私たち夫婦は今年も皆さんのおかげで様々なことを
たくさん学ばせていただきました
お礼申し上げます
ありがとうございました
皆さんもどうぞ佳いお年をお迎えください
来年もよろしくお願いします
最近、更新も間隔があいていたが、今日は大晦日・・・
2022年もいよいよ今日一日となった。
昨日に続き、今年最後の投稿を・・と思ったのだがさて、何を・・と
思うと咄嗟には浮かばない。
今、ふと壁に目を遣ると風もないのに壁のカレンダーが心なしか
揺れているように見える。
気のせいで軽くなったカレンダーが別れを惜しんでいるように見える
のかもしれない。
今年もブログ友と語り合い、また新しい人たちとも知り合い、
日々の交流によって皆さんの記事の言葉や写真、画像などからも
たくさんのことを学ばせていただいた。
何よりもその記事を書かれた時の思いが私にも伝わり、理解できたことが
嬉しかった。
そして数々の思い出なども・・・
私はブログで・・、妻千恵子選手は絵手紙によって充実した一年であった。
おかげで私たち高齢者夫婦は今年も無事に一年を過ごすことができたことを
全ての人に感謝したい。
幸い私は頑健な体を持ち、継続中の筋トレなどの効果もあり、病気や
怪我とは縁遠い日々を送ってきたが、妻、千恵子選手もいくつかの
持病も定期的な検査と対応によって現状維持を守ることができ、
日々痛みと戦っている脊椎間狭窄症についてもリハビリなどが功を奏し、
元気にこの日を迎えることができたのだ。
思えば・・・
5年前(私が完全リタイアする前の年・・・)の冬、少し寂しい思いと
同時に一種の安堵感も味わったあの冬・・・
あれからまもなく20年になろとしている・・・
定年退職をした2003年、大好きな車の運転の仕事をする・・ということで
始めた運送業で全国を走り回り、15年経過したころだった・・・
それより3年ぐらい前、千恵子選手の持病(腎臓)による体調不良の
症状が表れはじめたので長距離や深夜の運送はやめて万が一に備えるために
という実には帰れる関東圏の仕事に切り替えていた。
体調不良と言っても日常生活にはそれほど問題がなかったのだが、
今後のため・・ということでそのサポートのために仕事を完全に
やめることを決意したのが2017年の12月だった。
そのころ、2014年から3年間お世話になっていた委託契約先の仕事は
埼玉から群馬まで毎日220㎞を走る定期コース(11ヵ所)で、帰りは
週に1~2回は会社に戻るがほぼ毎日直帰であった。
日頃から色んな道路を覚えるためにナビは積み荷を降ろす会社の
近くへ近づいた時にしか使わず、道路はほとんど地図を使って常に
信号と通行量の少ない道路を開拓し、時短には工夫に工夫を重ねていた。
この「秘伝の技」を仲間たちは「ルートshima スペシャル」と名付け、
そのいくつものバージョンを伝授(?)することも私の楽しみだった。
ただどんなに急いでも帰宅は夕刻になるので千恵子選手の不安は
解消されず、私は委託契約先の会社へ半年後の契約解除を申し込み
了解を得たのだが・・・
その時に、元気なまま仕事を辞めることに残念な思いと、一種の安堵感が
交錯していた。
その2017年の忘年会の時に契約先の会社の所長から忘年会とは
別にshimaさんを励まし、送る会を催したい・・という提案があり、
その営業所の社員の人たちと一緒にクリスマスを兼ねた懇親会を・・・
皆さんは最年長者である私を敬遠するどころか日頃から友達のように
思ってくれていたので半年先とは言うものの辞めることについても
口を揃えて残念だと言ってもらったことが熱く大きく心に響いた。
その時に懇親会の後のカラオケで私の子供よりも若い所長と一緒に
歌ったのがここにアップの曲、サイレント・イヴ。
その所長はこの曲が大好きだったようで以前から、『shimaさん、機会が
あったら一緒に歌おう・・』と言ってくれていたので・・・
切ない思いでいっぱいの歌詞を辛島美登里さんの声とは大違いの
おじさん二人が噛みしめるように歌っているうちに胸に込み上げるものが
あった。
あの時の胸の震えを今も忘れることはない。
この曲に聞き覚えのある方も多いのではないだろうか・・・
ちょっと私らしくないかもしれないが、この静かな曲で過行く年を送り、
新しく来る年を迎えたいと思う。
この寒い季節に皆さんも歌ってみてはいかが?・・・
【カラオケ】サイレント・イヴ/辛島美登里
今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』
(青の太文字はfumiel-shimaの一言)
いつも心温まるコメントをありがとうございます。
この絵手紙コーナーはしばらく休ませていただきたいと
思います。