伊江島で農道脇に一人佇み、煙草など吹かし何故この様な場所に居るのか考え中。遡る事何百年か何千年かは知らぬが、この地で延々と生を引き継ぎ繰り返した一族の四女が昭和12年に生を受け、幼い頃の戦争を幸運にも生き延び、花も恥じらう乙女と成長し、一大決心の後に伊江島を飛び出し、昭和30年代に花の都の那覇の町でデパートの店員となる。すると、縁もゆかりもない通りすがりのお客のおばさん一目見て「器量よし、これは甥っ子の刀自(とじ=かみさん)に宜しい」と勝手に決め付け、押切る。昭和12年生まれの首里、久志村から那覇へ戦後戻ってきた一族の甥っ子は異論も無く婚姻に至り長女が出生。後の同居人です。
で、同居人の母方のおじい、おばあの法事でお線香をあげ、仏壇の間の片隅に着席。うけけ。見覚えはあるが誰が誰か一切解らず、薄ら笑いのままにじりながら外に逃走し農道に一人佇む。
法事と言う行為は死者を忍び懐かしむ事であるが、同時に一族郎党を集め、血脈の確認と懇親の為でもある。両方幸せである。部外者のわし以外は。
「あい、あんたは誰ね~」「四女のスミの長女の〇〇よ~」「あい、こんなに大きくなって、あきさみよ~」「米子おばさんも元気そうですね」「側にいるのは誰ね~」「うちの旦那です」
「あい、そうね~可笑しい顔だね~髭など立てて、ひーじゃ~みたいさ~」「はは・・・(死なす)」
と、このような会話があちこち。親戚方面は少し確認すればどこの誰と判明するが、アウェーの私は早く帰りの時間にならないか熱望中。大人なんだから少しは我慢しなさい。
日曜日は法事お疲れ様。炭酸ワインで乾杯。
羊のリブ煮込みで打ち上げデス。伊江島のみんな宴会中でしょう。おじい、おばあにありがとうございます。あなたたちのお陰でわたしたちがいる。