愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

禅の十牛図について

2015-11-23 22:00:38 | 今に生きる

禅の十牛図について

OSHOの本は沢山でていますがあまり関心が無かったのですが、最近書店で

なぜか、OSHOの禅の十牛図を語るというサブタイトルで「究極の旅」という分

厚い書籍を購入しました。

著者:OSHO 訳者:スワミ・プレム・プラブッダ 発行者:阿部敏郎 

発行所:いまここ塾 発売:(河出書房新社) 

まだ読み進めて間もないのですが、一部気になった文章を抜粋してみました。

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禅の十牛図の歴史について少し―

もともとは、図は十ではなく八つだった

そして、それは仏教のものではなく、道家のものだった

その起源は失われている 

誰もそれがどう始まったのか 

誰が最初の図を描いたのか知らない

だが、12世紀になって

中国の禅のマスター廓庵(かくあん)が、それを画き直した

そればかりじゃない 

彼はもうふたつ図をつけ加え、八牛が十牛になった

道家の図は第八図で終わっている

第八図は〈空〉、〈無〉だ

だが、廓庵はもうふたつ新しい図をつけ加えた

それこそまさに、宗教意識への禅の偉大な貢献だ

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 道家の八牛はいい

が、充分じゃない

ビューティフルだ

が、そこには何かが抜けている

〈空〉は完全だ

が、さらに達せられるべき完成がある

〈空〉は完全だ、くり返させてほしい

だが、なおそこにはさらに達せられるべき完成がある

〈空〉は消極的(ネガティブ)には完全だ

あなたは放棄した

それは消極的なものだ

だが、あなたはまだ愛していない

積極的(ポジティブ)なものが抜けている

不幸は去った、みじめさは消えた

だが、あなたはまだエクスタティックじゃない

あなたは静寂に達したし、静寂はビューティフルだ

が、あなたの静寂なまだ充足じゃない

それは横溢じゃない

それはあなたの内なる実存の至福のダンスじゃない

 

ここで、廓庵は道教を越え、仏教をも超える

なぜなら、両方とも〈空〉で終わっているからだ

あたかもそれで旅が完結したかのように―

 …………………………………………………

 廓庵は探求者を世間へと連れ戻す

勿論、その人はまったく違っているし

自然、世界も同じではありえない

彼は市場にやってくる

が、彼はその瞑想の中にとどまっている

いまや、市場も錯乱の種にはなり得ない

もし市場が錯乱の元になるようなら

 ……………………………………………………

 瞑想が本当の完成、クレッシエンドに来るとともに

自我(エゴ)は消え失せなければならない

あなたは〈全体〉とひとつになるべきなのだ

 

そして、それだけじゃない

廓庵は人は酒瓶を持って来るのだと言う

とてつもなく重要なことだ!

人は〈聖なるもの〉に酔っぱらって来る

ただ静かなばかりじゃない

人は踊り、ひとは歌う

創造的になるのだ

ただ逃避して洞窟に隠れているのじゃない

人はいまや〈自由〉がその人の本質なのだ

世界は新しい冒険となるそして、円は完結した

世間から始まって世間へ戻る

市場に出発して、ふたたび市場に終る

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 廓庵は人間の全探求の十の図を描いた

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21世紀の今は、一人ひとりの意識の向上が重要になっています。

これまでの山にこもって滝に打たれたり、瞑想したり、御経を唱えたりしての

修業は終っています。それが悟りを開くことになるとして世間から離れた生活を

していますが、巷の中で人間としての生活を喜怒哀楽を経験しながら悟っていく

ことが、大いなる修行となるようです。

そのことは、昔からいわれてきたのかも知れない。

これまで本当に修行して悟りを得た人はほんの一握りの人数とのことです。

ほとんどの人間は何百回、何千回もの輪廻を繰り返して修行しても悟れて

いないと言われます。

地上で仕事や家庭生活の中の経験が、この世に誕生した意味、なんのために

生き、どこへ向かっていくのかの悟りを得るいい場所であるようです。

目覚め、悟りの入口に立っている人もそこからが新たな進化の始まりであり、

新しい世界の地球へ、宇宙へのスタートであるわけです。

この廓庵の十牛図は、絵画と詩と散文で注釈をつけてあります。

生きるヒントが示されています。

 

この「究極の旅」をこれから読み進めてみて、古い宗教観や片寄った考えなど

があれば現在の世界環境となじまない事柄は除いて私なりに気になる

メッセージがありましたら、またコメントさせていただきます。

 

十牛図についての解釈は多くの人が語っておりますが、まずはウィキぺディア

よりご紹介させて頂きます。

 ウィキペディアWikipediaより

十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる道筋をを主題とした十枚の絵で

表したもの。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)ともいう。中国代の臨済宗楊岐派

の禅僧・廓庵(かくあん)禅師によるものが有名。

 概説[編集]

廓庵禅師の十牛図には弟子の慈遠和尚により「どんな人にも仏の真源、仏性が

備わっているが、迷いの世界に入り込みもがき苦しんでいるので、そこから逃れ

る方途をこれまでも示されてはきたがそれらは不十分であったので、新たに廓

庵禅師は牧牛によってその方途を示されたと頌が加えられている。

巻子、画帖など、また掛幅1幅に10描いたものもある。中国伝来のものもある

が、絶海中津周文など日本の室町時代以後の禅僧、また絵画の各派の画人

によって制作されたものもある。10図すべてを描いた作例よりも、1場面だけを

描いた「牧牛図」の作例が数多く見られる。