馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

京都探訪(北野天満宮、大覚寺)に行ってきました

2025-02-22 22:38:13 | 日記

2025年2月22日北野天満宮と大覚寺に行って来ました。

以前、北野天満宮に行ったお話はこちらどす。

 

京都探訪(北野天満宮、白峯神宮)に行ってきました - 馬鹿琴の独り言

2023年12月2日北野天満宮と白峰神宮に行ってきました。北野天満宮はここどすえ。遅く起きて遅く出発してしまいました。お昼ご飯は新福菜館のラーメン+焼き飯(小)セット1,...

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9時15分阪急梅田駅3番ホームに並びます。

9時30分快速特急雅洛に乗ります。

これこれ、雅洛が入線して来ました。

土日祝に1日4本、特別な特急なのです。

竹に障子の車内……?

車内に枯山水があるのです(笑)

ゴージャスな車体です、雅なんどすえ。

9時半間近になると車内はほぼ満員、結構な混み具合でした。

出発して40分ほど、烏丸駅で降りて京都市内バスに乗換えます。

そこから壬生、二条、千本丸太を越えて約20分、北野天満宮前で下車しました。

人がたくさんいますねえ。

久々の北野天満宮です。

まずはお参りしますね。今回の探索の成功を祈りました。

今回は何とか御朱印をいただけました。和魂洋才ではなく漢才。

晴れ渡る空……しかし雪が降っているのです。

可憐な白梅です。ほんの一部だけ咲いていました。

ちょっぴり蝋梅も。黄色で小さいのです。

前は入れなかった御土居。今日は梅園の見学で見れるんですって!!

中に入ってみます。

前回の復習です。洛内を取り囲む秀吉のお堀と土塁なのです。

ちょうど北野天満宮を守る様な感じ。

言ってみれば大きな空堀ですね。下には降りれないのです。

本殿側を望むことも可能なんです。

あ、ひよどりがいました!!

頭の形が特徴的で可愛らしいです。

紅梅も良い匂いでした。

お庭は咲き始めといったところなんですが、何といっても寒いです。

庭内のお茶屋さんで暖かいお茶とお菓子をいただき、おまけにお団子を食べました。花より団子なんどす。

前に刀剣展を見学した宝物殿をもう一度覗きに行きます。

脇差しの猫丸。

道真公愛用の短剣ですが、猫が通り掛かって真っ二つになってしまったそうです。

今日は猫の日でしたね、ニャンニャン。猫が可哀想でしたか。

こちらは巴形薙刀。

巴御前愛用の薙刀なんだそうですが、製作は1679年(笑)

名物のお餅が売られているので買いに行きます。

長五郎餅です。

アンコの入った羽二重餅です。

北野の大茶会で用いられて、秀吉が長五郎餅と命名したんですって。

そろそろお昼を食べに行きましょう。

北野天満宮前のおうどん屋さんのたわらやさんにしました。

 

たわらや (北野白梅町/うどん)

★★★☆☆3.46 ■創業200年以来の味 ■予算(昼):¥1,000~¥1,999

食べログ

 

雪が降る中並んで10分くらい、中に入って暖かいうどんを食しましょう。

ハーフうどん+ハーフ玉子丼で1,560円でした、温まりますよ~

 

次の目標、大覚寺に行きます。こんなトコどすえ。

北野天満宮からJR円町駅まで歩いて20分くらい。そこからJR嵯峨嵐山駅に向かいます。

左に行けばトロッコ嵯峨駅だったり嵐山に行くことができます。

右は大覚寺に行けますから、私はそっちどす。

相変わらず雪がチラつく中、JR嵯峨嵐山駅外観です。

歩いて15分ほどで見えてきました、大覚寺の入り口。

途中、六道の辻なんてものがあったりもするのどす。

嵯峨天皇が離宮を営んだところから、御所として名を馳せている訳ですね。

この門、テレビで良く見ませんか?

詳しい由来を記しているのです。

菊の御紋が見えますね。

玄関にあるのは狩野永徳の松に山鳥図、そして後宇多法皇ご使用の輿なんだとか( ゚Д゚)

右近の橘に、

左近のさく、えっ?梅?

何ででしょう、良く分かりませんでした(´・ω・`)

と思って家に帰って調べてみましたら、平安遷都直後は梅だったそうです。

大覚寺は古い形式を継承しているのです。

御所は村上天皇の御代に火災があって、桜に変わったと出ていました。ふーん、分からないものです。

寝殿の中をパシャリ。牡丹の間。

分かりにくいのですが、真ん中に蝉の形の飾りがあるのです。

柳松の間。

美しい襖絵です。鶴の間。非常に贅沢な造りでした。

村雨の廊下と呼ばれたところです。

直角に曲がるのを稲妻に例えているのだそうですよ。

貴人に危害が加えられない様に、屋根は低くて刀は抜きにくく、床はウグイス張りでキュッキュッと鳴ります。

大正年間に出来た建物で、法隆寺夢殿を模しているんだとかどす。

菊の紋章がドォーン!!

