敬老の日の贈り物をしました。
何も食べられない、外に出かけられない母に何をしようかと考えて、お花を送ることにしました。
病院に確認すると、生の花ではなくケースに入ったものにしてほしいとのことでプリザーブドフラワーにしました。
買ったものの、ガラスの入れ物に入っているので、落ちて割れるのではないかと思い、一昨年亡くなった弟のために仏壇に備えたプリザーブドフラワーの入れ物があったので、それに入れました。
メッセージも悩みました。
元気になってとか長生きしてとかは今の母の状況を見ると書けません。
日頃の感謝の気持を込めて・・・と書きました。
テレビの裏だけど、母から見えるところに置きました。
ここなら、落ちにくいと思います。
この日は左目が開かないようでした。
9月16日に弟と二人でお見舞いに行った時、冗談好きの弟が『おふくろに似て男前に産んでくれてありがとう。』とホワイトボードに書いて見せたら、母が笑いました。
久しぶりの吹き出すような笑いに弟はとても喜びました。
もちろん私も嬉しかったです。
この頃、私たちが行ってもだんだん目をつぶっていることが多くなって来ました。
それに無表情な感じがします。
だから、余計に嬉しく思いました。
私たちは行くたびに母の手を握っています。
その日によって、暖かい時と冷たい時があります。
時々母の髪をヘアブラシでとかしています。
10分はあっという間です。
母に大親友からいただいた絵葉書を見せるとずうっと見入っていました。
この方とは20年くらいパソコンでメールのやり取りをしていましたが全部印刷して箱の中に大切にしまっています。
文学のこと、芸術のことでとても気が合うようでした。
同じツアーでこちらのご夫婦とご一緒した時、食事の時などに会話をしていましたがそのレベルの高さに私はついていけませんでした。
16日、主治医とこれからのことを話し合いました。
今後は積極的な治療はせずに点滴のみにすると決断したと伝えました。
1ヶ月くらい前まではもしかしたら回復するのではないかと希望を持っていましたが、来るたびに衰弱していっているように見える母にもう頑張ってもらうのはかわいそうかなと思うようになりました。
主治医は鼻から胃に白湯を入れ、それが腸に入ったら栄養を入れると言っていましたが、母は白湯の段階で何度も戻し、また一からですと同じことを繰り返して来ました。
私たちはそういう治療をするということは栄養が入る可能性があるのかと期待をしていましたが、後から聞くと主治医は私が経管栄養を望んでいたから続けて来たと言っていました。
8月末、主治医から、「楽にしてあげたらどうですか?」「今回だめだったらもう一回試しますか?それがだめだったらもう一回試しますか?どこまで試しますか?」と言われた時、決断を迫られているようで辛いと言いました。
それは何がなんでも経管栄養を続けてほしいというのではなく、そのような言い方が辛かったのです。
その後、こちらから「半分覚悟はできている。」「元気そうに見えるともうちょっと頑張れるかなと思うが頑張らせて過ぎたらいけないと思う。」と主治医に伝えてきました。
でも、今回ももう一度スタートするかどうか確認しないで再開しようとしていました。
自分の母親にだったらしないと言っていました。
私は少し前、治療法を変えたら、もしかしたら違う経過を辿るのではないかと他の病院をネットで探したり、役所や手術した病院に電話をして聞いてみようかと思いました。
弟は私のいうことは分かるが、今の状態の母を動かすのはかわいそうだということで諦めました。
「点滴だけにすると1〜2月と考えておいてください。」とのことでしたが、「その人の生命力であっけなく最期を迎えられる方もおられるし、最後の最後まで普通に会話しながら最期をスーッと迎えられる方もいる。」とのことでした。
排液を見ながら、排液が0になったら、今まで白湯を入れていたチューブを抜くということです。
私たちが帰る時、手を振って見送ってくれた母。
この時も弟はとても喜びました。一旦病室を出ましたが、私が「手を振ってくれたよ!」というとあわてて戻って手を振っていました。
これは今年の3月、母の通っていたデイサービスで91歳の誕生日を祝ってもらった時の写真です。
こうして、毎月2、3枚の写真を送って来てくれました。
とってもいいところだったので、新しい施設でも行かせてほしいと何度もお願いしましたが叶いませんでした。
何より、クローバーさんの素晴らしく優しい心に、
いつも胸が熱くなります。
お寿司やパジャマを贈ることが多かったのですが、どちらもダメなので悩みました。
お花の入ったワイングラスは落ちてしまったら割れてしまうのでどうしようかと思ったらすぐに弟の箱が出てきました。
母には弟が亡くなったことは伝えていませんが二人が近くにいられてよかったと思いました。