先日
兵庫県の西国薬師霊場に
お参りした。
斑鳩寺は揖保郡太子町にある
天台宗のお寺。
1400年前
聖徳太子創建と
伝えられている。
斑鳩寺と言えば
奈良県斑鳩町にある
法隆寺を思い出すが
こちらのお寺も
なかなか立派なお寺である。
聖徳太子が天皇から
水田百町を賜り
大和の国から足を運び
斑鳩荘と名付け
お寺を建てたそうだ。
ご本尊は釈迦如来
薬師如来
如意輪観音様で
御開帳されていなかった。
達身寺は
丹波市氷上町にある
別名「丹波の正倉院」と言われ
行基菩薩によって
開かれたお寺。
戦国時代
達身寺は僧兵を抱えるほどの
大寺院であったが
織田信長の丹波平定のおり
明智光秀により焼き討ちにあった。
その時僧侶たちが
仏像を山に運び出し
長い年月放置されていた。
江戸時代の元禄年間に
村人たちにより集められ
達身寺を修理し
仏像を安置したそうだ。
そのため
痛ましいお姿の仏像や
仏像の破片が安置されている。
最近の研究で
東大寺の古文書に
快慶が丹波仏師であると言う
記述が見つかった。
達身寺に未完成の仏像や
同じ仏像がたくさんあることが
快慶が丹波仏師であり
この地が仏像の工房だったとすれば
すべて謎が解明されると
ご住職の説明だった。
近くに関西最大の
カタクリの群生地
清住カタクリの里がある。
カタクリの花の咲く時期に
もう一度訪れたい
お寺になった。
今回は西国薬師霊場詣ででは、斑鳩寺などをお訪ねになりました。ここの地名が太子町ということから、聖徳太子の影響や伝説が感じられます。
お寺の名前の「斑鳩寺」ですから・・。
なお、法隆寺がある斑鳩町は、イカルがたくさんいたので、こうした名前になりました。ここもイカルが多いのかもしれません・・
達身寺も、明智光秀により焼き討ちにあったという歴史がすごいです。
この近くにある関西最大のカタクリの群生地を来春、お訪ねください。
行ったことはありませんでした。
達身寺は、名前も何も全く知りませんで
これから検索して調べてみますが
ここも光秀に焼き討ちされるまでは
由緒と歴史のあるお寺だったのですね
メモさせていただいて今後の参考に
し、仏師 快慶 ももう少し掘り下げて
学んでみたい。 ありがとうございます
さすがに立派なお寺ですね。
宝物殿を見学してから、本殿でいろいろと説明して頂きました。
聖徳太子様が足を運ばれたと思うと感慨深いですね。
達身寺はなかなか風情のあるお寺さんですね。
「快慶が丹波仏師だった」そして、こちらのお寺がその工房だった・・・
いつか解明されるといいですね、ぞくぞくします♪
カタクリの里も近くにあるとのこと、楽しみが増えましたね。
私もいつか行ってみたいと思います。
山門、本堂、三重の塔と。
天台宗は、立派なお寺が多いような気が
なんとなくします。
信者さんも、さぞかし多かったことでしょう。
また、西国は、京都・奈良をはじめ、
お寺が多く、尋ね歩くのに、事欠きませんね。
それほど大きくは無い様に見えますが、
竹林と茅葺の屋根が端正です。
お寺と戦は相反するものなのに、
歴史上よくあった事なのですね。
関西最大のカタクリの群生、、、来年ぜひ拝見したいです。
斑鳩寺の由来も興味深いものがありますね。
大和から足を運んで、創建するまでの苦労は計り知れないものがあったことでしょう。
丹波の正倉院と呼ばれる達身寺も焼き討ちにあった歴史を秘めているようです。
焼き討ちにあったほとんどのお寺が、僧兵を抱え城砦化していたことが理由なんでしょうが、
惜しいことではありますね。
聖徳太子ゆかりのお寺とは
歴史の重みを感じます
達身寺も歴史を感じます
心落ち着くたたずまいですね
どちらも行った事はありませんが、立派なお寺ですね。
古くからの信仰の地、尋ねてみたいと思わせる場所です。
こんばんは。
清住カタクリの里は、半端ないカタクリの数です。達身寺にたくさんの写真が飾ってありました。ぜひ来春は訪れたいです。