第六回から第十回まで超意訳:南総里見八犬伝をお届けしました。
まだ八犬士は出ていませんが、もうすぐ登場の予定です。
再び小ネタ集です、気になったことを書いてみました。
①玉梓の言い分には一理あり
裁判の場で悪女玉梓は、検事兼裁判官の金碗孝吉にこう言っています。
「私は先君神余光弘様の本妻ではございません。(神余)光弘様が亡くなってからは、寄る辺なきこの身を山下様に思われて、深窓でお世話をいただいたのでございます。ずっと夢を見ているだけの囚われの身となったこと、過去の因果かもしれません。またお城勤めの初めから私事で政治を行い、忠臣を失わせた山下様に原因がある、というのは傍にいる方々の嫉妬であり、本当のことではございません」
「神余の殿の老臣、若党、禄高が高い方々もほとんどのお侍の方々が、神余にも山下にも二君にお仕えして、まったく恥とは思っておられません。金碗(孝吉)殿、あなた様におかれては、なまじご主君を凌ぐ器量をお持ちになったためか、ご主君の元を逐電、更に里見に従って、滝田のお城を落とされた。しかしうさぎの毛ほども、先君のおためにはなっておりません。皆様、おのおのご自身の利益のために山下様にお仕えし、従ったのです。男子ですらその有様ですのに、女子の身の上にはいろいろな見方がございます」
「どうして玉梓独りに無実の罪を着せて、憎い者となさろうとするのです。納得できない讒言です」
長々引用しましたが、どうです、一理あるとは思いませんか?
私は意外と玉梓の言い分が正しくないかと思ってしまったのです。
山下定包の出世に嫉妬した神余の家臣団が、山下排斥派と山下追従派に分かれて、内紛を起こした説も考えられますね。
権力を欲しいままにして贅沢の限りを尽くし、主君を罠にはめて殺害した山下定包は悪人ですが、愛妾の玉梓が糾弾されるべき点は検事の金碗孝吉の指摘通り恐らく以下の2つ。
・山下定包と密通した件
神余光弘存命中から、家臣と密通してしまったのはいただけません。
こちらは有罪。
・主君に讒言して賄賂をもらった相手の便宜を図り、有能な家臣を排した件
こちらは金碗孝吉が言っているだけで、他の例が無いのですよ。
いえ、第二回で文章の中では、以下の通り述べられていました。
(神余)は数多くいる側室の中でも、玉梓という淫婦を寵愛した。領内の裁判ごとすら、玉梓に問う様になってしまった。
玉梓に賄賂を使った者はたとえ罪があっても賞され、玉梓に媚びなければ功があっても用いられることはなくなった。これにより家中はひどく乱れて、良臣は退けられて去り、心の邪まな悪人が徐々に増えてくる様になった。
うーむ、地の文で、作者であり神でもある馬琴翁に言わしているので、事実なんでしょう、やっぱりGuilty!!
で判決なんですが、死刑(斬首)は重過ぎではありません?
こんな爆弾娘、故郷に帰らせてはまた事件になるのは必至ですので、尼僧にするとかはいかがでしょう。
は!!
