働き始めたころは、バブルという仕事がたくさんあった時代です。
M設計にも相続対策の賃貸マンションの仕事などいろいろとありました。
入社してからしばらくはT工務店の詳細図ばかり書かされてました。
そういえば、事業コンペなども手伝って、ロットリングで仕上げたりしていました。
その時に「カラス口」の達人のような人がいて、感心していたのを覚えています。
最終的には、文字や色を写植して仕上げていくのですが、今思えばPCで簡単に出来ることですが、
当時は滅茶苦茶時間がかかってました。
1ヶ月休みなしで、最後の週はホテルまで用意されて泊りがけでやるという時代でした。
施工図(工事用図面:施工図で全て制作される)なんかも書いていて現場に出て実際にみてみたいと思うようになり、
会社に言って、そういう仕事が来たらお願いしますと。「3カ月ぐらいだけど行ってみる?」という仕事が入り、
興味津々で現場に行くことになりました。結局、1年弱現場に通うことになったのですが。
OBP(大阪ビジネスパーク)のビルでプラザビル「いずみホール」という巨大なパイプオルガンが設置されているビルです。
まあ、もともと詳細図がきっちりできていないので、まとめろ、という感じでしたが、
そのうちに他にもいろいろと任されるようになり、竣工近くまでいることになりました。
これはこれで面白く、図面を書いていて わからないことがあるとすぐに現場に行って確認して
図面に記入するというダイレクトに情報が入ってくるのでストレスなく図面がかける。
まあ、1年ぐらい経験したので、もう十分という感じでしたが。。。(苦笑)
毎朝8時からラジオ体操があって、その後、ショートミーティングがあって~とても規則正しい生活でした。(笑)
あんなに真面目に朝からラジオ体操をしたのは小学生以来だったかな~。
この時にもいろいろな人たちと出会えましたし、新鮮で面白く仕事をしました。
現場では、あらゆる種職の職人さんたちがいたので、見ていて飽きなかったですね~。
何となく、会社の外へ出て働くのは武者修行のようで楽しかったのです。
まだ現場に大ビンのビールがケースでおいてあって、残業した後にビールを
グビグビ飲むという豪快な時代でした。(笑)
何度かコンサートを聴きに行ったことがあります。ステキなホールですね。
ご自分が設計に携わった建物が
ずっと残されていくのを眺めるのは
楽しいものでしょうね。
ほとんどホールにはかかわっていませんでした。
まあ、図面ぐらいは珍しいので観ていましたが~(笑)
自分がかかわった建物が残るのはうれしいですが、
店舗など無くなっていったものもあります。
そういうのは、ちょっと寂しいですね~。