今日(9月27日)母のお見舞いに行きました。
母は先週と違って土気色をしていました。
また、今までの病衣ではなく、白いガーゼのようなものを巻かれていました。
何か理由はあったのでしょうが、昨日はっきりと点滴だけにしてくださいと言ったあとなので複雑な気持ちになりました。(あとで確認すると入浴の準備だったそうです。)
24年前、母と私が行った中央ヨーロッパのアルバムを見せました。
目はアルバムを見ているようですが全く反応がありません。
顔を見ると吐いたのか薄い血の混じった液が口の周りに付いていました。
ティッシュを探しましたがなかったので持っていたもので拭きました。
それを捨てようとするとゴミ箱が見あたりません。
新型のヘリコプター?
すると同室の患者さんが「首がちぎれそう。呼んでください。」と大きな声で言われます。詰所に伝えに行きました。
その時にティッシュとゴミ箱がないことを言いました。
すぐに持って来てくれました。
母にアルバムを見せていると酸素の管の一つが鼻から外れていることに気付きました。
するとまた、同室の患者さんが「ベットを上げて!」と言われます。
10分しかないので私はどうしたらいいか迷いました。
あと少しの時間しかなかったので私は写真の中の母と私と母の大親友の写っているところを指さして見せました。
すぐにピピピとなりました。
タイマーを持って詰所に行き、まず、同室の方がベットを高くしてほしいと言っておられることを伝えました。
そして、母の酸素の管(鼻の穴に合わせて二つ)のうち一つが外れていることを看護師に伝えました。
母のところに来た看護師は驚いたことに「もう直してくださったのですか?」と私に聞くではありませんか?
「どうしたらいいか分からないので触っていません。」というと改めて母の顔を見て酸素のチューブを入れ直していました。
もしかして、母が土気色をしてしんどそうにしていたのは酸素が足りなかったからだろうかということが頭をよぎりました。
悲しくなりました。
もう、死に行くものには手をかけるつもりはないのかと思ってしまいました。
心安らぐ最期を看取ってほしいです。
実は昨日、主治医から「また一から白湯を入れます。」と電話がありました。
「先日(9月16日)、もう、経管栄養(白湯から)をやめて点滴だけにするということになったのではないですか?」というと「その辺のことをハッキリ言われてなかったので…」というので「もう点滴だけにしてくださって結構です。」と伝えました。(当日、排液が0になったらチューブを抜くと言われました。)
人の命を預かるのだから念には念を入れて慎重にしているのかも知れません。
でも、家族があれだけ大きな決断をしたことをしっかり受け止めてくれているのだろうかと思いました。
本当に患者や家族に寄り添ってくれているのでしょうか?
この病院の理念は『やさしく“生命”をまもる』です。
19日に行った時、母がココを抱いている写真を一番よく見えるところに飾ってくれていました。とても、嬉しかったです。
こういう小さな心遣いがどんなに患者や家族の心を優しく包んでくれることでしょう!
今日、見ると写真は他のものといっしょに下の台に積まれていて、母から見えないようになっていました。
撮影:上神谷 2023.9.26