風まかせ~

自分で歩いて得た季節のきまぐれ情報です。気が向いたときに写真付きで時々出します。

鎌倉街道と思われる道を自転車で(5)

2020-04-21 | 歴史散策

今回は北本市高尾地区です

 

 

 

①舟渡道道標(これより舟とみち)

 五差路の交差点にある道標で銘文は「ここから石戸の舟渡(石戸河岸)への道」という意味です。現在あるのは模造品で本物は享保12年(1727)に建立されました。河岸場の実在を実証する証として北本市指定文化財に指定され教育委員会で保管されています。

 

 

②鎌倉街道標識

  鎌倉街道巡りの発端はこの案内板から始まりました。

 

 

③高尾河岸跡

 江戸期から明治中頃まで北本で一番賑わっていた所が高尾河岸でした。人の往来で賑わったのが中山道だとすれば高尾は舟運の物流に関する人たちで活気に満ちた場所でした。この河岸の歴史は古く元禄3年(1690)には近隣の村々の年貢米を積み出す幕府の公認の河岸として記録に登場します。

今はこの賑わいを残す雰囲気は全くありません。のどかな田舎の風景が広がっています。対岸から見ています。

 

④水天宮碑と道標

 水天宮碑はこの河岸に関わる人たち(河岸組)が水運の安全を祈願して建立したものです。

 水天宮碑から少し離れた位置に昭和62年(1987)に土中からみつかり河岸組の有志が現在地に再建しました。もとはもう少し坂を上った場所にあったそうです。「東こふのす道 西よしみ道」と彫られています。

  

 

⑤氷川神社・須賀神社・厳島神社

 氷川神社の創建は貞観11年(869)と伝えられ市内最古の神社とされています。その後文明5年(1473)に現在のさいたま市にある武蔵一之宮氷川神社から祭神を分祀し現在に至っています。旧高尾村の総鎮守で神仏習合の時代であった江戸期には龍泉寺の坊さんが神主を兼ねていたということもあり寺跡近くには今でも坊さんの墓があるようです。

 

 須賀神社は旧新井村の鎮守で又の名を「荒井の天王さま」と呼んでいます。創建は四百年前と伝えられています。この神社には昔から胡瓜を奉納してはいけないという面白い風習があります。神社の御紋が胡瓜の切り口に似ているためであったとされています。また、鳥居の近くに道祖神が祀られています。これは旅の神様として現在でも履物を供え祈願する信仰が残っています。スニーカーが供えてあるときもあります。

 

 厳島神社は谷そこに向かって石段を降りて行ったところに池がありその中央の小島に神社が祀られています。ここにはかつて9mもの杉の大木があったといわれています。祭神は弁財天で安産祈願に訪れる参拝者が大勢います。その際には拝殿の腹帯を持ち帰ることが出来、無事安産となった際は倍返しをすることになっているそうです。

  

 

⑥北向き地蔵

 文字通り北を向いている石造りの地蔵菩薩で道しるべになっています。建立は享保14年(1857)で高さは台座を入れると250cmもあります。地蔵の足元には泥の団子が供えられています。これはお地蔵さまに願い事をするときの約束で、もし願いがかなった時には米の団子を供えることになっているそうです。

 

⑦庚申塚

 保育園横の民家の門傍に建てられています。この民家の人が立てたものでしょうか。

 

⑧街道口

 庚申塚を過ぎ、県道に出て吉見町方面に行くと蕎麦屋が有ります。その店横のななめに入る道からまた街道が始まります。余談ですが、この蕎麦屋の店頭や店内には昔懐かしい骨董品やおもちゃの蒐集品が沢山ならんでいます。興味のある人は入って見ると面白いと思います。蕎麦も美味しかったです。

 

次は石戸宿方面です。


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