バイデン米副大統領は15日、ペンシルベニア州の集会で、米大統領選の共和党候補ドナルド・トランプ氏(70)が日本の核保有を認める発言をしたことを巡り、「日本は我々が書いた憲法で核保有国になれないことを彼は理解していない。学校で習わなかったのか」と批判した。バイデン氏の発言は、日本国憲法が連合国軍総司令部(GHQ)主導で作成されたことを踏まえたものとみられるが、米政府高官が公の場で「我々が書いた」と表現するのは極めて異例だ。日本政府は、「憲法9条は一切の核兵器の保有及び使用を禁止しているわけではない」との立場をとっている。ただ、大陸間弾道ミサイル(ICBM)など「他国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる兵器」は、自衛のための必要最小限度を超えるため、9条との関係で保有できない。
自衛隊は大規模な自然災害が発生したとき、地方公共団体などと連携・協力し、被災者や遭難した船舶・航空機の捜索・救助▽水防▽医療▽防疫▽給水▽人員や物資の輸送-といったさまざまな活動を行います。平成27年版防衛白書によると、26年度においては、延べ521件・派遣人員6万6千人超の災害派遣に従事しました、同年度、兵庫県内での派遣実績は、林野火災でヘリを使用した空中消火支援が2件、風水害での人命救助・行方不明者捜索が1件の計3件で延べ約260人でした、県内で自衛隊の出動が必要となる自然災害などが発生した場合、通常、知事から第3特科隊長(姫路駐屯地司令)らに災害派遣要請がなされ、即座に部隊を派遣することとなります、自衛隊では、災害派遣活動を円滑に行うため、平素から県内の市町別に隊区担任部隊を指定し、自治体が計画する防災会議や訓練に積極的に参加しています。また、あまり知られていませんが、防災の分野で知見のある退職自衛官が自治体の防災担当部門などに在籍し、防衛省・自衛隊と自治体との連携を強化する上で重要な役割を果たしています。
「特攻隊」はドイツにもあった-。米の外交専門誌「ザ・ナショナル・インタレスト」(TNI、電子版)は7月、第二次大戦末期のドイツが日本の神風特別攻撃隊(特攻隊)をヒントにした、敵爆撃機に体当たり攻撃する戦闘機隊「エルベ特別攻撃隊」の実態を報じた。大戦末期、敗戦が迫るなかの日本とドイツの航空戦には共通点が浮かび上がる。(岡田敏彦)
日本の特攻隊は、敵艦船に対して生還の可能性が全くない体当たり攻撃を行うものが主だったが、ドイツの「エルベ特別攻撃隊」は事情が異なる。ドイツが参考にしたのは、日本の「震天制空隊」などの敵爆撃機に対する体当たり攻撃部隊だった。攻撃方法は対艦船と同じく、乗機もろとも敵に突っ込む体当たりが基本だが、エルベ特攻隊の場合は体当たり後に壊れた乗機からパラシュートで脱出、生還することとなっていた。 TNI誌(電子版)などによると、部隊が発足したのは1945年3月。終戦まで2カ月という時期だった。ドイツではジェット戦闘機Me262など革新的な戦闘機が実用化されていたが、あまりにも数が少なく、実用化も遅すぎた。結果、昼は米軍の4発重爆撃機B-17やB-24が、夜は英軍のランカスター重爆撃機が爆撃する状態にあった。
迎撃に飛び立つドイツ空軍は、昼夜両面の対応に苦闘していた。その迎撃にあたってキーマンとなったのが、後にエルベ特攻隊を発案するハヨ・ヘルマン大佐だった。ヘルマン大佐こそ、対爆撃機戦術を編み出してきた第一人者だったからだ、 ヘルマン大佐は、英軍がレーダー攪乱材「ウインドウ」(現代の「チャフ」の原型)を用いてドイツの夜間防空体勢が壊滅の危機に瀕した際、レーダーに頼らない「目視での」迎撃戦法を立案した、 闇夜にカラスを探すような難しさだが、それを解決するため、ありったけのサーチライトで爆撃機を照らす方法を導入した。それに加えて実際には、爆撃で燃えさかる都市の炎さえ利用された。炎の照り返しを受けてぼんやり浮かび上がる敵機に対し、あらかじめ空中で待機していた戦闘機が総攻撃をしかけるというものだ、 この戦闘方法なら、レーダーを積んだ貴重品の夜間戦闘機ではなく、数多い昼間戦闘機を投入できる。地上のレーダー誘導を受けないことから「ヴィルテ・ザウ」(野生の猪)と呼ばれたこの戦法は、後に専門部隊(JG300)が創設され、通常の20ミリ機関銃よりも威力の高い30ミリ機関砲を装備する専用機も作られ、一定の戦果をあげた。こうした戦術を編み出した実績を持つヘルマン大佐が、肝いりで立案したのが「エルベ特攻隊」だった、 体当たり戦術を取り入れざるを得なかった背景には、大戦末期の日本と同様に、熟練パイロットが激減したという事情がある、 米英軍のB-17やランカスターは機体の前後上下に迎撃用の機関銃を装備しており、夜間なら闇にまぎれて忍び寄れるが、昼間はこうした機銃の餌食になる危険性が高い。戦闘機で迎撃するにも、有効射程に入る前に撃ち落とされてしまうことも度々あった。