今日の『美しい日本語・・』というタイトルだけで間髪を入れず共鳴して
いただける方もいれば『何?それ!』と訝しがる方々もいることと思う。
一つのものや言葉、情景、状況などをいろんな言い方で表す日本語には
優しい響きや温かみのある美しい表現が数多くあり、私たちも日頃何気なく
使っているものもたくさんあることに気づく。
単語や四季折々の言葉、慣用句などだけではなく『発音』でも美しい日本語の
大切さを常々感じているのでお節介気味に投稿してみることにした。
実は最近、若い歌手やタレントたちの言葉が非常に気になり時には嫌悪感をも
持ってしまうことがあるからである。
テレビやネットの歌番組などを好んで観ているわけではないが、ジャニーズ系の
複数のグループやAKB48、乃木坂46、欅坂46などのグループの中には『鼻濁音』と
『濁音』の区別ができず(使い方がわからず?)耳障りな印象を与えてしまっている
ケースが多いのでないかと思う。
少なくとも我が家では不快の念を抱いている。
厭ならば聞かなければ・・・と思う方々もいることと思うが、念のためネットで
彼ら、彼女らの歌を聞いてみたがすべてではないにしても鼻濁音で歌うべきところを
あたかも自然のように平気で濁音で歌っている。
アナウンサーはもちろんであるがベテランのミュージシャン、歌手たちのほとんどが
きれいな鼻濁音で心地よい歌声を聞かせてくれる。
「高橋真利子」「五輪真弓」「芹洋子」「竹内まりや」「岡本真夜」
などの歌には明るい曲にも静かな曲にも心を動かされるものがあり説得力があると思う。
それは曲調や歌詞、歌い方にも大きな要因はあると思うが、彼女たちはみんな
鼻濁音をきれいに使って歌っていることも見逃せないと思う。
私は演歌が好きではないので前述の歌手たちの歌を聞くことが多いがベテランに限らず、
若い歌手にも「濁音」「鼻濁音」をしっかりと使い分けている演歌歌手がいることも
確かである。
歌手は人前で歌うので特にわかりやすいが一般社会でも時々遭遇する・・・。
ではなぜ鼻濁音を使える人とそうでない人がいるのだろう?
家庭や育った環境?教育?
ゆっくりと教えたり学んだりする時間もなかったのだろうか?自分では解明できない。
私がこの疑問を持ち始めたのはかなり前だがそのきっかけとなったのが
4年前、NHKの朝ドラ(連続テレビ小説)の『花子とアン』の主題歌『にじいろ』である。
歌っているのは幅広いファン層を持ち歌唱力もある言われている『絢香』だが
この『にじいろ』は最初から最後まですべてが『濁音』で本当に耳障りでいやな響き
だと思う。私に限らず以前ネットでも同じ声が多く聞かれた。
彼女が歌う他の曲を聴いてもやはり鼻濁音であるべきところが濁音で歌われている。
もちろん彼女の人間性を含めてすべてを嫌い否定するつもりなど全くないが
私たちの耳に優しい響きのある歌い方であればもっともっとファンも多くなるのでは
ないだろうか。
ここで誤解のないよう、この話は『絢香』であって『平原綾香』ではないことと同時に
『平原綾香』の鼻濁音は温かく柔らかく心に入ってくることを確認し伝えておきたい。
私のこの意見に対し当然ながらいろんな反論があるだろうと思う。
以前、NHKのホームページに多少時間を要しても『すべての声にお応えします』と書いて
あったのでこの件も含め何度も問い合わせその都度前回に問い合わせた手紙のコピーなども
同封し投函したが一度も回答はなかった。
言葉の使い方や意味なども時代と共に少しずつ変わったり進化(?)したりすると
いうことも理解できなくもないが、古来私たちが受け継いできた美しい日本語を
後々まで伝えていきたいという私たちの声がかき消されないよう、機会あるごとに
