今の京都御所近辺に移ってからでないと、戻り橋を渡ることはないのでは?

道長の父藤原兼家が929年延長7年生まれ、晴明が921年延喜21年生まれとほぼ同世代。

東三条院の東に御所が移って以降、晴明への屋敷に行く場合、一条戻り橋を渡って行ったのでしょう。

ほうら、悩むあなたを式神ちゃんが見ておりますよ~

 

この後、家に帰る途中寒くて寒くて仕方がありません。

誰かが呪詛を私に?ブルブルブル

SLIMの月面着陸のYOUTUBEを見ていましたが、外を写すカメラが欲しいところでした(無理かな?)

ああ、ダメだ、限界です。もう寝ますね、でわ。

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安倍晴明を探してⅣ

2023-08-14 17:59:51 | 安倍晴明を探して

2023年8月14日台風が来る前に阿部王子神社と安倍晴明神社、泰名稲荷神社の三社を巡ってきました。

でわでわ急急如律令。

①阿倍王子神社

大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4

 

天王寺から阪堺電車に乗ります。

私初めてこのチンチン電車に乗ります。

僅か4駅5分で東天下茶屋駅に到着。

降りま~す、見送りま~す。

反対からチンチン電車がやってきました。

3分ほどで阿部王子神社です。

王子とは、例えばやんごとなき身分の方々が熊野詣でをする際に、前もって先発してお参りをする人々の築いたお社のことだそうです。

ご神木に挟まれた道を通ります。

阿部王子神社本殿です、お参りしましょう。

主祭神は伊弉諾命、伊弉冉命、素戔嗚尊です。

そのお隣に、葛之葉稲荷神社がありました。晴明さんの母上である霊狐を祀っております。

別の入口から阿部王子神社を見ました。

同居人はいたちを見掛けたそうですよ。

②安倍晴明神社と泰名稲荷神社

大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16

 

阿部王子神社を北に戻ること1分、両社は同じ住所にあります。

泰名稲荷神社がそもそも安倍晴明神社の末社であり、安倍晴明神社は阿部王子神社の末社なんですって。

それはともかく安倍晴明生誕伝承地と記しています。

由緒書き。

こちらでは晴明のお父上は「保名」となっていますが、神社末社名は「泰名」です。

Wikiでは史実上(?)安倍益材(ますき)、葛の葉伝説では「保名」になっております。

お手水で手と口を清めます。

鎮め石と生誕の地の表示がありますが果たして。

産湯の井戸です。

晴明像と白狐の姿。

本殿です、お参りをします。

畏み畏み。

拝んでいると、台風が来てるというのに結構な数の参拝者が訪れてきます。

東側の入口ですね。

妖艶な葛之葉姫と白狐と半月。

お父上の名を冠した泰名稲荷神社です。

ようやく五芒星に出会えました。安倍晴明神社の額に刻んであります。

いただいた御朱印がこちら。

外に出ました。

天王寺方面の阪堺電車の線路。

住吉方面、ううむ、違いが分からないです(笑)

大阪の中心部でも安倍晴明の痕跡を探すことができました。

でわ、また。

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安倍晴明を探してⅢ

2023-08-14 00:34:10 | 安倍晴明を探して

2023年8月13日岸和田城の帰りに、陰陽師安倍晴明の史跡を1つばかり巡ってきました。

この辺り、泉南地域は、晴明のお母さんである狐の葛の葉姫の出身地と呼ばれています。

では急急如律令~

 

信太森葛葉稲荷神社。

大阪府和泉市葛の葉町1丁目11-47

 

蛸地蔵駅から南海に乗って羽衣駅で下車、ここはJR阪和線に繋がっていますので、東羽衣駅まで歩きます。

鳳駅まで一駅乗って、阪和線で南下、北信太駅を降りたらすぐなんです。

東羽衣駅から鳳駅までの阪和線の雄姿。

南西に進むと鳥居と参道が見えてきました。

こちらにもありました。

恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる

信太の森の うらみ葛の葉

神社の由緒です。

狐さんが神々しいです。

和泉式部さんの歌碑。

秋風は すこし吹くとも 葛の葉の

うらみがほには みへじともおもう

和泉式部のころには信太の森は知られていたのですねえ、なるほど。

ちなみに和泉式部の生年は天元元年(978年)で没年は不明。

安倍晴明は延喜二十一年(921年)生まれで寛弘二年1005年に亡くなっていますから、宮中でニアミスくらいしているかもしれません。

こちらは俳聖松尾芭蕉さん。

葛の葉の おもて見せけり 今朝の霜

しかしどこ行っても、松尾芭蕉さんの痕跡というか足跡に逢ってしまう気がします。

弘法大師空海と役行者にも(笑)

いざ本殿へ。

狐さんが4体もこちらを伺っています。

御祭神の方々。

最後に晴明の母がいました。

ご神木の楠に2つのお社があります。

葛の葉伝説。

姿見の井戸。

白狐化身の木。

この他にもいろいろな神様がおわしました。

例によって、予想通り弘法大師空海さんも祀られていましたよ。

それでは捜索を終わりにして、帰ることにします。

 

歩いて10分くらいで、北信太駅に戻ってきました。

明日も天気が持てば、安倍晴明を探してくるつもりです、でわ~

※御朱印はこちらです。

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