もはや撃墜するには、体当たりしかないとの悲惨な状況だった、独週刊誌「シュピーゲル」(電子版)などによると、エルベ特攻隊の実現化にあたっては様々な検討がなされた。機体をぶつけるというよりは、プロペラで敵機の翼を切り裂くような戦法が創案された。また、空冷エンジンよりも重い液冷エンジンを搭載した機体で機首から突っ込み、エンジンの質量で敵機に大ダメージを与えるという案も採られた。体当たり後のパイロットは大破した機体からパラシュートで生還するとの方針だった。日本の特攻隊との最大の違いについてTNIは、その可能性はともかく、まがりなりにも生還が前提とされてることをあげている。ただし、日本の震天制空隊など爆撃機への体当たりを目的とした部隊では、やはり生還者は皆無ではない、 エルベ特攻隊の隊員は志願制で集められ、44年4月7日、1300機を擁する米軍の爆撃機の襲来に対して初の出撃命令が下る。
パイロットと機材の不足は日独ともに大戦末期共通の課題だったが、「特攻隊」とは対称的な部隊が作られたのも日独共通だった。日本では源田実大佐の発案により、新鋭機「紫電改」と熟練パイロットを集中配備した第343海軍航空隊「剣部隊」が編成され、松山を基地に防空戦を展開するが、ドイツではさらに強力なエリート部隊が創設された、1945年1月、ドイツ空軍の総司令官ヘルマン・ゲーリングと対立し、空軍戦闘機隊総監の職を追われたアドルフ・ガーランド中将は、戦友のヨハネス・シュタインホフ大佐らの支援を得て、その階級とはかけ離れて“格下”の一戦闘機部隊の指揮官として空軍に残った。指揮する戦闘機部隊の名は「JV44」(第44戦闘団)。世界初の実用ジェット戦闘機Me262を運用する部隊だ、Me262を高速爆撃機として運用しようとしたアドルフ・ヒトラー総統とゲーリングに反し、戦闘機としての運用を主張し続けたガーランドが、その自説を実証するとともに、連合軍に対し一矢報いようとしたのだ。 当時は多くのドイツ戦闘機部隊が壊滅的被害を受けて組織的戦闘ができなくなっていた。そんななか、大戦初期で96機を撃墜した伝説のエースであるガーランドの下で戦おうというパイロットたちが次々と入隊してきた。戦争末期の混乱のなか、異動命令なしに転属、つまり勝手に集まってきたのは、名だたるエースばかり、 50~100機撃墜を目安に与えられる勲章「騎士鉄十字章」を持っている者が大半で、さらに上位の「柏葉付き騎士鉄十字章」を持つヴァルター・クルピンスキ大尉(197機撃墜)や「柏葉剣付き」を持つゲルハルト・バルクホルン少佐(301機撃墜)、ハインツ・ベーア中佐(220機撃墜)ら、ドイツ空軍の屋台骨を背負ってきたパイロットが勢揃いした。ジェット機への転換訓練に手間取り、燃料不足に苦しむなか、4月から5月7日の部隊降伏までに47機を撃墜し、その幕を閉じた。
産経新聞
巡視船
PLH型(ヘリコプター2機搭載型)巡視船 「やしま」要目 ・全長 130.0メートル ・最大幅 15.5メートル ・総トン数 5,300トン PLHとは、 「Patrol Vessel Large with Helicopter」の略 700トン型以上の大型巡視船で回転翼航空機(ヘリコプター)を搭載するもの PLH31 しきしま PLH32 あきつしま |
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PLH型(ヘリコプター1機搭載型)巡視船 「りゅうきゅう」要目 ・全長 105.0メートル ・最大幅 15.0メートル ・総トン数 3,100トン PLH01 そうや PLH04 うるま PLH05 ざおう PLH10 だいせん |
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PL型(3500トン型)巡視船 「いず」要目 ・全長 110.0メートル ・最大幅 15.0メートル ・総トン数 3,500トン PLとは、 「Patrol Vessel Large」の略 700トン型以上の大型巡視船で回転翼航空機(ヘリコプター)を搭載するもの以外 |
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PL型(2000トン型)巡視船 「ひだ」要目 ・全長 95.0メートル ・最大幅 12.6メートル ・総トン数 1,800トン PL51 ひだ&PL52 あかいし PL52 あかいし PL53 きそ |
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PL型(1000トン型)巡視船 「はてるま」要目 ・全長 89.0メートル ・最大幅 11.0メートル ・総トン数 1,300トン PL09 くにがみ PL09 くにがみ&PL10 もどぶ PL72 れぶん |
