『阪神・淡路大震災』から11年目を迎える。
隣接県になるので、私も大きな揺れを体験した。
まだ早朝、母親だけが起きていた。
私はまだ布団の中。
『揺れ』を感じた時にはいつもと全く違う気がした・・・
父親が箪笥を押さえ『布団をかぶっとけ!』と言ったのだけは覚えている。
普段、感情をあまりださない、焦らない父親が少々取り乱していた。
ほんの何秒かの『揺れ』は・・・
何分にも思え・・・。
私は当時19歳。耳鼻咽喉科の助手をしていた。
7時45分には家を出る。
ただ・・・あの光景を目にするのは仕事を終えて帰宅してからだった。
勤務先に着き、まず薬だなやカルテ保管庫などからものが飛び出し散乱していないか確認。
そして、特に何も変化の無い診療所に少しホッとした記憶がある。
いつもの様に診療開始。
でも・・・いつもの顔ぶれは無い・・・。
老人医療費でまだ1000円の負担だけの時代だった。
日課のようにいらっしゃる高齢者の方々。
勿論、自力で来られる方ばかり。
やはり、あの大きな揺れが原因。みんなでそう思った。
時間は遅かったものの、徐々に何時もの顔ぶれが・・・
『ニュース見てたんや・・・神戸の方。凄いわ』と。
診療所にはTVは置いていない。院長の方針だった。
でも、いらっしゃる患者さんの口から出る言葉は同じ。
『兵庫県のほうやて。物凄いで』と・・・。
親戚が居ました。大丈夫かと思いつつ仕事をしていました。
帰宅後、目の当たりにした『神戸』
隣りの県だと思えないくらいの状態だった。
大阪に住む従姉妹が震災の2日前に出産していた。
窓ガラスに亀裂が入ったが大丈夫と連絡があり。
兵庫に住む叔父2人からも連絡があり。
親戚の無事は確認できた。
時間の経過と共に増えていく犠牲者の数。
丁度、その頃にまだ知り合っていなかった旦那も
伊丹に叔母が住んでいた。
物資を届ける為にバイクで行ったらしい。
でも、途中から徒歩だったと。
義父も義母も言う。
車でいけるようになってから物資を持って行ったが
あれは言葉に出来る光景ではないと。
未だに話す。あの光景。
今日、11年目。
去年・一昨年と各地で地震が発生した。
その度に応援に向かうボランティアの方たち。
『阪神・淡路大震災』の経験者も多いだろう。
昨日、夕刊に関連記事が掲載されていた。
妊娠中だった女性が避難所生活をし、人の優しさに触れたと言うお話。
『この子は1人で産まれたんじゃない、みんなのおかげで産まれたんだ』と。
みんなが震災を振り返る日でもある。
隣接県になるので、私も大きな揺れを体験した。
まだ早朝、母親だけが起きていた。
私はまだ布団の中。
『揺れ』を感じた時にはいつもと全く違う気がした・・・
父親が箪笥を押さえ『布団をかぶっとけ!』と言ったのだけは覚えている。
普段、感情をあまりださない、焦らない父親が少々取り乱していた。
ほんの何秒かの『揺れ』は・・・
何分にも思え・・・。
私は当時19歳。耳鼻咽喉科の助手をしていた。
7時45分には家を出る。
ただ・・・あの光景を目にするのは仕事を終えて帰宅してからだった。
勤務先に着き、まず薬だなやカルテ保管庫などからものが飛び出し散乱していないか確認。
そして、特に何も変化の無い診療所に少しホッとした記憶がある。
いつもの様に診療開始。
でも・・・いつもの顔ぶれは無い・・・。
老人医療費でまだ1000円の負担だけの時代だった。
日課のようにいらっしゃる高齢者の方々。
勿論、自力で来られる方ばかり。
やはり、あの大きな揺れが原因。みんなでそう思った。
時間は遅かったものの、徐々に何時もの顔ぶれが・・・
『ニュース見てたんや・・・神戸の方。凄いわ』と。
診療所にはTVは置いていない。院長の方針だった。
でも、いらっしゃる患者さんの口から出る言葉は同じ。
『兵庫県のほうやて。物凄いで』と・・・。
親戚が居ました。大丈夫かと思いつつ仕事をしていました。
帰宅後、目の当たりにした『神戸』
隣りの県だと思えないくらいの状態だった。
大阪に住む従姉妹が震災の2日前に出産していた。
窓ガラスに亀裂が入ったが大丈夫と連絡があり。
兵庫に住む叔父2人からも連絡があり。
親戚の無事は確認できた。
時間の経過と共に増えていく犠牲者の数。
丁度、その頃にまだ知り合っていなかった旦那も
伊丹に叔母が住んでいた。
物資を届ける為にバイクで行ったらしい。
でも、途中から徒歩だったと。
義父も義母も言う。
車でいけるようになってから物資を持って行ったが
あれは言葉に出来る光景ではないと。
未だに話す。あの光景。
今日、11年目。
去年・一昨年と各地で地震が発生した。
その度に応援に向かうボランティアの方たち。
『阪神・淡路大震災』の経験者も多いだろう。
昨日、夕刊に関連記事が掲載されていた。
妊娠中だった女性が避難所生活をし、人の優しさに触れたと言うお話。
『この子は1人で産まれたんじゃない、みんなのおかげで産まれたんだ』と。
みんなが震災を振り返る日でもある。