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12月2日~12月6日夫婦でミャンマーへ旅行した。
以前日本語教室で学習し、9年前の2006年に開催された尼崎国際交流協会の第1回スピーチコンテストに出場したミャンマー出身のテッテ・カインさんのお誘いに乗って。
9年前 尼崎市国際交流協会の日本語スピーチコンテストで発表するテッテ・カインさん
彼女は現在ミャンマーのヤンゴン市で公認会計士事務所を開き、進出してくる日本企業を相手に多忙な日を送っている。
旅の記録
12月2日
ベトナム航空331便で関空を10:30出発、途中ハノイで957便に乗り継ぎヤンゴン空港に18:10到着 テッテさんの出迎えを受け ヤンゴン市内で長女のキンキンちゃんと一緒に夕食。
キンキンちゃんは 昨年春大阪に研修に来た時に我が家で食事をした仲である。
「夕食は何がいいですか?」という質問に迷わず「ビルマ料理」と答えた。実は25年ほど前に初めてこの国へ出張で来た時に、ビルマ料理のご馳走で下痢をした経験があるので内心は少し心配なところはあったものの、せっかくビルマに来たんだからビルマ料理を食べないてない手はなかろうと。
そして食べたビルマ料理はまことにGood。
夕食後は ライトアップされた「シェダゴンパゴダ」へ。ヤンゴン市民が最も尊敬するパゴダ。
シンダダヤの丘に金色に輝くこのパゴダの歴史は2600年以上前にさかのぼるといわれており、以来改修増築を重ねて現在では60余りの仏塔に囲まれた大仏塔である。すべて金箔がはられた金色の塔の高さは99m、基底部の周囲は433m、使われている金箔の数は約9000枚。丘の上にあるので市内どこからでも見ることができる。
テッテさんたちは昼は暑いので、朝早くか夜お参りするとか。この日も夜10時近いというのにかなりの人々がお参りをしていた。
ホテルはGraoud United 部屋からは正面にシュエダゴンパゴダが見える。
写真は早朝のホテルから
12月3日
現役時代に働いていた(株)KLTのヤンゴンオフイスを訪問。テッテさんが現在計監査の仕事を請け負っている会社でもある。所長のKさんとしばらく歓談。ビジネスチャンスは急速に広がりつつあるらしい。
このビル隣につい先日の選挙で圧勝したスーチーさん率いるNLD(国民民主連盟)の本部がある。ただ、本部といっても表はTシャツなどの店になっている小さな建物である。現在隣に6階建ての小さなビルを建設中。ここで販売しているTシャツなどの商品はすべてNLDの運動資金となっているとか。
テッテさん達ヤンゴン市民はスーチーさんに絶対的な信頼を抱いている。自分たちも応援のつもりで買い物をした。
KLTヤンゴンオフイス
NLD本部
ヤンゴン市内の風景
さあこれからパゴダめぐり開始。
最初に訪れたのは
Nga Htat Gyi Pagoda
1900年に建造された比較的新しいパゴダ。仏様が大きい。ミヤンマーでは 曜日を司るといわれる小仏像が大仏のまわりに配置されているので、自分の生まれた日の曜日の小仏像に杯で年齢の数だけ水をかけ、お祈りをするのが作法とか。そういえばキンキンちゃんは昨夜 水曜日の仏様に水をかけてお参りしていた。
次は 寝仏
チャウッターヂー・パゴダ
これも比較的新しい仏塔で、全長70m、高さ17mの巨大な寝仏が祀られている。足の裏に描かれた黄金の仏教宇宙観図がすばらしい。
イエレー・パゴダ(水中寺院)
ヤンゴンから車で1時間半ほどのチャウタン村を流れる川の中州にある寺院。
川岸の船着場から小舟で3分ほど。1989~1998年にかけて増築された。宝石と金で装飾されたきらびやかな仏像などが祭られている。
12月4日
テッテさんは仕事。娘のキンキンちゃんと会計事務所のスタッフのスースーちゃんの若い二人が案内役をしてくれた。
まずヤンゴン中央駅から列車でバゴーへ向かう。列車は私の希望である。
「どうして外国人はわざわざ不便な列車に乗りたがるのかわからない」とテッテさんは言う。
彼らは気を使ってアッパーデッキ(2階席)の切符を買おうとしたが、この日は政府の高級役人が使うので普通席(normal seat)しかないということで、普通車に乗ることになった。私の望むところ。
運賃は600チャット(約60円)
ヤンゴン中央駅 マンダレー行の普通列車に乗る。1時間に1本
車両は昭和20年代の日本の田舎を走っていた列車と同じくらいのおんぼろ。座席も木製でガタガタ揺れると尻が痛い。窓もあけっぱなし。
駅に着くたびに乗ってくる物売りの大きな声、ガタゴトという車輪の音、集落の中を通り過ぎる時の警笛の音などなど 実に飽きることない2時間であった。同行のみんなは寝ていた。
ここでその列車内の音を
YouTubeで https://youtu.be/HrlyUjQFDFU
