Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

「集中力」について

2018年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

「やったら出来る」と持ち上げられ、「でも集中力がない
からアカン」と、けなされたりの生き方をしてきたが、今
朝の新聞で面白い記事をみた。「集中力」のことが書いて
あり、その中では「集中すること」は脳科学的には危険だ
というのである。
 
例えば野生の動物が目の前の獲物に集中していれば、あっ
という間に天敵にやられる。運転も目の前だけにとらわれ
ていては他のことに対応できない。そこで、「全体を俯瞰
して注意を効率的に分配すること」が大切なことである。
と書かれていた。
 
しかも、究極の集中力の持続時間は2秒とも言われている
そうだ。ということは集中力を高めるなどということは、
正しいようで無理なのではないか、ということになる。
 
そこでは注意をうまく分配する力(効率の良い「手の抜き
方」)が大切であって、ある程度の力加減で長時間、効率
よく作業ができるということに繋がる。
 
社会を生き抜くために必要な力は、「集中力」ではなく、
「注意の分配力」であり、そのためには全体を俯瞰的に見
渡し、物事を判断する能力を磨く必要がある。
 
そうか、そうなのか、生きていくには集中力より手抜き力!
と短絡的に思ってしまうと、そこには俯瞰力が抜けていて
ただの手抜きになったしまう。(笑) 「注意の分配力」と
いう言葉には、ある程度、集中してみていかないと注意に
気付かないということになる。ということは集中力も必要
であり、集注力とでも言うのであろうか。
 
まあ、これは社会現象にも言えるのであって、モリカケ!
はいいのだけれど、外交どうすんの、とか社会保障どなっ
てんの、とか他に注意してやるべきことが多くあるのに1
極に集中しすぎなのである。ササっと納得できるように結
論を出して他のことをしなければならないのである。
 
人間追い詰められたら俯瞰力など無くなるので、気持ちだ
けでも俯瞰してモノをみられるようにしておきたい。とい
うことは、ある意味、開き直りもあっていいのである。
「やったら出来る」は集中力というよりも努力の力なのだ
なあ。運という力も大きいと思うけど。。。


虫眼鏡について

2018年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

事務所には大きな虫眼鏡がある。もともとは父が新聞を
読むときなどどこからともなく虫眼鏡を出してきて、虫
を観察するように新聞を読んでいた。若い頃、その姿に
なにかを感じたのか、欲しいと無理を言ってもらった虫
眼鏡である。直径10cm、鋼製にメッキの枠でレンズを
囲い、柄の部分は木製の円筒で中心部分が膨らんで握り
やすいようになっている。
 
どこで手にいれたか知らないが、いつの間にか家にあっ
て妙になじんでいた。父は細かいものなどをみる時に引
っ張り出してきては面白そうに虫眼鏡でみていた。その
虫眼鏡を無理やり譲り受け、思い出したように必要なと
きに出してきて使っていた。
 
ところが最近は毎日使っている。もともと近視で乱視な
のにそこへ老眼というものが加わって、メガネだけでは
みえないという緊急事態が発生してきた。そもそもパソ
コンのデータなどは拡大してみられるのであるが、図面
は紙に出力されているので拡大できない。それどころか、
最近は大きな図面も縮小してA3サイズに出力している
ので余計に見づらくなっている。
 
ただでさえ、小さな文字が縮小されると全くみる気がし
なくなるほどみえないのである。拡大コピーしてみる時
もあるが、いちいちそんなことはしていられないので、
虫眼鏡が登場するのである。この直径10cmの大きさ
は持ち歩くには無理があるが机の上であれば、重宝する
のだ。まるで手相を占うがごとく、小さなものまで確実
にみえるのである。そして観察者のようでもあり、気分
はシャーロックホームズなのだ。(←古い)
 
それはもう横からみていたら何を観察しているのか、と
いうほど頻繁に使う。ほとんどの場合は文字数字なのだ。
こんなに虫眼鏡を使う生活になるとは思わなかった。そ
してこんなに虫眼鏡が便利だとは思わなかった。
 
ただし、一つだけ気になることがある。深酒をした次の
日の朝は虫眼鏡でみてもみえない。虫眼鏡を使ってもみ
づらいのである。体調がいい時は虫眼鏡でハッキリ、ク
ッキリ気持ちがいいほどみえる。体調によってこれほど
違うのであろうか。それともアルコールは視力も悪くす
るのであろうか。