馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

大内氏館に登ってきました

2025-01-13 00:00:21 | 城攻め

2025年1月12日、大内氏館に登ってきました。

こんなトコにあります。

ほとんど龍福寺さんです。

でもその前に……

大内氏館の御城印、高嶺城と一緒に歴史民俗資料館でいただいております。

お昼をいただくために瑠璃光寺に行きますが、その途中……

山口藩庁の門があるんですって。見て行きましょう。

渋くて良いですね。

長州藩が萩から山口に移転した時、山口政事堂を建設しましたがその門です。

門の裏は普通でした。

さ、次はブロロンと瑠璃光寺を目指します。

10分くらい憎たらしい坂を漕ぐと、

大内氏押しの市営バス。フランシスコ・サビエルもちゃっかり加わっております。

やって来ました瑠璃光寺。

国宝五重塔があまりにも有名ですが、

ご覧の通り改修中(´・ω・`)

終わるのは2026年3月あたりだそうな。

南北朝に代わる代わる帰順したやり手の大内弘世さんの像。

中に入りましょう。

ミニ五重塔がありましたので、改装中の代わりとして下さい。

お参りも果しので、お昼を食べましょう。

門前のお食事処で良いところがありました。

そば寿司の東京庵さん。

 

創業100年!名物「そば寿司」はいかが? 山口市「長州そば 東京庵」|山口さん

山口さん

 

そば寿司なんて初めてです。

そば寿司セット1,600円でした。巻き寿司の中身がおそばという斬新さ。

美味しくいただきました。

 

さ、大内氏館に参ります。自転車で20分くらいです。

龍福寺さんがその本体になっています。

大内氏遺跡館跡と謳われております。

ふむふむ。

お寺自体は、毛利氏が大内義隆の菩提を弔うために建立、ですね。

義隆さんの供養塔。

辞世の句が刻まれております。

討つ者も 討たるる者も 諸ともに 
如露亦如電応作如是観

漢文が混じった面白い歌です。

討つ人も討たれる人も、その命は露のようにまた電の様にはかないものだ、そう思うべきだ

 

大内義隆は、戦国三大悪人の一人である配下の陶晴賢によって反乱を起こされて亡くなってしまいます。

その晴賢も数年後、厳島の戦いで毛利元就に負けて死ぬので、歌の通りになった訳ですね^^

 

池泉庭園というものがあるそうです。

庭園は後で再現されたとのこと。

陶の反乱で山口は壊滅したので仕方ないですね。

井戸は埋められていました。

庭園内の建物の跡。

竈、ということは食堂でもあったのでしょうか。

池を眺めた後、資料館があるので行ってみます。

大内義隆さんのお父上、義興さん。ほぼ天下人的な感じにまでなったんですよ。

上空から見た現在の大内氏館跡。

お寺、しかも禅寺でザビエルのことを説明しているとは。

色つきが大内氏の勢力範囲。毛利氏の先駆けといっても良いくらい。

小さな資料館を出ます。

観光客の方ですか、と又しても妙齢のお姉様に話し掛けられました。

そしてこの松ぼっくりを渡されました。

デカ過ぎでずっしりと重く、まるで手榴弾みたい。手榴弾を実際に持ったことはないのですが。

この松から落ちたのよ~と嬉しそうに手渡してきました(笑)

 

お寺中側から見た西門。

北に向かうと土塁がありました。

こう見ると、やはり中世の武家の砦という気がします。

左側の黒いブロックは、昔のお堀だったのではありませんか。

タモリさんが大好きな暗渠っぽい(笑)

北西にある発掘された枯山水庭園の跡。

お寺北側にも館があったそうなので向かいます。

お!

ちょっちホラーちっくな建物が。昔の写真館?

呪怨か呪術廻戦に出てきそうな……((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

人は住んでなそうですが……

説明がありました。山口県公認のホラー屋敷ではありません。

県指定の文化財、擬洋風建築って言うのですね。

に、2階に人影が……いませんでしたッ

 

北側神社も館跡地。

神社が2つありましてこちら右側は八坂神社。

こちら左側は築山神社。

築山神社の奥には、

土塁築地として遺構が残っています。

当時は立派なものだったのでしょう。

こんな感じです。左上のみ残っているみたいです。

外から見ますと

崩れていて分かりにくいかな。

築山神社のてっぺんだけチラと見えました。

先ほどの西門を外からパシャリ。

14時半です、そろそろ列車の時間が来ますので自転車を返しに行きましょう。

大寒波の中、今回の旅はもう終焉です、でわ。

コメント
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