夏の風物詩とも言える「蝉の声」。
その種類や鳴き声にもよるが最盛期のその合唱のような声は時には
騒音の様に思えることがあるのかもしれない。
私の住まいは住宅街の中のマンションなのでそのように蝉の合唱のような
暑苦しく、人に寄っては耳障りとも思えるような鳴き声は聞こえないが
近くに幾つもの公園があるからなのか、時々、蝉の死骸をマンションの
通路や駐車場などで見ることがある。(そのほとんどがアブラゼミ)
A館、B館ともに1階の各戸の庭には大きな木はないがマンションの
周りや生垣の一部には少し高い木もあるのでそこを目指してくる
蝉や昆虫たちがいるのかもしれない。
或いはマンションそのものが蝉たちにとっては森や林に見えるのだろうか、
鳴き声が聞こえない割には仰向けになった息絶え絶えの姿や既に息絶えた
姿ををよく見かける。
セミは地中の生活が長く、その長さは蝉の種類にもよるが3~17年にも
およぶのだとか・・・成虫になるまでにかなりの時間を要し地上に出て
からはあっという間の儚い存在・・・
セミが成虫になってからは、1週間くらいの寿命といわれているが、
環境さえ整えば1カ月くらいは生きられるともいわれている。
人間、カラス、猫、鳥、肉食の蜂・蟻など外敵&天敵が多いため外で
長期間生きるのはセミにとってかなり難しいという説明もある。
鳴くのはオスのみ・・・メスに合図を出すために鳴き声を発していて
あの鳴き声のおかげで、他の昆虫に比べてオスとメスが出会う確率が
高いといわれているようだ。
子孫繁栄のために、生きているわずかの時間で自らの使命を果たすという
壮絶な人生なのかもしれない。
力尽き果てた蝉が仰向けになっているのは羽を動かす筋肉なども含め
背中に重心があるからで地上に落ちた蝉が自力で回転し、足で踏ん張る
ような姿勢は取れないのだという。
仰向けになっている地上の蝉に近づくと足音がわかるのかどうか
落ちたばかりのようなまだ少し元気な蝉は羽や足を動かすがほとんどの
蝉はゆっくりとやっと足で空を切るような格好でもがく姿は哀れをさそう。
まだ動いている蝉を手に取ってもその多くは既に暴れるような力は
残っていないようで、そのまま近くの木に止らせてもカギのついた足が
かろうじて樹皮を捉え、ただ力なくつかまっているようにみえる。
私達の目に触れない場所、知らないところで死んでいく蝉はいいが、
炎天下で地上に落ち、衰弱していく体に追い打ちをかけるような
アスファルトの熱は容赦なく蝉の命を縮めていく。
これも宿命・・と思ってもやはり可愛そうである。
特にカラスのあの大きい嘴で突かれたりありの集団に襲われている姿は
自然界の理とは言っても残酷であり、研究などの場合を除き、一般的には
見たくないものだと思う。
やはり子供の頃から聞きなれた色々な蝉の声は夏休みの思い出とともに
いつまでも耳に残っている。
つくつくぼうし、ニイニイゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、ミンミンゼミ、
ヒグラシなどその鳴き声の特徴とそれを捕まえようと追いかけたり
木に登ったりしてもう少しのところで取り逃がし、友達と一緒に
笑いながら井戸水で冷やしたマクワウリを食べたあの日のこと・・・
70年以上も前のことが昨日のことのようだ。
中学卒業と同時に大阪の昆布問屋へ奉公に行ったという彼は今
どうしているだろう。
彼の両親も亡くなり、実家もなくなっている。
天涯孤独の彼を探す材料は何もないが今夜夢で逢えるかもしれない。
彼の特徴であり、親しまれる最大ポイントの「消しゴムでこすると
消えそうでも人一倍優しそうなあの目」で笑いかけて欲しい・・・
どうか、今も元気でいてほしい。
彼値一緒に遊んだ数年間は50年にも匹敵するくらいの思い出となっている。
柿の木に登り、あの毛虫に刺され、思わず掴んだ枝が「ポキッ」と
折れて落ちた時にも彼は一緒にいて助けてくれた。
思い続ければその記憶が夢となるかも・・・やはり今夜がチャンスだ。