私、玉梓の肩を持ってしまっていますね、これも彼女の術中かもしれません。
②金碗孝吉、濃萩ちゃんに酷過ぎな件について
金碗孝吉は神余家を出奔してから、上総の国天羽郡関村の一作爺さんのところに世話になります。
若き血潮が堪え切れず、こともあろうに一作爺さんの愛娘の濃萩ちゃんと結ばれてしまいます。
枕の数が重なるうちに、とありますから一晩の関係ではなく、恐らく何回も(;゚д゚)ゴクリ…
どっちからなんでしょうね、迫ったのは。
金碗孝吉と言いたいところですが、昔は貴人に娘を「提供」する話は良くありますから、意外と一作爺さんも噛んでいて、濃萩ちゃんをけしかけたのかもしれませんよ。
金碗孝吉が貴人がどうかは分かりませんが、神余の一族、一作爺さんは昔金碗家に仕えていたので、主筋ですからありえる話でしょう。
それとも農家で働く濃萩ちゃんの健康的なお色気に負けて、金碗孝吉が忍んで夜這いした、なんてのも考えられます。
まあどっちが手を出した、というのは二の次で、ここで論じたいのは、金碗孝吉の態度です。
「私は浅ましき所業をしてしまったと百回も千回も悔い、後悔が立ちませんので、人目を避けて濃萩には堕胎しろとは勧めました」
どこかのタレントの様な台詞ですぞ。馬琴翁のころからこんな輩がいたのですね。
酷過ぎませんかね、この対応は。
とうとう責任も取らずに手紙だけ残して諸国を流浪した金碗孝吉さんに対して、一作爺さんの台詞が泣かせるのです。
「(金碗孝吉は)妻も子もない旅の身の上、慰めようとした我が娘の濃萩は、淫乱奔放に似て、決してそうではありません。あなた様の氏素性は自分の故主、その子を宿し、娘は天晴れ果報者、良き婿を迎えたと、心の中では婆と一緒に喜んでおりました。しかし事情を知らない私はいろいろ考えている間に、あなた様は出て行ってしまい、帰らなかった。行方を探すこともできずに娘は、程なく臨月に産み落としたのは男の子でした。めでたいめでたいと祝う間もなく、濃萩は募るもの思いからか産後の肥立ちも悪く、とうとう十万億土のあの世に逝ってしまいました」
哀れなる濃萩ちゃん、実は濃萩も悪霊だったりして ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
③呪いを解かない役行者
役行者小角は、634年舒明天皇6年から701年大宝元年まで生きたと言われております。
前鬼後鬼を従えて、修験道に秀で、また奇跡を見せたそうです。
晩年65才の時に伊豆大島に流刑となったのは、本編第八回の通りです。
歩いて洲崎神社まで波涛を越えてやって来たかは知りませんが。
室町期まで生きていた(?)役行者らしき翁は、幼い伏姫の人相を観ます。
そして悪霊が呪詛をしているのを見抜き、アドバイスをしてから、八字の入った数珠を渡して去って行きます。
ちょぉ待てや!
「真に悪霊の祟りが憑りついておるわい。この子の不幸であるなあ。祓うのは決して難しいことではないが、禍福はあざなえる縄のごとし、災厄と幸福はより合わせた縄のように表裏一体であり、一時のそれに一喜一憂しても仕方がない」
仕方がない、じゃねえし。
祓うのは決して難しくないとか言ってきながら去って行くなよ!
ここで玉梓を祓っておけば、万々歳じゃないのでしょうかねえ(# ゚Д゚)
ははーん、本当は悪霊を祓えないんじゃないんですかねえ?
馬琴翁も「祓うのはなかなかに困難じゃ」とか言わせれば良かったのに、役行者の品格を落とせなかったのか、上記の台詞を言わせたのでしょうか。
でも呪いを解いたら物語は終わってしまうので、文字通り仕方がないのです。そう考えましょ。
④御曹司里見義成のアイデアはNG
第九回、不作の折、安西に攻められた里見勢は滝田城に籠城します。
約1週間、食べ物を口にしていない里見勢はぼろぼろ。1週間は長いなあ~
ここで里見の御曹司義成君16才は起死回生のアイデアを出すのです。
よ、御曹司!未来の殿様!!将来の安房国主様!!!
そのアイデアとは、
「大声の者を選んで、城の櫓に登って、寄手に対して安西景連の非道なる行い、盟約を破り、恩を仇として、不義の戦を起こした、というその罪を責めさせれば、安西の士卒もたちまち慚愧して、戦う心を失くすでしょう。その時こそ城から打って出て、ただ一揉みに」
え?それが計略?だ、大丈夫?
ねえ、義成君、それ本気?
