ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

静と動:石巻中心部(2013年2月19日の記録)

2017-09-28 11:31:58 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

震災後に、あらかた片付いた商店街は、一見、今もあまり変わりは無い。

なぜかというと、実は再開発に向けて準備中なのである。

(2011年10月:立町2丁目大通り↓)

 

(2013年2月↓)


(2011年10月:西内海橋前↓)


 (2013年2月↓)



計画を立てて動き出しているところや、修繕して再開した店舗もあり、石ノ森萬画館も再開している。


町の中で、ひと際目を引く美しい古い洋館風の建物は、「旧観かん慶けい丸まる商店」だ。

昭和5年に建てられたという観慶丸は、震災と津波で被害を受けたものの倒壊せず、文化財として保存する活動が進められている。


(↓2011年10月:中央3丁目「旧観慶丸商店」)

1階部分が浸水したため、窓や扉が覆われふさがれていた。

 (2013年2月↓)現在、1階部分が「復興ステーション」として使われている。 


石ノ森萬画館のある中瀬は、2011年10月には水浸しになっていた所もあった。

 

(2011年10月↑)

ある程度の整備はされているが、今も満潮や天候による冠水の心配が解消したわけでなく、地盤沈下の対策が必要らしい。


中瀬は、石ノ森萬画館を主軸にして整備される「中瀬公園計画」が出ており、それに伴い調査や設計が行われているようだ。


中瀬には石ノ森萬画館だけでなく、もう一つ保存活動が進められている文化財がある。

漫画館の向かいにある、国内最古の木造教会というハリストス教会だ。

これも今、保護のために覆いがかけられている。


(↓2011年萬画館とハリストス教会)


(2013年2月↓)


(↓2013年2月覆いのかけられたハリストス教会)


(↓2011年10月:ハリストス教会)


***明治13年建築で、1978年の宮城県沖地震で損傷したが、その後に中瀬公園に移築された建築物。

窓は割れ、白壁が所々剥がれて正面の扉が失われているが、かろうじて外観は残っていた。

2度の震災にも、この美しい建築物は、傷みながらも耐えて残った。***


また、中瀬は震災前に、北日本海事社(現在はNOMCO&COMPANY:松島の干支記念館を作った会社)が、町の活性化のために公園と施設を配した開発計画を立てていた。

色々あって変更となったが、計画の一つとして作られた自由の女神像が残っている。


(↓2011年10月中瀬の女神像:凛と立つその横腹に穴が開いていた)


(↓2013年2月中瀬の中央にまだ立っている)



中央から中瀬へと渡る橋の手前に、川沿いに細い通りがある。そこを進むと、新たな堤防が設けられ、反対側には「石巻まちなか復興マルシェ」が出来ている。

(2013年2月↓)


飲食や土産物販売、催しなどを行い、憩いの場にしたいと作られた市場だ。


仮設の商店街は立町大通りにもあり、少しずつ中心部にも人の集える場が戻りつつある。


静かに残っている建物も、これから大きな変化があるだろう。

今の石巻市街地は、再開発という大きな動きを前に静かに待っている所と、動き始めている所とが混在している。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。