愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

「思考という波動とは!?」

2016-10-01 21:25:55 | 今に生きる

「思考という波動とは!?」

日々自己の頭の中を言葉や思考、想念が通過しています。

朝、歯を磨いているとき、食事の用意をしているとき、歩いているとき、

電車に乗っている時、一日中頭の中に入り込んでおしゃべりしています。

物事に集中しようとしてもすぐ入り込んでくる思考。

これまでこれらに振り回されて生きて来ました。

特に嫌な出来事などは、振り払っても数分もしたらまた、あれこれと

頭の中を占めていました。

ただ、一生懸命に仕事をしているとき、絵を描いたり、書を書いたり

しているときは、そのことに集中できているので頭の中は、

考えているようには思えません。

 いったいこの思考とは何なのでしょう。いろいろ調べてみました。

 

思考という肉眼で見えないもの。

これは波動です。

「思考の波動=情報の波」

多種多様な波動の情報というものが通り過ぎています。

思考という情報の波動は、たえず頭から別の頭へと飛び続けて

います。

口に出して伝えなくても,絶えずある肉体から別の肉体へと

飛び交っているということのようです。

脳は、入ってきた情報や暗号を解析し、言語化し映像化するだけ

というのです。

誰かの肉体を通過してもたらされる思考や感情は、まるで

自分が考えているように思いますが、これは錯覚しているのだという。

自分がそれらをキャッチし、しばらくの間、あるいはかなり長期間、

その考えに執着してしまうこともあり、それを正しいと信じ込んで

しまうこともあるというのです。

すべての思考や感情は「もらいもの」で、単なるプログラム、

単なる概念の一つにすぎないという。

「これは自分の感情だ」、「これは自分が考えだ」と錯覚したとたん、

それらに振り回されます。

たしかに「もらい泣き」などの例に見られるように、アットいう間に

電波として各自に伝わっていきます。

私たちの肉体は、ありとあらゆる全部の周波数を常に

細胞レベルでキャッチしているという。

たとえ耳に聞こえなくても、見えなくても、匂わなくてもキャッチして

いるようです。

それぞれの思考や感情は波動として周囲の空間に広がり、

別の肉体に届いたときに、その人の認識に影響を与えます。

これが誰かと出会ったときに感じる不安感や敵意、あるいは

魅力の正体だということです。

たとえば誰かのそばに近づいて、わけもなく怒りが湧くのは、

相手の深い内面になんらかの怒りのエネルギーが隠れていて、

それが相手の波動として放たれているからです。

その相手もまた「これは自分の怒りだ」と信じ、それを握りしめて

執着しているわけです。

自分がイライラし、しかもそれを無意識におさえ込んでいると

周囲の人がキャッチします。

赤ちゃんや動物は純粋なので、そのイライラを受け取って、

むずかったり、機嫌が悪くなることがあるでしょう。

 

思考、情報、アイデアも、ただの波動としてこの宇宙空間を

流れているだけであり、誰のものでもないという。

思考は頭が自動的に日本語になおして解析しただけなのです。

ただ通過しようとした思考(光情報)を各自がつかまえ、

ときに拒絶することで自分の中に抑え込まれ、逆にまわりに

強く表れその人の雰囲気になります。

 

「私の思い」「私の感情」「私の信念」などは錯覚であり

自己の所有物ではないといいます。ですから、

必要なくなれば執着せず、さよならすればいいのです。

好きではないものに執着しなくてもよいのです。

 

必要な情報や考えは、頭のチェックと解釈を経由せずに、

必要なときにダイレクトに肉体から貰えるとのことです。

これは肉体といっていますが、、心身の中心、真心なのでは

ないでしょうか。

 

そうはいっても、生きているうちは毎日意図しない思考が

湧いてきますが、どんどん流して行けばいいと思います。

その思考を観察している自分がいることが認識できれば、

必要以上にその考えに囚われなくなってきます。

ですから楽しくない考えに振り回されてしまうことはやめることが

賢明です。

 頭で考えるな、感じろ!ということを実践しています。