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PM型(350トン型)巡視船 「くなしり」要目 ・全長 56.0メートル ・最大幅 8.5メートル ・総トン数 335トン PMとは、 「Patrol Vessel Medium」の略 350トン型以上 PM29 やまくに PM39 おくしり PM40 なつい |
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PS型(180トン型)巡視船 「たかちほ」要目 ・全長 46.0メートル ・最大幅 7.5メートル ・総トン数 195トン PSとは、 「Patrol Vessel Small」の略 350トン型未満 PS18 さんれい PS19 あさじ |
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FL型(消防船)巡視船 「ひりゆう」要目 ・全長 35.0メートル ・最大幅 12.2メートル ・総トン数 280トン FLとは、 「Fire Fighting Boat Large」の略 FL01 ひりゅう |
巡視艇
・全長 37.0メートル |
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PC型(30メートル型)巡視艇 「きたぐも」要目 ・全長 32.0メートル ・最大幅 6.5メートル ・総トン数 100トン PC114 おきぐも PC124 やえづき |
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PC型(23メートル型)巡視艇 「ことなみ」要目 ・全長 27.0メートル ・最大幅 5.6メートル ・総トン数 64トン PC32 はたぐも |
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CL型(20メートル型)巡視艇 「やまぎく」要目 ・全長 20.0メートル ・最大幅 4.5メートル ・総トン数 26トン CLとは、「Craft Large」の略 20メートル型以下 CL169 ことざくら CL171 ちよかぜ |
特殊警備救難艇
特殊警備救難艇(63隻) 「あるたいる」要目 ・全長 10.0メートル ・最大幅 2.7メートル ・総トン数 5トン |
海洋情報業務用船
海底地形の測量、海流や潮流の観測、海洋汚染の調査などを行います。
測量船
HL型測量船 「昭洋」要目 ・全長 98.0メートル ・最大幅 15.2メートル ・総トン数 3,000トン HLとは、 「Hydrographic Survey Vessel Large」の略 500トン型以上のもの HL02 拓洋 HL03 明洋 HL04 天洋 |
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HS型測量船 「くるしま」要目 ・全長 21.0メートル ・最大幅 4.5メートル ・総トン数 27トン HSとは、 「Hydrographic Survey Vessel Small」の略 HS23 うずしお HS25 いせしお |
航路標識業務用船
灯台、灯浮標、電波標識などの航路標識の維持、管理などを行います。
灯台見回り船
LM型(23メートル型)灯台見回り船 「こううん」要目 ・全長 24.0メートル ・最大幅 6.0メートル ・総トン数 50トン LMとは、 「Light-House Service Vessel Medium」の略 50トン型以上のもの LM205 れいうん |
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LS型(15メートル型)灯台見回り船 「あきひかり」要目 ・全長 15.0メートル ・最大幅 4.2メートル ・総トン数 17トン LSとは、 「Light-House Service Vessel Small」の略 50トン型未満のもの |
教育業務用船
海上保安学校に配備され、学生の資格取得のための実習などを行います。
実習艇
実習艇「あおば」要目 ・全長 16.0メートル ・最大幅 4.1メートル ・総トン数 15トン |
71回目の「終戦の日」を迎えた15日、東京・九段北の靖国神社は、戦後70年という大きな節目だった昨年に比べると、目立った混乱もなく「静かな鎮魂の日」を印象づけた。もっとも、「アジア解放の戦争を美化する神社」といった一部野党などの批判は相変わらず。紋切り型の「周辺各国の懸念」を持ち出すメディアの姿も旧態依然としている。戦後70年を超えてなお、関係者が心穏やかに祈りをささげる環境は整っていない、せみしぐれに包まれた蒸し暑い早朝。靖国神社はこの日、例年通り午前6時に開門した。拝殿前には、またたく間に参拝を待つ列ができ、午後7時の閉門まで途切れることはなかった。正午になると、参拝者が一斉に立ち止まって戦没者に黙祷をささげ、境内は一瞬の静寂に包まれた。