七夕は、母の命日
聞えは悪いが、覚えやすい日
父の命日は9月だったが、果たして弟は何日だったか覚えているかどうか疑問
かくいう弟も、女の子の節句が誕生日で、これまた覚えやすい日にとは思ったが、
男の子だっただけにからかわれることも多かったらしい
両親は、ずっと二人で暮らしていたが
こちらに二世帯住宅を建ててからは、
夏は北海道の実家で、冬はこちらでという生活をしていた
父が亡くなってからも、夏の間、母は一人で涼しい北海道で暮らし、
冬には避寒してもらうため、かあちゃんが迎えに行って家の冬支度をしてきていた
掃除とか、水を落としたり、郵便局への住所変更とか、ご近所へのあいさつとかとかとか…
少しずつ認知症が気になり始めた頃の冬、出先で転んで頭を打ち
検査入院となった
入院の時は保証人が必要だが、同じ市内に住んでいる人しか資格がないと初めて知った
困り果てたが、幸い、母と仲良しだったご近所さんに助けていただき、事なきを得た
そうでなかったら、ほかに方法はあったんだろうか?
幸い、異状はなさそうだったので5日で退院。
一か月経ったら、脳の検査をしてもらってくださいと言われた
それを機に「早めに避寒」してもらった
母は、春になったら帰る気満々だったが、結局もう帰れなかった
友達が誰もいないこちらに連れてきたのはかわいそうだったけど
1人にしておくわけにもいかない
母は、毎日楽しそうにデイサービスに通っていた
せめてもの親孝行にと、あちこち連れて行こうと思ったが
認知症のため、まともに行けたのは数回だけ
父が元気な時にクマさんと4人であちこち行っておいて良かったよ
認知症が進んでからは、
関西までの墓参も、母のために車で行こうとしても、10分乗ったら「帰る」という
読みもしない本を数冊も「持っていく」と言ってきかない(重たいので弟に持たせた)
電車で通院しようとしても、途中で「ここで待ってる」という
いつの間にか、外に出て、転んでしまう
家族は、振り回されて大変なのだが、それならこうしようああしようと頭を使ったり
おだてたりなだめすかして用事を終えるしかないが
かあちゃんとて、だんだんイライライライラ
その様子をみて、クマさんも弟も「やばい」と思ったらしい
足も弱っていたが、杖が嫌いで、外出の時には車いすを使うことにしたら
母は、車いすが気に入って、お出かけも楽になった
デイサービスでは、わがままも言わず、至って普通の物静かなおばあちゃんでいてくれたのが助かった
父の墓前では、亡父に「なんで早く死んじゃった」と泣いていた母だが、今は一緒に納まっている
が、これで済んだわけではない
お墓がかなり遠いのにずっと困っていた
いろいろあって、亡父がそこにつくったんだろうけど、今のようにLCCがあるわけじゃない
家族そろって、何日もかかって、電車での大移動旅行となったわけで、
せっかくだからと、あちこち観光もしたから楽しかったといえば楽しかったけど
大人になるまで、墓参は数回しかしたことがなかった
せっかく父が作ったお墓を、我々の一存でどうこうするわけにはいかなかったが
父も母も亡くなったし
昨年、すぐお隣にお墓をたてていた親戚が、墓じまいをして別のところに遺骨を移した
それまで、何かとお世話をかけていた親戚だけど、これからもご迷惑をおかけするわけにはいかない
弟は、「僕も、墓じまいを考えている」とのこと
いろいろ考えると、潮時か
と言っても、かあちゃんが主体でやる話でもないし、弟から相談がくれば乗るしかない
弟は、今は関東を離れて、北海道に戻っているので、関西までの墓参はもっときつくなる
さあて、弟よ どうする?