内容(「BOOK」データベースより)
毎朝新聞を八紙、煙草は一日三十本、酒と同じくらい甘いものが好物で、女は七十九の秋が最後だったかな…。平成十五年元旦には生死の境を彷徨ったのに、並々ならぬ「生きること」への気迫をもって、ついに迎えた九十歳。名優・森繁久弥が振り返る人生を、久世光彦が軽妙洒脱な描写で綴る、「週刊新潮」好評連載をまとめたエッセイ。
内容(「MARC」データベースより)
毎朝新聞を8紙、煙草は1日30本、酒と同じくらい甘いものが好物で、女は79の秋が最後だったかな…。名優・森繁久弥が振り返る人生を久世光彦が軽妙洒脱な描写で綴った『週刊新潮』連載をまとめたエッセイ。
目次
悪いことをした
経堂の鰻
巫山の夢
去年の雪、いまは何処
足は二本ある
アッ、そう
いくつもの死を見送って
在りし日の歌
ああ、花電車
直純が死んだ〔ほか〕
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森繁 久弥
1913(大正2)年大阪・枚方市生れ。36年早稲田大学在学中より演劇活動に入り、中退後、東宝劇団を経て満州新京放送局(NHK)アナウンサーの職に就く。戦後は舞台を皮切りに放送、映画、演劇の各方面で活躍。出演映画は300本を超える。67年から86年まで900回の公演を重ねた舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで芸術選奨文部大臣賞を受賞した他、数多くの演劇賞を受賞する。紺綬褒章(64年)、紫綬褒章(75年)、文化功労者(84年)、勲二等瑞宝章(87年)、文化勲章(91年)を受章、97年に東京名誉都民となる
久世 光彦
1935(昭和10)年東京生れ。東京大学文学部卒業後、TBSを経てテレビ番組制作会社を設立する。64年にドラマ「七人の孫」を手がけたことにより森繁氏との交流が始まる。92年「女正月」の演出により芸術選奨文部大臣賞受賞。その他エッセイ、小説の分野でも、93年『蝶とヒットラー』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、94年『一九三四年冬―乱歩』で山本周五郎賞、97年『聖なる春』で芸術選奨文部大臣賞、01年『蕭々館日録』で泉鏡花文学賞を受賞。98年紫綬褒章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
今年創刊50周年を迎えた週刊新潮の今週号でも久世の連載する大遺言書というコラムが続いている。
大正2年生れの森繁 久弥の現在について、昭和10年生れの久世 光彦が綴ったものであることは上記のとおりである。
しかし、この早春、久世は森繁よりも先に逝かれた。
思い出すのは、森繁が息子に先立たれてた葬儀の席で老友と抱き合う様子を綴った週刊新潮連載の久世の文章だった。