我々はこの社会において
いくつかの「顔」を持ちながら生きています
社会(職場)における自分
家庭における自分
親類との関係における自分
個人(友人との関係)としての自分
日本人としての自分
誰でも立ち位置によって
多少違ういくつもの顔を持って生きていきます
作品によって描かれた人柄も
描く視点を変えれば
大きく違う人物像になってしまいそうです
又
街の表情も自分自身の「観る気持ち」によって
大きく変わことを何度も経験しています
よい景観である街であっても
人が絡み仕事絡みで観ると
違う印象に変わってしまう事があります
親しい人の住む街や地域は和やかに感じられますし
意味嫌う人の住む場所はトゲトゲしく感じてしまいます
昔々、一時期楽しく過ごした事のある街を
訪れた時は悲しい程のなつかしさで胸が一杯
どの道もどの家もすべて受け入れられる心情でした
では
私の住む家、地域はどうかと言えば・・・”及第点”
住む家は小さな家ですが
画家が絵を描く工房に寝泊りするが如く
作曲家がピアノやギターの傍らで居眠りするに似て
小さな工房のなかに私は住んでいる感触です
ビデオカメラ数台とビデオ機器数台
編集機器(DV-7DLSE)と
作曲用ギターとDTMにも変身するパソコン
これが自分の求めてきた”カタチ”かどうか
まだ解りませんが、いずれ解る時がくるでしょう
ただ
私の感性が求めつづけるモノは「人生は感動だ!」なのです、エヘヘ・・・