8月28日、弟と母の病院へ行きました。
この日の母は起こすのを躊躇うほど辛そうでした。
声をかけると目を覚まし、弟が覗き込むとにっこりしました。そして、持っていったココの印刷した写真を見せると嬉しそうでした。
でも、その後横を向いたままでした。
先生から、今までの経過を初めから話してもらいました。
私からは弟にかいつまんで話して来ましたが、弟は直に聞きたかったようです。
弟が一緒だったからでしょうか?前回と違って、穏やかに丁寧に話されました。
途中、先生が私に「大丈夫ですか?振えていますが…」と聞かれました。
自覚のなかった私は驚きましたが、
「これは精神疾患の薬の副作用だと思います。」と答えました。
<母の経過については今回は置いておきます。>
私は「前回、お話しをしていただいた時、今のように穏やかに見通しを持って、お話ししてくださっていたら良かったのですが・・・」と切り出しました。
「楽にしてあげたらどうですか・・?」
「今回だめだったとしたら、もう一回試しますか?それがだめだったらもう一回試しますか?どこまで試しますか?」と言う言葉は強く決断を迫られているようで、家に帰ってから辛くて辛くて・・・。」
「それは楽に死なせてあげましょうと言う意味ではないですよ。」と先生は言われましたが、
「楽にしてあげたらどうですか?負担になる、苦痛になることをあえてしますか?」という言葉はもう治療はやめたらどうですか?と私には聞こえました。」
「母を崖の淵に立たせて、後ろから先生が私に『いつ押すのだ。』と言われているようなイメージが浮かんできた。」と言いました。
「そのあと、どんなに辛くなってしまうか・・・。家族の気持ちに寄り添ってほしい。」と言いました。
「本当に辛かった。これから先生とお付き合いしていけるのかと思うくらい。
母の終末期を迎えるにあたって、家族にどれくらい寄り添ってくれる
のかと不安に感じた。」というと
主治医から「誤解を与えることがあったら、申し訳なかったと思う。」と謝罪の言葉がありました。
今日は母の経過もよく、これからの治療方針なども希望が持てるもので、少し心が落ち着きました。
次の日の朝、主治医から電話があり、「誤解を与えてしまって申し訳なかった。」
「これからはもう少し優しく丁寧に話すようにする。」と言われました。
私の精神疾患にも気遣って、いろいろ聞いてくださいました。
「私には双極性障害II型と言う精神疾患があり、大きなストレスがかかると発症することがある。」
「昨年も入院した。発症するととても辛い。今も定期的に通院し、薬も飲んでいる。」
「母の看取りを冷静に見守ることができるのかとても不安に思っている。」と伝えました。
29日にも弟とお見舞いに行きました。
母は昨日と比べるとずいぶん元気そうで安心しました。行くなり母の方から手を振ってくれました。
弟と私は何度も母のミトンの中の手を握りました。
その後、また先生が来られ、今の状況がいいことを説明してくれました。
「今回のがんの手術は“お寿司を食べられることを目標にしよう。”と執刀医が言って臨んだものです。食べれないまま終わってしまうのはとても辛い。」と言うと
「希望を捨てることは全くない。ただ、希望を叶えるために無理をしたら、全体像をかえって悪くしてしまう。」とのことでした。
明日も来ると伝えると「その時は声をかけてください。」と言われ、とても気を遣われいるのだなと思いました。
今後も今のように寄り添っていただけるとありがたいと思います。
今回、自分の感じたこと、こちらの状況を主治医に直に伝えてよかったと思いました。
母がどこまで元気になるのか期待する反面、ある程度、元気になったとしても、ただ、ベットに寝たきりで過ごすことが母にとって幸せなのかを見極めた上で判断しなければならないと思っています。
でも、急かされると決断ができなくなります。
2022.08.26 中之島公園