向うに見えるは勅使門ですどす。

大覚寺に隣接する大沢の池エリアに入りました。

昭和40年代に出来た心経宝塔。赤いのですどす。

鴨の大集会を池で行っていました。

名古曽(なこそ)の滝と呼ばれる超有名なスポットなんですが、私の腕が悪く滝が全然見えません。

大河ドラマ、光る君へで町田啓太さんが演じた藤原公任が、

滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

と百人一首にも取り上げられた歌を詠んだのですが……絶えちゃってる感じがするのどす。

行けの東側から大覚寺を望みます。

背後の山には嵯峨天皇陵があるはずなのどす。

約20分掛けて大沢池を一周しました。お寺に戻ります。

菊の紋がまばゆいのどす。

五大明王の御朱印をいただいて、バスで四条大宮駅に向かいます。

少し眠りながら。

 

阪急梅田駅まで戻ってきました。

19時前、たちまちカレーという駅構内のカレー屋さんに入ります。

 

たちまちカレー 阪急大阪梅田駅店 (大阪梅田(阪急)/カレー)

★★★☆☆3.36 ■予算(夜):~¥999

食べログ

 

 

私がいただいたのは牛タンカレー900円、もやしは無料の付け合せです。

牛タンがとろける様に美味しく、カレーもまたほど良い辛さでしたのどす。

しかも阪急電車が入って来るのを見つめながら、です。

 

梅はもうちょっとかな、という感じで寒い中でしたが、楽しく探訪できたので帰ります。

でわ。

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米沢城には登っていませんが、上杉鷹山について思うことがあり書いてみました

2025-02-13 19:53:45 | 日記

2025年2月12日歴史探偵で名君と呼ばれた9代目米沢藩主上杉鷹山の特集をしていました。

米沢城はまだ登っていませんが、続100名城ですしいつか必ず行ってみたいと思っています。

さて上杉鷹山ですが、彼は日向高鍋藩秋月種美さんの息子として、母は秋月藩黒田氏の娘から江戸で生まれました。

紆余曲折あって米沢上杉家の養子となります。

もちろん上杉家は謙信以来の名家ではあるのですが、景勝の時に石田三成に組して120万石から30万石に領地が減らされてしまいました。

それだけでもピンチなのに基本的に家臣を解雇しなかったので、生活は厳しいものとなります。

更に3代目の綱勝さんが26歳の若さで子供もいないまま急死してしまい、お家断絶の大ピンチ。

ここで親戚の会津藩主保科正之(2代将軍秀忠の子ですもんね!)が活躍して、末期養子を取ります。

それが何と吉良上野介義央の息子が4代目綱憲として跡を継ぐのです。

以来、吉良家への肩入れや赤穂浪士討入り事件の影響や、代々の藩主が借金を増やしていくことになります。

更に領地を減らされて15万石になってしまいました(´・ω・`)

 

ここで9代目上杉鷹山治憲が登場し、質素倹約をモットーに殖産興業に注力して、藩政改革を成功させます。

家臣老臣との軋轢はあったのですが、遂には死後のことですが借金をすべて返済するのです。

とんでもない名君だったのですねえ。

 

奥様(第8代藩主重定)の娘を娶ったのですが、発育障害があったと言われ、わずか30歳で亡くなってしまいます。

鷹山は、奥様とおままごとや人形遊びのお相手を真剣に務めたそうですよ。

私はそれを聞いて泣きそうになりました( ;∀;)また奥様存命中は側室を置かなったんですって(つд⊂)エーン

 

上杉鷹山さんの素晴らしい業績は他の方も書いているし、ご存じの方も多いでしょう。

今回、私はある逸話についてだけ触れたいと思っています。

 

1778年安永6年12月6日にヒデヨというお婆さんが娘のおかのさんに書いた手紙が残っています。

原文はこちら。

一トフデ申シ上ゲマイラセ候アレカラオトサタナク候アイダ
タツシヤデカセキオルモノトオモイオリ候
オラエモタッシャデオルアンシンナサレタク候
アキエネノザンギリボシシマイユーダチガキソウデキヲモンデイタラ
ニタリノオサムライトリカカツテオテツダイウケテ
カエリニカリアゲモチアゲモウスドコヘオトドケスルカトキイタラ
オカミヤシキキタノゴモンカライウテオクトノコト
ソレデフクデモチ三十三マルメテモツテユキ候トコロ
オサムライドコロカオトノサマデアッタノデコシガヌケルバカリデタマゲハテ申シ候
ソシテゴホウビニギン五マイヲイタタキ候
ソレデカナイヂウトマゴコノコラズニタビくレヤリ候
オマイノコマツノニモヤルカラオトノサマヨリハイヨーモノトシテダイシニハカセラレベク候
ソシテマメニソタテラルベククレグレモネガイアゲ候
十二かつ六か
トウベイ
ヒデヨ
おかのどの
ナホ申シアケ候マツノアシニアワヌトキワダイジニシマイオカルベク候
イサイショガツニオイデノトキハナスベク候

 

全然分からんでしょ?(笑)

八犬伝に挑戦している身なので、超意訳してみます。

間違っていたらすいません。

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一筆申し上げます。
あれから音沙汰がありませんが、達者で農作業に精を出しておられると思っております。
私も達者ですので、安心なさって下さい。

