弟を亡くし、母を捜す心境などをブログで発信する荒川洋平さん
仙台市青葉
http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/
東日本大震災の大津波で弟を亡くし、母の行方が分からない仙台市の会社員、荒川洋平さん(29)が遺族の心境をブログで発信している。
復興ムードへの戸惑いも率直につづっている。
荒川さんは「被災者の視線で見る現地のありのままの状況や、一歩ずつ前へ向かおうとする遺族の気持ちを知ってもらい、被災地を応援し続けてほしい」と話している
弟を亡くし、母を捜す心境などをブログで発信する荒川洋平さん
仙台市青葉
http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/
東日本大震災の大津波で弟を亡くし、母の行方が分からない仙台市の会社員、荒川洋平さん(29)が遺族の心境をブログで発信している。
復興ムードへの戸惑いも率直につづっている。
荒川さんは「被災者の視線で見る現地のありのままの状況や、一歩ずつ前へ向かおうとする遺族の気持ちを知ってもらい、被災地を応援し続けてほしい」と話している
【大連】中国遼寧省大連市トップの夏徳仁共産党委員会書記は26日、丹羽宇一郎・駐中国大使と大連で会談、東日本大震災で中国人技能実習生20人を高台に避難させた後、自らは死亡した宮城県女川町の水産加工会社専務、佐藤充さん(55)について、「広く市民が感動している。中日友好の証しだ」と称賛した。
佐藤さんの家族と会社を支援するための基金が大連で設置されたことも明らかにした。
夏書記は、また、部品の供給が止まるなど震災の影響が出ている大連の日系企業について、「できる限り支援をしたい」と表明。丹羽大使は、日本から輸出される農産品をめぐり「風評に惑わされず、科学的、合理的に判断してほしい」と要請した。
汚染水濃度、1か月前の250倍…4号機地下 - 3号機タービン建屋から流入している可能性がある。水位も上昇しつつあり、原子炉の安定冷却に向けた工程に影響を及ぼす恐れがある
「謝謝(ありがとう)台湾」
感謝広告の募金に1800万円、ツイッターで広がる
4.26 12:18
「謝謝(ありがとう)台湾計画」。
東日本大震災で米国や中国を上回る多額の義援金を寄付してくれた台湾に感謝の気持ちを伝えようと、フリーデザイナーの木坂麻衣子(37)さんが、地元2紙への感謝広告費約240万円の募金を呼びかけたところ26日午前までに1800万円が集まった。
すでに1紙に広告料を支払い、5月上旬にも掲載する方向で調整を進めている。
米を上回る 台湾の義援金130億円突破
↑クリックすると以下の文章を
音声ソフト、ボイスロイド「民安ともえ」が
読み上げます
過去の津波で多数の犠牲者を出した岩手県普代村は東日本大震災では死者ゼロ、行方不明者1人にとどまった。被害を食い止めたのは高さ15・5メートルもの水門と防潮堤。昭和40~50年代、当時の村長が反対の声を押し切り、建設にこぎつけたものだ。ただ、今回は水門脇ゲートの自動開閉装置が故障し、1人の消防士が水門へ向かい、手動でゲートを閉めた。危機を見越した過去の政治的英断、そして地震直後の献身的な行動が村を守った
もう少し低かったら…
久慈消防署普代分署の副分署長を務める立臼勝さん(50)は「水門の高さがもう少し低かったら、村にはすごい被害が出ただろう。もちろん私の命もなかった」と振り返る。
3月11日の地震直後、自動開閉装置の故障を知った立臼さんは、村を流れる普代川の河口から約600メートル上流にある水門に向かって消防車を走らせた。故障したゲートを閉めるには水門上部の機械室で手動スイッチを使うしかないからだ。津波の危機感はあったが、「まさか、あれほど大きな津波がくるとは思っていなかった」。
機械室に駆け上がって手動スイッチに切り替えると鉄製ゲートが動き、ほっと一息ついた。消防車に乗って避難しようとしたとき、背後から「バキ、バキッ」と異様な音がするのに気付いた。普代川を逆流してきた津波が黒い塊になって防潮林をなぎ倒し、水門に押し寄せてくる音だった。アクセルを踏み込み、かろうじて難を逃れた。
津波は高さ20メートルを超えていた。水門に激突して乗り越えたが勢いはそがれた。水門から普代川上流にさかのぼってほどなく止まり、近くの小学校や集落には浸水被害はなかった。
立臼さんは「高い水門をつくってくれた和村さんのおかげ」と話した。
和村幸徳 村長
和村さんとは、昭和22年から10期40年にわたり普代村の村長を務めた故・和村幸得さんのことだ。昭和8年の三陸大津波を経験し、防災対策に力を入れた村長だった。
村では明治29年の大津波で302人、昭和8年の大津波でも137人の犠牲者を出した歴史があり、和村さんは「悲劇を繰り返してはならない」と防潮堤と水門の建設計画を進めた。昭和43年、漁港と集落の間に防潮堤を、59年には普代川に水門を完成させた。
2つの工事の総工費は約36億円。人口約3千人の村には巨額の出費で、建設前には「高さを抑えよう」という意見もあった。だが、和村さんは15・5メートルという高さにこだわった。
普代村住民課長の三船雄三さんは「明治の大津波の高さが15メートルだったと村で言い伝えられていた。高さ15メートルの波がくれば、根こそぎやられるという危機感があったのだろう」と話す。和村さんは反対する県や村議を粘り強く説得し、建設にこぎつけた。
村長退任時のあいさつで職員に対し「確信を持って始めた仕事は反対があっても説得してやり遂げてください」と語ったという和村さん。三船さんは「当時の判断が村民の命を守ってくれた、とみんな感謝している」と話している。
支援「アリガトウ」米国民に感謝のCMメッセージ400回
アリガトウゴザイマス-。東日本大震災で緊急支援を展開した米国に対し、日本政府は謝意を示すテレビコマーシャル(CM)をつくり、25日から米CNNヘッドラインニュースと、全米の空港に設置されているCNNエアポートネットワークで放送を始めた。5月15日までの間に、計400回近く流される予定。
外務省によると、多額の予算をかけずに謝意を表そうと工夫、30秒のCMでは、8枚の写真や絵を使用した。
「急きょ駆け付けてくれた友人、後ろで支えてくれているご家族の皆さん、ありがとう。支援に心から感謝します。あなたがたの友情から力を得て、復興に踏み出します」などと英語で流れ、最後は日本語で「アリガトウゴザイマス」で結んでいる。
被災地、支援の様子などの写真のほか、「私たちがついているよ」のメッセージと日の丸と星条旗が描かれた絵も使われている。(共同)