ブックデザインの緑のQの字の形が、私には、どうしても、やや細長い卵に見えてしまう。それは、たぶん、気のせいだろう。
ルイス・キャロルは、アリスの中で卵の割る位置を争う政党政治家の話を述べたが、春樹が、この春に語った卵の話は、もちろんファンタジーではなかった。
もちろん、ルイスもまた、ファンジーを語っては、いなかったのだが。
アリスの世界はいざ知らず、2009年に卵の立場に立つことは容易ではない。
少なくとも私には、卵の立場に立つ勇気がない。
しかし、豆の立場になることは、さらに容易ではない。
かつて、豆殻をもって豆を煮るといふ言葉があった。
真に慄然とするコトバである。
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微かな「希望」という光を際だたせるために必要とされる、深い陰影, 2009/5/31
By navyfrog993 (東京都渋谷区) - レビューをすべて見る
自分の人生に欲求不満の人殺しとゴーストライターの物語。
と一行で片付けても、表層的には間違っているとは言えない。
平易な文章で綴られているが、暗喩に満たされたこの「難解」な小説の読み解き方は読者次第で。
読み解けない、あるいは答えが明示的に提示されないことに対してフラストレーションを持つ人は、おそらくたくさんいるだろう。
だから、この小説を先の一行、あるいはそれに近い受け止め方をして、「つまらない」「理解できない」という人がいても、驚くには当たらない。
この小説だけに限らないが、入学試験の国語の問題みたいに答えが一つしかない、ということはない。
人それぞれに答えは異なり、それは作者も了解していることだ。
だから私の答えを人に押しつけるつもりもない。
したがって以下の「読み解き」は、あくまでも私個人の受け止め方であるのだが。
この小説には、悲観もしくは諦観の表出が詰まっている。
例えば。
本来は人間を幸福にするためのものなのに、「脳味噌の纏足」と化してしまっている宗教に対するペシミズム、あるいは本文中にはこの言葉は使われないが、エルサレム賞スピーチで言うところの人間が作り出したのにいつの間にか人間がそれにコントロールされてしまっている「システム」に対するペシミズムと。
「説明しなければ分からないのであれば、説明したって分からない」という認識論的ペシミズムと。
「メタ小説(1Q84の中で描かれる小説)」に対する批評、すなわち「謎解きがなされない小説は作家の怠慢である」という批評が平気でなされる日本の文壇へのペシミズム、あるいは「謎や暗示に対する答えは必ずしも用意されているわけではないが、人を最後まで惹きつけて離さない小説」すなわち村上春樹氏の小説一般への一部の評価についてのペシミズムと。
自分の分身であるところの自らの作品に対する小説家の思いと、その作品を商品あるいはビジネスとして捉える編集者をはじめとする出版社との果てしのない相克へのペシミズムと。
自分の幸福の追求によって自分を取り巻く周りの人たちを不幸にしてしまっているのではないか、結果自分の幸福はありえないのではないかというペシミズムと。
世俗的な物に対するペシミズムや、人間の本性にたいするペシミズムなど、これら以外にも確かにこの小説にはペシミズムが満ちているが。
救いがない物語では、決してない。
目の前の選択肢の片方を選べば、別の選択の結果は決して知り得ない(=「1Q84」vs「1984」)という意味で不可逆的選択の集合体である人生を、単に悲観してペシミズムに陥るのではでなく。
自分の人生でどこかに必ずあったはずの啓示、それは必ずしも誰かから与えられ受け止めるだけの啓示でなく、自ら作り出すべきものとしての啓示を信じ。
「生まれ方は選べないが、死に方は選べる」という言葉に象徴されるように。
悲観し諦観することなく、自らの手で積極的な選択を行えば。
「人間自身が作り出したシステムに人間が支配される」のではなく。
本来あるべき姿に戻れるはずだ、すなわち自分の人生の主人公の座を自分自身に取り戻せるはずだ。
深い陰影を描き続けることによって、もしかしたら気付かれないかもしれないほどの、人生に射し込んだ細くてかすかな一条の光をまばゆく見せる。
私自身はそういった希望とそれを実行する人間の決意を描いた小説であると受け止めました。
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