2023年11月17日山中鹿介のお墓にお参りしてきました。
1578年天正6年播磨の国上月城の戦いで織田方の援軍を得られなかった尼子残党は、とうとう毛利氏に降伏します。
毛利の総大将輝元が備中松山城まで進出しており、そこに連れて行かれるはずだった山中鹿介ですが、高梁の地で処刑されてしまいました。
山陰の麒麟児、尼子十勇士の山中鹿介幸盛さん。
お酒でもお供えすれば良かったですね。
さあ、岡山まで出て帰り方を検討しましょ。でわ。
2023年11月17日山中鹿介のお墓にお参りしてきました。
1578年天正6年播磨の国上月城の戦いで織田方の援軍を得られなかった尼子残党は、とうとう毛利氏に降伏します。
毛利の総大将輝元が備中松山城まで進出しており、そこに連れて行かれるはずだった山中鹿介ですが、高梁の地で処刑されてしまいました。
山陰の麒麟児、尼子十勇士の山中鹿介幸盛さん。
お酒でもお供えすれば良かったですね。
さあ、岡山まで出て帰り方を検討しましょ。でわ。
2023年10月15日恵解山(いげのやま)古墳と山崎古合戦場に行ってきました。
先ほど寄った勝龍寺城、というより神足商店街から10分くらいでした。
小学校と中学校の間にこんもりとした丘が見えてきましたよ。
通り名も恵解山通りです。
もう入口ですよ。
古墳ぽい、というか古墳なんですよね(笑)
埴輪の列がありました。
もう一段上がりましょう。
山崎合戦の際に明智光秀が陣を構えたとか、本当でしょうか。
一番上に埋葬されたもののイラストがありました。武器ばっかり埋葬されていたのですねえ。
子供たちの遊び場になってます。
埴輪の数々が並んでいます。
下に降りると前方後円墳のジオラマがありました。
見事なものです。
もう一度小高い丘の古墳をパシャリ。
更にジオラマ。
西側に天王山、大山崎のマップです。
古墳を後にして、山崎合戦場を見に行きましょう。ここまで来たのですから、もう一息です。
途中、こんなの見つけましたよ。境野一号古墳ですが、ここにも光秀の本陣があった?
日も傾いてきました、てくてく歩きましょう。
大山崎まで来ましたよ、ここを登ると大山崎のバスストップ!
大山崎中学校に来ました。目の前に陸橋がありました。
大山崎中学校とビール工場。
♫右に見える中学校、右もビール工場♪
天王山夢ほたる公園に到着しました。
自販機が羽柴秀吉。
反対側は明智光秀。
高速の下の山崎夢ほたる公園全景です。
まだ子供がいっぱいいますよ、早く帰りましょう(笑)
公園の説明図。一番奥まで行きましょう。
ここです、ここ!!
ここが古戦場跡です。
瓢箪の旗印、秀吉側です。
桔梗、光秀側です。
奥にビール工場、右手に大山崎中学校の運動場。
合戦場がこんなになっているとは意外でした~
説明板です。
天王山に日が沈んでいきますねえ。
手前が川なんですが、これを挟んで両陣営が激突したようです。
公園を引き上げて、駅に向かう途中に見掛けました。
帰りは、現在地から最も近いと思われる阪急京都線の西山天王山駅に向かいます。
15分ほどで駅まで来れました。
2013年に新設された西山天王山駅です。モダンな造りですね。
さあ、家路につきましょう、でわ。
大桑城に到着する寸前、国道418号にいきなりこんな案内表示が出ているのを発見しました。
桔梗塚、明智光秀の墓!!!えーーー、本当に???
滋賀県の西教寺さんには行ってきたことがあります。
まさか岐阜県山県市にあるとは……気になりますので、大桑城に登る前に急遽探検することにしました。
国道418号を北に折れて国道256号に向かいます。
こんなトコ。
あっ、また表示があります。
見えてきましたよ、またワクワクしてきました。
気になります、さっさと向かいましょう。
少し登る様です。
荒深小五郎と名乗りこの地に住んだ、と幟に書いています。
ん?明智光秀が荒深小五郎?
