愛の輝きとつぶやき

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空海と聖徳太子

2015-05-19 21:15:40 | 数霊と型霊

空海と聖徳太子

 

空海が恵果から教えられた秘密、学ぶべきものは古代日本に封印されていた!

空海が唐に渡って密教の修行をしてきましたが、短期間で戻ってきました。

本来は一生賭けてやるほどのもので、2年や3年の修行では終わらないはずなのです。

それが、なぜ短期間で戻ってこられたかというと、向こうで恵果(けいか)さんに認められて、

「あなたが学ぶべきものはここにはないんだ。あなたの住んでいる霊の元の国にすべてがある。

それを聖徳太子がすでに残しているから、あなたは知っているはずだ」と教えられたようなんです。

たしかにその通りで、モーゼもキリストも日本で学んいて、すべての根源的なものが日本から

出ているのです。

日本に帰ってきた空海は、さっそく聖徳太子の歴史を調べました。

聖徳太子はたしかに日本に仏教を持ってきたと言われていますけれども、仏教だけでなくて、

景教(キリスト教ネストリウス派)の教え、ミトラ信仰、拝火教などもっと幅広いものがあったんです。

古神道の儀式で、麻を使って火を焚く特殊な行法があります。これは古代日本の忌部(いんべ)氏

のものなんですが、それを聖徳太子は潰すことなく形として残しています。

だから空海が留学して学んだ密教の本流、正統というものは、元をたどれば日本古来の

古神道の学びなのです。それを逆に証明するように、聖徳太子は仏教の中に神道を融合させ

ました。

 

四国の88カ所の霊場を空海が定めた本当の目的は、剣山(契約の聖櫃、アークがあるとの

伝説がある)を隠すことにあったようです。

どこのお寺からも剣山が見えないようになっていて、とても巧妙に配置されている。

あんなことは空海ひとりの力じゃできないわけで、朝廷の援助があったことをうかがわせます。

風水師でもある私の解釈では、88カ所というのは星座の数に対応しているんです。

だから空海の宇宙観の根源は高野山ではなくて、四国にある。

それで霊場を開いたのでしょう。

四国には、空海以前から古代王朝の石碑(ペトログラフ)があります。

本来の日本のあるべき姿は、アニミズム(万物すべてに魂が宿るという思想、大自然崇拝)の

超古神道文明なのです。

(「地球一切を救うビィジョン」 著者 白峰 より抜粋)

 

参考まで:ご存じの方も多いと思いますが、聖徳太子は三人いたようです。

秦河勝と大友忍(しのび)という人が中心になって聖徳太子の役割をやったのです。

日本で初めての情報機関の忍者が大友忍で、忍者の発祥となる人です。

(同時に十人の話を聞けたのもその為です)

 


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