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若泉さんは交渉過程を公表、沖縄県民に謝罪し結果責任を果たした/他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス

2009年12月23日 | ふたりの真希
核密約文書現存、佐藤元首相宅に保管 日米首脳の署名(朝日新聞) - goo ニュース

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若泉敬
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若泉 敬(わかいずみ けい、1930年3月29日 – 1996年7月27日)は、日本の国際政治学者。沖縄返還交渉において、佐藤栄作首相の密使として重要な役割を果たしたとされる人物。

目次 [非表示]
1 人物
1.1 出自
1.2 佐藤首相の密使
2 著書
3 脚注
4 関連項目
人物 [編集]

出自 [編集]
福井県今立郡今立町(現・越前市)生まれ。1954年東京大学法学部政治学科卒業。佐伯喜一の知遇を得て、保安庁保安研修所教官となる。1957年ロンドン大学大学院修了、1960年米国ジョンズ・ホプキンス大学客員教授となり、マイク・マンスフィールド、ディーン・アチソン、ウォルター・リップマンらと面識を持つ。1961年防衛庁防衛研究所所員を経て、1965年より京都産業大学教授。核時代における日本の平和外交・安全保障政策のあり方についてビジョンを構築し、『中央公論』などの論壇誌でその主張を提示していた。

佐藤首相の密使 [編集]
1966年頃から、面識のあった愛知揆一の手引きで佐藤首相に接触するようになる。佐藤は「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、日本の戦後は終わったとは言えない」と演説したように、沖縄返還に並々ならぬ熱意を持って臨んでいた。翌1967年、福田赳夫自民党幹事長を通して、沖縄問題についての米国首脳の意向を内々に探って欲しいとの要請が伝えられ、これを期に密使として度々渡米し、極秘交渉を行うこととなる(なお、密使としての交渉に際して、若泉は偽名「ヨシダ」、ニクソン政権において若泉のカウンターパートとなったキッシンジャーは偽名「ジョーンズ」を用いた)。

「核抜き・本土並み」返還の道筋が見えてきたところ、日米首脳会談直前の1969年9月30日、キッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官より、「緊急事態に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ち込む権利、および通過させる権利」を認めるよう要求するペーパーが提示された。1969年11月10日 - 11月12日の再交渉で、若泉は「事前通告」を「事前協議」に改めるよう主張、諒解を得る。この線で共同声明のシナリオが練られることとなり、同年11月19日(米国時間)佐藤・ニクソン会談で3年後の沖縄返還が決定されることとなった。

その後は現実政治に関与することなく、学究生活に戻った。なお極秘交渉の経緯を記した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス[1]』(文藝春秋、1994年)において、核持ち込みと繊維問題について作成した、日米秘密合意議事録の存在について触れている。同書によれば、佐藤とニクソンは、大統領執務室隣の小部屋で、二人きりになって署名したという。同書の上梓後、1994年6月23日付で大田昌秀沖縄県知事宛に「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自殺)します」とする遺書を送った[2]。同日、国立戦没者墓苑に喪服姿で参拝したが、自殺は思いとどまった[3]。

その後、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』英語版の編集に着手。完成稿を翻訳協力者に渡した1996年7月27日、癌性腹膜炎により、福井県鯖江市の自宅にて逝去。享年67。しかし、実際は青酸カリでの服毒自殺だったという[4][5]。

なお、自殺したという話を聞いた大田は
「核密約を結んだことは評価できないが、若泉さんは交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪し、『結果責任』を果たした。人間としては信頼できます」とコメントしている[5]。

英語版が公刊されたのは、2002年である。なお、『正論』2006年9月号に、英語版序文の原稿が掲載されている。

核持ち込みについての密約は、信夫隆司が2005年までに機密指定が解除された米政府公文書から、密約を裏付ける文書を発見した。キッシンジャーからニクソンへのメモで、日米間の密約を示す「共同声明の秘密の覚書」の存在に触れ、覚書が「核問題」に関するものであることを明らかにしている[6]。日本側での所在は確認されず、日本の政府・外務省は密約の存在を否定していたが、2009年12月に佐藤栄作の遺品にこの密約と見られる「合意議事録」が存在し、遺族が保管していたことが報道された[7]。


井上さんは新作戯曲「組曲虐殺」を書き上げた直後の10月末に肺がんと診断された

2009年12月16日 | ふたりの真希
井上ひさしさん肺がん治療中 来春復帰目指す(朝日新聞) - goo ニュース


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