バゴーに着いたらオート三輪車の荷台にお客を乗せる「バイクタクシー」で観光へ。
キンキンチャンの交渉で3つのパゴダを回って料金は5000チャット(約500円)
最初のパゴダは
Lake Ryar kan(通称 Batteflyr Pagoda)
池の中に建てられたお寺で屋根も柱も金色に輝くお寺。なぜなのか聞くのを忘れた。
次に案内されたのは
Mway Phayar(通称 Snake Pagoda)
小さな寺の中にたくさんの人が座って何かの順番を待っている。その先の台の上に二人のお坊さんが座っている。よく見たら木像のお坊さん。その下に大きなつぼを前にした男性がお経らしきものを唱えている。座って順番がきた人たちはそのつぼにお金を入れてしきりに拝む。何を拝んでいるのか・・なんとその先に胴回り50cmはあろうかと思う大ニシキヘビがいた。この蛇は年齢が120歳で、お参りをすると願いがかなうとか
。
3つ目はバゴーの見どころのひとつ
シェーモード・パヤー。この仏塔の歴史は古く1200年以上にさかのぼるといわれる。何度か地震の被害を受けてその都度改修増築されてきたこの塔の高さは114mでヤンゴンのシュエダゴンパゴダよりも高い。
次は運転手のサービスで、
ハンターワーディー王宮
ここは13世紀後半から16世紀半ばまで続いたビルマ南部のモン族の王宮発掘現場。イギリスに滅ぼされるまでの最後の王朝である。再現された王宮と遺跡の発掘現場では出土した16世紀の仏像などが展示さてている。
バゴーの最後は
シュエターリャウン寝仏。
バゴーで最も有名なのがこの巨大な寝仏。990年ごろに建設されたがその後その存在も忘れられ、イギリス植民地時代に森林の中から偶然発見されたとか。全長55m,高さ16mの強大な寝仏。
この寺院の中のみやげ物屋の多さ!子供が土産物を持って寄ってくる。
バゴーからタクシーでヤンゴンに戻って
日本人墓地を訪れた。
25年ほど前に訪れた時は殺風景な敷地の中にひっそりと 苔むした墓しかなかったが、見事にきれいに整備されていた。墓地に入ってメインの通路を進んだときある立派な碑が目に入った。近寄ってみると、映画「ビルマの竪琴」の主人公「水島上等兵」の名前が書かれてあるきね。本名は中村一雄さんは2008年に93才でこの地で亡くなったと。彼は実在の人物であった。
第2次世界大戦ではビルマで19万人の日本人が亡くなったとか。
思わずオカリナを取り出して「埴生の宿」を吹いた。
吹き終わって気がつくと、後ろで奉加帳を持った二人のビルマ人女性が黙って立っている。記帳用ノートにはここを訪れた日本人の名前と住所そして寄付金の額が記されていた。
夕食はテッテさんのご主人アウンさんと末っ子のエンちゃんも一緒にビルマ料理。
12月5日 最後の日
比較的ゆっくりと出発の準備を終え、アウンさん運転する車でまずは
国立博物館へ。
マンダレーやバガン王朝時代の王座をはじめ仏像や武器・民族楽器などの工芸品が展示されており興味深く見物できた。
昼食後は
ボージョーアウンサン・マーケットで買い物。
そしてヤンゴン空港まで送ってもらい帰路の途に。
19:10発のベトナム空港956便でハノイへ、ハノイでは3時間待って0:30の便。
12月6日 06:30関空着
<雑感>
1、これでもか、これでもかとパゴダが続く。ミャンマーの人々は実に信心深い。自分は食べるものがなくても、仏様には一生懸命寄進して来世の幸せを願うといわれる。その姿はパゴダ内で大勢の人々が跪きまたは正座して祈っている姿から想像できる。シュエダゴンパゴダの仏塔の最頂部には1個76カラットのダイヤモンドをはじめ、総計5400個のダイヤモンドと1383個のルビやヒスイなどの宝石がちりばめられているという。すべては善男善女の寄進によるもの。
2、ヤンゴンの街は緑が深い。車があふれてその緑が消えないように、また高速道路が空中を走ったりすような街にならないことを祈りたい。
3、街を走る車の90%以上は右ハンドルの日本製。トヨタ車が圧倒的に多い。現在は中高車の輸入しか認められていないが、来年には中高車でも左ハンドルしか輸入できなくなるそうだ。中古車の輸入業者は左ハンドルに改造して売るのだろうか。他人事ながら気になる。
4、日本円は使いにくい。両替屋も日本円はNOのところが多い。空港のみやげ物屋にしてもしかり。空港ではクレジットカードでも嫌がられた。ドルなら大歓迎。
5、ミヤンマーは今のシーズン(11月~2月)が観光のベストシーズン。気温は最高30℃くらいにはなるが、乾季の今はさらっとしている。朝晩は23℃~24度くらいに下がる。
6、ミヤンマーには世界遺産が一つしかない。最初に見たシィエダゴンパゴダはとっくの昔に世界遺産に登録されていると思ったら、以外にもまだらしい。理由はない間の軍事政権時代に世界から経済封鎖されていたからとか、軍事政権のメンテナンスが信用されないからとか聞いた。