馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

宇能鴻一郎さん、お亡くなりに

2024-09-28 20:36:31 | 訃報

8月末に宇能鴻一郎さんまでがお亡くなりになっていました、享年90歳ということで、大往生なのですかね。

実は宇能鴻一郎さんは私の師匠なんです。
と言っても私が勝手に師匠認定してたんですが。

私って新婚ホヤホヤの若妻なんです。でも主人の仕事が忙しくなってきちゃって、私最近欲求不満なんです。

とか、

私って悪い女なんです。部長さんからまた夜誘われちゃったんです。

ほら、こんな感じで書くと、あなたも宇能鴻一郎さんになれますよ。
どこかで見掛けたことありませんか?
ここから先が大変なんですけど(笑)

小学生の時(すいません!!)、父が買ってきた週刊誌か月刊誌を読んでいたら、
宇能鴻一郎さんの作品を読んでしまい、引き込まれてしまった訳なのです。

もうね、あの時の衝撃と言いましたらね、凄いんですよ。
稲妻か、電撃か、痺れが背中を貫く、大人の世界が開いた。私をいざなったんです。

宇能先生ったら、悪い人なんです。
何も知らない、汚れを知らなかった、いたいけな子供たちを悪い大人の世界に連れ込む、まるでハーメルンの笛吹き男なんです。

……今いちですね、失礼。


宇能鴻一郎さん、文字通りお世話になりました。どうか心安らかに。

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興味のある方はどうぞ。

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近鉄郡山近辺を探索してきました

2024-09-28 03:12:14 | 日記

2024年9月27日、宇陀松山城の登城の後、大和郡山に再訪しました。

榛原駅から大和八木駅で乗換え、郡山駅まで来るとさすがに日も暮れかけております。

ちょっと駅前で買い物して外に出ると、18時。

長かった日も暮れ、夜のとばりが落ちているのです。ちょっとポエマーな私。

郡山城には今日は行きませんが、駅前でビックリ( ゚Д゚)

これはなんちゃって城になりますね、駅前交番。

アップすると新選組の屯所っぽくなります(笑)

さて駅から西に10分ほど歩くともう真っ暗。まだ18時半なのに。

ありました、大納言塚。

豊臣秀吉の弟君、秀長こと小一郎さんのお墓です。

うわ、暗い。フラッシュたいてしまいました。

お墓が見えています。

気が引けますがここまで来たのでお参りして行きましょう。

……ホラーっぽい。

2026年度大河ドラマ主役決定おめでとうございます、大和大納言秀長殿、羽柴小一郎殿。

合掌して引き上げましょうかね、遅い時間ですし。

でわ、また。

 

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宇陀松山城に登ってきました

2024-09-27 22:36:28 | 城攻め

2024年9月27日宇陀松山城に登ってきました。

宇陀松山城は、続日本100名城166番目のお城です。前は車で来ました。今回で2回目。

福島正則の弟、福島高晴が城主だったんですって。

 

実は午前中に健康診断を受けて、お昼にあの資さんうどんのお店が近くにあるのが分かったので、いただいちゃうことにしたのです。

九州3大うどんの一角ですよ、初体験です。

2階はびっくりドンキーさん、1階が資さんうどん……12時前ですが既に長蛇の列、私は10番目待ちでした(´・ω・`)

とか何とか言ってるうちに、すぐに入店できました。回転早し、です。

迷わず、かしわうどん細めんとお稲荷さんを注文。トイレ行っている間に、店員さんが運んできてくれました。

ほうら、かしわうどんです!!

お箸で口に運ぶと……肉うどんではないこれがかしわうどん。

讃岐でもない大阪風でもない、少し甘い汁。うどんには腰はなく、口で溶けていくって感じです。

 

おっといけない、今日は宇陀松山城に行かねばならんのです、今12時10分、12時半の電車に乗らないといけないのです。

急ぎましょ、食べましょ、流し込みましょ。

 