考えたたり訴えたりしていきたいと思っている。
いただける方もいれば『何?それ!』と訝しがる方々もいることと思う。
一つのものや言葉、情景、状況などをいろんな言い方で表す日本語には
優しい響きや温かみのある美しい表現が数多くあり、私たちも日頃何気なく
使っているものもたくさんあることに気づく。
単語や四季折々の言葉、慣用句などだけではなく『発音』でも美しい日本語の
大切さを常々感じているのでお節介気味に投稿してみることにした。
実は最近、若い歌手やタレントたちの言葉が非常に気になり時には嫌悪感をも
持ってしまうことがあるからである。
テレビやネットの歌番組などを好んで観ているわけではないが、ジャニーズ系の
複数のグループやAKB48、乃木坂46、欅坂46などのグループの中には『鼻濁音』と
『濁音』の区別ができず(使い方がわからず?)耳障りな印象を与えてしまっている
ケースが多いのでないかと思う。
少なくとも我が家では不快の念を抱いている。
厭ならば聞かなければ・・・と思う方々もいることと思うが、念のためネットで
彼ら、彼女らの歌を聞いてみたがすべてではないにしても鼻濁音で歌うべきところを
あたかも自然のように平気で濁音で歌っている。
アナウンサーはもちろんであるがベテランのミュージシャン、歌手たちのほとんどが
きれいな鼻濁音で心地よい歌声を聞かせてくれる。
「高橋真利子」「五輪真弓」「芹洋子」「竹内まりや」「岡本真夜」
などの歌には明るい曲にも静かな曲にも心を動かされるものがあり説得力があると思う。
それは曲調や歌詞、歌い方にも大きな要因はあると思うが、彼女たちはみんな
鼻濁音をきれいに使って歌っていることも見逃せないと思う。
私は演歌が好きではないので前述の歌手たちの歌を聞くことが多いがベテランに限らず、
若い歌手にも「濁音」「鼻濁音」をしっかりと使い分けている演歌歌手がいることも
確かである。
歌手は人前で歌うので特にわかりやすいが一般社会でも時々遭遇する・・・。
ではなぜ鼻濁音を使える人とそうでない人がいるのだろう?
家庭や育った環境?教育?
ゆっくりと教えたり学んだりする時間もなかったのだろうか?自分では解明できない。
私がこの疑問を持ち始めたのはかなり前だがそのきっかけとなったのが
4年前、NHKの朝ドラ(連続テレビ小説)の『花子とアン』の主題歌『にじいろ』である。
歌っているのは幅広いファン層を持ち歌唱力もある言われている『絢香』だが
この『にじいろ』は最初から最後まですべてが『濁音』で本当に耳障りでいやな響き
だと思う。私に限らず以前ネットでも同じ声が多く聞かれた。
彼女が歌う他の曲を聴いてもやはり鼻濁音であるべきところが濁音で歌われている。
もちろん彼女の人間性を含めてすべてを嫌い否定するつもりなど全くないが
私たちの耳に優しい響きのある歌い方であればもっともっとファンも多くなるのでは
ないだろうか。
ここで誤解のないよう、この話は『絢香』であって『平原綾香』ではないことと同時に
『平原綾香』の鼻濁音は温かく柔らかく心に入ってくることを確認し伝えておきたい。
私のこの意見に対し当然ながらいろんな反論があるだろうと思う。
以前、NHKのホームページに多少時間を要しても『すべての声にお応えします』と書いて
あったのでこの件も含め何度も問い合わせその都度前回に問い合わせた手紙のコピーなども
同封し投函したが一度も回答はなかった。
言葉の使い方や意味なども時代と共に少しずつ変わったり進化(?)したりすると
いうことも理解できなくもないが、古来私たちが受け継いできた美しい日本語を
後々まで伝えていきたいという私たちの声がかき消されないよう、機会あるごとに
考えたたり訴えたりしていきたいと思っている。