神様を使役する「我良し」の心
宮本武蔵の「独行道(どっこうどう)」という伝書に、
「佛神は貴し、佛神をたのまず」という言葉があります。
死の直前に「五輪書」とともに弟子にたくされた言葉だと言われています。
神仏を尊び大事にするが、頼りにすることはしない。
神仏とは尊い存在なので、頼みごとをして働かせることはしない。
という意味になります。
太古の人間は、大地自然の中に神の姿を実際に見て感得していたといいます。
その時代には、神様とはひたすら恐れ、尊び、感謝し、祀り上げるのが当然だ
という存在でした。
時代が下り次第に人間に「我良し=自分さえよければ良い」という心が芽生え
始め、そのような意識が薄れ、恐れ、尊び、感謝を捧げる存在から、
神様は人間に都合よく頼みごとをする存在となってしまいました。
神様を使役して願いを叶えようとするのは「我良し」の心です。
個人の欲望を願うことは逆効果か、良くても何も変わらないのが現実のよう
です。
それより願いごとがあれば、自分で努力して実際に行動することで、それに
見合ったことが自分自身に現われます。
神様にお願いしてやってもらうという心は、神様をパシリに使うことであり
昔から言われている「バチが当たる」ということになります。
「バチ当たりめ!」と叱られたり、蔑まされます。
そういうことが昔から言われているにもかかわらず、神社に行って
御賽銭を投げ入れ、願望=欲望を叶えろと祈っている人間は、
低級な存在に成り果ててしまいました。特にお正月の神社仏閣への参拝は
神様を使役している光景に見えます。
何割の人が、ただ感謝のみの参拝をされているのでしょうか。
神様に感謝の思いを捧げることを続けていくことは、良いことはあっても
悪いことはありません。逆に自分の心が浄化され素直になっていくのを
感じることでしょう。