明智+小五郎、明智小五郎……ま、まさかですよね(笑)嫌だなあ、私考えすぎですよね?(笑)
惟任将軍日向守光秀のお墓だそうです。拝ませていただきます。
桔梗塚の説明板がありました。諸説あります。
上に進むと白山神社があるそうです。
結構な登山です。大桑城用に体力を残さないといけないのに。
到着です、白山神社。お参りしましょう。
お社の後ろにご神木がありました。
この道を下ります。
光秀の産湯だそうです。信じるかどうかはあなた次第ってことで。
こんな自販機がありました!
後で検索すると自治体も告知していました。
知らぬは己ばかりなり、です。
繰り返しますが、信じるか信じないかは、あなた次第(笑)
でわ、大桑城を目指します。
2022年11月3日愛知県岡崎市の大樹寺に行ってきました。
松平家徳川家の菩提寺、芝の増上寺と違いますね。
JR中央線高蔵寺駅から愛知環状鉄道で揺られて約1時間、大門駅で下車、徒歩10分位で到着します。
大樹寺はこんなトコ。
大樹寺の総門が小学校脇にありますが、ここからは小学校の敷地内なので、迂回します。
ふう、ようやく見えました。
もっと近づきましょう。
真正面から見ます。
振り返ると、
大樹寺小学校の敷地越しに大樹寺総門が見えます。
その奥にかすかに小さくお城の天守が見えますね、そうです岡崎城です。
大樹寺から岡崎城を結ぶラインをビスタラインと呼びます。わざわざ見える様に配置したということです。
またその間には建築規制があるとか。
風水の発想もあるのでしょうか。歴代の城主が大樹寺を毎朝拝んだとか。
徳川家菩提所成道山大樹寺と書かれています。
その下のマンホールの蓋が戦国無双5仕様です。
それでは中に入ってみましょう。
お堂の中はこんな感じです。
阿弥陀如来様と「厭離穢土欣求浄土」
座布団も葵仕様。
徳川16神将図。
2023年の大河ドラマ「どうする家康」に向けて盛り上がっています。
さてフラッシュで撮ると、
ドォーーーン!
厭離穢土欣求浄土、そんなにこの世が嫌なのか!!
お参りの後、御朱印をいただきました。やっぱり厭離穢土欣求浄土です。
400円お支払いして拝観しますが、残念ながら写真はNG。
大名参拝のお部屋、壁画を見学します。領地の広さによって待機する部屋が違うそうです。
鶴の間、牡丹の間、鉄仙の間の壁画がありますが、一部修復中。
一周した後、一番見たかった位牌堂へ行きます。
こちらには松平家8代、徳川将軍家14代(慶喜さん除く)の位牌があります。
何でも将軍の身長と同じ高さなんだとか。ほとんどの将軍が150センチ台なのですが、5代綱吉さんと7代家継さんだけが違いました。
ちなみに暴れん坊将軍こと8代吉宗さんは155.5センチと意外な低さでした。もっと大きいと思っていました。
7代家継さんは8歳で亡くなったため位牌の高さが135センチです。
さて問題は綱吉さん、彼の位牌の位牌の高さは124センチでした。低身長説もあるそうですが果たして!
公のサイトではこの位牌の写真がありますので見て下さい。
大樹寺 | 愛知県観光協会の公式サイト【あいち観光ナビ】 (aichinavi.jp)
外に出て、振り返ります。
赤字で揮毫した扁額は後奈良天皇だとか。
向かいの壁にも葵の紋。
もう一度振り返ります。初冬でもいい天気で空が綺麗ですね。
では再び大門駅を目指して帰途につきます。
でわでわ。
伊吹山の帰り道に関ケ原合戦、西軍の石田治部少輔の陣跡があったので立ち寄りました。
こんなトコです。
早速階段を5分ほど登ります。
何故か伊吹山よりキツく感じてしまいます。
文部省お墨付き。
振り返ると陣地っぽい。
石田三成の家紋です。
では家路に向かうとしますか、アデュー!