結果的には、飢餓の極致を迎えた者は大声を出せませんでした。
しかも涙に暮れて、咳込むばかりとは可哀そうな結末でした。
同輩の武士にも、
「ほら、あいつ、声が出せなかったらしいよ」
「ああ、あいつな。あの後泣きまくってたわ」
とか囁かれたりして。
彼には安西景連討伐後に粥を食べてもらって、元気になってもらいたいものです。
にしても、里見義成の将としての器がちと心配になります。
バカ殿じゃなきゃ良いのですが。杉倉殿、堀内殿、補佐を頼みましたぞ。
⑤気になる八房の大きさ
第十回、八房は城を出た伏姫を背中に乗せます。
八房の大きさはどれくらいなんでしょうね。
そもそも伏姫は花も恥じらう17才。体重は……
明治33年で17才女子の平均体重は47.0キロ。
明治33年以降5か年ごと学校保健統計
室町期ですので、もう少し削って45キロくらいと見繕いましょうか。
昔、名犬ジョリィなんてアニメがありました。
ピレネー犬はこんな感じ(笑)
グレートピレニーズ(ピレネー犬)なんて犬種は白く大きな犬で、主人公のセバスチャンを楽々と乗せています。
でもセバスチャンは7才の男の子……上の日本の統計でも明治33年で7才男子は20.0キロ、スペイン人の平均体重は見当たらず、まあ少し重くして22キロくらい?
一方グレートピレニーズは体高80センチ、体重は60キロが大きい方だそうですが、20キロの子供ならともかく17才女子の40数キロは厳しそう。
YAHOO知恵袋で同じ様に聞いている人がいましたのでご紹介。
人が乗れる犬なんているの?
まして八房は日本の犬ですから、グレートピレネーズ並みの体格はないと思うのですよ。
玉梓の呪いと老狸に育てられた魔犬八房だからこそ、伏姫を乗せることができたのでしょう。そう思うことにしましょう。
⑥八房よどこへ行く?
第十回、伏姫を背中に乗せた八房は、るんるん気分で愛の逃避行に向かいます。
八房は滝田の城を出ると、急ぐ様に姫を背中に乗せて、安房の国府跡の方に向かって、飛ぶ鳥の様に速く走り出した。
どれくらい走ったのか、犬懸の里に至ると徒歩の者は遥か彼方にあり、尼崎輝武に従う者は、一人か二人になっていた。
いつのまにか明け方となり、富山の奥に入って来ていた。
コースはこうですね。
滝田城 → 安房国 → 犬懸の里 → 富山
地図を見て下さい。
安房国府の場所は今も分かっていないのですが、国分寺、国分尼寺の跡があり、その北側に今も府中という地名が残っていました。
ですからこのアバウトな地図が正しいとすると、滝田から南下して国分寺や国府跡に向かったことになるのです。
しかし行ったとは書いておらず、向かったけれど気を取り直して(笑)、また北上、今度は八房が生まれた誕生地の犬懸方面に着くのです。犬懸に至ったと書いてあります。
狼に殺されたお母さんにお嫁さんを紹介したのでしょうかね。
この辺り、実際には犬掛という地名があり、犬掛古戦場跡という里見家の内紛の跡地もあるんですよ。
その後はまた少し南下して、富山登山に向かうという訳です。
無駄なコースを取る八房さんですが、姫を乗せて錯乱気味だったのかもしれませんね。
滝田城を出て、犬懸に行ってから富山に向かうのが合理的ですが、距離と時間を稼ぐために、馬琴翁は八房を迷走させたのでしょうか。
⑦富山から七浦は見えるか?
第十回、富山は安房の国第一の高さの山であり、伊予ヶ岳と競い合っている。富山の頂きに登ると、那古、洲崎、七浦に波が寄るのさえ見えるという、と書いてあります。
那古、洲崎は内房側、七浦は外房側です。
またもや地図をご覧下さいな。
那古は見えそうですね。洲崎も遥か彼方の岬の先で見えそう。
七浦は……えーっ、こりゃ無理じゃありませんか?
反対側ですよ。
私はまだ富山に登ったことがありませんが、一番高いところで349メートル。
七浦なんて、無理無理。
と思いましたが、富山展望台のストリートビューを見てびっくり、吃驚、( ゚Д゚)
こちら富山展望台から見た七浦のある東南方面の光景。
©Googleさん
海見えてません?七浦は漁港ですので、ギリギリ見えるのかもしれませんよ。
馬琴翁、疑ってすいませんでした。
いつか富山に登ってみて確かめてきますね。
以上なぜなに八犬伝Ⅱでした、でわまた。