現在76歳の私は子供のころから野球は観ることもやることも好きだったし、
61歳までは若い人たちと草野球を楽しんでいた。
私たちの中学、高校生時代はややもすると『勉強と野球とは両立しない…』
などという何の根拠もない『説』で子どもたちを説得し、スムーズな進学へ
誘導しようというような親たちもいた。
私の父も教育者でありながら私が『高校球児』になることには絶対反対であった。
野球をやらなかったから親たちが期待するような特別な人生を送ってきた訳
でもなく、私は自分で自分なりに納得できる人生を送ってきたつもりである。
高校球児になりたかったという思いはその後ずう~っと続き、社会人になって
からは前述のとおり61歳まで草野球を・・・。
そしてその後は正式な訳コーチやアシスタントではなかったが少年野球の
子供たちの朝練に加わったり、その子供たちが中学生、高校生になると
必ず球場へ足を運び、大声で応援したりしたものである。
その子供たちももうとっくに立派な社会人となり、気が付くと私はすでに76歳。
しかし私は常に『いつも、いつでも元気炸裂!』を声に出し、実践している
つもりなので誰よりも若い・・・と自負している。
さて、ここでようやく今日のタイトルの『野球選手のガッツポーズについて』を
皆さんと一緒に考えられたら・・・と思うのである。
今年は高校生たちが日頃の練習の成果とともに気迫あふれるプレーといくつもの
感動、感激のシーンで全国民を盛り上げてくれたことは野球ファンにとっても
本当に嬉しいことであり、いろんな力や夢、希望を感じさせてくれたと思う。
今回の岡山県代表『創志学園』のピッチャー西 純矢のガッツポーズ禁止について
賛否両論で取り上げられており、それぞれの議論には頷ける点もあると思うが、
私個人としては彼が自分自身を鼓舞するための自己表現で、決して相手チームへの
不敬や侮辱とは思えないのである。
更に彼の今大会にかける意気込みは昨年、46歳という若さで亡くなった父への
思いが込められているという話も伝わっており、彼の帽子の裏側には『笑顔』と
父が亡くなった日10月11日の『10:11』が書かれており、ここぞ!という時に
相手を抑えた場面で天から見てくれているであろう父へ捧げるメッセージのような
ものの表れではないだろうかと私は好意的にみている。
野球には相手への敬意を重んじるアンリトゥンというルールには載っていない
「不文律」があり、メジャーリーグのみならず日本でも取り上げられることがあるが、
三振を喫した選手が相手投手の『ガッツポーズ』に対して馬鹿にされた・・・という
意識を持つなどとということはないのではないだろうか?
今回の西純矢投手へ注意をした審判は無駄な時間を省き、試合のテンポを速めるために
という意図があったというように伝えられており、わからなくもないがぎりぎりの
中で戦っている選手たちの心の叫びとしておおらかに認めてあげてほしいと私は思う。
、
61歳までは若い人たちと草野球を楽しんでいた。
私たちの中学、高校生時代はややもすると『勉強と野球とは両立しない…』
などという何の根拠もない『説』で子どもたちを説得し、スムーズな進学へ
誘導しようというような親たちもいた。
私の父も教育者でありながら私が『高校球児』になることには絶対反対であった。
野球をやらなかったから親たちが期待するような特別な人生を送ってきた訳
でもなく、私は自分で自分なりに納得できる人生を送ってきたつもりである。
高校球児になりたかったという思いはその後ずう~っと続き、社会人になって
からは前述のとおり61歳まで草野球を・・・。
そしてその後は正式な訳コーチやアシスタントではなかったが少年野球の
子供たちの朝練に加わったり、その子供たちが中学生、高校生になると
必ず球場へ足を運び、大声で応援したりしたものである。
その子供たちももうとっくに立派な社会人となり、気が付くと私はすでに76歳。
しかし私は常に『いつも、いつでも元気炸裂!』を声に出し、実践している
つもりなので誰よりも若い・・・と自負している。
さて、ここでようやく今日のタイトルの『野球選手のガッツポーズについて』を
皆さんと一緒に考えられたら・・・と思うのである。
今年は高校生たちが日頃の練習の成果とともに気迫あふれるプレーといくつもの
感動、感激のシーンで全国民を盛り上げてくれたことは野球ファンにとっても
本当に嬉しいことであり、いろんな力や夢、希望を感じさせてくれたと思う。
今回の岡山県代表『創志学園』のピッチャー西 純矢のガッツポーズ禁止について
賛否両論で取り上げられており、それぞれの議論には頷ける点もあると思うが、
私個人としては彼が自分自身を鼓舞するための自己表現で、決して相手チームへの
不敬や侮辱とは思えないのである。
更に彼の今大会にかける意気込みは昨年、46歳という若さで亡くなった父への
思いが込められているという話も伝わっており、彼の帽子の裏側には『笑顔』と
父が亡くなった日10月11日の『10:11』が書かれており、ここぞ!という時に
相手を抑えた場面で天から見てくれているであろう父へ捧げるメッセージのような
ものの表れではないだろうかと私は好意的にみている。
野球には相手への敬意を重んじるアンリトゥンというルールには載っていない
「不文律」があり、メジャーリーグのみならず日本でも取り上げられることがあるが、
三振を喫した選手が相手投手の『ガッツポーズ』に対して馬鹿にされた・・・という
意識を持つなどとということはないのではないだろうか?
今回の西純矢投手へ注意をした審判は無駄な時間を省き、試合のテンポを速めるために
という意図があったというように伝えられており、わからなくもないがぎりぎりの
中で戦っている選手たちの心の叫びとしておおらかに認めてあげてほしいと私は思う。
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