12時53分鶴橋駅発近鉄大阪線急行に乗って、13時46分奈良県榛原駅に到着です。

ここからは奈良交通バスのお世話になります。

14時9分です。まだ暑いので水分取って、お手洗いに行って。

大宇陀道の駅バス停で降りる予定ですが、2つ手前の西山バス停で下車します。30分ほど500円でした。

さあ、ここから歩きましょう。

宇陀市立大宇陀小学校前を抜けて行きます。

宇陀川に架かる宇陀橋を渡ると、町並みがそれらしくなっていきます。

あ、いきなり松山西口関門が現れました。

ここで左に折れる訳ですが、門が黒いため黒門とも呼ばれています。

この地図に沿って登っていきましょう。

坂道を登っていくと左が天理教教会、右が登城口に分かれました。

おや、一般のお宅に近づいちゃいました。

屋根部分が台風か何かで被災されており、無人の様です。

しかし右の口が開いており、私のナビはここを通れと指示出ししてきました。

すいません、前を通りますよ。

あれ、また道が2つに分かれます。

左が、

こんな感じで、いかにも登山道。

右の降りる感じが春日神社方面です。

ナビが登山道を指し示すの行ってみたら……行き止まりで宇陀市水道局の設備しかありませんでした( ゚Д゚)

諦めて下り、春日神社方面を探索してみます。

春日神社です、探索の無事を祈願しましょう。

江戸時代元禄年間に寄進されたお手水だそうですよ。

恐ろしい事件が記されています。

例の三介殿、織田信雄が大阪の陣後、上野と大和に領地を与えられました。

信雄は上野に四男を与え、自分は大和の宇陀松山の主になったようです。亡くなった後は、五男に後を託しました。

ちなみに近くの室生寺に分骨された信雄の墓があるんですって。

三介殿はともかく、五男高長、その次男長頼、その長男信武が継いでいくのですが……この信武さんがやってしまったのです。

織田信雄旧来の家臣と父の長頼が連れて来た加賀国出身の家来が対立し、信武は織田家旧来の家臣の田中某、生駒某を上意討ちで殺害し、生駒に至っては一族を討ち果たしてしまったのです。

事件を知った幕府が事情聴取をしようとすると、信武さんは自害……織田家は丹波柏原に減俸の上国替えをされてしまう訳なのです。

これが宇陀崩れ。

この信武さんの癇癪っぽいところ、ご先祖信長の短気と少し似ている様な気がしますが、やっぱり三介殿の血なのでしょうか。

 

さあお城攻略に戻りたい、のですが、道が分からないです。

以前に登った道の駅ルートから改めて行きましょうかねえ。

神社を下って行くと、あ!!

わはは、これは罠です、孔明の罠です。

ですが孔明の罠に乗ってやりましょうぞ!

まるで獣道(笑)大丈夫かいな。

泥道を通った後、少し道が伐採されてます。

左が開けて石垣、いやこれは近世のものでしょうね。

石段が出てきました。手すりもあって安心かな?

南北朝のころの名前の秋山城という別名の表示です。

これも罠?

でも登るしかないのです。

あれ!!

視界が広がり、車が見えてきました(笑)

駐車場でした、ここは見覚えがあります。

道の駅から登って来るとここに出るのでした、孔明殿、疑ってすいませんでした。

説明版もあるのです。

上から見るとこんな感じです。山城ですね。

もう少し登らないといけません。

空堀ですね、ヒイヒイ。

石垣が見えてきましたよ。

雑草を伐採していただいてる方々が数人いました。先ほどの駐車場に停めている車は彼らの物なのでした。

彼らのお陰で探索できる訳です、感謝。

雑草が無くなってスッキリ!!

ヒィヒィ言いますが心は弾みます。

隠れていた崩れた石垣がゴロゴロ。

15時15分、早くしないと日が傾いてしまいますね。

この傾斜を右に曲がりますと……

もう少しの感じ。

キタ――(゚∀゚)――!!

本丸跡です、つきました。

西山のバス停から40分、迷った時間を含めて登れました。

また石がゴロゴロです。

振り返れば、遠く東吉野方面の山が見えます。

更に登れそうです。

天守閣があったそうですが、本当でしょうか。

一番上はこんな感じでした。

宇陀城山471メートルと書かれています。

何故か白髯神社、同じく471メートル。

下はきちんと伐採されております。

煙突の見える建物は何と火葬場でした。では降りましょうか。

こちらも虎口、高麗門があったそうです。

駐車場付近まで戻ってきました、いえ、正しくは管理者用駐車場付近ですかね。

こちらにも説明版。

ずーっと降りて行きます。

この道を歩くと両側が伝統的保存地区です。薬屋さんが多い感じ。

10分ほど歩くと……

あれ、行きの春日神社参道に当たりました。

宇陀松山城春日門跡の石垣。立派に積んであります。

ちょっと登ってみます。

なるほど鳥居が見えます。

春日門跡の説明です、詳しくは読んで下さい(笑)

