今日で10月も終わりいよいよ今年も残すところ2ヵ月。
壁に懸けたカレンダーも心なしか軽く見える。
最近は月日の経つのが早く感じるが、今年は春からずっとその思いが強く、
特に9月と今月があっという間に・・という感覚だった。
時間の使い方が上手くない私だがそれなりに忙しく、もっと時間が
あれば・・・と思いながらも今は何をするにも以前のように夜を
徹してまでも・・ということはほとんどない。
自分に甘いようなルーティーンで睡眠時間だけは6~7時間ぐらいは
確保している。
昔は夜型人間・・というより睡眠時間は毎日4時間ぐらいでも平気で、
心身ともに異常も変化もなかったが現在は持論の125歳まで生きる
ためにもある程度の睡眠は必要だと考えて22時30分ごろから
23時前後にはベッドに入るようにしているのだ。
昨夜はプロ野球の日本シリーズ(テレビ)を観た後、ブログ友たちの
記事にお邪魔し、コメントなども書きいれた後、ベッドに入る際、
明後日から11月か・・と思いながらカレンダーをめくると
11月1日の蘭に「返却日」と書いてあった。
読み始めたばかりでそのままになっていた本の返却日のメモだった。
その本は「本取り虫(群ようこ)」。
他の本と一緒に返すには今日、明日中に読まなければ・・と思い、
寝るのをやめて読み始めた。

「五右衛門風呂の蓋と底」という章を読み始めて「うんっ?」
この「東海道中膝栗毛」のことについては最近、すずさんも投稿
してあったぞ・・と思いだし、ブログを遡るとその記事は
25日のものだった。
すずさん紹介の本は村松友視さんの現代語訳の「東海道中膝栗毛」。
群さんは小学校時代に一番多く繰り返し借りた本だったという。
毎週借りては返し、返しては借りたということもあったというから
よほど気に入ったのだろう。
すずさんの評価も「おもしろーい‼ 」という言葉で表現し、
その一部を紹介している。
ジャンルを問わず、様々な本を読むすずさんがどういうきっかけで
現代の世の中でも通じるこの面白さを表した「東海道中膝栗毛」と
巡り合ったのかにも興味が湧く。
私も昔読んだ内容をを断片的に思いだしながら読み始めた。
群ようこさんはこの中でこの本にのめり込んだことを
次のように書いている、
※ある時期この本にのめり込んだことは、私の本質的な部分を
鋭く突いているような気がする。
つきつめていったら私の性格は弥次、喜多に象徴されると
言ってもいいくらいだ。
「東海道中膝栗毛」に没頭した子供の頃の自分の姿を想像すると、
恐ろしいやら情けないやら、複雑な気分になるのである。・・・と。
この「本取り虫」にはエッセイスト森茉莉の「贅沢貧乏」を
紹介した章もあり、森茉莉の生き方に好意や憧れを持ったことも
書いている。
「だいたい贅沢というのは高価なものをもっていることではなくて、
贅沢な精神を持っていることである。」という言葉に、ムチで
ぴしっとやられたような気がして何度ため息をついたことだろう。
とも語っている。
私自身も最後の部分の
「人はその場その場に合わせてちゃっかりと仮面をかぶり、にっこり
笑ってことを済まそうとする。
森茉莉はすべてにおいて、そんなことはしなかった。
顔には仮面、胸には一物ある人々の間を、するりと抜けていった人だ。
森茉莉のようになりたいと憧れつつ、いつまでたっても私は、
近づいていないような気がしている。
相変わらず彼女の本を読んで、うっとりと夢を見たり、ため息を
ついたりを、繰り返しているのである。」
という群ようこさんの言葉が 頭に残った。
私の場合は「読書の秋」にはほど遠いが私に「読んでみてほしい」と
顔を向けている本たちが何冊か順番を待っている。
明日からはまた少し本たちと接する時間を作ってみよう。
ただし無理をせず私のペースで・・・
今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』
(青の太文字はfumiel-shimaの一言)
小さな喜びや楽しみを お互いの以心伝心も大切・・
感じる幸せ 素直に言葉に出来ない場合も
あるぞ。


今日感じた「秋」
今日、10月最終日の空も青く広く晴れ渡り清々しい・・

今日の「野菜コーナー」
各家庭の味が一番なのでは? 後日、忘れた頃にこの茎が
母親を思いだすひととき・・ 楽しませてくれる。


何種目にも登場する 赤ちゃんを背負った
万能選手のような活躍 お母さんの懐かしい姿


今日の「果物コーナー」
柿が果物の王様だという私に 柿を愛でて楽しみながら
ブログ友たちの力強い 食べると心もぴかぴかに
「賛成!」の声が続出! なるような気がする