秋稲の散切り干しを片づけていると、夕立ちが来そうで気を揉んでおりました。
そこへ二人のお侍が通りかかって、片づけのお手伝いをして下さいました。

お帰りになる際に、お礼として刈上げ餅を差し上げたいので、どこへお届けいたしましょうかとお尋ねしましたら、
お上屋敷北の御門に申し付けておくから、とのこと。

さっそく福田餅を三十三個、丸めて持って行ったところ、
相手様はお侍どころかお殿様でございましたので、腰が抜けるばかりで、たまげ果ててしまいました。 

そしてご褒美として銀五枚をいただきました。
家内中と子供、孫たちに残らず足袋を差し上げます。

そちらの小松にも送りますので、お殿様からの拝領物として大事にお履き下さい。
子供たちを心を込めて大切にお育ていただきます様、くれぐれもお願いいたします。

トウベイ
十二月六日 ヒデヨ
おかの殿

尚、申し上げますが、まつの足に合わない時は大事におしまい置き下さい。
委細、お正月にお出での時にお話いたします。

 

※散切り干し……藁かな?

※刈上げ餅……新米でついたお餅。五穀豊穣を祈願します

※福田餅……丸く作ったお供え餅

※小松……米沢の北西に小松という地名があります。JR羽前小松駅というところもありました

※トウベイ……ヒデヨさんの住所か屋敷名

この手紙から分かることは、

①27歳のお殿様は領内をお忍びで回っていた。

地味に良民を助けた!!水戸黄門みたいなお話です。

②当時のお百姓は字を書けた

当時の識字率が伺われます。

もちろんヒデヨさん直筆ではなくても、ヒデヨさんの一族、或いは近在に字をカタカナで候文を書くことができる人がいたということが想像できるのです。

(名主かお坊さんかもしれませんけどね)

このお手紙と足袋の現物が残っています。

宮坂考古館|山形県米沢市にて前田慶次、上杉謙信、直江兼続の縁の品を展示中

ふと通りかかったお殿様がお婆さんを手伝うとか、良いお話だと思うのです。

少し心が暖かくなったのでこんな話をご紹介いたしました。

 

米沢牛弁当ど真ん中を食べながら新幹線に乗って、米沢城に登城してみたいですね、でわ。

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吉良邸跡に行ってきました

2025-01-17 23:33:16 | 日記

2025年1月17日吉良邸跡に行ってきました。

ココにあるのです。

すみだ北斎美術館から歩いて15分くらい。

案内板がありました。

角に入ると……

ち、小さ……これが吉良邸です。47人の盗賊ならぬ武士団に殴り込みを掛けられた場所なんです。

なるほど、昭和初期に有志が購入して保存してくれたんですね。

この絵を見ると、当時の屋敷の大きさが分かる、のかもしれませんね。

奥行きがあるんです。

吉良上野介義央の像。寄ってたかって襲われて亡くなってしまった高家筆頭の方。

享年62歳、かな。

首を洗ったという言い伝えのある井戸。

この遺跡は、当時の屋敷の86分の1の大きさに過ぎないんだそうですよ。

吉良家家臣二十一士も祀られていました。

右上の小林平八郎さんは吉良家家老です。一説には上杉家からの派遣された武士だったとのことですが、真偽は不明。

赤穂浪士の討入時に戦死されているのですが、葛飾北斎のご先祖らしい……とのことです。

そして吉良さんも討ち取られて神様になってしまいました。

松阪稲荷大明神さんなのです。

さざんかの桃色のお花が咲いてしました^^

可憐ですね。

ビルの間にたたずむ吉良邸正門跡の表示。

探索は終わりましたが、すぐ近くの和菓子屋さんに寄ってみます。

忠臣蔵吉良まんじゅうです^^

吉良の名を冠した吉良まんじゅうを出すのは良いのですが、よりによって「忠臣蔵の」は不要ではありませんか?(笑)

黄な粉あんのお饅頭、津和野で買った豆茶でいただきました。美味しゅうございましたよ。

もう一品、その名も北斎。

胡桃が乗っています。

両国大川屋|墨田区銘品名店会

大川屋さんで購入できました。

お味もよろしい様で。でわ。

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亀戸天神へ初詣に行ってきました

2025-01-01 22:39:44 | 日記

2025年1月1日、亀戸天神へ初詣に行ってきました。

亀戸天神はこんなトコ。

昼を避けて夜に行きましたが……

鳥居です。

夜店がたくさん出ていました。賑やかですし、食べ物の良い匂いに誘惑されそうです。

太鼓橋を渡るのです。

登った上では、東京スカイツリーがこんにちは。

本殿も見えました。

ちなみに私が登っているのが男橋、写真に見えているのが女橋です。

皆さん真剣にお祈り中。私の番ももうすぐです。

左手にはスカイツリーが見えていますね^^

 

皆さんと私の無事を祈願して参ります、では。

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新年明けましておめでとうございます

2025-01-01 10:13:15 | 日記

2025年新春明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

天気が良くて富士山が見えました。

 

こいつぁ春から縁起がいいわぇ

でわ。

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