この参道を行けば、先ほどの本殿に行ける訳です。ようやく納得しました。

私ったら遠回り(笑)

宇陀市立松山地区まちづくりセンターでGETした御城印、単に松山城ですので備中松山城、伊予松山城と間違えそう(笑)

道の駅に着きましたよ。

【しかのこしかのここしたんたん】でラスボスだったせんとくんがお迎えしてくれました。

バス停から見る宇陀松山城。全然分かりませんよね。

16時半です、16時33分のバスに乗って榛原駅に向かいます。

なかなかハードなお城探索でした、でわ。

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ロマンスカーミュージアムに行ってきました

2024-09-21 23:35:02 | 乗り鉄(眠り鉄)

2024年9月21日、ロマンスカーミュージアムに行ってきました。

鶴見線の旅の後、横浜駅に出てから、相模鉄道すなわち相鉄線に乗ります。

横浜駅……物凄い人出です、こんなに人がいるとは( ゚Д゚)

海老名行きの12時45分相鉄快速に乗ります。

ここからは眠り鉄、起きたら目的地の海老名です。13時半。

海老名駅、結構発展しています。

さてロマンスカーミュージアムはどこでしょう?

小田急海老名駅近くに表示がありました。

歩いて数秒の距離にありました。

入場券の券売機です。ロマンスカーの色、バーミリオンです。

お値段は大人900円と心配になるくらいの安さ。小田急さん、大丈夫?

10000形と20000形の車両です。2階から1階に降ります。

かつての小田急路線図。

江の島、大山、箱根、小田原など各種観光地が描かれています。

1935年週末観光列車で箱根が東京からぐっと近くなった様です。

車内放送に元祖アイドルの明日待子さんのレコードを使っていたのですって。

明日待子さんの詳しい話はこちら。

 

明日待子 - Wikipedia

 

戦後1949年には新宿小田原間が90分になったそうです。

ちなみに終戦の時点では2時間半だったんですって、凄い短縮です。

現在は1時間を切って59分!!

各種ロマンスカー模型です。

小田急電鉄始まりの車両モハ1。1927年昭和2年の車両です。

1階にはこの他5台のロマンスカーが並んでいます。

SE3000形。1957年~1992年の間稼働。

3000形はブルーリボン賞を受賞していました。

NSE3100形。1963年~1999年稼働。

展望席と2階運転席が導入されたそうですよ。

中もちょっとだけ覗けました。

LSE7000形。1980年~2018年まで稼働、つい最近です。

HiSE10000形。1987年~2012年、短期間でした。

豪華な車内。

RSE20000形、1991年~2012年稼働。

こちらも短く、一転してカラーが青くなりました。

中に入れます。

運転席、カッコ良い。

これもブルーリボン賞をGETしています。

グレーのシートも落ち着いて渋いです。

中には料理を提供できるような感じになっていました。

下に降りれますね。

4人掛けの特別席があった模様です。色も薄いグリーン。

ロマンスカーの展示が終わると……

芦ノ湖の海賊船エリアに迷い込みました。

今年は周航60周年だそうですよ。

九頭竜神社が写っています。

星降る海賊船、美しい、いつか乗りに行きたい。

海賊船エリアを出て隣の部屋に行くと……

鎌倉の大仏様がいます。江ノ電も走っています。

鶴ヶ丘八幡宮ですよ。後ろにロマンスカー。

親の仇はかく討つぞ、は公暁の台詞でしたか。

黄昏の小田原城、やっぱりロマンスカーが走ってくれています。

逢魔ヶ時になっていきます、この辺りでお城分を補給できますね。

箱根湯本駅です。温泉行きたいなあ。

箱根温泉街。第三新東京市

やっぱり温泉に行きたいです。

夕闇迫る芦ノ湖、海賊船も停泊中。

小田原に戻るともう真夜中になりました。

海老名、厚木辺りには宇宙ステーションが飛んでいましたよ。

後ろには大山が見えています。こちらもいつか登ってみたいです。

京王百貨店、小田急百貨店、魔王の宮殿に見える都庁に、モード学園コクーンタワーも健在。

新宿に戻ってしまいました。

15時半です、そろそろ出ましょう。

自販機もロマンスカー(笑)

ロマンスカーの魅力は、

小田急ロマンスカー 歴代車両ミュージックホーン集

ミュージックホーンにあり。

 

今は亡き村下孝蔵さんもロマンスカーという歌を歌っておられました。

ロマンスカー :村下孝蔵

切なくて辛くなります。

 

でわ、また。

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JR鶴見線に乗って、海芝浦駅と国道駅に行ってきました

2024-09-21 21:58:13 | 乗り鉄(眠り鉄)

2024年9月21日JR鶴見線に乗って、海芝浦駅と国道駅に行ってきました。

用事があったので上京して、前に計画して行けなかったJR鶴見線の旅を実行することにしたのです。

東京駅から京浜東北線に乗って30分ほどで鶴見駅に到着します。

しかし駅の標識は日本語と英語だけにしてもらえませんかね。

見にくいこと、この上ありません。

ここからJR鶴見線に乗換えます。

鶴見線は浅野駅で更に扇町駅行きと海芝浦駅行きに分岐します、今回は噂の秘境駅である海芝浦駅に行きたいので、車両を待ちます。

京浜東北線の賑やかな雰囲気と違って、鶴見線ホームは寂しい感じです。

待つこと15分、10時50分待望の海芝浦駅行きが来ました。乗り込みます。

6駅10分で海芝浦駅に到着しました。

E131系という青と黄色のラインの車両です。何やら工場地帯の中に入ってきました。

11時1分終点の海芝浦駅に下車。目の前には海~鶴見つばさ橋という高速道路の陸橋が見えます。

駅の出口は東芝さんの工場と繋がっています。

一般の人はここから出れませんが、隣接する公園になら行くことができる訳です。

ある意味、物凄い秘境駅なんです。

公園の中に入ってみましょう。

公園にはベンチもあります。

歩いて1分、ここまでしか行けません(´・ω・`)

しかしそれなりに乗客が数名いました。家族連れ、お父さんと男の子、若い鉄オタさん、おじ様の鉄オタさん、ギャル風の鉄子さん、バラエティに富んでいます。

右側は海なのです。

ちょっと海の色が鈍いです、もう少し天気が良ければ良いのですが、残念。

もし海に落ちても浮き輪を投げてもらえます、安心安心。

今11時10分、16分発の登り電車に乗ります。

この駅には15分しかいなかったことになります(笑)

乗ってきた車両が待っていてくれたので、そのまま乗り、鶴見駅方面に向かいますよ。

風が強く波が立っています、少しだけ太陽が差してきました。

鶴見駅の一個手前、国道駅で降ります。

こちらもかなりの秘境駅なのです。ちなみに駅名の国道は、JR鶴見線と国道が面していること、からだそうです。

去って行く鶴見線を見送った後、駅の改札に向かいます。

ん?ただならぬ気配です。

人がおらず、荒れた感じ(JR東日本さん、すいません)

ちょっと下を覗き込むと、

ここはバイオハザードのラクーンシティかサイレントヒルか……?

無人駅ですが降りていくのが少し怖いです。まだお昼前ですよ。

恐る恐るICカードをタッチして外に出てみます。

何でしょう、この虚無感。

コンコースというより廃墟です(重ね重ねJR東日本さん、申し訳ありません)

さっき海芝浦で一緒だったギャルの鉄子さんも探索に来ています。どこか路地で姿が見えなくなりました。

まさかゾンビやモンスターに……ブルブル。

路線図。これだけ見てると異世界感はありません。

コンコースの先は明るいです。夜になったら怖いですね、これは。

先を抜けて振り返ります。

外は通常の世界、しかし駅方面は廃墟っぽく、バイオハザードのゾンビが闊歩するラクーンシティの様な雰囲気なのです。

左の脇からギャル鉄子さんが現れて、私は少しビックリ( ゚Д゚)

恐ろしい駅の雰囲気ですので、上に上がって鶴見線に乗ることにします。

乗車駅証明書を得て、この恐ろしい駅を離れることにします。

鶴見駅に無事帰ってきました(*´▽`*)

古く、今はもう珍しい形のベンチ。

座り心地はあまり良くありません(´・ω・`)

 

しかし不思議な体験をしてきました。

海芝浦駅と国道駅……恐ろしくも謎の駅でございました。

 

まだ11時50分です、お昼を食べて次の目的地に向かいます、でわ。

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